労働集約的な積み重ね

日本では、自主的に活動したというより
ある社会のグループのために手持ちでも価値がないものを犠牲にして、
諦めによって寄り集まったという性質がある。
私も例外ではない。
ただ、
これでは生きている実感がなさすぎるので、
苦しみながら書いてみたい。
日本生命保険のいいとこ取りの功罪
これは親の世代と大きく環境や価値観が異なる。
成人してある年齢になると、
「毎月の収入とは別に、何千円か、関係ないことに使うと
もしあなたが入院しても報われますよ、
もっともいたって健康であれば必要もないかもしれませんが。。。」
という趣旨のことだ。
最初は、堅実に保険があった方がいい程度に考えていたが、
掛け捨ての保険ばかりでは将来的に何も貯まらないという。

カツアゲなら、感情的に責められているし、
物理的に傷つくので分かりやすい。
と言っても、自分にそこまで自信があるわけでも無く、
ない袖が触れるほど裕福でも傲慢でもない。
ただ、他人にある節目で、
然るべくアドバイス出来ればという立場と引き換えに、
食事をおごったりすることはあるかもしれない。
では、将来的に貯蓄ができるので、
あわよくば投資したいと言っても、
全く相手にされない。
現状では、なんだかこちらの都合を日本生命に押し付けているように思われる。
また、日本生命は社会人としてそこそこ働いていることを労ってはくれるもの、
何を言いたいのかまるでわからない。
叔父がこう言っていた。
「歳をとれば別に偉くならなくても、経年劣化して、
介護されるおじいちゃんの肉体になる、
力にものを言わせて自分でなんでもやっていると思っている時は、
大抵、自分が上手くいかないことを八つ当たりしているだけだ」
ただ叔父はITシステムが社会を良くすると言っていながら、
アナログにWEBデザイナーを2、3人雇っていたり。
それからこう言われるとカチンと腹がたつ。
それは八つ当たりなのだろうか。
最初から、見た目で印象も将来性も変えられるけれど、
みんな真似して競争が激しいから、
色々保険を考えたではダメなのだろうか。
熟年世代ではそう言った矛盾を口に出すことはない、
ただ国民年金の額は、バブル期の受給額はそれで生活できる水準で、
僕たちの世代ではそうではない、定年も65歳から体が動けるまで伸ばした方が、
社会的には負担が少ないとされている。
あるグループの面倒を見る、そういうと乾いた愛想笑いが見られる。
叔父の世代では、学生の頃お金が尽きかけた時、
お寺の埋蔵金があってそれを元手に株式会社を作ったという。
よく見ると日本生命の分厚いマニュアルも、
職員でも、形式的で誰も書いてあることを記憶できず、
その時の印象で負担か、貯えかが振り分けられているのかもしれない。
ただこうもいうその時の印象は一瞬だが、今までの人生を含めた一瞬。
2016年の、ワンピース THE GOLDはヒロインが、ナイスバディで声が綺麗な美女だが、
その真の魅力は、金融の仕組みに詳しいことと世間一般的なギャンブル賭け事が嫌いなこと。
宝箱を開けると、外れというメッセージがありコミカルではあった。
叔父のいうことではないが、
「歳をとれば別に美人ならなくても、経年劣化して、
介護されるおばあちゃんになる、力にものを言わせて、以下略」
ただ、町の貸金庫(そこまで潤沢に予算があるわけでもない)の蓄えを、
なくならないように、小分けすることをやたらに虚飾でごまかしてという後ろめたさはあった。
ただ、自分のポケットにあるお金なら特に意識しないが、一度誰かのポケットに預けたものを
生活のためとはいえ、再利用して生活に使うことを変に意識してしまう。
なぜ、特に用事もないのに、
自主参加すると後悔するイベントがあるのだろう、
社会人になってからだが、実際作家の人は学生の時に社会を想定して書いてデビューしている。
図書館には社会を疑似体験できる作品も多い。
さらに、最近は映像編集ソフトや、パソコンでイラストが彩色できるのか、
ライトノベルも参考になる。
ただそうすると、どうやって未来と向き合うか、
僕たちの先達と同じく苦労を強要する気がない、
好景気と不景気、当たり年と外れ年がある中で皆模索していると建設的に伝えたい。
そして僕も次の世代の考えを受けて、ゾンビや妖怪のような諦め人生から、人に生まれ変わらねば。

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