どうにもしがたいもの

僕はもしやっかみが可能だとしても、それが手段とは思わない。自分に都合の悪い競争相手が、考えが合わないという言いがかりだけで調子が悪くなったというのは賢しいと思うけれど、それだけ実力があるのなら、その人がグループを運営したりなにかためになることをしようと説明してくれればありがたい。気づくだけで相手の考えを読んだり、そういうときは繰り返し機嫌を取りながらもできることを模索していく。マスコミが仏教にかこつけて、関係者を脅そうとする心理が良く分からない。また中年になれば若い年に生きていても、そうでなくても過去が戻るわけでもない。なんというか実際に小説が書けないので、しかたなく現実に存在する組織やグループにかこつけていると思う。文章が掛けなくても、計算ができれば現実ではビジネスが成り立つところもある。僕はあいてにこうあるべきという強制はしたことはないけれど、もしなにかを強要する心理にはは僕にはうかがい知れない。勝手なことはできないが、どうすればいいかとおどおどしながら聞くと、たいていは当事者の言うことに従っていると嫌われにくいとなる。とはいえ、仏教も大乗でも檀家でもなく、どういうわけか頭を坊主にして自分の利益以外のためになにかに取り組む人という印象が刷り込まれる。

他人がうらやましいと思ったことも、また自分はこれだけ頑張っているが、だれそれは相対的に楽をしていそうなので、懲らしめてやろうと思ったことはなかった。人を呪うことはそれだけ人の心を把握したり、また方針を立てることに長けているのだと敬意は払わざるを得ない、というよりは脅しや空かしで有利な方に誘導されるのだろうとは思う。友情は相手に親切にすることは建て前にすぎず、実際には共通の敵を見繕っていっる性格がある。

鶏肉はどのようにしてできるかということで、畑から木の実としてなるという信仰がクラスにはあった、クラスのリーダー格の少年が、そんなのは嘘だ、実際には牧場主が鶏を吊るして革を剥いでいると知った時、鶏を食べられなくなったと聞いた。しかしながらそれで誰かを人殺しということはある意味では煽りの部分もある。注目を集めようと思って、事実を誇張したり、物事に過度なフィルターを掛けたりする。それによって誰かほかのひとが指導的な役割をしたり、利得を得ることが都合が良くなかった。しかしながら、民間人が加害者として誰かを訴えたり、または刑事ドラマのように犯人を捕まえる、あるいは成人を宗教的な理由で折檻することは、よほど仲がいい関係でないと、成立しにくい。ありうるのが、宗教的な勧誘または、セミナーなどで過激な主張に同調するように、促してくる場合がある。情にもろく流されやすいという性格は、少なからず僕にもないわけではないが、そこで唯々諾々としても、相手と向き合えないときもある。かつては、情報化社会の段階がことなったためか、グループでおしゃべりで社交的な人が、大きい主語を駆使して、相手の弱みをついて嫌味をいったとして、世間でなくてあなた個人がそう思っているだけですと率直に返答することがそれほど難しくなかったときにも、親分肌のような人に電話で謝ったけれど実際に会って話す必要があるとして、その足取りは重かった。僕自身、自分がそこまでいい人とも思っていないけれど、なにかを完璧にこなすと誰にも嫌われない理想的な人になれるという噂がながれると、おそらくしぐさや行動が監視されやすい人と、そうでなくとくに関心も持たれない人に分かれる。文学的な感情では、好かれることは過ぎ去ったり移ろったりしやすいけれど、嫌われることは実は好きの裏返して、最もしんどいのは人から相手にされないことだという。

親兄弟でも、関係が親密になると、その関係性はゆるがないが、もしお互いを認め合ったうえで上手くやっていく方法があるとしたらそこに正解はなく、血がつながっていない人と考えや意思の疎通ができることが意外な近道になるという。上手くいくことばかりでなく、行き詰まることもあるけれど、そこで有用なことが立場が異なった相手をどうこうしようと思わずに、落ち着いて対応していきたい。口論や議論はボクシングのようなものだというけれど、いまさら反射神経がつくわけでもないので、自分の担当する分野で特色を伸ばしていくしかない。なになにすべきといっても立場によって考えが異なる。それは尊重したいけれど、こちらから無理に優劣をつけることはしない、無難に過ごしたいけれど、なかにはそれが阻害されたとおもって構ってほしいとして、噛みついてくることおありうる。

修行は人を鍛えるといってもこじつけの部分もある。またはある部分が主観的に過大にみなされていることもある、一般的に長所は他と比べて秀でた部分で、それを比較して落ち込むこともある。どんなときでも僕の周りにはバカな人はいなかったが、利口にふるまって満足している人を見たこともあまりない、それだけ心理学に長けていれば、その才能に脚光があたってほしいとも思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です