近代の変わり種

SNSは痴話げんかを疑似体験するために、つねにブラフや脅しがあり、僕はフォロワーから外れていたが、それを影響される人もわずかながらいる。道徳でヒットコンテンツをだそうという作家ではあるが、実際に文献にあたったほうが良さそうだ。昭和的な価値観は、昭和人によってアップデートされてきた。カリフォルニアロールやカラオケ、全自動卓、卓上電話などで、もしそれらを抜きにして見ると、江戸前寿司、演歌、手摘みの麻雀、黒電話などになる。そういったものがむしろ物があふれた世の中にあって、かえって新しいという価値観は実は平成的なものだった。ファミコンが子供たちの文化な遊具として教科書に載ったのは平成からさらに令和になろうとしたところで、ファミコンのソフト自体は昭和からあり、脈絡も昭和だった。

いずれの伝統もそれが為されるときは、新しかったという、江戸前寿司に魚以外に野菜やマヨネーズが入ったのは、GHQの統制の影響だったという、キュウリやのような淡泊な野菜に海苔を撒いて魚のようにしたのもそのあたりからだった。どこまでカルト的な触れ込みに感化されたか、定かでないが、おニャン子クラブの後書きに、うちでは伝統的な江戸前寿司のようなものばかりでなく、ときには変わり種もある、アボガドロールのようなという。あの軽妙なノリが僕にはよくわからなかった。またどういうわけか、メモ欄もあり、そこに読者が思ったことを書くようなものだった。ところが、そこにアーリーアダプターになったファンには、むしろそれによって少なからず困惑したので、できる限り文脈を関係者の楽屋内で固めようとしたという。現代語辞典イミダスには、そういったアイドル文化がある、しかしながら当のアイドルは、群雄割拠になっているためか自らがアイドルであることを公言することは珍しく、なにがしか職人的に地に足を付けたいと考えているという。

カラオケは、意外なことに振り付け師や、発生指導の専門家が別にいるとおもわれるが、なぜか素人にも歌いやすくなっている。地方の自動車教習所にいくと、マイクを握るのは目立ちたがり屋だけというような風潮もあった、というよりカラオケと漫画ぐらいしか娯楽がない、さいとうたかをのゴルゴ13は、作者が理容師というよりは男性の角刈りを専門にするような床屋で、物言わずとも待合室にはゴルゴ13のシリーズがシェーバーや櫛と並んで置いてある。とはいえ、ゴルゴ13というフィクションに床屋が出ることは殆どない。目元や眉毛の雰囲気がどことなくカットモデルに面影がある。

ファンタジーの幻獣などのよもやま話を載せた資料集には、中世では騎士は馬に乗っていたが、もし現台風にアレンジするとしたらバイクに乗っている。馬とバイクはイコールではないが、そこにリアリティを連想させるような小道具が必要になってくる。

黒電話はジーコジーコとゼンマイを撒くように、番号を入力していくが、プッシュホンは電子音とスイッチで番号を並べていく、とうじ日曜大工に興味があったことからものづくりに携わりたかったが、これからはデザインの時代だという。旧日本軍の零式艦上戦闘機という飛行機もエンジンは変えておらず、外装によって機能美を実現した。プッシュホンにも鉛筆の線でスケッチブックになぞって造形された。機動戦士ガンダムというアニメの元祖は戦後から米ソ冷戦までの思想構造を物語というフィクションに当てはめたものだ。モビルスーツがアメリカナイズされていると強そうといった発想は子供だからこそその欺瞞が分かる。その次のZガンダムでは、モビルスーツが従来のマジンガーZや、ゲッターロボといった道端でベーゴマなどの加工しやすいトタン屋根やブリキといった合金でなく、カーデザイナーというスポーツカーの外装をデッサンするデザイナーが、そこに手足を付けたらどうなるかという空想でつくったものだという。

ファミコンでなく、メモリやCPUも充実して、ドットグラフィックでなくカラーになってから、中世ヨーロッパノスイスのゼンマイ時計をヒミツのアッコちゃんのように魔法アイテムにしたロールプレイングゲームが流行ってから、初回策は手作りで作っていたが、次回作からはライン生産になるという、そこでなぜかロボットはZガンダムのようでもあり、車のようでもあった。文化には伝統があり、そこには世代交代がある。先達のアドバイスを踏襲して今があるということばかりでもなく、そこには独自の変化に合わせた工夫が必要になってくる。かつてはポケットベルが携帯電話に変わるだけでも、自分のプライバシーを他人に切り売りしているので、あるで評論家のようになるという意見もあった。物はいいようで、閉塞感の強い時期には、言質だけでなく思っていることも見透かされそうになる。とはいえ、思考や言動が伝わったとしても、向こうにも第一印象から掘り下げることがないようで、そういった観点では、それしかしがみ付くものがないから一所懸命だったというよりは、仮に自分に長所に自信がなかったとしても、等身大で形成していくことは大切だと考える。

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