慣習と雑学の関わり

Modern Slavery Act 2015 (現代奴隷法)はイギリスで定められた、どちらかというと慣習法だ。マスコミはメジャーな憲法改正を引き合いに出すけれど、法律は弁護士の為だけでなく、意見が対立したときにお互いが納得する妥協の手段として考案されたもので、それ自体に強制力があるわけではない。

とある編集プロダクションの結社でも、語り口こそ柔らかいが、家父長権限が強く、かつて早稲田大学の大隈重信が、欧米列強(というのは同時代の作家の森鴎外が子供に力関係を示そうとして手習いで書いたメモのようなキーワードで、どの国が強いかは流動的だったと思われる。)が、米国大使タウンゼント=ハリスとの会見のなかでそのようなことは国際法に違反すると、窮鼠猫を噛むようにして、まくしたてたという。彼自身、国際法という中立国家のオランダのグロティウスが提唱したニュアンスのような形のないものに、説得力があるかどうかは想像が許される。

草莽崛起というのは、明治維新のときに識字率の高さから、大日本帝国憲法の草案は教科書に載ってはいないけれど、高校ではタバコと携帯電話が校則で禁止はされていたが、タバコが禁止されたのは、明治時代に定められた民法によるもので、パッケージに健康へのメッセージとともに書いてあり、それがあたかも常識であるかのように僕らに刷り込まれている。

山口県にある松下村塾では吉田松陰に伊藤俊介という後の伊藤博文がおり、金子堅太郎らがドイツ風のロジックで植木枝盛らのフランスのルソーの人間不平等起源論から結んで開いてを和訳した慣習法を押さえつけて当時の皇室に上奏する形式を定着させた。こう言った書籍は大学に行く前に、神田の古書店に置いてある文庫本を拾って読んで得たヒントも含まれている。しかしながら、電子メールによって原稿用紙をなぞらなくても作文ができて、ジーグレーという版画のように写真をなぞったり着色するPhotoShopなどのレタッチソフトのように、消しゴムを使わずに書いたり消したりできて、共有もできる。高度経済成長期の一太郎のように、原稿用紙に近いものが外来の記録媒体になってしまったのは、漫画家のみなもと太郎の風雲児たちにページが多い杉田玄白らの解体新書のくだりにも似ている。

あるいは消費税が改定されればタバコも安くなり、嗜好品は比較的入手しやすくなることが予想される。僕はコンビニのPOSシステムで消費税の値札を一枚ずつ張り替えていたこともあり、農本主義という吉野作造が大正デモクラシーの機運で作った、日本版のマックスウェーバーとプロテスタンティズムの倫理から、離れることができなかった。それはちょうど、目玉焼きには醤油で、ウスターソースをかけるのは慣れないという染みついた感覚と似ている。とはいえ、醤油は味噌の上澄みだったけれど、明治時代から化学的に合成されて和風に落ち着いている。江戸時代では入り酒という料理酒で梅を煮詰めたものが主だった調味料だとされている。

憲法の講義でもそれが家父長の強い、さだまさしの亭主関白の詩にあるような、ステレオタイプの家庭でどれほど効力があるか怪しいところがある。どちらかというと弁護士や医者になれるほど勉強が好きな知り合いもおらず、かといって仕事だけでなく遊びに習熟できるような達人もいなかった。資料を調べても音や気持ちが勘案できず、ついつい人に頼って聞いてしまう。僕が子供の頃は親に聞いても分からないから辞書を引け、何も書かなくてもメモを取るふりをして相手の話を聞いているという姿勢を育めというものだった。インターネットでGoogleをしてキーワード検索をするというのは、ここ数年のことだった。Googleでは広告収入によっており、いくら調べても無料になる。これは国会図書館の朝日新聞の聞蔵も似ているがこちらは有料になる。世の中にタダほど高いものはないというけれど、GoogleにもURLという仮想の住所があり、そこに電話帳のようなリストがあるけれど、それが普段見たり聞いたりできないからかもしれないと思って検索をするときにもある程度、返報性がこみ上げてくる。返報性といえば、郵便ボックスに広告メールや、企業のCMなどがある。これらは頼んでいないけれど、一方的に送ってくる。それに比べるとGoogle検索はある程度こちらの選択の余地が担保されている。

憲法や民法にはなっていないが新興宗教や非正規労働者の問題などで社会的な立場の強弱が生む軋轢で、タレントの阿曽山大噴火が家庭裁判所の訓示や人情噺をよく引き合いにだすけれど、それだけモラルが形骸化あるいは固定化している。ものづくりは、意味合いを作ることにも活用の間口がある。しかしながら、そのためには詐欺や誇張がおおい中で、本物に触れたり、あるいはアイデンティティを自分で見つけることが大切になってくる。もしもめごとになったら相手に競り勝ったり、話術に巧みなることだけでなく、異なる価値観を仲立ちできる中立的な歴史観を身につけたい。とはいえ、歴史もまたそれが記録になるまではそれこそ紙切れの裏に書いてあるような落書きに類するものだったかもしれないが。

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