欲の分類とアイデンティティ

Amazonでの買い物より、散策によって、建物や街路樹の様子や、スーパーマーケットやコンビニの棚でリーズナブルなものを探すのが息抜きになっていた。Amazonでは、そういったところでは手に入らないけれど、なんらかの理由で必要になったものを買っていた。例えばそれが成人向けの雑誌やDVDであれば、欲望としては分かりやすく、そういったものがもし遅延すれば、おじさんがもっている童心では悔しい思いもするが、それはあまりにストレートすぎるのか配送員も、素知らぬフリで届けてくれた。

むしろ困るところは、ありそうでなかった品物が届かなかったときで、例えば備え付けの洗濯機や電子レンジと同じ幅の棚などは、それが届かないと部屋が片付かない、部屋が片付かない様子は知らない人には興味はないはずだけれど、受けると前と後で、部屋のレイアウトが変わる。しかしながら整理棚やメタルラックがスーパーマーケットやホームセンターにないわけではなく、不満ならそこで自分で足を運んで買い求めればいいということになる。インターネットがない時代に隣町まで安い、あるいは特長的な日用品を買い求めるあまり、帰り道で転んだりして、レジ袋の中身がこぼれるといった感じのありがちな癖が、インターネットという仮想空間でも代替として存在するのかもしれない。

当日にはドライバーの予定が受付からでは分からないというのは、ここ数年で聞いた新しい問題で、そうなる待っていることに体力をつかう。かつては不在票を素早く入れて、家で待っていてもそれが届かないということがしばしばあった。それだけ平日が忙しくなったのか、通信手段が増えて便利になったのか、問題は存在しながらも悩みかたを変わっている。

googleMapでスマートフォンで位置を確認しながら歩くと、道をあまり見なくなって、かえって迷いそうになることがあった。Wifiの疎通が安定していれば、リアルタイムで地形とGPSが連動して、空間が立体的に把握できるけれど、SIMカードのパケット通信量を動画閲覧に振り分けていたり、壁や地下鉄などの電波が制限される場所では、現在地が分かりそうで分からないという、もどかしい状態になる。そういったときに迷いやすくなる。

また、メールの要件に優先度を考えずに枕詞のように至急と付けるのは、ビラ配りにある急募のようで、具体性がなく一方的で戸惑う、宅配便では、待っている方がしびれを切らして、そんな急かすような対応をして相手を困らせるという印象がよぎる。あるいは、もし人手が足りないのなら、当日配送は無理という旨の連絡を事前にすれば、その時間はなにか指示を受けて拘束されているわけではないけれど、自由に動けるようになる。珍しいことに当日配送が間に合わず延期になった例は、国内では数百の注文のなかでも数えるほどしかない。電車よりも宅配便のほうが、意識している部分はある。

またロフトベットを付けて、その下を物置にすることで、部屋を広くしようとしたときに、間取りでニューヨークのワンルームアパートの階層を検索して見つけた。ロフトベットではpinterestという写真の構図やインテリアを集めるwebサービスで、なぜかロフトベットが複数の編集者やキュレーターがコラムを書いても、素材になる写真が同じものでなにかのフリー素材かと思いきや、実際にURLだけでなく住所が存在し、ニューヨークのベランダのレンガや格子の様子から、Googleストリートビューで散策して、イメージを具体的にしようと試みた。また、日本のdaily potalZでは美味しんぼの山岡士郎の月島の架空のペントハウスと、駅から見える雑居ビルの屋上にあるプレハブ住宅を見比べるような企画もあった。直線的なマンションやアパートに三角の屋根が付いていたり、素材が異なるプレハブ小屋が付いているだけで、妙に気になってしまう。また、かつてはインターネットはたとえ用途が来客をもてなす客間だったとしても、その背景はグレーなど可読性が低いものや原色が不規則に使われていることが多かった。図書館の蔵書検索もいまだにグレーののっぺりとしたリストになっている。そういったなかで可読性が高く、フォントがくっきりしたものにリニューアルするだけも、印象が変わった。しかしながら、インターネットがアングラだった時代には印象が強いメッセージ性があった。ちょうどファミコンのドットクラフィっくのように色数を抑えて記号的にしながらも具体性を想起させるようなものがあった。スマートフォンやファミコンは応答性の高いインターフェイスになっている。説明書があっても、それを読みこなしたり実機に触れたり、その分野に詳しくなったりして、より直観的になる。言葉にならな気配も察知できるかもしれない。出版業界は、そういった忖度が未だに根強いが、本にも記録媒体の活用アイデアでは、1980年代からwifiや無線通信や電子書籍があったりする。僕は、理性はそれが気に入る相手にも、あるいは自分の思い過ごしや勘違いもあってそれが気に入らなかったとしても、どちらにも汎用的なアイデアや試行があれば、自分自身をも見つけやすくなると考える。

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