チートに頼らないモノづくり

mineCraftのアイテム増殖バグを使ったテクニックで、TNT火薬を増殖させて、飛行ブロックで上から爆撃するというチート行為があった。アイテムの増殖は背景には、アクションやシューティングゲームのようにボタンを押すと反応する紙芝居のようなプログラムと、シュミレーションや育成ゲームのように、画像が消去されないという性質が競合しているためと考えられる。子供向けのスクラッチでも、シューティングゲームを作るときは、弾はタイムラインで、当たり判定に接触したり画面の端に達しない限り理論的には無限に増殖される。アニメーションでも漫画家やイラストレーターの原画をアニメーターがトレースして複製しセル画をタイムライン上であたかも動いているように見せる。ゲーム上で、リアルマネートレードなどの、希少価値のある金やダイヤモンドを増殖させようとするプレイヤーにとっては、アイテムは増殖した方が利益になるけれど、僕のようにブロックを空に羽ばたかせたいと目論んでいる変わり者には、アイテムは増殖すると墜落の原因になるので、mineCraftのバージョンアップで脆弱性を解消してほしかった。

かつてはmineCraftにも現場監督と作業員のようにチーム分けがなされていた。コミックマーケットで、これは買い物中心になるが、耳寄りな情報を集める斥候とそれを束ねる司令塔に分業されていた。一種の階級のようなものがあった。僕はそのどちらにも属さず、ひとりで集めて、またひとりで考えるぼっちだった。それだけにひとりでは領土的な国家より個々が独立した連邦制のほうが、派閥の力関係に翻弄されず居心地がよかった。だれでも使えるような汎用的な仕組みが大切に思えてくる。またこれは数年前になるが、mineCraftに現場監督がいたときのwikipedia(https://www26.atwiki.jp/minecraft/pages/138.html)では、ピストンと粘着ピストンを繋げて、ベルトコンベアのように大量にレールを作り、動くエスカレーターのような設備を作っていた。それによって、労働集約的に手間を掛けられるようになったので、世界遺産や産業設備のトレースをしたりと、実際には冒険のゲーム性もあったけれど、建築が疑似体験できるとして、wikipediaはその設計書のように充実していった。その最後の項目には、むしろ無人でも動くようなミニマムの粘着ピストンと変化を感知するオブザーバーの互い違いの組み合わせがあり、これがパンドラの箱のようになったと思われる。はじめは設計を読まずに、それを壁から壁に動かしていたけれど、あるとき、片方のブロックを手動にすると、一マスずつ空中を歩いている。これによって空中に橋を渡したり、足場を必要以上に組まないでも橋を架けることができるようになった。

ベアリングは、自転車のギアやモーターなど回転する軸を滑らかに回すように軸と歯車の間に入っている小さな球体になる。ビーダマのボールのようでもあり、パチンコの玉のようでもある。古代では、ボールが坂道を転げるエネルギーをループさせて、またもとの位置に戻す、そしてそれを繰り返すと半永久的にエネルギーが得られる。しかしながらベアリングのボールやビー玉は完全な球体であれば摩擦も少なく、理想的な永久機関に近づくが実際には細かな凸凹が表面にあり、空気抵抗や重力の影響でその動きはどこかで止まるようになっている。そこからすこし自然に目を移すと川の流れは多少苔が生えたりと淀んではいるものの、その流れが止まることはない。水車はループを体験するのに敷居がそれほど高くない優しい教材といえる。

今年ではjavascriptのループ構文を乱用することで、ホームページの閲覧する人を狙って精神的に追い詰めるという新手の犯罪も起こった。しかしながら、はてなブックマーク界隈では、エンジニアがシステムに物理的な影響がないのに、個人的な苦痛だけで警察に相談するのはおかしいとして抗議している。また警察などの公務員にはITリテラシーがなく生産的でないという見解だ。どこからがだれかのコピーで創作かという線引きは、できないけれど、個人的にはチートは相手を否定する行為だ。近年競争が多様化すると詐欺やチートが横行している。例えばとあるグループで窃盗があったとすると、そこでは必要以上にカギが掛かる。またあるところで、詐欺があるとすると必要以上に慇懃に挨拶が交わされる。あるいは覗きがあったとすると、必要以上に監視が強化される。

僕は泥棒や詐欺師のように、瞬間で相手の優劣を決めるようなテクニックは、確かに華麗だけれど、それが相手のためにならないとすると、抑止力として弱く、相手に付け込まれてしまう。しかしながら、個人で相手を裁くことはできない。世の中は不正行為が無かったとしても上下関係や派閥は存在し、食うか食われるかという理屈は、結果を求める企業の間では常識になっている。また大学でも、テーマを絞るために企業をスポンサーにしたこともある。勝負やシステムだけでない、中立的に考えて、等身大の関わり方を継続的に考えたい。

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