OpenStreetMapと町並み

Leafet.jsはOpenStreetMapというオープンソースの地図を使っている。NHKの教育番組にブラタモリという地理のニッチな雑学ネタをバラエティ番組にお織り込んだ教養番組があったけれど、それにちなんでか、中央区大伝馬町を題材にしたブラ町MAPづくりという散策の企画があった。転職に伴って、とりあえず平日は図書館で新聞を読むことからはじめて、毎日新聞の連載小説をよんだりしてネタを探した。2017年の12月くらいには、人形町では改築が時期が重なり、図書館やマンションでも工事の足場や作業の音がやむことがなく、もしあのガタガタという音が無かったらなあと当時は何度も思っていた。景色も足場ばかりで前が見えず、そういうときこそじっくり文献に当たればいいものをどうにも気が散る。改築前のエレベーターホールにチャリティや観光協会のブラ町MAPづくりのチラシがあり、十思公園まで浜町から歩いて行った。この辺りは祭りの時期になると、郵便局が協賛して、大通りで屋台が組まれる。歩行者天国といえば銀座や秋葉原が印象的ではあるが、大伝馬町でも自動車が通行止めになる時期がある。江戸時代の飛脚や旅籠にちなんで、小伝馬町・大伝馬町と名付けられた。また郵便ポストで見慣れた鮮やかな赤色でない、鈍い青色のポストがある。全国にも数十本しかなく、珍しいポストだという。

メモも盛んに取っていたけれど、2年半くらい立つと、どれだか分からなくなっており、iPhoneのアルバムの日付から明らかになった。記憶ではたしかMAPは、GoogleMapでなく、地域で書き込むができるOpenStreetMapを使っている。その場合、活力というおにぎりのお店があり、看板にはカタカナで、シチロカと書いてある。活力を漢字のパーツに分けたパズルのようなものだ。また大伝馬町にはキハという鉄道車両の記号にちなんだ、鉄道ファン向けのバーがあり、それはGoogleMapにも詳しく載っている。

自動車が通り、中央分離帯という歩道がある道路ばかりではなく、中央区にはマンションや雑居ビルの間に通り道があることもある。こういった町割りは、自動車でなく人力者や飛脚が通っていた江戸時代の長屋の町割りに近い、江戸は徳川家康が幕府を移転するに際して、大阪の堺の町人のインフラを活用した。そのため、表通りは大通りになっているが、裏通りには店や長屋が隣り合わせになっている。また、銀座の木挽町などではその性質が色濃く、まるでロールプレイングゲームにあるギルドのようになっている。

また、たとえば空き地に裏山があったとしても、国土地理院のデータでは標高が十分でなければそれは山にならないけれど、そこに居合わせたとすると野山を駆け回った経験が残る。もしコミュニティで地図にコメントが残せるのなら、そういったそこにしかない独自の地形や家というのも在りうる。それはお店が会員制や料金制という約束事でなく、敷居が低く訪れるものを拒むことがない。また通りにもベンチが置いてあり、道行く人に居場所を提供している。

GPSの位置情報は、スマートフォンのブラウザとjavascriptを連携させると取得できる。これは、電話やカメラなどの電子機器は、予めGPSなどの位置情報を取得するセンサーが安全面を考慮して備わっていることに因んでいるが、それでもGPSは空に浮かぶ衛星からの電波をもとに位置を割り出しているので、精度の良しあしはあったとしても必ずしも正確ではない。地球の地形や天候にも左右される。当初は、iPhoneに備わっている、GoogleMapでGPSの緯度経度の数値をイメージに変換しようとしたが、GoogleMapは個人利用では有料ライセンスになるので、androidアプリのサンプルで使っていた、mapboxとleafletというインターフェイスで代用することにした。すると、それはOpenStreetMapというパソコンを趣味で活用するユーザーが情報交換に使うインフラになっており、そこでその時はメモしていたものが、Mapをズームすると、地図にいくつか反映されている。また広報のカメラマンが肩にテレビカメラを背負って随行していたときの記録も残っている。すると通信とはなにか、記録をとったり、メッセージを伝えたりすること、それらを通して誰かに道案内することの意味というよりは興味関心を継続させたることを大切さが思い出された。

僕はいまだにカメラはスマートフォンのカメラしか持っておらず、画素数やメモリは十分だけれど、実際には残っている記録では、専用の機材や一眼レフカメラも僕が持っていないだけで、媒体にはなっている。たしかにスマートフォンは便利で、ポケットの中で持ち運びができる点は便利だけれど、もし自分で取りたい写真があったなら、カメラを持っていたら見えるものも変わっただろうと思われた。情報をつくることは、人と人とのつながりをつくることでもある。また大通りではないが、道路が一本斜めになっており、土地が三角になっている街角のイタリア料理屋の壁には欄干があり、その金具が祭りの時には屋台の提灯をぶら下げるようになっている。それはメモしていないが記憶では印象的だった。

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