植木鉢の相性

人と人の意地の張り合いは、いいと思わない。また他人に寄りかかってくるような例え方やハッタリは、本人のためにもならないところもある。どういうわけかカメラマンやADの場合は、自由なことができる代わりに、政治経済的なことができないというけれど、それが鬱憤となって野党の広告展開におよんだのかもしれない。映像やあら捜しは上手だけれど、自身で課題を解決することがない。バラエティ番組のように駄弁っているようで、子供や井戸端会議をする市井と異なり、ギャラに困った芸人がそれを真似しているので、どこかぎこちない。ディレクターやプロデューサーが気にすべきことは、相方の癖や行動パターンではなく、一般的な労務に関する取り決めだと考える。父が将棋や麻雀の腕がとてもよかった。しかしながらフォームが良くても、言動が乱暴になることもある。道場でベーゴマをやっていたときから、ガキ大将のように、その場を取り仕切るものに周りが付いていく。

今から十年前にも、シマトネリコの木をキッチンにあるありあわせのプラスチックの容器で水をやっていると、じょうろを買おうと思ったがスーパーマーケットにいい形がないので、インテリアショップで注ぎ口が細いオレンジの入れ物にした。森博嗣の小説にでてくる犀川教授がビーカーで観葉植物に水をやるシーンが印象的だったからかもしれない。参考にした作品と、住んでいる部屋は異なるので容器は手に取っていろいろ吟味した。花が咲いたり葉が茂ったりしていた。水は気分でやっていた。葉っぱは腐葉土になると思って枯葉を植木鉢に添えていたが、これは微生物はいないので表面を覆うマルチングにしかならなかった。ハウスダストを観葉植物が軽減するという記事を読んで、6畳であれば、1mの観葉植物があればというところだった。

トネリコの木は、北欧神話のユグドラシルのことで、そのときはゲームをすることが言いよう思われていなかった。自然が見たいのなら、CGでなく実際に道端の草やスーパーマーケットの野菜を見たりすればと思われている。また観葉植物も僕自身ものぐさなので、よほど乾燥や洪水に強い品種でないと上手く育たないと思われていた。観葉植物のほうが乾燥に強く、水を与えればその分伸びる。今ではハーブ栽培で、葉や茎が食べられる品種にしているが、引っ越しの際に、父の提案で燃えるゴミに出したことを、僕は観葉植物を手名付けるスキルがあってもプライベートでプラスになることもなく、要求を受け入れることで父が喜ぶと思ってなにも考えなかったが。父が花に異常に執着を持つ様子が不思議だった。

キューバンオレガノともいうアロマティカスの葉が、オリーブの幹と同じ植木鉢に植えているのをみた。僕ができることは標本調査がことでそれが母集団かどうかはわからない、僕が知らないだけで、苗はあったかもしれない可能性もある。ハーブは旧約聖書の時代から存在していたが、その一種のミントの葉が公園の花壇に生えていると、自然を感じる。植木鉢も育てかたにコツがあるようで、鉢や土の良しあしとも限らず、そのとき茂っていても季節の移り変わりで様子は変わる。そのときの印象がいいまま続くのが理想だけれど、それが持続するとは限らない。さりとてそれが栄枯盛衰というのは創作が過ぎる。

芸人か教授かと聞かれると、芸人はテレビによく出て、常にネタを考えていそうという印象がある。教授はというとあまりギャンブルを嗜まず、為になることを教えるという印象がある。どちらも都合のいい印象で、現実が異なると思う。センスと運が人より優れていたとしても、それが持続するとは限らない。お笑い芸人や将棋指しは、通常の学歴を取るよりはるかに難しいと聞かされてきた。それだけ自由にとも行かないまでも、目の前のことが思い通りにならないことにもどかしさを感じている。僕はWebデザイナーは、第二新卒になったときに、Eラーニングで学んだ。足にはアトピーがひどかったのでウィンドブレーカーをはいていた、要するにスーツは似合いそうになかった。パソコンという機器を使えたのは良かったが、それだけでは時代に追いつけないと思ったのか、アパッチやSQLなどのオープンソースを取り入れてブログを構築したりした。情報の発信は、学校のカリキュラムには詳しくは書いていなかったが、コピー&ペーストにも順序や意味合いを考えると、手間や入力ミスを省いてくれるので、僕は有用だと思っている。また自分だけでなく、それをもとに講座を開いて、個人的に腕っぷしや感覚に寄らなくても、情報共有ができることが大事だと思っている。しかしながら実際には、芸人ほど講座を開きたがり、教授の講習は大学に行く前の受験の時の予備校で聞いたことがあるくらいだった。なにかが上手くいったとき、薬が効いたときのようにit worksと英語になる。それがゴネられると不都合があるけれど、割り切れないこともある。僕は、誰かに迷惑をかけていないのに、メンツを立てるために、取り組んできたことを無下にされるのは気分が良くないと思うようになった。しかしながら、養う道は一つではないけれど、育てる力を引き出したいと考えるようになった。

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