アイデンティティと自主性

教育における受験については、中学から高校とそこまで進学校を意識したものではなかったし、それが医大を目指すとすると大いに反対された。難易度の高い進学は、一般的にはどうでもいいことに努力できるかによるところもある。学歴はステータスとするなら、努力する過程より、結果を意識する必要がある。僕の実の周りには、有名大学に通っている人を見たことがなく、教育環境にはあまり恵まれてはいなかった。とりたてて年収の高い人にあったこともない。

教育については、webデザインにもその仕組みや制度が影響している。むしろ新しくできた分野は、既存の様式を踏襲することが多い、そのなかで丁稚奉公のような主体性のないものになると、立つ瀬がないけれど。社会人になっても丁寧語を使っても気持ちが伝わらない、むしろ失敗を隠したり、恐れたりしていると思われていた。風邪と鼻詰まりで服用したベンザブロックも本来より1錠多く飲んでいた。そこを付かれるとこそばゆい。逆に相手のミスや欠点は、実のところあまり関心がないからなのか、無理に見つけようと思えなかった。説明書にあるメールアドレスから中国のカスタマーサポートに連絡できたことはうれしかったが、住所がamazon Primeでいつも取り置きを頼んいるコンビニエンストアだったのが、住所不定と思われてしまった。宅配便を家で受け取ろうとすると、どうしてもすれ違ってしまうこともあり配送業者と折り合いが付けにくいことがあった、配送ドライバーの連絡先に直接つながることもしばしばだった、amazonがコンビニエンスストアと提携したのもその前後の時期になる。

配送ボックスは専有部分の兼ね合いで、玄関に置くことができない。管理会社に相談して断られるならまだしも、親に相談してもなぜか反対された。もし親の荷物が自宅の玄関に届いたら、すれ違うことになるのに、それを見越してのことで、べつに幅を利かせようと思ってではなかった。また、ジャーナリストがUberEatsの労務的な話題を扇情的に書いたこともあり、その時期にカメラケースを玄関に置き配せざるを得なかったので、ややもすると心配だった。しかしながら、気を回しすぎるっと疲れてくる、ミスをしなかったり、緊張が持続することにも限りがある。

僕は固定電話をもっておらず、運転免許証で登録できる携帯電話の番号をスマートフォンにも引き継いでいる。SIMカードをドコモ、AU、ソフトバンクの国内三大キャリアから、新規参入したFreetelに替えたのは、android Phoneでウェブサイトの制作に携わりたいと思ったからだった。中国のスマートフォンでは、日本国内の免許証で登録できる番号しか持っておらず、登録できないジャンルもある。SIMフリーにしても、実質は旧NTTのインフラを使ってWiFiや4Gの通信を行っているので、実のところは変化を望んでいないとも取れる。

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鼻詰まりとケア

急にくしゃみが出たと思ったら、鼻水が溜まってきた。昨晩はそれで息苦しくて布団についても寝付けなかった。あるいは、柚子の皮や生姜が入った暖かいインスタントスープを飲んだが、鼻が詰まった感じが取れない。とりあえず、風呂に水を貯めて体を温めようとするが、鼻詰まりが収まらない。息が多少しにくかったが、鼻が詰まりそうになったらベットから置きだし鼻をかむ、コンビニエンスストアは夜でものど飴上のトローチがあった、しかしながら風邪薬は薬局にしかないようだ。のど飴を2つ喉に含んでいるとスースーして呼吸しやすくなったが、以前として鼻は詰まっている。ほかに用事がなければ、睡眠は断続的だったが、横になっている時間がある程度あれば、意識はそこまで眠くならなかった。朝起きて鼻が詰まっているので、二度寝ができないのでもどかしい。GoogleMapで調べると、朝の8時に文部科学省まえのドラッグストアが開いているので、通勤の途中に立ち寄ることにした。ベンザブロックという風邪薬を買って飲むと、鼻詰まりは30分くらいで改善されてきた。薬局に用事があった手前、風邪で休んでもまた処方箋を取りに行くので、休みにくいという事情もある。鼻が詰まった感じがするので鼻をほじるのが、あまり衛生的ではないようだ。ティッシュペーパーを使うと、上手く鼻水がでない、なんとかコツをつかんで順応するしかないようだ。季節が台風が過ぎて急に肌寒くなった、その変化は風邪などではわずか1日あまりの間に起こった変化だった。電車に乗っていて先日はくしゃみが、その前の日は運転が急カーブに差し掛かった時に、スマートフォンの画面を見ようとして手すりをつかみ損ねてしまった。どういうわけかアレルギーの調子が思わしくなく、混雑した電車に乗るとくしゃみが急にでた。のどや鼻には痰がからんでいていがらっぽい。ふだんからうがいをしていれば多少は改善されたかもしれない。目から鼻に抜けるような感じは、もともとが鼻詰まりの傾向があるので、鼻に空気が通ったことのほうが珍しいのかもしれない。寝ているときも口で呼吸している。鼻にはフィルターが付いているが、口にはフィルターが付いていないので、マスクをすることで呼吸が多少楽になる。ベンザブロックを飲んでいても、痰や鼻水は少しずつ溜まってくるので、その都度鼻をかむ必要がある。睡眠時の呼吸はそこまで順調でなく、それが慢性的な寝不足になっているのかもしれない。鼻詰まりはようやく収まったが、マメに動く習慣をつけたいと思った。

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鰤大根

米は、水の量と火加減でバランスが取れる。水が煮えてくると米粒からシャボンのような泡がでる、泡が吹きこぼれないようにするには、かなり弱火にする必要があった。水の量は鍋の場合は、ある程度水の量が変わっても調整は可能だった。またスーパーマーケットに鰤のアラが安くパッケージして売っていたので、大根と合わせて鰤大根を作ることにした。鰤のアラの油分と、大根のさっぱりさが相互に補い合ってコクを織りなす。また、ワンダーシェフの圧力鍋のパッキンが当てはまったので、圧力鍋で調理できたらと思っていた。例えば、鯖の缶詰の骨は、良く煮込んであるので柔らかくなっており、そのまま食べることができる。鰤のアラや鱗も同じように、圧力鍋で15分くらい煮込んでみればと柔らかくなると予想した。鰤のアラは15㎝くらいの大きな塊で、魚の顎の骨のようだった。包丁でも骨が硬く解体できそうになかったので、脂身にいくつか切れ込みを入れる程度にした。大根は桂向きをしようかと思ったが、ジャガイモの皮むき器を使って緑の革を白くなるまで向いて、5㎝角くらいのサイコロ状に切り分けた。大根はそのままではかなり硬かった。味付けには、そばつゆで使ったかえし醤油を流用した。圧力鍋のなかの水が煮立ってくると、圧力弁があがり、錘が機関車のように汽笛を鳴らしてきた。しばらく10分くらい煮込んでいると、だんだん圧力が上がってくる。火を止めて圧力鍋の錘をずらすと、湯気が勢いよく出る。そうしてなかの圧力がもとに戻ると、圧力弁が開いて、鍋の蓋を開けられるようになった。なかを見ると、大根が煮込んだおでん種のように柔らかくなっている。鰤の骨は太い骨は硬く残っていたが、アラとして塊だったものは一口大に箸でちぎれるようになった。

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議論と自粛

議論の仕組みは、まずはじわじわと小競り合いをして、そこからバランスが崩れたところで日本全体はと論旨をすり替えるところにある。メディア関係者がとくに意識しているのは過剰な共感による、共同疲労という現象のようだ。はてなブックマークでは、新卒の事業計画などのビジネスや自己啓発に話題が傾いた。いかにして分配や待遇の不平等による諍いを掻いくぐるか、またはやり過ごすかという姿勢は、メディア関係者に自粛を発送させた。バラエティ番組のすべらない話を例にとると、個人的には出演者の話術やテクニックは一般人に比べて優れていると思うけれど、本来なら相手を喜ばせる話題のはずが、なぜか身内に不幸があったかのような、または兄弟げんかのような喜びとは程遠いものになる。友情といっても相手となれ合うものではなく、むしろ揚げ足を取り合ってどちらかが不利益を被るかと固唾をのんで我慢している、そんな印象を受ける。それだけ相手と競い合うことには旨みがあるのか、スリルがあるのか。

コンテンツとはなにかと問うと、端的に言って勢力関係を利用したいじめであり、できれば意識的より無意識の方が不安を煽りやすいからだという。個人的には、学術的な論文で無かったとしても、原宿やら渋谷から発信したライターの記事が、街の人を追い詰めるようなものであってほしくないと考える。同じ都会に住んでいても、渋谷や原宿のような流行の発信地に比べると、地方ではややくすぶっているところもある。お人よしがバカを見たり、ドジを踏むこともなくはない。ところが、流行のきらびやかなところは、見せかけでよそゆきのもので、本質的には自粛と我慢が基本で、どこか密教のようでもある。それはかならずしも仏教や神道のようなステレオタイプとは限らない。彼らも権威の拠り所はなるべく強く、また理解されるだけでなく、畏敬されたいと考えているのか、主張は得てして高圧的になる。

台風の影響で、千葉県を含む関東圏にも大雨が降った。編集者の特長は故人を偲ぶことで、メディア関係者は過剰に自らを戒めることで、それぞれ忖度を行なう。同じように形もない蟠りでもその感性はまるで江戸時代の忍者のようでもある。またグループで新しく参加したものを女性や子供に例え、リーダーを保護者になぞらえる仕組みは、ギルドのようでもある。そちらの議論を続けやすいのかもしれないけれど、民間の組織なのに、まるで宮内庁の詔のような物言いをするので、奇妙に感じたことがあった。昨今では年功序列ではないけれど、かといって若者が若者らしい文化を持たず、力関係も親子や子弟のような固定された仕組みを保持している。カドカワグループの経営方針にN高校という、インターネットを駆使した教育のしくみがあった。最近ではエンターテインメントが成り立ちにくい、同業者がもっとも自由を仕事に置き換えようとして、それを忌み嫌っている風潮がある。

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ブログの遍歴

このブログは2017年くらいからスタートした。もともとはwebデザイナーとしてコーポレートサイトを作っていたが、何の因果かプログラマに転身しようとしてはハローワークを行ったり来たりしていた。新卒だった頃は2005年で、そこから2016までのおよそ10年間ホームページの作成をして、それから日雇いのような不安定な状態のまま3年くらいが経つ。その間に一日2000字のブログの記事を平日に書いている。今までにおよそ636本くらいで、単行本が何冊か分になった。先日が精神的なタックルがひどく、それに呼応してかタイミング悪くゲームにすらログインできなくなっていた。運が向かず見えない壁のようなものがある。翌朝ログインすると制限が解除されていた。原因はよくわからない。世論はよくわからないが、知り合いのSNSを見て、その様子で景気を予想しようとすると、すくなくとも成果主義や資本主義ではなく、かなり抑圧的なものだった。べつに自由になりたいとは思わないが、かといって揚げ足を取られるようなこともなんだかマウントを取り合っているようで不毛だ。

大きく分けて、メモ帳からwordにエディタを変えたときと、wordPressのエディタがクラシックからGutenbergになったことがある。当初は写真を入れていたが、やがてはテキストを書きながらそのときの様子が思い浮かぶようにと想像力を駆使して、写真をあまり使わないようにした。スマートフォンの写真は毎日撮ることは決まっていなかったが、ノートや看板を写真に撮っておくとメモを取るより印象に残る。ブログを書いた日付と撮りためた写真のバックアップから写真の日付が合っているものを選ぶと、それが必ずしも正解でもないけれど、あのときこんな分岐も採り得えたかもしれないとして、自分を見つめなおすいい機会になる。過去の時点で、なんらかの事情で現在には引き継がれなくなったものもあるけれど、それがなぜかを考えることもできる。また、今ではいくつか試作や改良されたものがあるマイコンもかつてはLEDとWiFiモジュールが一つずつだった。そういったものも手探りで開拓する必要があった。

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ご飯と保存容器

1合ごとのパッケージに米の水の量を多めにしてリゾットを作ろうとしたが、この米の品種は硬めのようで、柔らかくならなかった。すると水の量関係ないのだろうか、疑問は残る。朝から雨が降っており、散歩にいくにも傘がいる。雨具をつけて徒歩でスーパーマーケットにいって米を買いに行くと、米の袋はもち米が1㎏~、通常の米が2㎏~5㎏ごとに袋に詰まっている。5kgの米は保存容器がないので、場所があっても容器が無かった。できれば部屋が広くなっても、配置を覚えられないこともあり、モノを増やしたくなかったけれど、2kgの米を容量3ℓのタッパーに入れて、米一合をすり切れで測るステンレスの計量カップを100円ショップで揃える。2kgの米のパッケージには、60分以上水に漬けたり、米を洗って研ぐことを推奨している。水の量は米1合が150gに対して1.2倍くらいで、180㏄くらいになる。米を研ぐことがコンビニエンスストアの弁当をよく食べていたので、馴染みが薄くなっていた。それにしてもスーパーで保存方法に困って、1合ずつ揃っているかと思ったら、そうでもなかった、米のパッケージ一合ごとに詰まっていたものと、コンビニエンスストアおにぎりや、スーパーマーケットの総菜があると流し台に収納がなくても食事を賄うことができる。洗い物を貯めなくても済むようになる。都心の成城石井にあった、青森県産の晴天の霹靂や、東京メトロの大手町駅の自動販売機にある富山県産の富富富など、前者は炊き上がりがふっくらとしており、後者は鍋で煮ると白い煙が出でおこげが美味しい。スーパーマーケットでは新潟県産のコシヒカリで、ここ数日では炊き上がりがしっかりしておりもち米にも似ている。

墨田区の森下の町並みに、だしの自動販売機があり、トビウオのあごだしをつかっただし汁があった。近くのコンビニエンスストアやスーパーマーケットの蕎麦やそうめんなどの乾麺をゆでて、あごだしでざる蕎麦を半自動的につくろうとも試みたが、みりんや砂糖の甘みや調理種のコクを調整して、自分なりにかえしとだしを取ることにした。スーパーマーケットにはかつおぶしの厚削りがある。厚削りはそのまま茹でると、そこから出汁がでて厚削りじたいの味は薄くなっていく、茹でる時に調理種を混ぜると、科学的にアルコールがだしのコクを引き出すので同じ量でもだしが濃くなる。江戸時代には醤油が大量生産されて普及しておらず、調理種と梅干を煮詰めて煎り酒という調味料と作っていたという。またかえしという醤油にみりんと砂糖を加えて、しょっぱさを丸くしたものは、そばつゆの元だけでなく、甘辛い付けダレにもなる。ふしぎなことに付けダレにすると素材に味付けをするのにそこそこ量が必要になるので、そばつゆの素も余分に作っておく必要がある。蕎麦としてざるそばの汁に使っていると、量はすくなくても味を濃く感じる。同じ量で餡かけを作っても味は濃くならないかもしれない。後味も変わってくる。蕎麦はインスタントの乾麺を使っているが、麺をなにかで作ってみるのも一案かもしれない。

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条件分岐とDIY

ArduinoのWiFiクライアントが、繋がりにくいときがあった。まず、IPアドレスが競合しないように、固定IPを付加して、再度試して見るものの、WiFiがプログラムのコンパイル時に繋がる時とそうでないときがある。何度か同じことを繰り返すと繋がる時がある。キャタピラクローラーに載せているWiFiサーバーは、セットアップ時のWiFiアクセスポイント設定の関数をプログラムのループでWiFiがもし繋がらないときの条件分岐から再び設定の関数を呼び出すことにしている。同じ仕組みがWiFiクライアントでは、WiFiが繫がらない場合のメッセージが繰り返し出るだけだった。そこで状態を表すLEDランプを1本だけ追加して、WiFiが繫がった時に点灯、タクトスイッチからURLにアクセス始めたときに消灯、リクエストが返ってくると点灯と、WiFiが繫がっており、ボタンが押せる状態ではLEDランプをONに、ボタンが押せない状態ではOFFにした。プログラムが正常に動けばLEDランプが無くても差し支えないが、動いたかどうかの取り掛かりとして状態を表すものが必要だった。WiFiは、LEDランプが付くように、モジュールの電源の再起動で再接続する、具体的にはmicroUSBケーブルを抜き差しすることになる。海外のinstructables cuicuitsという学習サイトで、プログラム上でリセットをする方法が載っていた。リセット用のピンヘッダーに繋ぐ必要がなく、セットアップ時の動作に戻ることができる。WiFiが途切れるのは電波が不安定な状態で、通常はひとたびつながると再び聞かれることはあまりないが、はたしてEspr-Developer32をリセットしてWiFiに再接続するようにすると、繰り返しが進展して再接続された。またWiFiルーターから、Espのアクセスポイントに繋ぎなおすと、MultiWiFiが作用して、複数WiFiアクセスポイントがある場合は、どちらか有効な方に繋がる。固定回線のルーターは、途切れることはないけれど朝方から昼間にかけては比較的高速で繋がるが、夜間になると、回線が混みあっているのか速度は比較的遅くなる。また、スマートフォンもWiFiがない状態ではSIMカードの4G回線があるが、通信パケットの容量は、以前より節約されている。画像や動画よりもテキストやプログラムが軽くて比較的読み取り易い。網羅的な基地局が増えない状況では、通信の一部をDIYで補うことも必要になっているようだ。

引っ越しで収納の位置関係が変わったのか、半田で付けたものが外れやすくなっている。蓄電池にコンセントから充電するアダプターの-極のワニ口クリップが外れそうになっている。そのままにすると不安なので、半田を付けなおし、またワニ口クリップのゴムの被覆をエアコンパテで隙間を埋めて外れにくくした。また良く使っている電圧チェッカーのコイン電池がいつのまにか空になっているので、補充しようと思う。台風一過によって季節が変わっただけでなく、身の回りのものにも節目が訪れていた。ここ3年くらいで、半田の付け方や導線の選び方なども更新されてきた。なかには失敗もあったけれど、長く使える仕組みを考えたい。USBはマグネットケーブルにしているが、蓄電池の12Vではコンセント状の端子に付け替える。DC端子よりコンセント状の端子のほうが+極と-極が束ねてあり配線が節約できる。

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取りこぼしとトラブル

街角で配られていた選挙の政策の資料をうっかり電車のなかに落としてしまった。道端で歩きながらおにぎりを食べていると、ご飯粒を零したりしてあんまり調子が良くないのか、移動と準備にかかる時間を無駄にはしたくなかったけれど、もしそれが業務用の資料だったらと思うとヒヤリハットの一種である。アクシデントのなかには自分ではどうにもできないものもあるが、もし自分の不注意が過失と言えなければ、心理的な余裕ができ、次になにをすべきかが分かりやすくなる。このようなミスが続くとこんなはずではなかった。もしパンフレットを落とさず、またおにぎりをベンチで座って落ち着いて食べていれば後悔しなかった。

10月5日にはカメラの三脚の金具をホームセンターに買いに行ったころは天気が晴れていて、ベランダの気温がその時期には珍しく38℃になっている、天気予報の最高気温は33℃でも、局所的に直射日光が当たったのか、熱中症になりやすい状態になっている。センサー付近には植物もあり、木陰もあったはずが、温度が異常に上がっている。通常昼間が最も日が高いのでそのあたりが夏でも暑くなるピークになるはずが、午前9時頃に異常な暑さになった。天気図を見てみると、太平洋から低気圧の集団が、日本列島を覆っている。これによって暖かい空気が関東に留まり、また曇りがない空模様が熱中症になるようなうだる暑さになったと予想される。またグアム島沖の熱帯低気圧は、9日には台風19号に発達して、先週に千葉県を停電や豪雨の被害をもたらした台風15号のように、台風が上陸すると強い雨や風が起こり、あちこちで被害が出ると予想される。

空に空気の流れで風が吹くように、僕たちの心にもそういった変化がある。景気や増税の影響によって、豊かさの実感が湧かなくなったり、また落ち着きや余裕を感じにくくなったりする。マルウェアという海外のハッキングのウイルスによって、サーバーにアクセスできなくなり、マルウェアウイルスに感染したファイルのリストを作って削除する必要ができたのも気圧が変化するタイミングと重なっている。その場合、海の向こうで、昼夜も時差によって9時間の差があるカリフォルニア州のエンジニアやオペレーターとやり取りをすることになる。とはいえ、土曜日にウイルスに感染して、日曜日に異常に気が付いて、月曜日にはこちらのミスもあり、復旧は遅れてしまった。相手を責めることはできないが、我慢が必要な状態になった。台風15号の強風で、デジタル式のタイマーモジュールのリレースイッチとの連動が故障した。水滴が雨具の隙間から回路に入ったためと推測されるが、結果的にタイマーモジュールはデジタルの時計こそ壊れていないが、センサーと連動しなくなってしまった。それに比べると今回はセンサーは無事に動いていたが、HTMLやPHPといったソフトウェアが人為的なエラーと、その復旧によって動かなくなってしまった。センサーは通り雨やその間の晴れの間も定期的に休みなく信号を送り続けていたが、受け取る側の準備ができていなかった。

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光源の輪郭

予定が分からない中で、ベストを尽くした。明日何があるか、誰に合うか、どれくらい時間がかかり、なにが必要なのかが事前に分からない。相手を気遣って常に緊張していた。実際に破損したものもある、外付けハードディスクの片方は原因もわからないまま故障した。LEDフィラメントは配送時に物理的に破損していた。

相手が常にそつがなく万能に見える。それに対して僕はドジでのろまで無能に見える。そういった中でも、悪意をもたなかったことが僕の取り柄だと思う。もしミスをしなければ、予定はスムーズにいったと感覚的には感じる。僕がドジで不注意だった。それは反省する。ししながら、罰を受けるいわれはない。そもそも一つのことがだめでも万事がだめだと思い込むことは、相対的な確認の精度はあがらないかもしれないが、心理的にはよくない。自分からもうこれで良いだろうと思っても、相手がそれを納得しないこともある。まさに泥沼にはまったような状態になる。そういったときに、相手がこれくらいでよして置こうと提案してくれるとスケジュールは上手く進んでいく。

休日にヨドバシカメラで三脚を買った、三脚にはネジが付いているだけでシステム的な機能はないけれど、その使い方をあれこれ考えて歩いて帰ると、いつの間にかスマートフォンに留守メッセージが届き、サーバーメンテナンスになっている。休日の土曜日だったのでボーっとしていた。ドジでダメになったこともあったけれど、本当に自分ではどうにもできないトラブルもある。

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アナログとデジタルのペースメーカー

パソコンを使って文字を書いたり、絵を描いたりできるけれど、パソコンが電源を入れると回路が動いて、任意のパターンで動く事が元になっている。たとえ話では川から水を引いてきて、水が重力によって上から下に落ちる原理を使って水車を作ったり、それで小麦粉を臼で弾くことに応用される事がある。最近ではそういった工場での作業がどのような役割を持っているかを言葉にする事が難しくなっている。物事には正解があり、それから外れると間違えるとされることもあるが、その段階では飽和状態になっている場合が多い。

象の背中という本に、いいペースで蕎麦を食べるという習慣があると、作業効率が良くなるという。今日何食べたというメッセージから誰かを気にするかしないかがわかるということもあるけれど、そういったことはあまり考えたくなかった。もし手作業である程度何かを動かしたり直したりしたい役割をしたい場合は、自分がその担当でなかったとしても、一段階上の立場をシュミレートするとうまく行く事があるという。逆に遠慮しすぎると、理不尽な目にあったり、思った事が上手くいかないという巡り合わせがよくなくなる事もある。日本ではあまり取り立ててこの人がダメだというケースはあまりなかった。それでも、店に行っても欲しいものがなく、将来の目標を考えようにもどうにも計画が立たない。何かを作ろうにもすでに世の中に色々便利なものがあって、その上に何を付け加えればいいかと悩む。最近はあまり食事をとりたくない人もしばしばいる。僕もその時の気分では、全く食べたくない時もあるけれど、一定の周期で食事をした方がおそらく生産性がある。食べる事自体は消化する事だけれど、単語帳の文字を食べると覚えた気になると聞いた事がある。

高校の時はエクセルに書くことがなくて、とりあえず目に負担の少ない緑のラベルにして、教科書の単語を移していた事があった。できる人のノートはあまり具体的に書いていないのに、どうしてエクセルで家計簿のような型に整える必要があるのかは10数年たった今でも疑問ではある。当時は名前や住所を描く事が苦手で、できればワープロで読みやすいものにしたいと思った事もあった。携帯電話が普及すると、番号とテンキーからメールアドレスとポケベルのような文章を作る事ができるようになったが、会話文になるとパソコンを使わざるを得なかった。何か離れたところに対してメッセージを送ったりするには、携帯電話を持って何も伝えられずに悶々としながら、家かパソコンのある場所まで最短距離で帰るということをしていた。

パソコンを買ってインターネットに繋がっていないと、そのパソコンで何をしていいかのモチベーションがかなり下がる。ところがダイヤルアップでも何かと繋がると途端になんでもできるような変なテンションになる。パソコンの仕組みはまだわからない事も多いけれど、簡単なモデルを作ってそこに足がかりを作って、少しずつ登って行く、まちの道路はあらかた整備されているものの、パソコンのネットワークはジャングルのように未開の状態になっている。それがゆえに、フロンティアとしても可能性があるのか、または既にあった事がある人でも状況や変わったり、思わぬ転機が訪れたりするかもしれない。

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