共生の仕組みと新しい試み

僕は人の話をなるべく聞ける方だと思っていたが、そこで結論がでたり、またはなにか双方が納得できることがあるまでは、会話がしにくいところがあった。自分の言うとおりにすれば悪いようにしないといってみたいものだけれど、どういうシチュエーションでそういえばいいのか分からなかった。事務手続きはこちらがミスすることもないわけではなく、その時は悪いとは思って改善しようとするけれど。こちらがするべきことがあったり、なにか考えの途中であった場合は、知人でも相談に乗ったりすることが煩わしくなることもある。僕は基本的には直すべきところは改善して、社会人で良好な関係を築くのは難しいといわれるが、僕自身がこんな基本的なことをなんでできないとか、この組織は特に加点評価を行わず、減点評価で取り締まるということを相手に対して強くできないので、緊張感やパワーバランスの不均衡によって、本当は一方的な要求にならずに、お互い協力的にできることであれば、それに越したことはないと思う。

mineCraftに変わった機能があった、ミツバチを農場で疑似的に飼育するというもので、記事の紹介では、フィールドマップに追加されたハチの巣をハサミという道具で採取すると、ハニカムという素材が手に入る。またはガラス瓶でハチミツを汲むと砂糖の原料になる。人工的に作られる巣箱は、自生しているハチの巣と同じ機能を持つとあったが、バグによって、巣箱からは蜜が取れないようだ。砂糖の材料はハチミツだけでなく、サトウキビを植えても代用できる。巣箱と花をミツバチが受粉のために往復することで、畑の肥料の代わりになることを試して見ようと思った。というのもハチの巣はシルクタッチというエンチャントでしか採取できないので、クリエイティブモードならコマンドで呼び出せるが、実際に養蜂を行うには巣箱を作る必要があった。もしハチミツを採取したいなら、ハチの巣の近くに住居を作るしかないことになる。Wikipediaにはハチの巣の素材から人工的に作ったものが巣箱だが、そこから待てどもハチミツが取れないことが英語でも伺える。
参考:https://bugs.mojang.com/browse/MC-159395

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蕎麦つゆの素

蕎麦はつゆの味が印象的だった。さりとて市販のめんつゆを試して見たところ、だしの味は感じられたもののややしょっぱい気がした。あるとき野菜が小さい冷蔵庫でも貯蔵できるのでキムチを買ったところ、これも乳酸で辛さというよりしょっぱかった。キムチでもなかにはしょっぱい種類のものがあるようだ。そこでみりんを合わせると、しょっぱさのまろやかになった。キムチをキャベツのように炒めたり合えたりするには、調味長としてみりんを加えると効果的なようだ。一人暮らしのときに醤油をすこし上質なものにすると、食事が改善されるというけれど、醤油の味の違いは正直なところ判別がつかない。キッコーマンの鮮度の一滴という醤油さしの瓶からペットボトル容器の内側にビニールが張ってあり、なかに空気が入らないようなボトルになったことで食卓のアイコンが変わった。醤油の瓶からプラスチックの容器に風景が変わってきた。調味料などのガラス瓶にプラスチックのキャップが付いているものは中身が空になった時に、キャップを金具で取り外す必要があるので、プラスチックの容器があれば使いやすいと思う。

蕎麦つゆには醤油を主な原料にして、そこにみりんと砂糖を加えて煮込むことで、しょっぱさをまろやかにする煮かえしという調味料がある。市販のめんつゆにも出汁や調味料が含まれているが、なぜか甘みが感じられない。蕎麦屋さんでは砂糖を煮物などに向くザラメ糖で煮込むという。また近年ラーメンで太めの麺を茹でてスープを付け汁にして食べるつけ麺というジャンルがある。そのスープは鍋物の胡麻だれのように見えるものの、鰹節やサバ節の粉を濃い目の鶏がらスープに混ぜて、そのような独特の風合いになっているようだ。もともとのラーメンが和風にアレンジされ、また麺もうどんのように太くなっていた。うどんでは文化の違いからか、西日本ではあっさりした昆布だしで、東日本では濃い目の醤油風味になっている。ラーメンでも醤油ラーメンでは、醤油を煮かえしたつゆに、ガラスープで伸ばしてネギやチャーシュー、メンマを載せている。煮かえしたつゆが蕎麦だけでなく、

うどんやラーメンにも応用されている。ラーメンの場合はあっさりしたものでも油の玉がスープに浮かんでいる。蕎麦の場合はそこまで油っぽくないが、つゆに天ぷらの揚げ玉などやイワシやサンマの生姜煮の油が加わるとつゆにコクがでてくるようだ。

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情報と考える習慣

情報を得る手段は、日々の新聞が一般的だ。考えることを続けて自分なりに貢献できる道を模索する。それぞれの意見や立場の違いを見比べる機会もあれば興味深い。SNSやブックマークは芸人の精神修業の場になっているが、それを日常に当てはめるのは必ずしも現実的ではない、また精神修業もなにかに依存している状態から自立する状態に導くことを目的にしているので、自分の軸をもって知見を見つけていきたい。

情報は無意識や心理的なバイオリズムの変化からも収集することができるが、自ら選んだものはそれだけでは確かなものではないが、考えるきっかけにはなる。記事の構成では、事実に基づいたものと、それを拡張した意見がある。事実は変えられないが、その見方を変えることで向きが変わってくる。伝え方にはこうあるべきというように、それがじつげんされていないが、書き手の立場ではこうありたいという虚構が書いてあるここともある。実際に素材がなくても、その味付けで調理が変わる。また面識のある人の場合、行動や思考の癖が気になって、それを元に感情移入するというストーリーをシナリオにすることもあるが、それが意図的過ぎるとリアリティを感じない。もし世の中のことが、世間話のように身近に感じられたなら、学習する手間が省けるかと思ったけれど、そうでもないようだ。なにかを批判的にとらえたい訳ではないが、自主性を得られないようなシチュエーションには疑問を持つことが必要になる。世間の価値観を読み解くためのノウハウを身に付けたい。

昨今ではテレビのニュースでは煽り運転が話題になった、乗り物を運転中にあおりという、形にならない方向づけにあい、前に回り込まれて停止させられたうえに殴打されたとので傷害容疑として逮捕されたことから分析が進んでいる。思い通りにしたいけれど、それがなんらかの事情でできなかった時に、強制することなく一方的に要求を突きつけることが煽り運転の心理状態を表している。要求とそれを受容する側のバランスが必要になるが、それが不均衡になった現象と考えられる。情報の流れが加速されることで、インターネット上でリアルタイムに相手の心理状態を把握することができるようになった。もしそれを記録に残したり、アルゴリズムにするにはある程度瞬発力だけでなく、それを習慣にする必要がある。

構造としては、一方的に決まったことをどう緩和するかがポイントになっている。関係性といえば微妙な表現になるが、そこには携わる人の心情や望まない状況を改善しようと試みていることが隠されている。現実に基づいたネタ作りも必要でないわけではないが、それが過剰になると意見によって事実が塗り替えられてしまう。新聞の記事をもとにそれに付加価値を加えることがテレビ関係者の役割というけれど、そこに特化すると、世間話を装った要求になってしまう、そこに潜在的に不平を持っている不特定多数のひとが誘導される。面白さが他人のあら捜しや、不幸自慢にならないように出口を探していきたい。そこから離れたいと思えたら、客観的になれるきっかけになっている。

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暮らしの変遷

2度の更新を伴った、6年くらいの住居を引っ越すことになった。道路の舗装が塗り替わったり、その間にハードディスクや液晶テレビの型が旧型になったりしていた。千葉県市川市から電車で東京都内に通勤していたものを、御茶ノ水の不動産屋で都内の終電に間に合う物件にしたときから大分日が経っている。

ブルーレイレコーダーは、当時テレビについていたものをヨドバシカメラで購入した。それから6畳の部屋に合った、地上波デジタルケーブルを買ったり、または水回りの近くにあった電話線のモジュラージャックにインターネットのケーブルがあったので2mの長いケーブルを用意したりした。都内は郊外に比べるとWi-Fiが混線しているためか、LANケーーブルで直接つなぐ必要があった。ポケットWi-Fiの通信状態が良ければ、ネットサーフィンだけでなくサーバーと通信することも可能になる。固定IPは結局使わず、電話番号も持たないで携帯電話が自宅の電話番号に代わりにした。

自宅サーバーを使ったこともあったが、現在ではレンタルサーバーにしている。wordPressのバージョンアップを依頼されたこともあった、オープンソースでコミュニティがインターネットが普及している地域にあり、それをアップデートする。レンタルサーバーでなく、amazon web serrviceを使うという選択肢もあるけれど、いまのところDIY感が残っているレンタルサーバーに落ち着いている。プログラムは結局はボタンやケーブルの組み合わせでできて、コピー&ペーストが可能になるが、その元を作るのは、アイデアを必要とする。労務とITがどこまで調和しているのか、SNSを読んでいても判然としないところがある。

mineCraftの発売は2011年だったようだ、そのころはモンスターハンターをPSPであちこちに持ち運んでいた。バッテリーをモンスターハンター用に拡張したものを家電量販店で買って、その容量は1500mAhで、iPhoneでは5~5sくらいの容量になる。ゲームをする分には数時間の持続でも良かったが、スマートフォンを節約して使っても1日持たなかったので、容量が5000mAhくらいのモバイルバッテリーが必要になった。スマートフォンはデジタルカメラの代わりになっても大丈夫なくらい解像度が上がったけれど、カメラを持ち歩くことがなくなった。代わりにモバイルバッテリーと時々イヤホンを持ち歩いていた。

通信は言葉を遠くの人に伝える、映像はイメージしたことを共有するための技術と大まかに定義したとして、それを専門的でなく、身近な分野で活用できるようにするためには、拙くても自ら試して見る必要がある。スマートフォンでもホワイトバランスの関係から夜景や光源の不安定な場所で見たままに映像を記録することは難しい。

そういった中で、ファミコンのドットグラフィックのようにレトロで記号的なインターフェイスが見直されてきた。とはいえ、ゲームのドットグラフィックは写真を下敷きにしてそこから点描のようにリアリズムを表しているものもある。絵を作るのに労力がかかりすぎる側面もある。

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予定外のすごし方

もし荷物の手違いがあっても、こちらが精神的、肉体的に疲れないようにする必要がある。こちらから問い合わせる手段がない、段ボール10個の配送にヤマト運輸が手間取っている。それともこちらが無駄足になることを予測していたとしたらちょっと奇妙だ。いい散歩になっていい運動になった。しかしながらこちらが困るのが、僕が数字を言ったり示したりするのを、期待しているのか名前を知らない人に数字をきかれることがある。数字はものの尺度を示すもので、その大小を比べるものではない。一方で、数字が通らないと、今度は言葉を使わずにただ寄り添ってくれという、これもまたあったことが無いけれど人が良さそうなひとに寄りかかるような感じですこし奇妙だった。僕はAIではないので、電話番号くらいしか数字は覚えていない。

例えばマクドナルドで待ち合わせ番号をうっかり間違えると、無銭飲食と間違えられそうになる。そのような意図はないけれど、以前にもヤマト運輸で再配達のフォームを開こうとすると、その地域の配送車に直接つながり、これから申し込もうとしている荷物を早めに届けてくれることがあった。とはいえ、気持ちは有り難いがこちらから頼んだものでなく、居酒屋のお通しのようですこし気が引けた。なんにしても待たなくて良くなったのですこし気が楽になった。相手が気になって、苦手な数字を読みあげたり数える作業を、急に振られて戸惑う心配を何とかしたかった。

自分では興味が無いが、人の気持ちが荒れると僕も煽りを受けるかもしれないので、若者の麻雀サークルのホームページを見るとやはり雲行きが良くない、ここの雰囲気はどういうわけか硬い雰囲気に影響する。硬い雰囲気なので公務員のような気質のほうが雰囲気としてはあっているのかと思うと、見た目と現実は異なるようだ。しかしながら、ギャンブラーは向いているかどうかは知る由もないが、経験も少なく仮に練習すればするだけそのスキルが付いたとしても、叶わないと思う。 相手を出し抜くより、その良さを引き出すような工夫があればと思う。

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動けない状態の動き

相手が見えないが、自分はしっかりしていたほうが、自由というわけでもないが、そちらのほうが相手にためになるのだと自分に言い聞かせる。誇張や一方的な表現は、僕にもプライドはあまりなく、勘に頼って手順を省略しようと思ったこともほとんどない。僕はなにかをすぐにできる人は羨ましいと思うけれど、なにもないのに相方が姿勢を崩して、一方的な立場に立っている様子は、不思議な光景だと思う。なにか結界や決まりごとがあるのだろうか、流れには逆らえないが、自分自身を落ち着かせながら、できることを見つけていく、高校生のときに、緑の羽根募金をブレザーに付けていたら、知人から、それは校則で禁止はされていないけれど、見ていると気分がもやもやして愉快じゃない、緑の羽をポケットに付けないでくれという頼みごとがあった。そんなことで相手の気分が影響するのかと不思議だった。

僕は家族や友人とはなるべく仲良くしたいと思っている。張り合いや緊張感のないなれ合いがむしろこそばゆく馴染まないという考えのグループもある。昨今は情報化が進み、気持ちや印象のやり取りはできるが、なにかものを作ったり、教わったりという試みは少なくっている。上手くいかないことがあってもあきらめない、それは向かっていくというようりは柳のように受け流す、時折気にして、相手が妙な対抗意識をもっていそうなら、神妙にする。向かうのか引き下がるのか、そのどちらも中途半端でできそうもないけれど、動けないときもある。見れは滑稽かもしれないが、それができる精いっぱいという状況もある。相手が具体的なアプローチを取ればそれも分かりやすいが、なぜかこちらの自滅を誘ってくる。それは人は一人では生きられないということなのだろうか、しかしながら、それはそうかもしれないが、自分でもそれに流されるばかりでもいられない。

ガキ大将はよく子分に参ったといわせるという、正直僕は、その戦績は振るわなかった。必ずこの人には良く分からないけれど適わないなあという、苦手な分野がある。僕は苦手なものを避けるか受け流すことで精いっぱいだが、もし何某をぎゃふんといわせて来いと上からあらかじめ言われていたら、隙を見せたものとはなれ合うことなどできないのかもしれない。また行くも引くも難しい状況は、その人に直接問いかけるだけでなく、隣に間接的に聞かせるだけでもそこそこ効果がある。

もし感性に自信がない、また人が人をマウントするような場面を見たくないと思っていても、勘違いでも動かなければならないときもある。たとえそれが良くない知らせでも、事前に知っておけば予測が付くだけ、間合いを取りやすくなる。距離を置くとすると、ないがしろにしているのではないかと心配されることもある。確かに、相手の立場に立ってみて自分がおざなりにされていれば、渦巻く感情を押さえることが難しくなる。しかしながらそれは相手に起因することでもない、お互いを傷つけないで済む工夫ができるならそうしたい。

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見えない作用

機嫌は秋の空のようなもので、コロコロと様子が変わる。芸能レポートが過熱していると、真面目な職場でも揺り戻しが来る。普段我慢して、世間や上の立場の人から一方的に嫌がらせをされたりしている分、だれもが優しさより辛さのほうが多く、努力や我慢が報われないと感じている。そういった雰囲気にしたのは、あるクリエイター講座に通っていたカメラマン志望の男性が、渋谷のスクランブル交差点をただ録画したいと目論んで、ろくにデッサンもしないで、写真に被写体を収める。一種の売名行為のようなものがあった。そういったものは渋谷や原宿に特有のもので、ハロウィーンのイベントに乗じてお酒に酔った勢いでワゴン車をひっくり返したりなど、普段できない行為をして自分を大きく見せようとする。

たびたびスクランブル交差点の人生模様がみたいだとか、知り合いが美術の個展を開くなど、例えば僕はコミックマーケットやライブ会場などの駅前でジャグリングやパントマイムをしている人は自分より優れた感性や能力の持ち主だと思うけれど、法的にはライブイベントに集る一種の物乞いと同じで、勇気をもって無視することにしている。そのほうが作品を公平に見ることができるからだ。

しかしながら職場のぎすぎすしたムードも、とある麻雀サークルの和やかなムードによってわだかまりが解けていった。僕はギャンブルは苦手だけれど、意地の張り合いや忖度を解消するのは相手を傷つけまいとする優しさや論理性ではなく、多少ラフでも人間的なテクニックなのかもしれない、しかしながらもしそのコミュニケーション能力に秀でていたとしても、それが持続するとは限らない。競馬が娯楽だとわかっていても、それがないとよく知っている友達とは愚痴や労いもできるけれど、そうでないとたとえ正論でも認められないというグループ独特の雰囲気がある。カラオケやギャンブルも戦後の復興を東京オリンピックと共に支えてきた文化の立役者という側面もある。一方で、男ならという頼もしいものの、芸のためなら女房も泣かすという男性社会特有のダンディズムに支配されている。参議院は衆議院と異なり比較的芸能人が多く誠意参加しているので、羨ましいのも無理もない。ギャンブルとエンタメのほかに心を癒せるものはないかと思う。

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検索と辞書

分からない単語があると、インターネットのGoogleのキーワード検索を繰り返していたが、検索エンジンでも実際には辞書の索引を引用している。もし任意の書類やPDFにキーワードを検索する機能があれば、便利だけれど。そうするためには、あらかじめ紙媒体の資料をデジタル文字にスキャンして、それを連想配列のように升目に登録しておく必要がある。そのようにして頻出する単語は利便性がある。また歩いているときに辞書を持ち運ばなくて済むようになっている。Google検索も断片的な情報を体系化することに長けている、正確なデータでなくとも、SEO対策によって、書籍やお店が広告用のキーワードを一方的につけて、利用するユーザーのアクセスによって、必要な単語が最適化される。オンラインショップのamazonでは、ロングテールという、比較的マイナーな商品が少数ではあるが、宣伝広告を介さない形でも、その場所を覚えているか、または検索キーワードでアクセスすることで、細々と存続するケースがある。当初はamazonでもその在庫を把握できずに、ドメインを国内ならamazon.co.jpでアメリカならamazon.comに指定して、キーワードをGoogleで検索することがしばしばあった。しかしながら、やがてはAmazonにも専用のキーワード検索ができるようになった。もともとはAmazonも雑貨を扱うお店で、インターフェースも可読性よりも、丸みを帯びたおおらかなフォルムでカテゴリを充実させていくというどちらかというと規則性や網羅性はそこまで重要視されていなかった。

Googleのキーワード検索も、創業者のペイジが、Yahoo!の日本でいうタウンページのような電話帳に付箋のような形で広告Adsenseを端に足すもので、それがキーワード検索とは直接は関係ないが、広告収入になった。Googleはキーワード検索が無料ではあるが、国内のデータベースで行うと、設備費や維持費をまかなうための従量課金の仕組みをとる必要がある。amazonのDBである、AWS(amazon web service)でも、SNSの画像や動画ファイルなどの倉庫としてつかわれているが、実際には維持費が掛かっている。そういった意味では普段よく使うものだけでなく、多様性の特長を見つけることが必要になってくる。しかしながら、もし電子辞書や電子書籍に索引だけでなく通信用のWiFiがあったら、翻訳機のポケトークのように録音機能が無かったとしても、連想的に意味合いを広げることができそうだ。しかしながら電子辞書には情報をコンパクトにして持ち運べるようにするという意味合いがある。

または、もしコマンドラインでGrepのようにキーワード検索ができるすると、配列でキーワードが帰ってくる。簡単な卓球のようなだけでも、情報を網羅することができる。しかしながら、もし検索エンジンがGoogleの介在がなく、直接辞書を参照すると、それはさながら一種の物語のようではある。必ずしも必要な情報ばかりではないが、連想を材料をアナログに組み合わせることができる。

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OpenStreetMapと町並み

Leafet.jsはOpenStreetMapというオープンソースの地図を使っている。NHKの教育番組にブラタモリという地理のニッチな雑学ネタをバラエティ番組にお織り込んだ教養番組があったけれど、それにちなんでか、中央区大伝馬町を題材にしたブラ町MAPづくりという散策の企画があった。転職に伴って、とりあえず平日は図書館で新聞を読むことからはじめて、毎日新聞の連載小説をよんだりしてネタを探した。2017年の12月くらいには、人形町では改築が時期が重なり、図書館やマンションでも工事の足場や作業の音がやむことがなく、もしあのガタガタという音が無かったらなあと当時は何度も思っていた。景色も足場ばかりで前が見えず、そういうときこそじっくり文献に当たればいいものをどうにも気が散る。改築前のエレベーターホールにチャリティや観光協会のブラ町MAPづくりのチラシがあり、十思公園まで浜町から歩いて行った。この辺りは祭りの時期になると、郵便局が協賛して、大通りで屋台が組まれる。歩行者天国といえば銀座や秋葉原が印象的ではあるが、大伝馬町でも自動車が通行止めになる時期がある。江戸時代の飛脚や旅籠にちなんで、小伝馬町・大伝馬町と名付けられた。また郵便ポストで見慣れた鮮やかな赤色でない、鈍い青色のポストがある。全国にも数十本しかなく、珍しいポストだという。

メモも盛んに取っていたけれど、2年半くらい立つと、どれだか分からなくなっており、iPhoneのアルバムの日付から明らかになった。記憶ではたしかMAPは、GoogleMapでなく、地域で書き込むができるOpenStreetMapを使っている。その場合、活力というおにぎりのお店があり、看板にはカタカナで、シチロカと書いてある。活力を漢字のパーツに分けたパズルのようなものだ。また大伝馬町にはキハという鉄道車両の記号にちなんだ、鉄道ファン向けのバーがあり、それはGoogleMapにも詳しく載っている。

自動車が通り、中央分離帯という歩道がある道路ばかりではなく、中央区にはマンションや雑居ビルの間に通り道があることもある。こういった町割りは、自動車でなく人力者や飛脚が通っていた江戸時代の長屋の町割りに近い、江戸は徳川家康が幕府を移転するに際して、大阪の堺の町人のインフラを活用した。そのため、表通りは大通りになっているが、裏通りには店や長屋が隣り合わせになっている。また、銀座の木挽町などではその性質が色濃く、まるでロールプレイングゲームにあるギルドのようになっている。

また、たとえば空き地に裏山があったとしても、国土地理院のデータでは標高が十分でなければそれは山にならないけれど、そこに居合わせたとすると野山を駆け回った経験が残る。もしコミュニティで地図にコメントが残せるのなら、そういったそこにしかない独自の地形や家というのも在りうる。それはお店が会員制や料金制という約束事でなく、敷居が低く訪れるものを拒むことがない。また通りにもベンチが置いてあり、道行く人に居場所を提供している。

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チートに頼らないモノづくり

mineCraftのアイテム増殖バグを使ったテクニックで、TNT火薬を増殖させて、飛行ブロックで上から爆撃するというチート行為があった。アイテムの増殖は背景には、アクションやシューティングゲームのようにボタンを押すと反応する紙芝居のようなプログラムと、シュミレーションや育成ゲームのように、画像が消去されないという性質が競合しているためと考えられる。子供向けのスクラッチでも、シューティングゲームを作るときは、弾はタイムラインで、当たり判定に接触したり画面の端に達しない限り理論的には無限に増殖される。アニメーションでも漫画家やイラストレーターの原画をアニメーターがトレースして複製しセル画をタイムライン上であたかも動いているように見せる。ゲーム上で、リアルマネートレードなどの、希少価値のある金やダイヤモンドを増殖させようとするプレイヤーにとっては、アイテムは増殖した方が利益になるけれど、僕のようにブロックを空に羽ばたかせたいと目論んでいる変わり者には、アイテムは増殖すると墜落の原因になるので、mineCraftのバージョンアップで脆弱性を解消してほしかった。

かつてはmineCraftにも現場監督と作業員のようにチーム分けがなされていた。コミックマーケットで、これは買い物中心になるが、耳寄りな情報を集める斥候とそれを束ねる司令塔に分業されていた。一種の階級のようなものがあった。僕はそのどちらにも属さず、ひとりで集めて、またひとりで考えるぼっちだった。それだけにひとりでは領土的な国家より個々が独立した連邦制のほうが、派閥の力関係に翻弄されず居心地がよかった。だれでも使えるような汎用的な仕組みが大切に思えてくる。またこれは数年前になるが、mineCraftに現場監督がいたときのwikipedia(https://www26.atwiki.jp/minecraft/pages/138.html)では、ピストンと粘着ピストンを繋げて、ベルトコンベアのように大量にレールを作り、動くエスカレーターのような設備を作っていた。それによって、労働集約的に手間を掛けられるようになったので、世界遺産や産業設備のトレースをしたりと、実際には冒険のゲーム性もあったけれど、建築が疑似体験できるとして、wikipediaはその設計書のように充実していった。その最後の項目には、むしろ無人でも動くようなミニマムの粘着ピストンと変化を感知するオブザーバーの互い違いの組み合わせがあり、これがパンドラの箱のようになったと思われる。はじめは設計を読まずに、それを壁から壁に動かしていたけれど、あるとき、片方のブロックを手動にすると、一マスずつ空中を歩いている。これによって空中に橋を渡したり、足場を必要以上に組まないでも橋を架けることができるようになった。

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