納豆菌と温度センサー

納豆の発酵を、藁つと納豆で試して見ることにした。ふと藁のある風景が浮かんだ。スーパーマーケットでも、発泡スチロールの納豆はあるけれど、藁つとに包まれているものは、木場のイトーヨーカ堂くらいだった。発泡スチロールの納豆にも合理性があり、溝から空気が通るようになっていた。納豆についているからしには臭みを緩和する作用があるが、容器の納豆はそれほど癖がなくカラシの代わりにわさびでも合う。付け誰には市販のものには砂糖が付いている。さとう、みりん、醤油のバランスが取れているということもある。それだけでなく、図書館に野瀬 泰申著による「納豆に砂糖を入れますか?ニッポン食文化の境界線」という本がある。それをもとに発泡スチロールの納豆にも砂糖を入れると粘り気が出て、コクが出る。納豆が肉に変わって大豆テンペのように麻婆豆腐の具にしたりと、発泡スチロールのパックをあまりかき混ぜずに醤油を垂らして食べることも悪くないが、納豆をかき混ぜる必要性に駆られたのは、砂糖を入れたときと、藁つとにくるまれた納豆を皿に取り出して、その必要性が分かってきた。東京にある茨木県のアンテナショップでも経木の納豆があるくらいで、藁を持ってくると、茎はストロー上になっている。ステンレス二重タンブラーに藁の束の蓋を付けたりしてみたが、まるでミニサイズの茅葺き屋根のようだ。藁を針金で束にして、冷凍枝豆を解凍して、さやから豆を取り出す。また、納豆菌が活動する温度はインターネットで調べるとおよそ40度から45度だった。容器を温めるアルミ製のキャップがあるものは、錘の鉄球に黒い錆がついていた。東急ハンズで小型の三角フラスコがあり、電熱線の入ったセメント抵抗が入っているが、エナメル線の隙間から水が入り込んでしまう、そこで瞬間接着剤でコルクとガラスを接着して、水が入り込まないようにする。また、中に水が入ったとしても珪藻土のブロックをサイコロくらいの大きさにして三角フラスコに入れる。三角フラスコは入り口の筒の太さを目分量で測っただけだったが、10W2.7Ωのセメント抵抗のブロックにピッタリ合った。USBケーブルで2Aの電流はUSB⁻TypeCとの過渡期にあって最大の出力が出る。コップ一杯で200mlのお湯が3時間程度で温まる。また、ステンレス二重タンブラーでは湯気をサランラップで覆うことで、水蒸気で容器が冷えずに、容器から水分が蒸発しないように保湿する。ステンレス二重タンブラーは、沸騰させるだけでなく、温度を氷点下にしたり、金属片を入れたりすることにも活用でき、耐久性を考えてこの容器にしている。もし納豆のように、サーモスタットを繋げて常温からやや暖かい温度でたもつのであれば、三角フラスコの角も丸いので、透明なガラス製の二重タンブラーでも納豆が発酵する様子が観察できるので、試してみるのも一案だと思う。また納豆だけでなく、味噌やヨーグルトの発酵の様子を見てみたい。それもこれも三角フラスコとセメント抵抗が意外にサイズがあって相性が良かったという偶然による。またサーモスタットは42度で電源がoffになり、40度以下になると再び電源がONになる。これがサーモスタットのループになり、お湯を沸かすよりほのかに温めるにとどめ、消費電力はそれほど温度センサーによって節約することができる。容器内は45度位まで温まる。セメント抵抗の余熱で温まると分もいくらかあるけれど、納豆菌が活性化した微熱が少なからず存在することが分かった。

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循環と重なり

薄く断熱性が高い改良型のステンレス二重タンブラーは、深川のイトーヨーカ堂にあるLOFTで熱を貯めたり、冷却したりする用途で購入した。ホームセンターで購入したステンレス二重タンブラーは、それまでコルクボードと靴下の組み合わせで断熱していた容器をさらに密閉させたことで、初めてUSBから沸騰したお湯でカップラーメンを作ったり、お茶を沸かしたりできるようになった。加熱は密閉すると可能になるが、氷を作るのは当初は蓋にアルニウムサッシと垂直に風を送れるブロワーファンを一晩中稼働させて、ようやく手のひらくらいの大きさで厚さが2㎜くらいの氷ができた。水の中に透明な塊が浮かんでいたものを手で触るまでは、実感がわかなかった。一方では、薄いステンレス二重タンブラーは、ペルチェ素子と水冷ブロックを組み合わせることで、小型化できたが、チューブはG1/4端子の太めのチューブにする必要があり、蓋が閉まらなかった。しかしながら、二重タンブラーにペルチェ素子と水冷ブロックを入れただけで霜が付き、数時間で2㎝の氷ができる。またペルチェ素子で熱を放熱して冷却すると、空気中の水分は水になる。そのため電子機器の急速冷凍には向かない。例えば、家電分野ではエアコンのホコリを洗浄するのに、ノズルを冷却して意図的に水滴を作り、それがノズルを伝うことでホコリを洗い流すという活用の仕方をするようだ。または空気中の水分を冷却してコップに貯めて、空気中から水を作るというアイデアもあるという。

ペルチェ素子は、錆びにくいアルミニウムの金属に扇風機で風を当てて、温まった熱を逃がすけれど、空調と金属が大型になる。そこで水冷ブロックを使うことで小型にできる。また、中国から購入したペルチェ素子と、ヒートシンクのほかに、分厚い形状のCPUファンがあった。小型であり、USBの5Vでも稼働して、静穏性も高い。とはいえ筒のような分厚い形状に何があるのかが気になり、型番から検索すると二重反転プロペラーという、同じ軸に回転が異なる羽が組み合わさることで、送る風の量が多くなる。仕組みは同じ軸にミニ四駆のように歯車を当てて、同じ速さで回転と逆回転が組み合わさる。しかしながら、回転が異なる2つのプロペラは同じ大きさと羽の数では、空気抵抗が大きくなり、風量が大きくなると騒音もそれに伴って大きなる。すると薄型のファンを2つ重ねても効果が望めない。また、持っているファンも2重反転ファンの片方で、端子が+極と-極のシンプルで無駄のないパターンで、音も静かななので汎用性は高い。また変わった形は、ヘリコプターの2重反転プロペラに関心が向いた。PCパーツとして二重反転ファンは量産されておらず高価だけれど、無印良品や東急ハンズ、中国の新興メーカーの扇風機は、二重反転プロペラの設計のデッサンも公開されており、これは大型の扇風機があるより小型になり、風量も確保できる。また無印良品や東急ハンズの店頭で二重反転ファンのスイッチをON・OFFにできるので、実感は掴みやすい。パソコンの冷却にも、また夏には、余った風が扇風機の代わりにもなる。秋冬には風だけでなく、水冷ブロックの効率を改善する必要がありそうだけれど。

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慣習と雑学の関わり

Modern Slavery Act 2015 (現代奴隷法)はイギリスで定められた、どちらかというと慣習法だ。マスコミはメジャーな憲法改正を引き合いに出すけれど、法律は弁護士の為だけでなく、意見が対立したときにお互いが納得する妥協の手段として考案されたもので、それ自体に強制力があるわけではない。

とある編集プロダクションの結社でも、語り口こそ柔らかいが、家父長権限が強く、かつて早稲田大学の大隈重信が、欧米列強(というのは同時代の作家の森鴎外が子供に力関係を示そうとして手習いで書いたメモのようなキーワードで、どの国が強いかは流動的だったと思われる。)が、米国大使タウンゼント=ハリスとの会見のなかでそのようなことは国際法に違反すると、窮鼠猫を噛むようにして、まくしたてたという。彼自身、国際法という中立国家のオランダのグロティウスが提唱したニュアンスのような形のないものに、説得力があるかどうかは想像が許される。

草莽崛起というのは、明治維新のときに識字率の高さから、大日本帝国憲法の草案は教科書に載ってはいないけれど、高校ではタバコと携帯電話が校則で禁止はされていたが、タバコが禁止されたのは、明治時代に定められた民法によるもので、パッケージに健康へのメッセージとともに書いてあり、それがあたかも常識であるかのように僕らに刷り込まれている。

山口県にある松下村塾では吉田松陰に伊藤俊介という後の伊藤博文がおり、金子堅太郎らがドイツ風のロジックで植木枝盛らのフランスのルソーの人間不平等起源論から結んで開いてを和訳した慣習法を押さえつけて当時の皇室に上奏する形式を定着させた。こう言った書籍は大学に行く前に、神田の古書店に置いてある文庫本を拾って読んで得たヒントも含まれている。しかしながら、電子メールによって原稿用紙をなぞらなくても作文ができて、ジーグレーという版画のように写真をなぞったり着色するPhotoShopなどのレタッチソフトのように、消しゴムを使わずに書いたり消したりできて、共有もできる。高度経済成長期の一太郎のように、原稿用紙に近いものが外来の記録媒体になってしまったのは、漫画家のみなもと太郎の風雲児たちにページが多い杉田玄白らの解体新書のくだりにも似ている。

あるいは消費税が改定されればタバコも安くなり、嗜好品は比較的入手しやすくなることが予想される。僕はコンビニのPOSシステムで消費税の値札を一枚ずつ張り替えていたこともあり、農本主義という吉野作造が大正デモクラシーの機運で作った、日本版のマックスウェーバーとプロテスタンティズムの倫理から、離れることができなかった。それはちょうど、目玉焼きには醤油で、ウスターソースをかけるのは慣れないという染みついた感覚と似ている。とはいえ、醤油は味噌の上澄みだったけれど、明治時代から化学的に合成されて和風に落ち着いている。江戸時代では入り酒という料理酒で梅を煮詰めたものが主だった調味料だとされている。

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工夫を見つける

それが不条理であったとして、予め知っている有識者と呼ばれる人に助力を乞うことが難しい。しかしながら脳内での独り言が影響する可能性は僕は科学的でないと思う、大抵はなにか言いくるめられそうな不利な状況であることが多い。仮に自分が被害者で無かったとしても、競争相手が何らかの都合で退場するというのは、実力や交渉の段取りによるものでなく、単純に相手が気に入らない、またはスキンシップを取ろうとして断られたという子供じみた要求がある。とはいえ、大人になったり、その分野の知識を得たとしてもエゴを完全になくすことはできず、行動の起点になるポイントをマークされているのだと思う。とはいえ、優劣でなく好き嫌いで動いていくのは違和感を感じる。自転車を何者かに盗まれて、埼玉県の奥地に捨てられ、 監視カメラで自転車泥棒を捕まえたというでっち上げが、コミュニティであったときはなにを自慢げに話しているのかと訝しかった。もしそれがマウンティングというグループで上下関係から住み心地を決めるためのなにか非合法な取り組みだとすれば、それが勝っているときは相手も恐れるけれど、もしそうでなかったら、いじめにつながる。そうなった理由としては、僕にも原因はあるかもしれないが。

男性が女性について語るときは、たいてい立場の強い弱いが主で、実際の女性はほとんど関係ない。男子校で鬱憤を晴らしているようなものだ。こと芸能人の専門学校や、劇団員の人生論などは、突き詰めると苦労話で、苦労はもちろん悪いものではないが、他人に強要するようなものでもない。例えば釣りをする方法を教えたりなど、たとえ仲のいい相手でなかったとしても、なんらかのお得感がある情報が必要だと考える。

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科学と物理を橋渡しする仕組み

銅は熱伝導性が金属の中で高いけれど、一般的には鍋にはステンレスなどの鉄やアルミニウムが使われている。銅では熱が伝わりやすいので、均一に熱が伝わりやすいが、熱しやすく冷めやすいという性質がある。アルミニウムではアルミ箔で包んだジャガイモなどは熱が銅のように通りやすいという性質をつかっている。自宅のベランダでも蓄電池からIHクッカーにアルミニウムの鍋を付けて、炊飯をしたりしていた。なかにはコメから白い煙がでる富山県産の無洗米でない米があり、味だけでない炊事の体験ができた。とはいえ、飯盒があればアルミニウム拍だけでも太陽光を集めて熱を作り、ソーラークッカーという電気を使わない設備でも調理は可能だという。直流の電圧が、パソコンの専門メーカーでも出力が家電ほど上げる必要が無い中で、キッチンで無い場所で乾燥ヌードルや水パスタなどに端を発し、手軽に机や空いた場所で調理できるのは、安心感がもたらされる。確かに設定を工夫して炊飯できるくらいの出力を確保することも労力を要するけれど、マクスウェルの電磁法則もフィールドワークで得られたという逸話があるし、可能性を探求することで、それが見つかった時に自分だけでなく誰かにも使えるようになる。ガスコンロの代わりに電気を使うことでも熱を生むことで温かみを確保できた。または銅やアルミは空気や水の流れと合わせると簡易的なクーラーにもなる。

銅やステンレス二重タンブラーを使った熱を集めるものは、科学というよりは物理学に属するのかもしれない、それだけ銅はコインなどでは比較的潤沢だけれど、パソコンなどを冷却するヒートシンクでは数が少なく珍しい。ペルチェ素子ではアルミニウムの水冷ブロックを使うことで、ペルチェ素子のブロックを小型化することができた、そこでさらに熱伝導率が高い銅の水冷ブロックでまた試して見ようと思う、また銅はアルミニウムに比べて参加しやすいけれど、酸化銅には毒性が無いので、水や空気を冷やすこともできる。もしその性質で銅の鍋があればと思ったがおでんの鍋や卵焼きパンのように、温度を均等に伝える用途で使っている。もしそれらですき焼きを作るように米を焚いたら、炊飯器より素早く調理できるかもしれないが、シチュエーションが思い浮かばない。また鉄は熱伝導性は高くないが、比熱という熱を保つ要素は高い。もっとも比熱が高いのは水で、お湯を沸かして、入れ物にいれるという行為も熱を形にして運んでいることになる。電気が無かった江戸時代にも、熱湯で魚を湯霜という加熱する調理法があるがこれも比熱を利用したものだ。または床暖房のようにパイプにお湯を通して床を温めるのも水が温度を保ちやすいという性質による。とはいえ。お湯が湯気をだして気体に変わると温度が冷めていく、冷蔵庫ではお湯のほうが水より湯気がある分氷になりやすい。ホッカイロを衣服の中にいれると中から少ない熱で温める。その性質から、USBの5Vから二重タンブラーなどの密閉した容器に熱を貯めたり、またはペルチェ素子を水冷ブロックと合わせて、二重タンブラーに入れると空気中の水分が霜になり、やがて氷になる。ペルチェ素子の冷蔵庫もあるようだけれど、ペルチェ素子自体は異なる二種類の金属に電気を流すと熱が低い方から高い方に移動する性質によるので、比較的静かだけれど、消費電力は比較的高い。規模自体を小さくすれば消費円力を節約することができるけれど。

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AndroidとiPhoneの特長

スマートフォンをiPhoneからAndroidに替えるにあたって、いくつかの課題があった。iPhone6sはバッテリーの容量が1750mAhで、単三の乾電池およそ4本分だけれど、年月が経つうちに容量が不足してきた、とはいえフル充電すると、半日は電池が持つ。Google Pixelと相性のいい、ankerは容量はiPhone6sを5回くらい充電できる容量のものもあるが、残量はパーセントでなく、8段階の表示になる。コンセントから充電する分には、それでも十分に容量があるが、どのくらい充電されたかが、分かりにくい。また、iPhoneやandroidでも液晶画面の大型化とCPUの高性能化に伴って、消費電力は相対的に上がっている。またyoutubeにankerの非常用のUPS電源と、乗用車の助手席のシガーソケット12Vの電源でご飯を炊く、タケルくんというプラスチック製の炊飯器がある。それが連携した様子がなんともいえずシュールだった。炊飯器は合計電力が100W前後にする必要がある。車のバッテリーが上がってしまうためだという。タケルくんは見かけによらず、省エネにヒントをもたらしている。

また、iPhoneにはアプリケーションをインストールするのに、日本国内向けにローカライズしたものしかインストールできない、そのためセキュリティソフトなどでガードができない。僕もブラウザ経由で標的型のマルウェアに感染してたこともあった。カスペルスキーでも、専用のセキュリティブラウザという窓口を変えるくらいしか対策がなく、iPhoneは完成されているものの、拡張性が無かった。日本のiTuneStoreだけでなく、中国やアメリカのiTunesStoreでしかアクセスできないアプリケーションもある。そういった翻訳されていないものをインターフェースから意味合いを推測しながら海外の雰囲気を掴むのが僕は意外と興味関心が湧くところだ。

Andoidでは、apkのインストールが、容易になり、海外のアプリケーションを入れることも可能になるが、セキュリティソフトがプリインストールされていると助けになる。OPPO AX7にはavastがインストールされており、またブラウザごとにアプリケーションの許可を設定できる。バックパネルの緑が綺麗だったけれど、電池の容量とスペックのバランスで、Googleの検索やMicroSodtのWordが使えることを踏まえると、中古でCPUとandroidのバージョンが比較的新しいものを選ぶより、正規版を購入してそこから学びを得ようと考えた。GoogleのキーボードGboardは、フリック入力よりQWERTYキーボードの配列のほうが片手でも入力しやすいと感じた。キーボードの一列目のアルファベットの頭文字がQ,W.E.R.T.Yであることに由来する。とはいえ、スマートフォンを横にすると、画面の仮想キーボードが入力画面を圧迫するので、GboardからATOKに変更した。外部キーボードでは薄型のワイヤレスキーボードにしている。Androidでは、メニューアイコンが順番でなく任意の配置にできるので、待ち受け画面がアプリで散らかりにくい、また、iPhoneのようにアプリのアイコンを複数まとめて分類することもできるようになった。文章を入力するときは、wordの画面のズームが入力時に前後するのでそこが気になったくらい。iPhoneでは、外部キーボードをペアリングすると、入力時の仮想キーボードが出なくなるので、パスワードやキーワード検索が、キーボードに集約されるので、小回りが利かない。しかしながらキーボードで文字を大活字本くらいに拡大して、一行ずつ入力していくと文房具のポメラのような書き味があり、昨今のappleでは液晶が大型化してスマートフォンとラップトップPCの連携が図られているけれど、手に馴染む大きさのiPhoneSEを復刻したら、懐かしくて新しいという発見がある。

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パーソナリティと現代の歩み

ぼくはあまりアイドルは分からないが、バラエティ番組は小学校のクラスで目立ちたがり屋がよく引き合いに出していた。いじられた側は端から見るとなにが起こっているかわからないのに、引け目に感じている。そういうときはなるようにしかならない。印象深かったのは、アシスタントディレクターは、テレビの端に待機している、そこでタレントがざっくばらんに語る。いじりがきっかけで筋力トレーニングを趣味にしたといとう男性歌手もいる。なにがおもしろいのかよく分からないが、ベースのフレーズを部分を口ずさんでカラオケを強要するという箇所もある。小学校の放送室にはカセットテープやレーザーディスクといったウォークマンなどの再生設備でなく、定番では登下校にパッヘルベルのカノンを流したり、昼休みにはゴーストバスターズのイントロを流すという、作業だったけれど、なぜその曲なのかはあまり深く考えたことがなかった。それこそ無意識で人気を取っている。

とんねるずがデデデーンとイントロを口ずさんで、歌手が気恥ずかしそうにしていると、バチコーンとディレクターがこづかれる。バチコーンは当時のガキ大将の口癖になっていた。

またあるときクリエイターを目指すような人たちの集まりで、渋谷のスクランブル交差点を見下ろすような定点カメラを起きたいとして、案としては月並みだったが、まるで芸人みたいなバイタリティで、それもいいかもしれないと乗ってみると場が和みそうだった。そのようにして、渋谷の交差点を栃木の映像同好会が、まるで現代版の日光江戸村のように映画のセットにすることになったという。ぼくにはすでにいくつか名作があるのに、そこまで映画化にこだわる理由が分からなかった。当時のテレビは映像技術は優れていたが、既存のマンガをリメイクしたものが多く、相棒のようなシンプルで強いメッセージ性があるオリジナルドラマは少なかった。かくいう相棒も実際には短編でまとまるようなコンセプトをあたかもウナギ屋がタレを継ぎ足しするかのようにして、奥行きを与えている。

ディレクターは、アニメやマンガが好きではないが、性的な絡みはないにしても意味ありげなメタファーがある、ジブリアニメは興味があると煙に巻いた。黒澤明がどんな人でも見方を変えれば主人公という象徴的な名言がある。

図書館では、僕が小学生だった頃は手塚治虫の番外編の陽だまりの木は、志村けんのバカ殿のようで、時代に沿ったまじめな描写だけでなくお色気も多少あって、ライトノベルが蔵書として本棚に並ぶ現代でも、魅力は色あせない。逆に火の鳥のギリシャ・ローマ編は僕こじんでは読み解けず、有名な人が書いているのだから絵も文も書けない僕が、評論しても何にもならないという先入観をなんとかフラットにしようと試みた。中国のスマートフォンでもアニメをモチーフにしたギリシャ神話のモデルがある。自分のというわけではないが、たしかにヒューマニズムを題材にしたドラマに感極まるときもあるけれど、ちょっとした雑談のネタになるようなきっかけは、客観的にものを書くために必要になる。絵や文を書いているときは、どうしても手が放せないし、政治的な関心も薄れてしまう。そういったときになりたくてそうなっているかはわからないが、どのグループにもジャイアンのようなリーダーがいて、その人が誇りに思えるような、気だてのいいキャラクターや、ちょっとかわいい女の子がいると、まあ続きを書けということになる。

戦争のように山場のある話は、あまりリアリティがなかった。弾がでるシリンダーが動いているニーズがない。フォークソングやあさま山荘の事案でも、僕が生まれる前で、ハイドライドやウィザードリィという機材を部屋に抱え込むようにパソコン通信をたしなむひとでなく、マウス一つでもマッピングができるようになったイースでさえ生まれる直前で、小学校の二年生の時にイラクがクウェートに侵攻して湾岸戦争になったというくらいで、それは当時の先生が疎開のまねごとをしていた。昨今ではF-35が青森で墜落したり、イージス艦が漁船と衝突したりという不祥事もあったが、イーグルやブルーインパルスはパソコンがタイプライターがだったころから空を飛んでいる。

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LEDフィラメントとアルミナ

LEDフィラメントも5Vの電流をUSBケーブルから流している間は、光だけでなく熱も発する。本来はここに自転車用の、金属でなくセラミックで電気を通さないで熱を通すアルミナ棒を取り付けた。アルミナはボーキサイトという原料からアルミニウムを精製する過程で生み出される。酸化アルミニウムのことで、アルミニウム自体は錆びたり酸化することがないので、酸化アルミニウムは金属でなく、そのうち熱を通しやすい性質だけをもったセラミックになる。アルミナは画材として、amazonで揃えることができた。

アルミナの棒はクロネコヤマトが配送時間の指定が無く、平時の7時くらいまで待っていが入れ違いで、マンションの管理人に小包が届いたようだった。その間に東急ハンズにチューブを見繕いに行き、ついでにシールでゴムのカバーをリチウムポリマーのモバイルバッテリーに付けた。ブロックのゴムでプラスチックのままより手触りが良くなり、衝撃にも耐性ができた。それによってバッテリーを自転車のカゴに載せても、振動を予防する。またホームセンターで工具を入れる筒状の入れ物を自転車のカゴにカラビナで括り付ける。工具入れは作業用ズボンのベルトに付けるためか、鋲で取付けてあり、自転車のハンドルにつけるタイプがなかなか見つからない。筒状のタイプであれば、カゴの上に、ドリンク入れのように付けられて、カゴの中身も空けられる。筒にはビニールの蓋が付いており、雨の時には完全には防水でないけれど、多少は雨露を防げそうだ。とはいえ、USBケーブルの金属の部分やマグネットは濡れっぱなしにならないように手入れが必要になる。またヨドバシカメラの自転車売り場でカゴにゴムの網を付けて、カゴの中身を固定するためのオプションが付いていた。これによってカゴにバックを入れていても、蓋を抑えながら乗らずに済む。とはいえ折り畳み自転車で、カゴのサイズが平たく、網が多少たわむ、金具も上手く引っかからない、そこでホームセンターのカラビナに付け替えてカゴと網を固定することにした。筒状の道具入れにあらかじめ付いていたカラビナは、どういうわけか逆方向に曲がって故障してしまった。カラビナの金具はめったに壊れないので、珍らしい不具合だった。ともあれカラビナの材質は軽くて丈夫なアルミニウムで、カラビナに内蔵されたバネだけでなく、ネジで固定するタイプにすることで、軽くて丈夫な金具を揃えることになった。アクシデントではあったが、それに対して対策を立てることで、工夫のアイデアになった。

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電子書籍と文房具

Kindleをamazonから購入するにあたって、E-inkの性能だけでなく、UIを伴った端末として考えた。Kindle paparwhiteの電源をつけると今までにamazonで購入した電子書籍が読めるようになった。そこで紙媒体では電力を必要としないけれど、読みやすく、書き込みがしやすい一方で持ち運びにくいというリスクもある。そこで身近な紙媒体であるコンビニエンスストアの今週の雑誌のうちどれか一冊、kindleで取り扱っているものを購入して、kindleで読んでみる、これはiPhoneアプリでもできるけれど、液晶画面はカラフルな一方で、長時間の閲覧は紙媒体より目がチカチカする。そこでpaperrwhiteのバックライトとe-inkの組み合わせで、今までコンビニエンスストアで空いている棚を探しては物色していた労力を落ち着いて今週の雑誌を読むことができるようになった。また漫画雑誌のコラムのような文章もE-inkに写してみるとまた読みごたえがある。中国でYotaPhoneというiPhoneとE-inkを融合させて、カメラの解像度を高めた機種があった、それに比べるとkindleはインターネットには繋がらず、wifiは文章を運ぶためのリフトのように使う、もしkindleでGoogleMapといかなくても、簡単な地図やメールができれば通信機器になって便利だと思われたが、通信機器にはCPUのパフォーマンスを一定以上散逸させる。システムが複雑になってくる。iPhoneの外装は日本のフォークやスプーン等のステンレスを磨いて鏡のように仕上げる、新潟県の燕三条市の町工場の技術が元になっているが、中国では硯や文鎮の形をもとから作り出すような発想があった。輝きはなかったが丸みのある硬質な質感があった。しかしながら、YotaPhoneは関税や輸送費も含めると高くなったけれど、E-inkとiPhoneを合わせたとすると、コストはギリギリでサポートにも対話が成立しにくかった。Amazonのkindleも中国語版と日本語版が両方あった。Googleのインストールは応用商店を経由したけれど、androidアプリをインストールするとできるときとそうでないときがあった。

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素麺と片手鍋

ストーリーに感化されたというかもしれない、そうめんは美味しんぼの三輪そうめんを扱った涼風そうめんの逸話から、梅雨入りかっら気温が上がる夏にかけて、食欲が落ちる。それは僕が味覚というより、単純にお酒のアルコールが苦手で、また体力もバテ気味だったからともいえる。けれどそうめんの細い麺が、手延べという製法で丹念に伸ばされたものとアニメの逸話を見ると、そうめんがとても素朴で美味しいものに見える。スーパーマーケットでそうめんを買って、片手鍋で煮ると、涼し気でスッキリした後味が残る。麺を棒に編み物のように掛け巻きをする様子などは風景に調和して何とも言えない、それは味というよりひとつの文化であり風習なのだと思った。

また、大学の下宿先では、古本屋で美味しんぼを買ってきて、2巻のジャガイモのパンケーキを作ったりとしおらしいところがあった。正直あまり美味しくなかったようだけれど。行徳では、不動産屋がアパートの近くにあったので、東京都東部にあるスーパーヤマイチで買った大根餅を焼いているところを迎えたことがあった。

また一人暮らしのときに無印良品で動物の片を取ったパスタがあり、ブロンズダイスという鋳型で小麦粉を伸ばしているから、表面がザラザラでソースが絡みやすいという、竹の籠でもその存在感から、なにを入れるわけでもないのに買ってしまったりする。ともかくそこでその小麦粉の感触が同じパスタで、イタリアの雰囲気があるものとして、ディチェコのパスタがあった。蕎麦のようにゆで汁も飲むことができる。そこで美味しんぼではいろんな食材の中でも、いわゆる食通がたべるものでなく、一般家庭にも普及したものでとくに麺となると、おそらく僕がスマートフォンやネットカフェなどで空いた時間に調べるよりも詳しく自説を展開するだろうと予測された。ところが冒頭ではチェルノブイリ原発で汚染された小麦が輸入されているという、おそらくは深刻だと常識的には考えるが、突拍子もないものだった。パスタの茹で加減は多少芯が残るアルデンテがよく、メニューはニンニクの玉ねぎのパスタがシンプルで、それだけに鮮烈な印象があった。なにより鍋焼きうどんのように具沢山なものでなく釜揚げうどんのようにシンプルに味わうというのは、却ってバリエーションを豊かにした。自炊にそれほど興味が無く、立ち食い蕎麦でも食べてしまうけれど、献立の意味を感じた。

ディチェコは、郊外のスーパーマーケットでも、都心の成城石井でもイタリア風の素朴な麺として揃っている。応用としてはラーメン次郎という、野菜を山盛りに太麺の上にのせる若者向けのスタイルがあり、その麺は市販の中華麺や即席のチキンラーメンのようなものでなく、食感だけならディチェコのリングイネが近いという、腰の強い太麺と野菜炒め、別に食糧難でないのにも関わらずそういったメニューはありそうでなかった。ところが、ディチェコのリングイネがそこまで大食いでもないので、一人でいったころもない次郎の麺に食感だけは近いという、例えばボンカレーが給食の肉じゃがのようなカレーだったとして、ソフト麺という、パスタでもラーメンでもないようなノッペリした麺が、僕らが小学生だったひとつ前の世代では出ていたという。また揚げパンなども、たとえ栄養バランスが取れた現代でも忘れられない味になっていると先輩が話してくれたことがあった。

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