光源の輪郭

予定が分からない中で、ベストを尽くした。明日何があるか、誰に合うか、どれくらい時間がかかり、なにが必要なのかが事前に分からない。相手を気遣って常に緊張していた。実際に破損したものもある、外付けハードディスクの片方は原因もわからないまま故障した。LEDフィラメントは配送時に物理的に破損していた。

相手が常にそつがなく万能に見える。それに対して僕はドジでのろまで無能に見える。そういった中でも、悪意をもたなかったことが僕の取り柄だと思う。もしミスをしなければ、予定はスムーズにいったと感覚的には感じる。僕がドジで不注意だった。それは反省する。ししながら、罰を受けるいわれはない。そもそも一つのことがだめでも万事がだめだと思い込むことは、相対的な確認の精度はあがらないかもしれないが、心理的にはよくない。自分からもうこれで良いだろうと思っても、相手がそれを納得しないこともある。まさに泥沼にはまったような状態になる。そういったときに、相手がこれくらいでよして置こうと提案してくれるとスケジュールは上手く進んでいく。

休日にヨドバシカメラで三脚を買った、三脚にはネジが付いているだけでシステム的な機能はないけれど、その使い方をあれこれ考えて歩いて帰ると、いつの間にかスマートフォンに留守メッセージが届き、サーバーメンテナンスになっている。休日の土曜日だったのでボーっとしていた。ドジでダメになったこともあったけれど、本当に自分ではどうにもできないトラブルもある。

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アナログとデジタルのペースメーカー

パソコンを使って文字を書いたり、絵を描いたりできるけれど、パソコンが電源を入れると回路が動いて、任意のパターンで動く事が元になっている。たとえ話では川から水を引いてきて、水が重力によって上から下に落ちる原理を使って水車を作ったり、それで小麦粉を臼で弾くことに応用される事がある。最近ではそういった工場での作業がどのような役割を持っているかを言葉にする事が難しくなっている。物事には正解があり、それから外れると間違えるとされることもあるが、その段階では飽和状態になっている場合が多い。

象の背中という本に、いいペースで蕎麦を食べるという習慣があると、作業効率が良くなるという。今日何食べたというメッセージから誰かを気にするかしないかがわかるということもあるけれど、そういったことはあまり考えたくなかった。もし手作業である程度何かを動かしたり直したりしたい役割をしたい場合は、自分がその担当でなかったとしても、一段階上の立場をシュミレートするとうまく行く事があるという。逆に遠慮しすぎると、理不尽な目にあったり、思った事が上手くいかないという巡り合わせがよくなくなる事もある。日本ではあまり取り立ててこの人がダメだというケースはあまりなかった。それでも、店に行っても欲しいものがなく、将来の目標を考えようにもどうにも計画が立たない。何かを作ろうにもすでに世の中に色々便利なものがあって、その上に何を付け加えればいいかと悩む。最近はあまり食事をとりたくない人もしばしばいる。僕もその時の気分では、全く食べたくない時もあるけれど、一定の周期で食事をした方がおそらく生産性がある。食べる事自体は消化する事だけれど、単語帳の文字を食べると覚えた気になると聞いた事がある。

高校の時はエクセルに書くことがなくて、とりあえず目に負担の少ない緑のラベルにして、教科書の単語を移していた事があった。できる人のノートはあまり具体的に書いていないのに、どうしてエクセルで家計簿のような型に整える必要があるのかは10数年たった今でも疑問ではある。当時は名前や住所を描く事が苦手で、できればワープロで読みやすいものにしたいと思った事もあった。携帯電話が普及すると、番号とテンキーからメールアドレスとポケベルのような文章を作る事ができるようになったが、会話文になるとパソコンを使わざるを得なかった。何か離れたところに対してメッセージを送ったりするには、携帯電話を持って何も伝えられずに悶々としながら、家かパソコンのある場所まで最短距離で帰るということをしていた。

パソコンを買ってインターネットに繋がっていないと、そのパソコンで何をしていいかのモチベーションがかなり下がる。ところがダイヤルアップでも何かと繋がると途端になんでもできるような変なテンションになる。パソコンの仕組みはまだわからない事も多いけれど、簡単なモデルを作ってそこに足がかりを作って、少しずつ登って行く、まちの道路はあらかた整備されているものの、パソコンのネットワークはジャングルのように未開の状態になっている。それがゆえに、フロンティアとしても可能性があるのか、または既にあった事がある人でも状況や変わったり、思わぬ転機が訪れたりするかもしれない。

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価値観の相対化

メールマガジンを読んでも、労務関連のことしか主になっている。それを抑圧や陰口と思ってしまうと不毛になる。しかしながら放送作家と雀荘の主人が世間話をしていても、教育とはあまり関係がなさそうだ。教訓を与えるということなのだろうか。どちらにしても余計な世話を焼かず、それぞれの長所を伸ばしていけばと思う。そこに劇団員が加わるといよいよサーカス団のようになる。なぜか客がひとりもおらず、内部は関係者だけで固められており、それにしても喫煙がひどい。そのくせ新入りには何もさせず、ただ黙って我慢しろというのだからやるせないところだった。

今週は異常に忙しかった、その日にならないとスケジュールが立てられないというのは疲れる。良く順応したと思う。マウンティングに巻き込まれぬようにと、なんとかやり過ごすしかない。その人の書籍や論評が認められたり、プロジェクトが上手くいくようになら一般的には支援したいけれど、相手を無力化させたり、いかに調子に載せないかという議論は、陰口のようで不毛だと思う。放送作家が、先輩と後輩の関係を親と子に例える風習があるけれど、それで上手くいった事例を見たことがない。苦労は確かにひつようではあるが、主体性を失ってまで相手に尽くしても、報われることがないようだ。むしろ相手を尊重した状態で適度に距離を置く方が、有言実行になる。このところその日暮らしになっている。いかに無事に明日を迎えるか、1週間単位で予定を立てたりということがここ数年ごぶさたになっている。僕は相手を圧倒したいとも、権力を持ちたいとも思ったことはない。

台風が温帯低気圧になって、あたりはしんと静かになった。たしかに心配してくれるのはありがたいが、それを受ける側は、まるで通り雨にでも合ったかのようで気が気でない。実際に引っ越してからまだ定期を更新してない。そこまで羽振りはよくないにしても、頭ごなしに自宅に押しかけられるよりは、適度に喫茶店で相談がしたいと思ったこともある。べつに無理な要求をするわけでもないし、こちらからは失礼でできないけれど。単に貴方はダメだ、認められないといって、自分の言うとおりにすれば上手くいくからそうしてくれというお願いを何度も聞いてきた。僕はそういった一方的な要求をしたことはないのに。

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可能性のかたち

良かれと思ったことが結果として無駄になると途方に暮れる。駅のホームでビールの空き缶を拾って近くのごみ箱に捨てようと思っても、手ごろなゴミ箱がない。飲めないビールの空き缶を持って電車に乗っていく。老練なギャンブラーによると愚痴をこぼさないことが大事だという。そこまで早く歩いていないのに、わっと立ち止まることがある。歩きながら考えているためだろうか、おかげでイヤホンを付けることもなく、退屈しない。しかしながら、ひとりの時間が欲しいこの頃だった。ここでぐっとこらえると落ち着いたひと時がやってくる。それは緊張と弛緩というお笑い芸人の心理からすると、報われるか、そうでないかの分水嶺だという。ここのところテレビを見ていない、僕はテレビを見たくないわけでもない。また相手のことは尊重して、むやみに逆らわないように気を付けた。また相手が話しているときに分かったような相槌をうつと、煙たがられることもある。気に入るかどうかの境目は目に見えない。もし熟練者や識者どうしの世間なら、諍いは起こらないかもしれないと期待することが、通りがかりに思うこともあるが、どこまで現実的かはわからない。

カメラの三脚があると、視点が定まる。どんな三脚がいいかをイメージしたとき、マネキンを自立させるのは難しいという。足に錘を付けるか、針金で支える必要がある。二本足で立っているときにもスタビライザーが作用している。ねんどろいどを自立させるのに専用の透明なジェルがあるという、手品の種というわけでもないが、これは透明なだけで実体がある。

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半田とタクトスイッチ

基盤には整然と穴が開いている、半田付けの付けなおしもあり得ると想定して基盤と金属が多少しっかりしているものにした。まず方眼紙を買ってきて、基盤をトレースした、ブレッドボードくらいの大きさだったけれど、設計を描いてみるのも新鮮だった。タクトスイッチはボタンの押しやすさからすると大きめのスイッチのほうが良かった。当初arduino UnoR3で長押しを判別してモールス信号を付けたときに、タクトスイッチは回路は、シンプルだけれど、条件分岐と組み合わせることで、バリエーションが増える。タクトスイッチは指くらいの大きさで、5つ並べるとブレッドボードが一杯になっていた。方眼紙にタクトスイッチを描いてみたのは、ブレッドボードではその性質上、上と下のスイッチを横並びにする必要がある。もし、左右はブレッドボードと同じでも上下のスイッチが縦に並んだら、位置関係が相似して、コントローラーに見えると考えた。

方眼紙に端子の6つのピンヘッダーと、GNDは共通しているが、タクトスイッチそれぞれは5本の信号ワイヤーがある。GNDやそれぞれのワイヤーを最短距離で、なおかつ重ならないようにとして定規で線を引くと、意外に基盤らしく見えてきた。今回は抵抗器をESPやarduinoが代替するINPUT‗PULLUP型だったけれど、6本のピンヘッダーには、手で半田付けをする必要があり、半田ごてより半田の線が細くて困難な個所もあった。それだけに半田がくっつけば便利だけれど、だれも試したことがない分野で、関心が自然と持てたという部分もある。できればだれかと協力したり、または競ったりということも技術向上や気づかいという観点からはなくもないが、ぼくはどちらかというと普通のことが普通にできないという減点主義より、個々のコミュニケーション能力を尊重して、できるところを教わりながらもだれにでも長所があるという、フェアな姿勢でいたい。

タクトスイッチの基盤は、GNDは黒いシリコンワイヤーを想定していたが、上手く最短距離で半田付けしにくかったので、UEWの半田で導通するエナメル線に換えた、エナメル線も被覆があるところは電気が流れないので、混線を予防する意図があった。接点になる半田は針金と材質が異なるところもあり、やや多めに付けた。できれば多少がよかったが、ここのところ半田がひとりでに剥がれたり、セメント抵抗が引きちぎられたりと想定外のトラブルもあり、入念にしたかったという事情もある。変化する状況から目的通りにならず、やり直すことになっても、それだけ必要なことが見つかるいい機会にもなると前向きにとらえることにしている。

ともかくもタクトスイッチの基盤とEsp-Developer32が繋がり、いままでブラウザにボタンの画僧に貼り付けていた部分が実際のボタンになった。とはいえ、基盤がむき出しの状態で、それにあったケースは別に用意する必要がある。また、JoyStickモジュールでは、入力に対応した34、35をアナログにすることでX軸、Y軸の操作は可能になったが、操作性がブラウザほど器用にならなかったけれど、回路としては間違っていなかった。珍しい事例といえる。

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デジタルカメラとDIY基盤

カメラを持っておくことで、風景を撮ったり、なにかのときに役に立つと考えた。一眼レフカメラはレンズを選んだことが無かったこともあり、スマートフォンのiPhoneでも高解像度の写真を撮ることができる、ホワイトボードやメモ帳に書いてあることを画像にして、後で見直すといった文字を画像にして取っておくというような使い方もある。

WebカメラとraspberryPiを繋げてブラウザにプレビュー画像を送信して、キャタピラー式のクローラーに載せて、クローラーの目の代わりにしたことがあった。ブラウザは基盤にも画像ビューワーにもなった。また軽量化したバッテリーを含めた稼働時間は3時間と長く、webカメラの画質も多少ぼやけることがあっても見えるくらいだった。肉眼で遠景を見たときより、ブラウザとwebカメラ越しに見た状態では視野の範囲が狭くなっていた。

そこでGoProというアクションカメラをスマートフォンとは別のデジタルカメラとして一台持つことにした。スマートフォンでは取ることができなかった写真の詳細や、夜景などの光源が限られているところの写真を残してみたい。また、カメラを勧めてくれるユーザーや、家電量販店のサポートも手厚く、スマートフォンの最新機種からカメラの機能だけに特化したデバイスを持っておくことを支えてくれた。店舗ではメモリーカードが付いておらず、wifiを経由してスマートフォンと連携するという仕組みを確かめることができたものの、実際にどのような画像が取れるかは、持ってみないと分からなかった。

デジタルカメラとスマートフォンは光学センサーの様式が似ているので、レンズや液晶ビューでは、スマートフォンと同じように保護ガラスを付ける。スマートフォンでは三脚を持っていくことがほとんどないが、カメラの位置が固定される状態で起動するとピントが合わせやすくなる。GoProのネジはホームセンターで合わせるとM5ネジで、M3より二回り大きい。またM5でもプラスチックネジや、フラットネジがあるようだ。三脚は足の長さを個々に調整することで、水平でない場面でも水平な視座を獲得する、アクションカメラでもそれは共通している。また、スマートフォンでも固定されたピントがあれば記録は取りやすくなる。

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joyStickの凹と凸

joyStickモジュールのボタンはキノコのような形をしている。親指で縦と横のレバーが組み合わさり、円形に動くようになっている。そのうちx軸を水平方向、y軸を垂直方向に読み取って、上下左右の十字キーのように操作することを目的にした。実際のものは、Nintendo SwitchのJoyConだけでなく、家庭用ゲーム機のプレイステーション2でも十字キーとは別に操作キーがあった。回路はタクトスイッチのようにデジタルでONとOFFにするものではなく、アナログで信号を検出する。デジタルとアナログが揃っているマイコンは、arduino Uno R3がある。デジタルピンとアナログピンが白い線で分かりやすく印字されている。Espシリーズは、デジタルのピンが主で、アナログに割り当てられている端子がエクセルの対応表を見ないと分からない。また、Esp32をWiFiに接続すると、電源の+極とVCCと-極に隣接するピンがアナログに設定していたものが、デジタルに変わるという現象があり、このあたりは、パソコンのwebブラウザがゲームパッドの十字キーのうち一方を認識しないという事例と関りがあるのかもしれない。

joyStickモジュールはスイッチサイエンスから、半田付けがシビアになると注意書きがあり、不器用な僕にできるのかと足踏みしたけれど、Esp-developer32を新調した折、モジュールと基盤を半田付けにチャレンジすることにした。joyStickモジュールの基盤は、microUSBのDIP化基盤と同じくらいの間隔ではあるが、DIP化基盤は横一列であるために、比較的半田付けしやすいが、joyStickモジュールは縦と横があるので、基盤に当たらないように半田ごてを付ける必要がある。大小19ヵ所の半田を付けて、joyStickモジュールが動作することを確かめた。実際のピンは、microUSBのDIP化基盤と似ており、電源の+極と-極、アナログのX軸とY軸、デジタル信号のピンの合計5本になる。

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植生の連なり

親水公園の道なりの樹木が剪定されて、太い枝と細い柴に分けられていた。太い枝からは板が取れそうなくらい身がつまっている。街路樹は道路と住宅地の間に植えられている。地下は際限なく値を張れるわけではなく、水道管などの配管や道路などの制限がある。そのなかでも信号や道路を妨げずに、また景色に緑が残るようバランスが取れた園芸が為されている。街路樹のスケールをそのまま植木鉢にすると、枝ぶりが逞しく、かぎられた土と水に比べて瑞々しい景色になっている。

国土交通省によると花びらや落ち葉も回収する水面清掃船があるという。木場は江戸時代に筏で木材を運ぶための貯蔵施設だった場所で、東京東部では、その名残として水路が残っている。東京メトロやJRなどの鉄道が敷設される前は、東京都と千葉県は連絡船が水路をバスのように運航していたという。植木鉢を変えてもそこにすぐに作物ができるとは限らないということもあり、カップラーメンの空容器を植木鉢にしたところ、半年前くらいに道端で採取した苔から双葉が生えていた。ほかに育てるハーブなどがその鉢の中になかったので、そのままにしておくと双葉はヨモギのような葉っぱになり、そこからハーブなどと同じように水をやっていると、カップラーメンの容器が傾くくらい、土に比べて葉と枝が育った。道端にもしばしば生えている雑草で、調べてみるとアレチノギクという北アメリカ原産のキク科の植物のようだ。先日にはタンポポのような花が咲いた。茎は、引っ越したあたりを境に曲がっているが、引っ越す前のベランダではほぼ日光が当たらないビルの谷間のようなところで、それにくらべると引っ越したところは日光には恵まれている。半日陰の環境ではLEDランプが日光浴の代わりにもなった。そのため土と空のかかわりが本来どんなものか、関心が芽生えてきた。

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WiFiの繫がり

スマートフォンのカメラの解像度は、バージョンアップにつれてみるみる向上したが、それを保存するリソースは変わっていなかった。GooglePhotoなどのクラウドストレージによって5GBまでなら、無料で画像を保存することができる。また記録媒体のDVD-RWは容量は一枚あたり4.7GBで、ちょうどクラウドストレージのアカウントの容量と同じくらいだ。また2012年以降の記憶も残ってはいるが、スマートフォンのようにポケットに入れてハードディスクを持ち運ぶわけにもいかず、残っていないものもある。iPhone6s以前の写真は、HTCというadobe flash playerがインストールされたブラウザを持ったandroid phoneを対象に水平になるように撮ったもので、三脚や手振れ補正もないのに良く残したという画像もある。画像に文字を関連付けられれば、キーワード検索もできそうだけれど、保存された画像と当時の記憶を見比べて、エクスプローラーのUIでマウスを動かしていく。

WiFiを経由して、リモートでIoTデバイスを操作することを試行した。Espモジュールは、有線のtxrxの送受信によるシリアル通信だけでなく、WiFi通信に対応しているためにパソコンやスマートフォンなどのブラウザでボタンを押したときの信号を検知する。それを元に、関数を動かしたり、条件を変えたりする。Nintendo switchのJoyConはBluetoothでペアリングした状態で、普段インターネットで検索したりするのに使っている、GoogleChromeのページを開くと、NintendoSwitch本体からの通信と認識するためか、HOMEボタンの青いLEDランプが付いて、リモコン操作が中断される。windowsPCにデフォルトでインストールされているInternet Explolerではゲームパッドを接続する機能がブラウザについていないので、JoyConとキーボードを対応させれば、使うことができる。Nintendo SwitchにもJoyConとキーボードがレールで繋がっているモデルがある。とはいえ、もしゲームをするとしてキーボードが必要なゲームを想像しにくい。名前を入力したり、選択肢をえらんだりするときに、ダイアログがでるが、そのときに50音順の仮想キーボードや、プルダウンメニューがゲームにも存在する。

ブラウン管のテレビと映像と音声の実態ケーブルで繋いだファミコンが、僕が見たり触ったことがあるデジタル機器だった。図書館で本を借りたり、お店でパッケージの箱を買うと、そこにはバーコードが記されており、それは何らかのデータベースに繋がっている。しかしながらそれをより効率的に運用したりするノウハウを関心があっても、実践することが難しい。

復刻されたminiファミコンでは、USBケーブルがACアダプターに代替したことで、軽量化された。テレビからインターネットにつながっていたことはなく、Netscape Navigaterではテキストに挿絵のように画像が乗っているくらいだった。まるでフランチャイズドレストランのメニュー表のように画像と値段やそれに対応した記号がシームレスに表示されるようになるのは、Internet Explorer6の普及が大きい。もしアドレスバーのURLがハガキの住所で、表示されているページがそれに対応した地図だとすると、仮想旅行ができる。インターネットが普及するまではバスや電車の方眼紙のようなダイヤグラムを眺めて計画を立てることが一般的だった。

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電子書籍とライトノベル

ソードアートオンラインのアニメはabematvで繰り返し見ることができたが再放送も何度見ても新しい発見がある。ふとその最新のノベルを電子書籍で購入しようとすると、スマートフォンのkindleアプリからは電子書籍が購入できないという、そこでE-inkの白黒のkindleを開くと数週間たっているがバッテリーがまだ残っている。図らずも電子書籍で新書を読むきっかけになった。2019年10月のアニメではアリシゼーションの第三クールがあるが、ノベル版の21巻では、ユナイタルリンクというRPGにシュミュレーションの要素を付加したものだ。いままでのエクスカリバーやら魔法剣の設定がリセットされLv1に戻ったというのはどうにも妙だけれど、ポケモンGOやドラゴンクエストなどの空想の産物は現実にはない、ものづくりの成り立ちを辿るという意味では初心者にも敷居が高くない。モンスターハンターでも装備がない状態では、アオアシラという熊でも強敵だった。または装備を経験値とそれにつぎ込んだ時間とお金と労力から、レベルや専門知識を上げたとしても、ゲームの難易度によってはやはりモンスターは人間にくらべるとステータスが高く相対的には弱くならない。

アリシゼーションは、不思議の国のアリスという童話と、シヴィライゼーションという文明シュミュレーションゲームを組み合わせた造語だ。シヴィライゼーションは、序盤では石や木をひたすら収集して、周辺部族と戦わず準備だけをするどちらかというと内向的なゲームだ。農耕でも製造でも鉄が産業化のカギになる。実際にインドネシアで砂鉄から玉鋼を鋳造して、工具やネジを作ったという探検家もいるそうだ。日常にはネジや釘などの物理的な道具でさえ、それがどのように作られたかを実感することが少ない。それにしても、液晶技術が4K高画質に、AR(argument reality)などの拡張現実などの絵のなかの風景を探検できるようになっているのに、できることが前近代的な段階を再現せざるを得ないのは、なにかのパラドックスのように思われてならなかった。電子書籍には再生ペットボトルで熱加工された下敷きを、次のページをめくる動作をするために指でなぞる。あまり意味はないが孤を描くようにページをめくる。

アリシゼーションの仕組みは、どちらかというと空想の風景をコンピュータで描く仮想現実VR(vitual reality)というより、AR拡張現実に近い。骨組みを作って、そこに写真を奥行きを付けて貼り付けていく。おそらくそちらのほうが少ない労力で世界観を再現できる、またはそうせざるを得なかったという事情があるかもしれないが、ともかく空想にある風景にも現実のオブジェクトが引用されることはしばしばある。冒険する舞台になる空や海、山や川は、厳密にはオリジナルでなく、どこかにあったかもしれないからこそ、郷愁が再現されるということもある。

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