習慣と仕組み

5月の連休では電車やバスを使ってはどこにも外出せずに、自転車で隣町に移動したくらいだった。コロナウイルスの感染者は5日連続で100人を下回って、緊急事態宣言の効果が数字になって表れ始めている。マスクは布マスクでは鼻のアレルギーで血が付くので白いいガーゼを洗う手間ができるために一時保存して、同じように洗って使えっるウレタン製のマスクに替えて過ごしている。シミが目立たないためだった。気候としては朝は少し寒かったので、布団が必要になった、日中は足が寒くなったので靴下をはいた。だんだんと蒸し暑くなってくる感じがする。青空は春から移り変わりつつあった。ベランダの雑草にススキのような穂がいつの間にか生えており、白い花が咲いている。

BliBli動画でコメントといいねが付いた。あまり人気はないけれど、自分のオリジナルの工夫がユーザーの思い出になってくれればと思う。これが日本国内のニコニコ動画やYouTubeではそこまで見ず知らずの人に親切にはしてくれないと思うと貴重ではある。とはいえどんな動画が話題になるかは僕自身にも分かっていない。およそ11人のいいねが集まった。国内では孤立しているのか、日常で呟くことがないのか、またはとくに友人がいないのか、理由は複合的であるようだ。自立はしていても孤立はしないようにしているが、以前にすんでいたマンションの隣のビジネスホテルが、都内のコロナウイルスの受け入れ先になるなど、普段から人を避けてきた経歴があるのかもしれない。

帳票をPDFで入力して、数があっている部分に蛍光マーカーを付けていく、証書は重要なもので1枚でも数え間違えるとやり直しになることもあり、念を入れてチェックした。帳票コードに数字で連番を付けることと、以前の数値を集計用のセルに転写する手順と、ページ数があっていれば、下から3桁目が合うことになっている。枚数と書損も揃っている必用がある。手書きの書類でも丁寧に清書された文字を、PDFの拡大ツールの目視で読み取っていく、自分に経理の素養があるかどうかは分からない、この手の仕事では早くで雑であるよりは、ゆっくりでも正確であるほうが信頼される。学校で習った計算ドリルには似ているが、社会人になってまた復習することになるとは思わなかった。ともかくも集中力を持続させる訓練にはなると考えて取り組むことにしている。

数字を扱うことに個人的に習熟した経験は、高校の時には数学でベクトルの公式を自分で作ったりもしたが、それでSNSなどでいいねが集まらないだろうと思われる。誰にも認められてはいないが、必要だと思ったことを続けていく。それがいつの日か日本語でも説明できるようになればと思う。僕の場合は哲学や文学といった抽象的に高度なもので相手と比べることはしないつもりだ。中国のように平仮名が通じなくて、筆談によって漢字で意味を推測しあうような関係でも、メッセージは届く。日本ではそこまで偏屈な性格ではないが、うまく話題に乘れていないところがある。

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光源と質感

MMDにライティングを追加すると、平板だったモデルが立体的に見えるようになった。LEDランプを読書灯に使うという案も、初めは白黒の電子書籍の文字を読みやすくするためのものだったが白熱電球は、蛍光灯の青白い光とは異なり、電球の黄色っぽい暖色になっている。現代ではろうそくのように燃料を使った光源は無くなってしまったが。蛍光灯では消費電力と眩しさがコントロールできないために、ネガティブなイメージと先入観で捉えられることが多かった。また国産のシャープの大型の液晶ディスプレイも、テレビのブラウン管をフラットなタイプに替えたけれど、一般家庭で購入するには高価だった。パソコンも国産のノートパソコンは依然として高価で、ゲーミングにもオフィスにも対応できる8GBのメモリと2GHzのCPUが搭載されたモデルが10万円くらいで用意できれば妥当なところだけれど、昨今はスマートフォン一台でもCPUが2GHzになると10万円を少しオーバーする。それにくらべればLEDフィラメントは抵抗器とUSBケーブルがあれば実現できるので、コストを気にせずに試行錯誤ができる。MMDではシェーダーのエフェクトがmineCraftと同じようにリソースパックを追加するようにできれば便利だけれど、まずはBlenderで行っているように物質とそこに光源を追加して光の反射によって質感を表すことにした。現実でも読書灯をKindleに向ければ、白黒の文字が、温かみがあるように感じる。

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布マスクと散策

布マスクが店頭にひとり一点だけ買うことができた、メーカーはシュガーフェイスというとなりの墨田区の衣服のメーカーのようだ。薄いガーゼを十数枚重ねたマスクで、使う前に洗って水に漬けると、ガーゼが水を吸って重たくなったようで、干して水を乾かすことにした。紙製のマスクやウレタン製のマスクは水に漬けてもそこまで重くならなかった。ともかくもともとは繰り返し使える布がミシンで塗ってあったものが街のスーパーマーケットに並んでいるという風景は少し前から続いてきた。

4月には紙のマスクを繰り返し消毒スプレーで除菌して、水で濯いで付けながら乾かして繰り返し使っていた。繰り返し使えるマスクをamazonで見つけて、数枚を購入しようとするが、政府のマスク給付と時期が重なるためかなかなか配送されないまま数週間待ち続けることになった。中国のjd.com京东で見付けると、日本国内への輸出は税関を通るために注文から数週間かかるという、商品のパッケージが日本語の表記があった。すると翌日には知り合いが、街を散歩しているとスポーツ用品店で、ウレタン製のマスクが売っていたというので分けてもらった。紙製マスクに比べて水で洗っても濡れにくくなっている。

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アイアンファーム

村人がゴーレムを召喚することを利用した、アイアンファームという仕組みはmineCraftがアップデートされる前からあったようだ。工夫した点は、ゾンビは日が昇った時にいつの間にか消えてしまうので、その拠点をモンスタースポナーで作ることだった。動画の事例ではゾンビは密室に入ったままで、それが持続するとは限らなかった。水流は7マスの長さを流れるので、1辺は7マス以内である必要があるが、コンパクトにするために6マスにした。ゾンビのトラップでは縦6マス横6マスとコンパクトにできた。ゾンビトラップでも1ブロックの高さの子供ゾンビや、チキンジョッキーがスポーンしたときに、1マスの間では村人エリアに侵入したり、ホッパーとマグマブロックの間をすり抜けるために、ハーフブロックが必要になった。ハーフブロックの上にも1/2マスで水を貯めることができる。また水を流したり、そのなかでアイテムを通すことができるが、子供ゾンビをせき止めることができる。ハーフブロックと水流の組み合わせにはいくらかバランスを蜜ろう必要があった。アイアンファームは数分でそれが動ているかどうか判別できる利点がある。これは村人の農家の職業を使った自動式の農場に比べるとペースが速い。農場の場合は、仕組みは1部屋か2部屋分とコンパクトになるが半日くらい、種や作物が溜まるまでじっと見守っている必要がある。ゾンビと村人が壁を1枚隔てて対峙している様子は、タワーディフェンスゲームのボードのようでもある。

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マスクと玩具

マスクが楽天で注文したショップから早速届いた。Amazonでは配送が遅れて、返品もままらなくなっていた。珍しいことだった。手をこまねいている訳にもいかず、少量がスーパーマーケットやドラッグストアに入荷されていたというが、僕の行動範囲では見つけられなかった。繰り返し洗って使えるタイプのマスクで、分けてもらったものと実際に通販で買ったものの形は同じだった。ともかくマスクは心配をよそにすぐにポストに届いた。あるところではいくら催促しても届かなかったので、やはり相性を見つける試みが必要になる。Amazonではリチウムイオンのモバイルバッテリーやマグネットケーブルなどを家電量販店に先駆けて購入できていたけれど、それだけでなく実店舗にもネットショップの選択枝があるようだ。

MikuMikuDanceの等身を3頭身にするのは、SDガンダムなどにきっかけがあった、こどもの頃は本編のアニメーションを見られなかったので、街角のグッズからストーリーを想像している方が長かった。ゲーム機でも欲しいタイトルを選ぶことができずに、与えられたもので満足することにした。ねんどろいどという3頭身のフィギュアを基にした初音ミクのモデルと比べると、中国のキャラクターの造形も優れていることが見て取れる。江戸前寿司が地方の特産品によってアレンジされているように、アニメーションも中国の特長を折り込んだものになれば、見ごたえがあるように思われた。お互いに珍しいものを補い合える関係性を模索している。

中国から日本に留学するセミナーにしたけれど、日本に関心があることが分かってそれは良かったけれど、個人的には日本語の講座に授業料を払うわけにもいかず、体験セミナーを最後まで聞いて感謝するにとどめて置いた。中国語のゲームやアニメでも日本語のセリフや歌詞がでることもある。しかしながら中国語と日本語が通じることがあればいいなと思う。

ファミコンが電化製品の仲間入りをしていなかったころにも、なぜかカードゲームからキャラクターを作ったり、カラオケやディスコと組み合わせてというアイデアも施行されていた。戦後になって50数年、まだ3世代くらいしか交代していいないため、アナログとデジタルの境目はいがいと曖昧になっている。定規の上をなぞってまっすぐに見せた鉛筆の手書きの線によってデッサンされたキャラクターもある。人が集まってくると、かえって遠慮しあって疎外感を感じることがあるという。それはネットワーク上のオンラインでも、実際でも変わらない。実際に人と会うと、2人だとある程度打ち解けるのに、3人になるととたんにそのうちの一人が誇張をして言動が荒っぽくなるという事例にあったことがある。3人から政治関係が成り立ってくるようだ。

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物語の需要

その語り口が本当か嘘かはともかく、ここではあまり歓迎されていないようだ。そんな雰囲気がした。寛容になれないことには余裕がないということまずある。ディレクターは大量に指示をだす人材だけを集めていて、実行に移す人がいない。関心がある人は有料放送にという采配をしていたアシスタントの役割はどこへやら、ニコニコ動画からYouTubeに移行したのはなにかの成り行きだったのか、カメラ機材は、個人のiPhoneに置き換わっていた。Androidではないようだ。日本国内だと、労務関係の悩みを解決することが難しい。このままバイトのようなことを続けていてもいいのだろうかという自問自答に陥る。そういった閉塞感を解決するのは、中国からのメッセージだった。国内のpixivの絵描きでも、中国のゲームタイトルの挿絵を描いている事例もある。コミックマーケットでは、同人作品が本家よりタッチが精密で上手い絵を描くこともあったけれど、キャラクター性のもとになるものは素朴な存在感があった。

郊外のスーパーマーケットまで自転車を漕いでいくと、売り場やフードコートは閉まっていた。中古のスマートフォンを探そうと思ったが、開いていなかった。充電バッテリーやUSBケーブルを買った経験があったけれど、ホームセンターでGREEN HOUSEの四角いUSB充電アダプターを入手して、USBケーブルの間口を増やした。INGIE GOGOにあったシリウスというwindows PCがデスクトップPCともノートパソコンの間にあって、アルミニウムの筐体でポケットに入るサイズで8GBのRAMメモリがある。アルミニウムには星座の掘り込みがあり、放熱フィンを兼ねているというレビューを見つけたが、それは2016年のことだった。そのころには中国製のandroidスマートフォンが普及し始めるころで、アメリカとファーウェイの貿易摩擦が起こる少し前だっただろうか。自作パソコンの電源にあたる部分が、ホームセンターなどでも売っている家電のマルチタップになる。ゲームなどの動作に電力を使うことは想像できるが、普段のワードやエクセルでの作業なら節電しても良さそうにも思える。とはいえ、紙媒体で伝票が出力できずに、リモートワークで一つの限られた液晶ディスプレイからシンクライアントによってウィンドウ操作をせざるを得なくなったときはかなりしんどいものがあった。シンクライアントはwindowsというより自宅サーバーを立てていたころのlinuxに似ていた。

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文章とキーボード

新聞小説の一日分はおよそ1000文字。それに回数を掛けるとおおよその文字数になる。4月から5月にかけて30000万字が綴られていることになる。普段小説を読んでいるときは、文字数が気にならなかったが、それが綴られている途中では続編は、まだだれにも分からない。セリフには会話調で連なっており、状況を想像で補っていく。スマートフォンのキャプチャーとGoogleドキュメントの文字解析からおよそ1/3にあたるのべ10回分を文章にコピーしてみる。会話と描写が10000字くらいにわたって続いていく。

産経電子版はスマートフォンだけでなく、パソコン版のPDFもあるけれど、デジタルの活字にはなっておらず、スマートフォンより大きな解像度で文字を読みやすく拡大できるくらいでその分てにをはにいたるまで文章を読み取り易くなる。中国語のデジタルwebノベルをGoogle Chromeの翻訳を使って、日本語に読み替えたことがあった。コンテンツはどうにも母国語によってしまう。かくいう僕も英語や中国語がはなせず、普段の会話や思考は日本語に置き換えて行っている。主語があいまいだけれども動詞や固有名詞は自動翻訳でなんとか文意が、浮世絵のようなイラストによって情景が想像できたけれど、改めて日本語版に翻訳された文章を読むと、意味合いは変わっておりそこで想像が補われることも多かった。新聞小説には毎回1回につきイラストが1点、追加されている。スマートフォンのキャプチャーからワードに貼り付けてみたけれど、あえてテキストだけてイメージを膨らませることにした。SNSではとくにニュースのリツイートが選り抜きのカメラマンによって意図して取られた写真を効果的に使うことができるものの、なんだか並べてみるとガチャガチャしている感じがする。パソコンやスマートフォンで気軽にコンテンツを作ることができるという点でははてなブックマークやfacebookにも表現の幅はありそうだ。センセーショナルな見出しが並んでいると、編集者の機嫌が優れないのかとつい気を使ってしまう。

現在ノートパソコンを持っていない。ウェブデザイナーだった頃に紙媒体を素早く読み込むための工具として、macBookProを6年前に購入した。WindowsOSではA3などの写真が付いた広告を読み取ることが困難だったが、macOSではそれを効率的に読み取ることができる。しかしながらwindowsOSでもmacOSでもキーボードは同じUSBケーブルから入力することができるため、デジタルカメラの写真や動画が重かった分、テキストがシンプルで貴重なものに感じられた。現在ではエクセルやワードなどのオフィスもバージョンが遅れて動かなくなっている。年月が経つにつれて変わることもあるが、変わらずに残ったものもある。

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メモと文章

子育てのノウハウはや芸能関係のゴシップネタは関りが全くないので分からない。文体に魅力を個人的に感じて産経新聞の連載小説の電子版をスマートフォンでキャプチャーして、解像度は全画面では映らなかったので、画像認識でテキストにできるかは試して見なければ分からなかったが、Googleドキュメントで電子新聞のキャプチャーを読み込んでみると、数か所読み込めなかった部分はあるけれど、原稿用紙に縦書きで書いてある文字が、ワードに横書きで流れていた。フォントはタイトルと段落ごとにバラツキがあったが、メモ帳のテキストとして読み込むと、まるで脚本のようになった。セリフやナレーションを音読してみたりして、構成を自分なりにイメージで再現してみる。アニメでもドラマでもない、一つの貴種流離譚という物語のジャンルだ。あまり手が掛かりすぎても、毎日続けられるかどうか。4月1日から始まって、現在が27話目になっている。新聞の連載小説を毎日欠かさず読んでいたことは無かった。週刊誌の少年ジャンプでも毎週読んでいたかどうか、ストーリーの運び方や仮説の立て方などを肩の力を抜いて取り組んでみたい。小説家は他人より苦労した人がなる職業と言われている。とくにアイドル関係の芸能ライターはそのスタンスを誇示している。僕は人とくらべてどうとかには興味がない。できることをやっていこうと思う。

こういったことは学校でもできることで、とくに学びを否定する気はないが、学びは労働とは相いれないところがある。マスコミ内での派閥争いをもとに労務関係の軋轢が生じた。どうやらヤキモチを焼いてしまうようだ。僕はそこまでできるほうではないけれど、就職の仲介サービスの人と話していると、どうにも待遇を気にしている。これはどうやってもまともは仕事を紹介してくれそうにないと気が付くと、僕はハローワークに足を運んでいた。放送作家の中には生活保護よりも不当に低い状況に甘んじてでも、クリエイティブなことがしたいとしてそこにしがみつき、今では待遇が逆転したという境遇の持ち主もいるらしい。しかしながら、虐げられた分だけ、相手を虐げようとするようになる。いじめられたとしても仏のように忍従するというのは理想でしかなく。托鉢や粗食を進めるのはある種の犯罪教唆にあたる。もっとも自分で選ぶのは自由ではあるけれど。産業構造の変化によってサービス産業が戦後に拡大して、都市は多様化したけれど、その分実体のないまやかしや寄生などの不健全な依存関係もはびこっている。中世から丁稚奉公はあるけれど、まだ戦後から2世代くらいの交代しかなくて、自分の不遇を社会のせいにできるくらいの表現の自由があるのかどうとか。

コロナウイルスでの自粛によってサービス産業が経済活動というより集客ができずに、困っている。その分近寄りがたい脈絡になっている。僕らは公務員ではないので配分には関われない。SNSには常になにがしかの業務をほのめかすような話題でにぎわっているが、そこに加わることができない、一昨日までは自分のことが噂されていると妄想していたが、やはり自意識が過剰だったようだと平静に戻ってみようと思う。ある意味ではなにかに逃避しようとしているのかもしれない、それが日本のSNSには関わらない理由ではある。

絵日記に一言で話せば済むことを、わざわざたくさんの言葉を使って長く引き伸ばす。ある作家は小説についてそう書いていた。年齢や経験は関係ないようだった。なにを書きたいか、書かなければならないか。かくゆう僕も話が思いつかずに、実務経験を積んでと言い訳をすることもあった。漫画を読んでいると具体的な組織や理屈が分からなくても、仮説を立てることはできる。その仮説に尤もらしい設定を拵えることはできる。向き不向きはあるけれど、続けられそうなことを見つけてゆくくらいだ。ここのところ裕福なひとの話をあまり聞かない。聞いたり覗き込んだりすれば付け込まれるだけなのだろう。毅然とした主体性を持つことが必要になる。

Amazonではマスクの行方が国際配送の段取りで行方不明になっていた。政府からのマスクの配布はまだ進んでいない。トイレットペーパーのデマに端を発した市場の品薄状況は、マスクの流通を巡って拗れつつあった。できることは待つことだけ。その間に知人が届けてくれたマスクを消毒して繰り返し使っている。紙製のマスクを水で洗って使うという状況からは改善されつつある。できれば自分でマスクを買って見たかったけれど、なかなか思い通りにいかない。政府のマスクが届くころにはインターネット通販や、街の市場の棚にもマスクが並んでいるような予感がするけれど、現状では外を出歩くときにはマスクが必要になる。倦怠感は花粉症で鼻が無図痒くなることと紛らわしい、家のキッチンで手洗いとうがいをすることで生活のリズムを整えていきたい。どこであれ、寝て一畳、起きて半畳でできることを見つけたい。

サブカルチャーの意義

もともと雪が降っているところで生まれたためか、水を固体に替えることは興味深いと思っていたが、冷却だけでは温かみがなく上手く伝わっていない感じがする。秋田県の温泉に木造の家屋で暖房がないけれど暖かく過ごせたこともあり、冬に寒いのは東京や名古屋のように都市化が進んだところの隙間風のほうが心身を寒からしめるところがある。ディスカバリーチャンネルで、怪しい伝説というアダムとジェイミーと2人の科学者がイギリス海軍の構想にあった氷山空母ハボクックの構成する、氷と木材のおが屑を混合したパイクリートという素材から船の建材を作るという特集があった。それを見たときに雪が降ったときに鎌倉をつくるようなものを、砂場の山やトンネル置き換えたようなもので誰でも遊んだことはありそうだ。しかしながら大人になってから砂場で遊ぶ人はいないので実感しにくいところがある。銀河英雄伝説ではアーレハイネセンという帝国における奴隷階級出身の労働者が、自由を求めて共和国をつくるために無尽蔵に算出される氷を船の建材にすることを思い付いたという。日本におけるサブカルチャーの古典として銀河英雄伝説は、アニメになったり演劇になったりしているけれど、その小説を読んでも、話題として共感されることがなく、ドイツ人の軍人の名前を飾りのように用いるゴスロリという風習も、一部のコミックマーケットなどではジョークのような慣習になっているが、現実ではあまり用いられない。iPod Classicにアニメの動画をリストアップしておき、見慣れたり聞きなれた動画の音声だけをイヤホンで聞くと、想像力で補われるところがある。公立高校では、歴史の教科書は複数ある場合は少なくともすると聖書のように教条化している事例さえある。ソードアートオンラインのZoom用の背景の壁紙が、イスラム教のモスクのアヤソフィアをモチーフにしたものだった。それはビザンツ様式で、アジアの文化とヨーロッパの文化が交わるイメージがあった。世界の歴史の写真にそれらしいものがあった。デジタルカメラが普及しているのに、アヤソフィアの写真には見開きの折り目が付いていた。歴史の参考書の写真を見ることは、挿絵のある小説を見るようなもので、あまり理解が進んでいるとはいえないのだけれど、銀河英雄伝説などはNHKでやっているノイエテーゼでは3Dアニメーションになっているが、当時のアニメでは量産型のサラミスのような輸送船が、チェスの碁盤の目に整然とならんでいるような不気味さがあって、あまり感情移入できなかった。音声だけを聞くとシェークスピアの劇のようで起承転結があって、動きがあったように感じられた。

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世論と個人

自分の意見を持つために上手い文章が書きたいと思ったのは、テレビを見ていても思ったことだった。他人を脅したり宥めたり空かしたりというのは、チンピラが威張るためにつかうテクニックで、これが子供同士だけでなく、大人でもヤキモチを焼いたときに使ってしまうそうだ。どういうときに焼くのかというと、他人がふと優されたときにメラメラと燃え上がるのだという。よく自分はこれだけ抑圧されているのにあいつはという感情は世間体がSNSなどで繋がっていると、他人におせっかいなどついついた世話を焼きたくなる。とくにコロナウイルスによる自粛によって、エンタメ界がイベントを開くことができずに、行き場を失っているので、いろいろなところに管を巻くように絡んでくる。どういうわけか専門用語も聞きかじって、それをもとに人気者になろうとする。コロナウイルス以上に、人とモノの流れが変わったために、それを便乗して話題を集めようとする人が声を大きくしている。そういったときに官公庁の自粛要請が相対的な影響力がより大きかったので、彼らとしては煩わしく思ったのかもしれない。著名人に直接の関りがあるまとまりというより、関連のある団体とすると、実際のところはだれでも当てはまるようになる。そんなことをいいだしたらみんなそうでしょうというとかく影響力で相手を威圧する意見の持ちかただ。またあるときはまるで宮内庁かと思わせるような、仰々しさだった。実際の官公庁でもそこまでわざとらしい演技をしないだろうというくらいだった。なにかわだかまりがあると思わせるものだった。

テレビ局に入社するには、実力本位でなくコネや学歴が重要だと言われている。テレビ局自体は戦後に成立した民間の組織だけれど、現在では受信料を広く徴収しているNHKにプロデューサーが流れているために、民放は公共電波を意識するようになり、NHKは民放から製作スタッフが流入したことで、物腰が柔らかくなった。どちらも一般では関わり合いになれない組織同士の内輪もめのように見える。テレビ局は視聴者向けに番組を作ることはほとんない、視聴者はNHKのように受信料を民放に払っている訳でなく、スポンサーからの広告収入で成り立っている。お金の流れが異なっている。しかしながら番組制作者が視聴者や大衆を見下すような物言いが、SNSで見られるようになると、犯罪率の少ない日本でもデマの温床になったりするために、なるべくは耳を塞ぐことくらいしかできない。テレビを見るとバカになるという、それよりは活字を読んだ方がいいと外ならぬテレビ関係者自身が語っている。動画で嘘をつくときは、場数を踏んでしゃべり慣れたパーソナリティでもすこし俯いてしまったという顔をしている。そこに気づいても仕方がないところもある。興行は昔の武士にあるような果し合いではなく、一種の演出を伴ったショーだと見る方が客観的になれる。芸大生がSNSで口癖のように言う哲学的に死にたいというな独り言は、一般人には喫煙の副流煙のように有害なものだ。ただ街角の個展も自粛規制によって、営業できなくなっている。もともとそこに関りがあったかを見直すいい機会だと思う視点を見に付けたい。

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