実用的な学びのきっかけ

ガムを噛んでいると、ガムは電気を通すのかとぼんやりとイメージした。粘土と塩と油を混ぜると電気を通す粘土ができるというレシピがあった。日用品からでも活用できるものはいくつかある。セメダインが電気を通す接着剤を開発しているという、特設のホームページもあり、今まで縫ったり、ねじ止めしていたものを接着するようにすれば材質の自由度は確保され、今までにできないことができるようになる。回路の中のLEDは電気が通って明かりが点くくらいだけれど、豆電球の代わりになって、布に耐水性のある回路が作れれば、電子工作がより身近なものに例えられるようになるかもしれない。
液晶ディスプレイが布地のように曲がったり、回路が平面になるだけで、その使い方は変わってくる。三宅一生のギャラリーにLEDで光るバッグと、ガラスでできた透明なアナログ時計があった。この2つは2010年代の持ち運べるアイテムを象徴しているような気がした。スマートフォンももともとは無線機を持ち運べるようにしたもので、手に馴染むような大きさやUIを持っているというところまで、洗練されていないところもあった。例えばiPhoneXのようにノッチという出っ張りがついた全画面のディスプレイならば、androidで、全画面とまではいかなくても、上下の画面の比率が一定で、手に馴染みやすいandroidはというと、日本でもソニーのエクスペリアや、海外ではOnePlus5Tなどがある。スマートフォンの中のUIでも3Dの画像がありながらも、依然としてUIは一定のレイアウトと文字の組み合わせでシンプルになっている。かつてはアイコンが立体的になっていたが、普及しているiPhoneがフラットなトーンにしてから、androidでもその体裁に近づけるようになっている。そう考えると、なかなかメッセージだけということもかえって難しいのかもしれない。用事や頼みごとでは、可能な限り対応するけれど、それとは異なりアイデアを伴うようなことは普段の相談でもなかなかでてこない。
パソコンを使っていると、もともとそれが何かの計算に使っている機器なので、それに依存しがちになってしまう。もともとパソコンができる前はどんな事が寄合に適していたかどうかと想像する。マイナーな映画やゲームをしていると、相手が知らないもので、不安に思うことはどんな事だろうとついつい探りを入れるようになる。究極的には、人は協力するよりは、競争に勝つことが安心するのかもしれない。それでも常に条件が整っているとは限らないし、競争は一時的なブラフのようにも思える。それでも毎日の生きがいややり甲斐はと問われれると、必ずしも計画的ではなく、その日その日で何か気づきや発見があるような体験も必要だという。僕などはうっかりしていて、後ろから話しかけられると不安になることがしばしばある。まことしやかに語り草になっていたのは、あるグループではリーダーが朝令暮改だった方が、みんなが活動できになるという。人格者すぎると、かえって動きのない集団になってしまうという。また一方では丁稚奉公にでた若者が、特に何も教えられず、何も動けないまま夜中まで作業しているという事例もある。
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画面の向こう側の故郷

ゲームは他の人に比べてそこまで自身はないけれど、iPodTouchが出た頃には、薄型のポケットに入る大きさで、それを自動車のハンドルのように動かすことをappleがデモンストレーションしていた。音楽や映画もポケットに入る大きさで見ることができた。しかしながらどのような基準でその映画や音楽がピックアップされるということは、従来のsony musicやTSUTAYAのレコメンド音楽数珠つなぎとも異なり、その傾向は予測がつかなかった。TRON LEGACYのアプリがアメリカのiTuneストアで配信されるので、iTunesストアのアドレスを英語圏にして、表記が英語になっているアプリをダウンロードしたこともあった。原文ならではの雰囲気やルーツを探求したいと考えたからだった。そのような景色は機動戦士ガンダムの背景のコロニーや、プレイステーションのゲームの近代的な街並みにも共通するところがあった。サンライズによると機械的にシャープな線はパソコンで書いていることは実はそれほど多くなく、定規を当てて鉛筆でセル画を書くように作られているという。また当時のCGでは、鉛筆で書かれた原画をフォトショップでスキャンしてそこから色を画面に置き替えいくという分業制が取られていたという。
海外のゲームは、日本のゲームとやや異なり、その中だけで完結する作品というより、β版やユーザーテストを経てその時代に合わせて最適化されていく。Mihoyoのゲームも当初はアングリーバードのような仕組みで、幻想的な世界観を探検するというものだった。知らず知らずのうちにサバイバルゲームのようなベルトアクションになり、キャラクターも追加されていった。僕はiPhoneしか持っていなかったけれど、渋谷の街で格安の緑色のキーカラーとシンプルなUIを持ったUPQ Phoneを買ってから、通信バンドがデータのみのandroid回線と通話とデータの通信キャリアの2種類を持つようになった。そこでもともと通話する用事も相手もあまりいなかったためか、スマートフォンでインターネットブラウジングをすると、通常は日本語圏で僕も世間の流行に沿って話題をチェックしたりしているものの、同時期に海外ではどのような話題が、また日本人のアニメがどのように使われているかが気になるようになった。UPQPhoneは、カシオに女性社員が家電にマッチするデザインのスマートフォンやカメラ、電動バイクが作りたいとして新たに興ったベンチャー企業だった。AndroidはiPhoneに比べるとやや、キーボードの使い勝手が良くないせいか、それをいじっていてもあまり情報的に抜きんでることもなく、それほど気にされることはなかった。しかしながら、通話とインターネット通信はセットで行われているという認識があったためか、月々500円くらいでメールや通信ができることは新鮮だった。それでも容量は外部のSDカードに移動できるとは限らず、新聞と海外のアプリを入れると容量がほぼカツカツになっていた。ある時韓国と中国のゲームアプリのバージョンアップによって、それ単体ではうまく起動できなくなってきた。そこでAFP通信という海外ニュースでは、中国の山奥でもスマートフォンやインフラが整備されているという、海外への常識が改まるような記事があった。そこで、もしたとえそれが日本のアニメやドラマにオマージュがあったとしても、元々の海外の環境で作られたデバイスでは、どのような将来性があるのだろうと興味を持った。しかしながら、ゲームはドラゴンクエスト3の段階で2次元のドットでありながら世界地図が描かれていて、その後はアクションや3Dの描画技術が進歩してもエルダースクロールスカイリムのようにその地方にフォーカスの当たった郷土色が強いものになりそうだ。国際的なゲームやメディアを通じて、その国の文化に根ざした故郷を学ぶという形になりそうだった。
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身の回りの仕組みと科学

経験する前にあれこれ想像する事では、多かれ少なかれ不安が浮かんでいる。ホームセンターで部屋の電気のスイッチがあった。それは建物全般についているものだけれど、交流電圧で使うものでおよそ60Vある、スマートフォンやUSBケーブル、乾電池では直流で5V1Aが一般的だった。電気はゴムやプラスチックは通さないけれど、金属は通る。子供でもよく知られている理科の基礎的な部分だ。それでも建物に使っているスイッチはプラスチックの箱で金属らしいものはネジ一本しか出ていない。その部分だけ手に入れたとしてもどのように使えばいいかわからなかった。小学校の頃の理科の実験の配線図では、電線が繋がっているところが切り替えられる部分がスイッチだという。それがスイッチだとすると、電線の抜き差しだけでも代用は理論的には可能ということになる。それも小学生が知っていることのなのだろうか、学問と一般的な常識が交われば、勉強するために必要な予備知識が少なくなるので、取り掛かりやすくなる。
ニコニコ超会議では、メルマガで毎日読んでいる作家の岩崎夏海の講演を聞いたり、歌舞伎の演目を見るだけでなく、会場を見回ってそこで興味があることがあればとも思っていた。また、当日になるまでesp8266をスマートフォンのテザリングによって、wifiでメールが送れるIoT機器を持って家の外に出てみようと思ったこともある。2013年頃、ヤマダ電機でWiMAXがあった時は、こんな小さな箱でインターネットができるのかと思っていたけれど、通勤の関係で東京に引っ越して見るとWiMAXがエレベーターで部屋に入る頃には電波が届かなくなっていた。郊外ではポケットに10cmくらいの箱を持っているだけでホームページを見たり、検索キーワードを入れたりできる。スマートフォンでも携帯電話会社と契約しても、街の壁や利用状況によってはwifiをうまく繋げることができなかった体験があった。2018年にはWiMAXにもスマートフォンにもデフォルトで内蔵されているwifiの部分だけを実験的にバッテリーと繋げてそれだけで、条件によって通信ができるかを敢えて試してみようと思った。自宅のLANケーブルを抜いて、スイッチを押すとGメールがスマートフォンに届くかどうか、ところが最初には設定が不十分で、慌てて繋ぎ直していた。Wifiは都内では色々な候補が設定画面に出るけれど、ほとんど知らないパスワードばかりで、実際にインターネットができるようなアクセスポイントはなかなかない。esp8266には、3通りの候補に順番に繋げるような方法をとった。
1つは、自宅のBuffaloのルーターの無線LAN
もう一つは、iPhoneのアクセスポイント
3つめは、中国のandroid端末YotaPhoneのアクセスポイント
自宅では、ルータの無線が使えていたけれど、家の外に出るとiPhoneかandroid端末のどちらかになる。家の周辺の公園を歩いて実験した時には、iPhoneがつか安かったけれど、電車に乗ると、iPhoneでも、誰のiPhoneか判別がつかなくなり、実質YotaPhoneだけでwifiを接続するような状況になっていた。また歩いている時や、電車のつり革に手をかけているときは、両手がふさがっていることもあり、ボタンを押すだけの行為がおっくうになることもあった。また、押しやすくするためにボタンを大きくしていたものの、リュックサックを背負っている時にも気がつかずにスイッチが押されている時もあった。
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システムの仕組みとイメージ

シーラカンスはえら呼吸でなく、横隔膜がついた肺を持っていて、陸に上がってトカゲになった、そして、トカゲでは変温動物で気候の変化に対応できない。かつては水の中は夏でも冬でも温度が一定の場所があるのでその必要がなかったのかもしれない。そこでネズミが現れて、そのネズミは当初はトカゲから逃げ回っているだけだったが、だんだんと環境に適用して哺乳類が生まれた、哺乳類ははじめは木の上に住んでいたという、陸上では肉食動物に襲われる危険性があったからだ、動物の本能では水飲み場でぼーっとしているところを捕食されるというケースがしばしばある。カエルはたくさん卵を生むけれど、大人まで成長するケースは珍しい、逆に哺乳類はあまり個体ができないけれど、無駄も少ない。
時計は歴史的にはかなり昔から存在していた。すると実際には古代でもパソコンのような仕組みも理論的には可能だったかもしれない、あるいは、人は個人ではそこまで万能でもない、坂道を降って加速して早く走ったり、水車の原理を応用して腕力以上の力をつけたりしても、それで個人の力が強くなるとは限らない。時計にもうるう年があって、そのままなだらかに循環するわけでもない。ある一定の周期で出っ張りがあり、その出っ張りが別の部品とタイミングよくかみ合うと、全体的には調和が保たれるような仕組みがある。
写真はまぶたの裏の網膜に幻が映る様子と、薄暗い部屋を小さい穴から覗いたときに映る景色が元になっているという。すると、最近では手ぶれ補正やミラーレスがついたと高性能なデジカメがあっても、そのルーツとややかけ離れてきているのかもしれない。それでも遠くにある文字を肉眼で見ることは難しい。天気がいい日にはスペインの原住民はすでに新大陸が岸が肉眼で見えていたという英語のエッセイがあった。それが本当だとすると歴史上にある新大陸の発見は意味では着床されているという仮説も出てくる。現代人は必要に応じてデジカメで写真をとってそれを虫眼鏡で拡大してその中に意図的に書かれた文字を読む、または記号や意図を正確に汲み取るという行為がデジタル世代にとって一手間になるかもしれない。動画も写真ができた明治時代には、応用されている。しかしながら肉眼の動体視力には個体差がある。連続した映像を現実に起こった、あるいはあたかも目の前にあるかのように想像するには一定の反復練習によって精度が上がるところがある。コマを回していると、止まっている時の模様は、動いているとまるで光の帯のようにチカチカと光っている。空を飛ぶ鳥でもカカシの側に丸い円盤や、模様があると、それを不気味と感じて避けるようになる。
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マイコンの設定とありそうでないアイデア

自分なりに計画を立てているつもりが、予想外の事態になると、どうにも手のつけようがない。もともとそこまで自分も大したものでもなかったことを自覚することも必要ではある。しかしながら様々な試行錯誤の中で、その日限りではなかなか目的が達成しにくいこともある。そうした中で、一日にこれだけはせめてやり遂げようと思ったことを重点的に一つ決めて、自分なりにやってみたもののいくつか目標もできた。一つは、5000mAhのバッテリーがLEDの点灯だけでも長くて3日くらいで充電が必要になる。するとスマートフォンはかなり多彩な表示と動きのわりに消費電力が節約できている用でもある。それでももしこれが太陽電池で5Vの一定の電圧を掛けられたらなら、屋外でセンサーを動かして、今までとは違ったものを見ることができる。一方で、ミニブレッドボードにESP8266とボタンを隣同士に組み合わせると電流の流れ方がやや不規則になって、LEDの点滅が逆になっていた。それでもミニブレットボードがリモコンのように使えるかもしれないとも思われたが、macBookのUSBポートの接触にも影響して、IDEのコンパイルのたびに再起動を繰り返していたのでやや不安定なチャレンジになった。サイズ的にはatmega328Pもミニブレッドボートの方がしっくりくるけれど、時計などに付いているクオーツとコンデンサーをそこまで狭い場所に設置するノウハウがないので、多少精度は変わるけれど、クオーツとコンデンサーを一つにしたセラミック振動子にして部品を一つ節約することで、ブレッドボードに組み込んでみようと思う。しかし、ブレッドボードからさらに基盤にする際にも、理想的には左右14本のピンの順番と、電源+、電源-を覚えていればよりスムーズとも思えるけれど、ひとまずは何か形にしてから初心者でも分かりやすいようなノウハウを見つけていきたい。自分でも備忘録を書いて、なるべく簡潔に思い出せるように工夫しようと思う。シンプルに考えると、なぜかうっかりすることもしばしばある。かつて高校の時には数学ではこの上なくシンプルに数式が書けるところまで到達したけれど、すると読み書きそろばんが頭痛を伴うようにもなって、そこで自分がもし具合が悪くなっても、引き継ぎができるような準備も合わせて行っておくべきという考えになった。それもいずれも思い過ごしになっているけれど、自分だけでできることもあまり多くない。
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草木を育てる仕組みを考える

プロ意識は、もともとそれが日常でないという壁から生まれている。ある分野だけに優れていても、長い視野では効果がないこともある。最近共感を覚えるテーマが挫折だった。漫画だけでなく小説も業務時間には読むことができない。比較的文章の方が絵よりも、抵抗が少ない。何かをやりたくてもできないというそれぞれの事情が、条件を厳しくしている。一方で、ゲームなどは慣れた人はリセットすることの思い切りの良さを知っている。僕はそういった場面でも初めてそれを体験した時のことを片隅には置いている。ネットワークのスキルをお互いにあげようとしても、だんだんと理想だけが高くなっていく。
最近は庭に水をやることが趣味になっているが、それがすぐにハーブや草木の成長になったことはあまり多くない。いつ草が伸びているかもわからない。よく専門性の高い庭師によると、あまり水をあげ過ぎず、肥料も少なめにするのがコツというけれど、必ずしもそれは現実的ではない。補給や具体的な方針が整っていないままでは、庭師の技術だけがあったとしても、それが反映されるかどうかはわからない。アルファルトに誰も水をあげていないのにひとりでに雑草が生えているのを見たことがある。それを摸して芝生用のクローバーの種をペットボトルにどこにでもある赤土を入れて試してみると、はじめの数ヶ月は全く効果が出なかったが、ウォードの箱という密閉したガラスかプラスチックの中で植物を育てると、容器は光を通して水を蓄えるので、なかの植物にはほとんど水をあげなくても光合成だけで少しづつ成長していく、ペットボトルではあえて蓋を開けたままにして、成長に蓋をしたくなかったのだけれど、代わりに水もわずかな隙間から蒸発するという矛盾があった。しばらくするとクローバーがその葉っぱで蓋をするようになって必要な水が少なくて済むようになった。しかしながらどのような条件でそのようになるかは今だにわかっていない。もともとウォードの箱も東南アジアから船でイギリスに植物を輸送するときに瓶の中に保存すると、鮮度が保たれるという発見によるものだった。とはいえ、家では水苔の保存に使っているけれど、同じ容器に三つ葉を入れてもふやけて萎れて水苔だけが残った。
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悩みの負担をやわらげる仕組み

何かを書き直したいという場合は、やりたいことが見つからないことがある。結局は自分がどれだけ納得できるかとすると、他人と比べる必要はあまりない。それでも、なんとか要望に応えないとあとあと面倒という場面が多く、そういった時は、あまり目立たないようにやり過ごすに限る。社会に出てある程度の年月がたつと、だんだんと世知辛くなっていく、高校から社会に出ると、勤勉になる一方で、業界の外に出られなくなる。そういった中で、風当たりの強い媒体とそうでない媒体があり、今のところ、持続できるためには文庫本でもいいかもしれない。なんにしても考える余地があればと思う。また校正で文章の意味合いや性格が関わってくるので、自分の読みたいものと異なるけれど読み手に負担をかけずに、新しい分野を開拓できるようなものがあればとも思う。パソコンでは映像ではMacBookが普及したものの、依然としてwindowsがネットワークやインフラの元を作っている。普段は見かけないような仕組みだけれど、その業界では生活を支えるための基盤になっている。しかしながら、言語が英語であるために、端々で翻訳が必要になる。
趣味の中に人の本能を鎮めるといったことがあれば、なんとも不毛ではある。何事を基礎が大切というけれど、感情をコントロールすることもそこには含まれる。仕事では、人の役割を奪うようなものがいいという檄文が飛び、どのグループでもそこで優秀と言われる人が率先して参加していただいた。小説やビジネス書籍は組織の仕組みの中でこそ読めるものなのかもしれない。個人で読んでいると難解な箇所が、集団ではすんなり読めることもある。また、必ずしもそうでもない時もある。一方で組織で必要なものは覚悟だともいう、そうなるとマニュアルよりもアドリブの要素が強くなる。一般的には小説の登場人物はその台本にはあまり詳しくないこともあり、そのことがある意味では読み手を客観的にさせてくれる。仕事は社会にとって必要なことをする分、ある意味では一般的である必要があるけれど、趣味は必ずしもそうでなくより競争に歯止めがかからないところがある。また、趣味で有効な作戦は何かのシゴトに准えることであることもしばしばある。そうなると依然として世知辛い状態が続く。ある意味では、それは理想的で、現実的でないかもしれない。誰かを焚きつけて、諦めがつかない心理状態に追いやったとして、それを愛情だと思うケースはかなり珍しい。
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場と意思のゆらぎ

うまくいっても行かなくても疲れる。ダメージを避けることができない。臆病心も多少はあるが、そこでほどほどにしてくださいよと頼んでも、状況や形勢が不利だ。相手をより有利な状況にして僕は逃げるだけ。それにしても、噂はどれも鋭く、どのような状況でも必ずターゲットがいる。もし、自分に叶わない相手がいるならむしろ現実的になる。というケースは少ない。しかし、ミスやエラーをすれば叩かれるので、それが怖いこともは怖いけれど、それで状況が改善されることは限らない。具体的な対策になっていないからだ。しかしながらリーダーシップには、決められた方法でなく、感情に訴えるものが多い。最近は行く先々で脅されて気絶することが多くなった。立ったまま何もできないこともある。対策はというと脅されてもありのままの状況を話せることくらい。恥を基準に負担を掛け合うという、手法もある。これにハマると何もしていないのに競争相手がペースを乱して、転んだり手順を間違えたりする。そこんタイミング悪くペナルティがあると、なんとも言えない虚脱感がある。少なくとも相手に不利な発言は控えざるを得なくなる。すでに気絶しているので、どうにもならないけれど、そこまでして相手を打ち負かしたかったのか、それともある努力の基準を揃えたかったのかはこちらからはうかがい知れない。知っていても痛みがあり、知らなくても痛みがある。
何もかもがうまくいくとは思わないけれど、タイミングの重なり方が特殊だ、まるでこちらが答えてもある程度、気を使っている分、わだかまりができると思いたいようでもある。どのようにふるまっても疲れがあり、それを回避することができない。いつでも倒れてもいいような気持ちであるものの、できれば潰し合いにならず、支え合っていける準備があればと思う。お笑い芸人がフリとオチをネタにするというけれど、普段から話が誰かに寄りかかるという用事が多く、聞いていると不安になってくる。今週には、昼にメールが数件と、何かと用事が多い珍しい月だった。揚げ足取りを受けると、相手が引き下がるような譲歩を引き出せないとすると、こちらではやり過ごすしかなくなる。
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まっすぐな意思の元

脇目も振らずまっすぐ行って帰るという風習は、どこで身についたのだろうか。寄り道をしてもあまり用事がない、他人に負担もかけられないと行ったところもある。電車もバスも通っているのに、構わず歩いていけるところまで行って、そこで疲れを取る。GoogleMAPを見ながら歩いていると、地図の上では道が一車両分くらいあるけれど、実際にはそこまで十分な幅ではなく、返ってまっすぐ向かったことが遠回りになることもある。都心と郊外のどれか一本の道でそれを行って見たくもなることがある。自分にできることは限られているものの、歩くことで、目的が見えてくる。途中からはペースが落ちてくる自分との対話になるけれど、誰かにやらされているという枷がない分、自分の限度を弁えることができる。よく、自分のことだけを気にかけて欲しいという人がいるけれど、そう行った人にも帰る場所というより、向かう目標があればと思う。僕はできることをできる範囲で工夫するくらいで精一杯だ。
人付き合いはいつも過少か過剰かのどちらかでバランスを取ることにコツがいるようになっている。ある研修で苦痛だったのは名作と言われた映画を集団で見ることだった。映画もある程度クオリティが高く、テーマも明確なのに、なぜかプロパガンダ映画のようで、そこに座っているだけで体力が吸われて行った。一方で、CMやテレビにある娯楽は、それを見るだけで親心ではよそ見をして気が散っているという感情論を誘発しやすい。何事も過ぎたるはというけれど、逆にアイデアを出したり他の人と協業するときには、オリジナリティより、何か興味関心があれば、そのきっかけを教えて欲しいという気持ちもある。
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電気回路の試行錯誤

抵抗付きLEDは、初めはあまり玄人向けでなかったので、あまり気が進まなかったが、もともとLEDは電気が通じているかどうかを確認するためのツールとしても使える、そこでうっかり抵抗を付け忘れて回路がショートしないための工夫になり1本少ない配線で賄える。回路はショートしないにしても、青色に比べると、赤や黄色は比較的LED自体が故障しやすく、特に黄色は持ち合わせがなくなってきていた。緑は通常のLEDでは光が青色に比べるとやや淡いので、表現には良くても、電気の疎通を調べにくいところがある。実際には電圧と電流を図る機器を初めに持っていたほうがいずれはいいかもしれない。また、ジャンパーワイヤーも束になっていた時の方がまとまりがいいので、それを束から解いてしまうと、その時はいいけれど、後になって何本か電気が通らなくなっていることもある。この辺りは何度か試行錯誤をして慣れてみるか、または計測をするための準備も必要にはなる。ブレッドボード自体はそこまで損傷してはいないものの、LEDやワイヤーの疎通がやや不安定にはなってくる。それでも抵抗付きLEDは赤信号を想起させる赤色は袋にまとまって残っているものの、逆に緑のLEDは色々なところで使われているので、袋からあちこちに散らばってしまっていた。
また理科の実験であった鰐口クリップが便利なように思われた。一度付けておくと、もし振動が加わっても接続が維持されている。ポンプにも鰐口クリップが使われている、中にはクリップとゴムのカバーが外れそうになったものもあったけれど、クリップを指でつまんで元のようにゴムのカバーを付け直した。元々は基盤も、特に特殊な信号が送られているわけでなく、乾電池にある直流の電気がある規則に沿って動いている、それでも細かなプリント基盤になるとやや複雑になって概要が把握しにくくなる。素朴な疑問では、ジャンパーワイヤーのオスメスがうまく繋がらない部品もある。半田付けでもできたらと思うけれど、なかなか半田付けをどこで行ったらいいかを迷うところがある。それでもブレッドボードは回路のパターンを試行錯誤するための土台で、それをリセットするとまたつなげ直す必要がある。スイッチ一つでも色々なバリエーションがプログラムで補完できるところもあるので、ゆくゆくはどのようなスケッチになっているかをイメージしながら進めてゆく。
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