チームで描く絵の下書きのために

できれば関わる人のパフォーマンスが良くなるように動きたいと思った。
仕事がしんどいものから、場に臨めるようになれば、経験を積めるチャンスにもなる。時には経験と年齢が比例しないこともある。その人なりに、考え方があり、どのように同意を引き出せるだろうか。
相手が同意することで、良くならなければなんとなく後味が良くない。僕もできる限りの努力はしているつもりだけれど、相手にしてみれば、いいように振舞っているだけに見えるかもしれない。どのように望んだらいいかを考えながら、オフィスに比べて少し外の空気に触れて、その場にいる意味を考えようとした。
声が上手く出ないことが多い、後ろめたいことを考えなければ、自然と相手に伝わることもある。役者さんは演技に何も含むところがなくても、中立のパーソナリティが見る人に伝わることがある。そこにはデータに書き込むような証拠はないけれど、どこか存在感がある。もし、僕とは違う責任あるポジションにある人がいたとしても、相手に過度に頼りすぎずとも、相手の支えになることができるようなコンテンツがあるのかもしれない。もしも、漫画や小説にのめり込めなかったとしても拠り所になる理念のようなものがありそうだ。僕は、少々インドアなところがあり、スポーツに比べれば運動量は少なかった分、文章や写真の伝え方や見せ方を考える機会に恵まれた。その中で、相手の生の伝えたい気持ちがなるべくシンプルで、特定の枠組みに寄らないような考えが描けたなら、相手には励みになると思った。それでも、より積極的な場合では、自由に描画ツールをマウスで動かしたり、パワーポイントのあしらいを楽しそうに考えたりするところで、ただ作業に望んでいるより有意義な時間が共有できる。自分の実績にはならなくても、誰かが上手く仕事ができるようにアシストできたらいいなと思う。得意なことや慣れたことを仕事にすれば、負担は軽くなり、効率は良くなることもある。それでも、相手が仕事をしやすくなければ、成果に結びつかないこともある。仕事にはクリエイティブなものもそうでないものもある。インターネット上のwebサイトを見るとどちらもホームページであり、コンテンツになりうる。話が得意な人も、ルックスがいい人も、または何でもないひとでも共通して、納得できる要素がある。それを抽出して、ある条件で相手に伝えると共感されることもある。それはとても有難いことだと思う。
漫画家は絵を描いて、架空のメディアを作る。それ自体はフィクションも含まれるかもしれない。しかしながら、仕事にも携わる人が価値を共感しやすいような物語が含まれている。そのモデルを読み解いて、相手にそれがあたかもライトノベルのシナリオであるかのように伝えれば、絵を描くことがより楽しくなる取り掛かりになることもある。
僕は初めは何かを写したりなぞったりしかできなかった。今でも、文章を描くことは素直な考えをなぞっている。それ自体が何かを生み出すことは物理的にはあり得ないかもしれない。しかしながら、なぞることや例えることで、モヤモヤした課題を相手にも手が届く形に置き換えることができる。形にするだけでは、そこにあるだけなので、それを運べるように加工したり、袋に入れたりする必要がある。限られた条件の中で、より洗練された方法として受け手に認識されることもある。
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日常のリスクに順応する

朝に北朝鮮から弾頭ミサイルが北海道を横断して、関連のある地域にはJアラートというスマートフォンのアプリが起動して、避難警告が出たようだ。朝にはNHKのニュースも号外になっていて、状況がわからずに混乱していった。
変化の多い時勢で、どのように臨機応変に対応していくか。Jアラートは地震アプリに比べると緊急性の高い性質になる。エンジニアには敬意を持っているものの、僕はまずこの場で何ができるかを考えて見たい。
コミュニケーションスキルは高くないけれど、ちょっとした会話を楽しめるようになりたい。僕は、建設的な話は慣れているけれど、話が定型化する癖がある。少しでも負担を減らそうとしているためだろう。優先順位がわからず色々なことが重要であるように思われてそれだけで疲れてしまうこともしばしばある。考えのオン・オフのタイミングで話しかけられるだけで、相手についていけなくなることがある。それでも、そこまで急ぐような案件でもなさそうだけれど平常心を持っていることが集中力を持続する必要がある。
グループワークになった時に、会話をしようと思ったものの、相手の話に割って入るのも、不自然な気がしたので、耳だけ傾けつつ、エラーコードを検索したり、辺りをつけて原因を見つけることにした、それで姿勢を維持しながら場をつなぐ、コーディングは要素を特定すると有効なデバッグになることもある。どの道、相手はこちらが我慢したり、苦労していないと認めてくれない。僕は、初対面の相手にそういったことを強いることはしたくないし、できない。色々雑念も治らぬものの、そういった中でどのように共存するかという工夫を考えることにした。そこそこに順応しながらも、そのモチベーションを共同学習に活かしたいと思った。それでも、苦労がある時には、概要をつかむことに徹するようにアドバイスをもらったり、いいところもある。
ただやはり、社会に出ると苦労が信用を支える上で重要なカードになっていることを実感する。それでもかつてのように残業が混むことがあまりなくなった。組織全体を村のような集落と考えると、その中でフレームワークが動いている。思いがげず、転んだ時のやるせなさはどうにもならない。ふと、外に目をやると、そこから立ち直る時には視点が少し広くなっている。家族や友人との会話でも常にいじられたり、やり込められたりする側だった。それは多少悔しいものの、そこで勝とうとしても全体の成果が上がらない。いい機会が得られたことに感謝しながら、自分なりに条件が整うように努力しようと思う。失敗や思い込みを引きずってしまう癖がある。相手に頼れず、頼まれたことを断れない。それでいてあまり柔軟性や臨機応変さはあまりない。
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土と光の新たな試み

日曜日に散歩をしていると、100円ショップに掘り出し物があった。
・防風ネット
・スパイストレー
・腐葉土
いずれも、ベランダのプランターで少量で試してみたいと思っていたところだった。
防風ネットはエアコンの風がプランターに当たるところが緩和された。もともと鳩よけでネットがある世帯もあったので、ちょうどよかった。スパイストレーは、空き缶のプランターの底にちょうどいいサイズの皿になった。詰めれば4本分くらい並べられる。缶だけでもよかったけれど、何かカゴやラックに入っているとまとまって見える。同じアルミ素材で、給食のトレーのようなものを想定していたが、なかなか見つからなかった。空き缶からは、分葱が25cmくらい伸びてきた。多肉植物は発育が遅く、3cmくらいだけれど、発芽率が高く5枚中、5枚の葉っぱから新芽が出てきた。多肉植物の水やりは1週間に一回程度でほとんど枯れることがないけれど、そのぶん中々葉っぱが伸びないので少し焦っている。それでも新芽は小さなフラクタル図形のようで見ているだけで引き込まれる。プランターのさつまいもは蔓が1mくらい伸びていたものの、蔓だけが伸びて葉が枯れてきた。プランター自体も乾燥してきたので、腐葉土を敷いて保湿を試みた。前の茶色に比べて色合いが落ち着いてきた。ミントの地下茎が伸びていて、プランターをぐるりと50cmくらい囲んでいる。8月初めに買った野蒜が1つだけ20cmほどに成長した。最初は1cmくらいの球根だけだったので、芽が出ずに不安だった。2週間くらい前に球根が土からでていて、根がほとんど張っていなかったので、ドクダミの根を土から取り払って見ると競合関係にあったためか、しばらくして葉っぱが大きくなってきた。透明な洗面器に給水用のゼリーを入れていた容器は、ゼリーの部分だけ根がほどんど張っていないので、腐葉土に変えて分葱の苗はそのままになっている。スペアミントには先端に花が咲きそうになるけれど、花をつけると葉が枯れてしまうので、ハサミで花だけをいくつか切ってみる。ただしペパーミントには全く花が咲かない。
室内では、水苔とクローバーが水槽に入っていた。水苔は深みのある緑になっている。クローバーは水中でも芽を出すけれど、ミジンコが葉っぱを運んでいた。
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悩みからでた転ばぬ先の杖

お金がかかっていると関心が普段はあまりない人がかえって本気になることがある。または、一定の対価があれば物事がスムーズに進むこともある。僕個人では、お金についてはそこまで親身になれない、もともと貯蓄が多くない。ただ、それでもわざわざ依頼しなくても気軽に相手を手伝うことができる関係がお互いに負担が少ないと思う。なんでも相手の言うことを聞いて、その通りに動いていれば報われることもあるかと思っていると、一人で空回りしていることも多かった。忙しそうにすると新しい仕事がこなせず、暇そうにしていると苦労が共感されない。あるべき姿に向けて努力する必要があっても、その目的は結局自分でできる事を見つけていくしかない。
相手のために何ができるかを考えていても、どれだけ苦労したかを無意識に判断してしまうところがある。僕自身は実感が持てないけれど、相手には社会的な地位があることが多い。こちらが状況に対応できないようなことを強要されれば、それは嫌がらせのような行為になる。ちょっとした認識のズレによって、静電気のように思わぬことや有る事無い事が伝わってしまう。それでリスクを避けながら競争相手を転ばせることもできる。何もしていないのに、準備が整っていないものがひとりでに転ぶこともある。そういうところを見て、しめしめと思うところもあるけれど、それでは相手の痛みが思わぬシコリとなって残ることもある。表にはでてこなくても、それを見せないようにするための恥のエネルギーを有効に活用できたら、自然と表情が和むような気がする。努力したふりをしたり、無理や我慢をして誰かに負担を与えるより、自分から動こうとする素直な願望がちょっとしたしぐさになって現れることがある。いつか不特定多数のためだったり、形式的で内容のないものから、本当の意味での感謝ができたらと思う。
もし、嫌がらせを受けたら、とりあえず声を出すことはそれなりに必要だ。どうして急いで通り過ぎようとするときに限って、とうせんぼをするのかと聞くと、ただ時間が流れすぎていくよりは多少苦労した方が、充実した体験ができると話してくれた。歩調が早すぎてもゆっくりすぎても負担が掛かる。それでも安心した部分は間違えたことを正しくすれば、何事もうまくいくというモデルではなさそうだ。無理をしたぶんだけ、相手が助けてくれると言う。それでも言いなりにはなることはできず、自分でできることがないかと教わる姿勢を保っていた。人に頼る事と人に依存する事が混ざってくるとそこで消耗して、関係が長く続かないこともある。そう言ったときに、どのような条件であれば折り合いがつけられるかを少しづつ変えながら試してみることが意外に効果を発揮する。
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しなやかな心

もともと、引越しを繰り返してどこにいっても根無し草のようだった。
目標を分かち合う知人もいない。組織の競争意識が働き、目標が理想化することがある。なるべく一人でできた方がいいけれど、そうでもない部分もある。
僕を分けてみると、社会的な役割は固定化されていない。誰かに頼る一面もあれば、自分で歩くこともある。意固地になると、上手くいくものも上手くいかなくなる。
僕の場合は、笑顔を作る頰がのっぺりとしてしまうようだ。自然に笑えたことはあまりないのかもしれない。世の中と折り合いをつけながら、一人でも多くの人が幸せになればと思う。我慢やしんどさに囚われると、何もできなくなる。それでも僕は、そこそこには動いていた方だ。誰かを動かすより、誰かのために動きたい。それだけでは、計画性がなく、持続性がない。そっと自分を労わりながら、政治にも経済にも目もくれず、雨が降れば、雨宿りして、できることを少しずつ増やしてゆく。
受容ということが誰にとっても辛いことのようだ。相手を受容することで、その上に立とうとすると上手くいかない。かといって、そのまま受け入れても負担が増えるだけだ。制度として、過労や奴隷は無くなったものの、精神的な苦痛は癒されることなく残っている。失っても形はない、それでも前を向いて歩いていく。
それでも何だか、やりきれない気分にさせられる。他人の苦労を受け入れることはとてもしんどい。でも、そこから少しずつ悩みを解いていく必要がある。
相手をどうにかして出し抜こうとするようになる。競争は終わりがない。今の世の中では、おそらく優位に立とうとすると揺り戻しがくる。定点観測して、変化に対応して残ったものに継続的に向かえているかを振り返る必要が出てくる。
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モノの形と組み合わせ

一人暮らしを始めた頃、雑貨屋さんで家具を揃えることが多かった。街を歩いていると、民家の中にいろんな物が値札を付けて売っている。高いものもあれば、掘り出し物のような安いものもある。まだ新品同様のものもあれば、中古でも味があるものもある。東京フォーラムというガラスの天井が印象的なところで、掘り出し物市があった。そこでは昭和の着物やおもちゃから、保存用の瓶やポットまで、様々なものが売っていた。手頃なゴブレットという鉄のコップを探してみるとそこそこの値段がする。新品で買うよりも中古でも価値があるものがある。そうしてみると、掘り出し物は物に愛着を持って、長持ちさせることが大事だと思う。ただ、身の回りには、その物が持っている存在感を記号化して伝えるデザイン感が必要にもなる。掘り出し物でも、中古でもデザインがいいものはどこか隅に置けないところがある。例えば、ワードプロセッサーはパソコンが普及して陳腐化したものの、タイプライターはアンティークとしてデザイン性がある。イタリアのオリベッティ社の赤いボティは、どことなくスポーツカーのシルエットを彷彿とさせる。キーボードが形のあるボタンになっていることも分りやすい。スポーツカーには乗れなくともそのデザインを感じることが普段でも可能になる要素が巷にはある。
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バージョンアップと変わらないもの

OSバージョンがひとつ前のパソコンでも、動くプログラムもある。
キーボードで文章を書いたり、インターネットを開いたりと難しいことをしなければリサイクルになる。最新の機種に比べるとどのような一長一短があるだろうか。漫画は紙の書籍をPDF化すれば、電子書籍として見ることができる。
ゲームはwindowsのOSのバージョンによって、ハードウェアの環境が決まってくる。windows10はメモリが8Gにあれば尚よく、2GBでも十分動作する。
windows95の時代では、大きなブラウン管がついたデスクトップで容量も256MBと現在の1/10くらいしかなかった。
それでも、基本的なプログラムの様式が現代でも通用するようになっている。
ネットワークは元の電話線から光ケーブルが普及するようになって、
通信で、音声だけでなく画像やテキストを送ることができるようになった。
それでも、多くの人が使えばそれだけ混み合って、うまく繋がらないこともある。繋がらなくなってくると、確かなものは何だったのだろうと自分を見つめ直す機会が増える。wifiは1980年代に、デジタル機器を相互接続する無線として実用化されたものの、普及したのは20年〜30年経った現代になる。今でもwifiではセキュリティが有線に比べると変化している。
wifiが東京では混線することがある、そうした時にせめて「あ」とだけでも入力して疎通を確認したい時もある。
wifiは壁をすり抜けると電波が弱くなる性質がある。逆に、街の通りのwifiスポットでは遮るものがないので、移動中に拾ってしまうことがある。そうなってくると電波に頼らず、自分の記憶で覚えていることが頼りになることもある。マスメディアによると、いっそ電話ボックスを復刻させてはという構想もあるようだ。電話があるときは、ネットワークに申請して箱の中でメッセージを送るという。セキュリティにかかるコストも一定になる。
大型コンピューターはデスクトップパソコンに小型化した。そしてノートパソコンとして持ち運べるようになった。ノートパソコンは演算能力が、初期のコンピューターより多くのことができるけれど、どのような用途で使えばいいかが定まっていない。僕はカフェでノートパソコンを開いてもすることが思いつかない。もし少し腰を落ち着ければどこでも文章がかけるなら、それに越したことはないかもしれない。
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ロールプレイングゲームの内訳

RPGゲームは、ロールプレイングゲームのことだ。プレイヤーがとある物語のそれぞれの役割を演じるゲームということになる。
印象的な例では、日本ファルコムの空の軌跡というゲームがあった。
オーブメントは、オーブとムーブメントを足した造語で、ゼンマイ仕掛けの時計と、水晶のクオーツを組み合わせたアイテムを使って魔法を再現する、という設定になっていた。プレイステーションポータブルというどこでも持っていける携帯端末があっても、継続的に物語を進めるためには、何か現実に通じる要素があると安心する。
遊撃士という、ドラゴンクエストで理想化されていた勇者に仲間を与えて、店舗や組織のタスクをこなしながらサポートを少しずつこなしていくと、広大な世界の中でだんだんとアクセスできる分野が広がっていく。
新しかったのは、ファンタジーというより近未来的な要素があって実感しやすかった。
町の人と行先の課題を順番に確かめながら進めるという目的は同じだ。
もし、そのモデルを進歩させていくとすると、
・(人)遊撃士で協力できるメンバーを増やす
・(モノ)オーブメントをスマートフォンのように活用する
・(インフラ)町の増改築をする
が考えられる。他にも面白いゲームはたくさんあったと思われるが、僕は人生をレゴのように組み立てられるように疑似体験できるゲームが面白いと思う。電車で郊外のベットタウンから都心に通勤する場面は、多少着色されているが、誰でも旅行を実感する扉になっているかもしれない。ある人はハリーポッターの幻のプラットフォームがないかと、空想を試みたとも。
RPGの黎明期のドラゴンクエストを例にとると、
初めは勇者が一人で冒険していたものが、Ⅱになると三人のパーティーを組んで冒険をするものになる。Ⅲでは勇者だけでなく、戦士や魔法使いといった、それぞれの職業に特化した仲間を作ることができる。RPGは空想上のファンタジーという世界観に覆われていた。Ⅲでは、現実の世界地図の縮図のようなもので、それ以降の作品は幻の大陸を扱ったものになるかもしれない。少しマイナーな例を取り上げると、そこまで人気コンテンツではなくても、ファミコンの騎士ガンダム物語というオマージュがあった。
・(バランス)ガンダム勇者
・(強さ)ガンキャノン戦士
・(回復)ガンタンク僧侶
・(素早さ)ネモ武道家
当時は、映画館に行ったり、プラモデルを全種類集めるなどのことができなかったけれど、役割を考えると、それぞれの特徴が見えてくる。無理があるところは役割の中で、勇者は実際には兵士と違って行動が自由になる。宿屋に泊まったり、武器や防具を揃えたり、宝探しをしたり。ある種の人生ゲームにも似ているかもしれない。人生ゲームの場合は、生まれてから老年までの人生のイベントが一つの物語になっていて、ランダムにサイコロを転がして進む目が決めて、プレイヤーの人生を疑似体験する。
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日常とゲームの共通点から

ゲーミフィケーションという理論によると4つのタイプがあるという。
例えば何らかの資格試験に合格することを一つのゲームにした場合に、
結果と過程のどちらかを縦軸に、
競争と協力のどちかかを横軸にすると
参加するプレイヤーは4つのゾーンに分類される。
その極端な例が、以下の特徴になるようだ。
・キラー型(結果と競争を重視)
・アチーバー型(結果と協力を重視)
・エクスプローラー型(過程と競争を重視)
・ソーシャル型(過程と協力を重視)
競争が激しくなると、そこでは推奨された手法が取られず、かえってコストがかかることもある。
それでも性格があり、それを客観的に考えることも参考になるかもしれない。
チームの目標を形にするためには、その性格に沿って対応を変えていく必要がある。
ロックマンのように、相性が悪い相手にごり押しをしても、効果が期待できないことがある。
一人でただ頑張っても計画性がなく、持続できない。
相手のいいところを自分のこととして考えるためには、どのような作戦が考えられるだろうか。
押してダメなら何とやらという。ゲームでクリアまでたどり着けたタイトルは数える程だけれど、
自分とは異なるタイプと折り合いをつけるためのいい機会になった。
それぞれの4タイプを大まかに肉付けすると、漫画のキャラクターのようになる。
社会生活は、役割を演じることだという、人生はひとつの劇場にも例えられる。
よくプレゼンテーションにあるSWOT分析にも似ている。
SWOTはそれぞれの英単語の頭文字を組み合わせたもののようだ。
略語にすると判りにくいけれど、少ない容量で伝達できるので通信コストを節約できる。
・強み(Strengths)
・弱み(Weaknesses)
・機会(Oppotunities)
・脅威(Threats)
少し意味合いは変わってしまうものの、意を汲んで似ているものを結びつける言い方を考えてみる。
・強み 誰にも負けない結果が出せる(結果と競争を重視)
・弱み うまくいかなかったことを直す(結果と協力を重視)
・機会 誰もやったことのない分野を探す(過程と協力を重視)
・脅威 リスクを分散する仕組みを作る(過程と協力を重視)
ある目的があったとして、そこに報酬があれば、リスク次第では誰でも参加したくなる。
それでも、競争が激しくなると、ある人はこれだけ頑張っているのに報われないというジレンマに陥るかもしれない。
そうなった時、相手を説得しきれないことの方が多い。
例えば、強みで誰にも負けない結果が出せるとしても、それだけでは他人と協力しにくいかもしれないし、また、どの尺度で記録が出せるかにも寄る。
僕自身、体力はあまりなく、頭もそれほどよくない。
集団の中で埋没するリスクをどうするかを考えているものの具体的な言い方が見つからない。我慢強いかと言われれば、思い入れの時間が多いものについては相応のエネルギーが出せる。緊張すると語調が上滑りすることがある、相手が聞いていて負担に感じてしまうこともある。
弱みは、誰でも上手くいかないことの方が多い、点数が70点からさらに90点に高くすると、高度な技術と労力を要する。
それに比べれば30点から70点に底上げする方が、学習コストに比べると成果が大きい。なるべく高い点数を取りたいけれど、近代化に伴って分野がとても細分化されている。そうなった時、どうしてその人はその分野で成果を出そうと考えたのかを教わることで勉強の方法を教わりたいという基本的な要望が生じる。
人付き合いは、少し苦手だけれど、頑なに孤立しても自立できない。どんな分野でも、過当競争になったとことで努力しても報われないことが多い。ただ参加者が多いジャンルはそれだけ魅力があるということなのかもしれないけれど、そこでさらに成果を積むことは難しいかもしれない。そうなると、相手が知っていれば疑似体験になるというその分野に詳しくなることで、存在意義を少しずつ身につけてゆく。
何事にもミスがあると、期待通りにいかないことがある。計算の桁数を間違えると成り立たなくなる作業もある。それでも、それは一人で出せる成果かということを突き詰めて考えると、仮説を立てて、それを順番に埋めていくという仕組みが有効になることがある。高校の時に予備校にいく資金が確保できなかった中で、なんとか勉強はできるようになりたかった。そこで数学を教わったことがあり、その時の仮説的に考える手法が、共同作業に役立つヒントになるような気がする。数学的な帰納法は文系でも説得力が持てるかもしれない、物事を1から10まで数えるとして、次に1からn番目までと仮定する。そこでパターンを作って、次に100件になった時にも応用できるようにする。進路を決めるときには文系と理系で悩んでいた。結局、どちらにも共感されやすいところとそうでないところがある。その中でも、相手には有り触れているけれど、こちらには有難いことを交換できると、お互いに協力できる取り掛かりが見つかる。

心の立て直し方

文章を目的別に分けることで疑似体験を構造的にできるそれだけストーリーをかけるようになる。それでも、書いている内容があるプロジェクトをベースにした企画書では、伝わりにくいこともあるかも知れない。僕の場合は、そういった困難をスルーする能力というより、まず相手に迷惑をかけたくないだけだった。初対面でも、ある条件になると、息苦しくなってしまう。
そういったコツをつかんでいる相手とは分が悪い。自分がそういった側に回ったことはなかった、人生楽あれば苦ありという。twitterでのつぶやきが思わむ呼び水になってからその印象に誰も少なからず影響を受けて行動が変則的になってゆく。SNSでの噂話に戸は立てられない、それでも相手に文句一つ言わずにコツコツと生きていきたい。そんな些細な願いさえ叶わない事情があるなら、知ってみたいということもあったけれど、変に相手を意識するとそれだけで気に病んでしまうこともある。それもこれも、政治と経済の影響力になるのだろうか。
家の家系では、そういったリーダーシップとは無関係だった、勉強もそこまでできないし有力な知人もいない。
面接になったとしても、人の良さが出るだけで、特別長所があるわけでもない。
そういった時に、減点されると生きづらくなってしまう。なかなか居場所がない。ちょっとしたことで追い詰められてしまう。人は、僕をいじめて面白いのだろうか。ただ、例えばなんの代償もなく、楽しんでいる選手をニュースで見ると、人は不快感を抱くという。共感できないという。いじめは相手を理解するためのコミュニケーションの手段という認識を持てなかった。なんだか悪い気がする。そのちっぽけな気の使い方が生きる源だった。どのような社会でもいじめはなくならないという、できる限り依存関係にならず、相手に絡まないようにしなければと思う。やる気が起きないという、隣の人がミスをして気まずそうにしていると自分はどこかホッとする。
メールでも電話でも相手の話が見えず、直接会って話を聞くことがしばしばあった。相手の迷惑になるかもしれない、それでも自分が至らない。
ただ視点を変えてみると誰も彼もそれぞれの判断で普段通り動いているのに、自分だけ迷子になったかのようだ。テレパシーがそうさせているのかもしれない。
今までの人生で相手をバカにしたことがあるかと言われれば、何度かある。その度にしっぺ返しを喰らってきた。それだからこそ、逆に追い詰められた側の気持ちがわかり、優しさに意味が出てくる。文章は書けないけれど、噂話はできるというのはちょっと情けない。噂話は電話やインターネットができる以前から、最大のコミュニケーションツールだった。雑誌だけでなく歴史書にも幾つか噂が出てくる。噂でも熟達すれば人の動かし方もつかめるのかもしれない。僕はそういう意味では甘さと優しさを持っているので、人を動かすことには関心が持てなかった。仕事とは相手に命令することと言われるより、人に任せるより、相手の負担を軽くすることを考えて協力したい考えだった。それでもちょっとしたことで、信頼が揺らぐこともある。
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