陰日向に緑を育てる2年間とこれから

元々は室内で、ハーブを育てて、癒しとビタミンを育てられればと思ったが、
限られたスペースの中で、インターネットの意見と実際に自分で試してみたことの試行錯誤があったので時間を追って経緯を辿ってみた。今から見るとあの時こうしていれば、これからどうするかという見方も枝分かれするかもしれないので、客観的に書いてみようと思う。
2015年3月
リーフレタスの水耕栽培を始める。
日のあまり当たらない部屋だったが、キッチンの水回りが使えること利点と、蛍光灯をLEDにしてある程度明るくなったので、栽培を始めた。空のダンボールを使って高さをカサ増しして、より多くの明かりを葉に届けようとしている。
 
2016年4月
クラウドファウンディング「makuake」にて、スプラウト栽培キットを購入する。栽培キットは網目状の培養地で空気をゆるやかに滞留させ、水換えが必要ないことになっている。およそ一週間くらいでスプラウトが育つ。
 
 
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不調から足掻くこと

自分が加わることで空気をより良くできない。
失言をして相手に迷惑を掛けまいと全精力を傾けていると、
課題をすっかり忘れてしまっていた。
その日の呼び出しでその日の充実感が決まる。
階段が工事中で使えない。
朝は、誰にも会わなかったので一安心した。
エレベーターでボタンを押す作業で、どうしても戸惑う。
以前に良かれと思って家賃を話すと、
「そこには住んでいませんけどね。」
ただ、雰囲気からして、自分はそこに住んでいても何もできていない。
仕事でミスをして黙っていると、
「すいません」
の一言が重い、といってもそれは違うんですとも言えない。
ただ涙をうっすら溜めているのを、堪えるしかない。
表面上はちょっと躓いた雰囲気があるだけなので余計に辛い。

海外の放送に興味を持った。
SNSで知人が、噂するのが小耳に入るが、
自分は瞑想することで、気持ちを整えることが多くなった。
だいたい1時間くらい瞑想している。
日本とイギリスの時差は9時間ある。
コミュニティによっては見張り番をしている役員もいる。
30代になると、ほとんど働くフリさえできていれば、
叩かれずに済むと思うようになってしまった。
自分でもダメだと思っている、
それでも相手に与える安心感は自分の都合より大きく重い。
いつの間にか気持ちが途切れて気絶したように居眠りしていた。

映画は1〜2時間暗い部屋でじっとしていなければいけない分、
どんな名作でも束縛の意図が内包される。
それに比べると写真は顧客を解放するという。
動く映画から止まる写真へ、
それでいて心は束縛から解放へ。
それでもスマートフォンで撮影ができ、
写真を見ているだけでも情報が得られるようになると、
写真についてあれこれ考えているうちに時間が過ぎる。
例えば、スマートフォンで子犬の写真を撮ったとしても、
どこで、誰が、いつ、何のためにという状況設定を考え直すと、
それだけで悩ましさが募ることがある。
「お前は犬にすらなれないのか。」
と自問すると人はペットよりは長く生きられるが、
「僕は何かの役に立てるのだろうか。」
写真のペットは記録が続く限り残る。
残すから、伝えるへ、動くために、
文章を前向きに書き留めてみたい。

悪意を抑え込む方法

心で思っていることはいずれ表に出てしまう。
そもそも、自分は特に相手を遮るような目標があるわけでもない。
歩いていると、相手とぶつかりそうになると苛立ってしまい、
心でクソ野郎と思ってしまうのを堪えるのに、適当な口笛を吹く。
こういった傾向があると良くない。
目の前のものが見えずとも、陰口や悪口の類は予想と思って交差点で立ち止まると、
信号がもうじき変わろうとしている。
立ち止まっていても良くならない。
誰にも会いたくないと思って、レストランやエレベーターを避けるのものの、
非常階段が使えなくなっている。
大概は自分の至らなさからくる愚痴だ。
それでも、不具合をくぐり抜けたあとには、
今より良くなった状態があるかもしれない。
花粉や気温の変化でストレスが溜まる。
恒常的に、皮膚炎と乾燥肌があり、服装がクシャクシャになりやすい。
考えてみれば、あまりまともな状態ではない。
それでも相手に優しくしようとしても、
特に相手に利益をもたらさない青臭い理想だったのかもしれない。
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壁のない屋根の下で

建築で、壁のない様式が日本にも取り入れられた。
1985年頃に通っていた小学校も、
個々の教室が閉められていて、木のグレーの扉を閉める音で恐怖を感じて、
それに抗うようにか、黒板消しを挟んでちょっとしたいたずらもした。
今では、教室と廊下が繋がっていて、
学校全体で授業というよりセミナーを聞いている雰囲気。
Youtubeも充実して、それぞれの存在感を認識できる。
バブル期に大きな公民館を作って、
その片隅で会合を開いていることもあった。
千葉県浦安市にある富岡公民館では、
僕が中学校くらいの頃に、
「語らおう。」サッカー部のキャプテンがいうと
チームのメンバーで公民館のケーブルテレビがある喫茶コーナーに集まった。
僕は、サッカーも大して上手くなかったので、
メンバーの意見をただ聞いていた、
後になってだだっ広い公民館を受験勉強のための自習で使っても、
特にみんなで集まった時のような感動が得られなかったので、
その時、その人たちとという雰囲気が大事だと思った。
幕張メッセもニュータウンとして出来上がってから、
20年くらいたつ。
湾岸地区にある大きなコンクリートの建物で、
カフェや会議室を備える。
今では、ニコニコ超会議やメジャーなバンドのライブで行くくらいだが、
特に、コンクリートのホールの片隅にはなんともいえない人情が留まる。
特に自治会の会長や、政党のリーダーになれるわけでもないけれど、
そこに居場所ができれば、協力関係も生まれる。
友人ではない、知り合いだとしても人生の一部分を確かに共有している。
日本では住居に困らないが居場所に困るという事例が多い、
外国でもそうなのだろうか、
スターバックス、ドトールのような喫茶店ではないけれど、
場所があって、人がいて、話題があったら、
なんともいえない感情が渇きを潤す。
倉庫を改装したスーパーマーケットにはフリースペースあることがあって、
ちょっとした憩いの場になっている。
それも2010年くらいからamazonや楽天によって流通の歴史が変わったことで
生まれたオアシスということもできる。
その泉をより豊かにする要因は自分ではないかもしれないが、
せっかく見つけたのだから、何かの社会のやくに立つと自分もどこか嬉しい気がする。

「名探偵コナン から紅の恋歌」を観て

競技かるたってなんだろう?
かるた版の甲子園のようなもので、
普段から大岡会で練習していた紅葉と、
平次のために急遽に特訓した和葉がしのぎを削った。
「ちはやふる」というかるたの漫画もあるが、
それにコナンたちが挑戦するという一風変わった趣向。
江戸川コナンと毛利蘭を関東とすると、
服部平次と遠山和葉は関西、
関東に比べると、動きや笑いのある関西がステージになり、
それでいて東京で見ても普段言い難い本音を読み上げていく感じが心地よく、
ただ黙っているより安心するというテンポの良さが安心感を織りなしていた。
コナンがくる先には常に殺人事件があるという、
毎度毎度大変ねとついつい心配に思うものの、
コナンを子供にした黒幕を出さずに一話ごとの完結の形で、
子供の視点から、大人の社会を垣間見るという物語として考えて見たい。
また、コナンの変声マイクは、真犯人を捕まえるには至らなかったが、
容疑者の関根さんが抗弁しながら寝ている明智小五郎の裏に回り込んでしまって、
背中で声を出していたコナンがコソコソ隠れ、
大人の体格がある平次が間をつなぐという面白い構図も見られた。
最近は、腹話術だけでは事件を解決しきれないということを、
子供が習慣的に知っていて微笑ましく、あざといとも思った。
歴史ある百人一首の中でも、血がたぎるような紅葉のカードが
メールに添付されて伝言として送られることをきっかけに事件が進展していく、
ただ実際の警察がすでに鑑識を済ませた後という説明があり、
そこから事件進展がない状態から、素人目にどのような新しい発見ができるかも見ものだ。
男性は裏方で捜査ごっこ、女性は百人一首のレベルアップに励む。
その中で蘭が大岡紅葉が服部平次と幼い頃に、
百人一首を競い合ったことで惹かれあったことを偶然知ってしまう。
和葉が好きだった平次君を紅葉ちゃんが奪って不倫しちゃんじゃないかしらと思いながら、
色恋沙汰で和葉の楽しみを乱すわけにもいかないとあえて喋らずにいる。
百人一首はただ競いあうだけだなく先人の恋愛観を汲み取るものじゃないかしらと
巡りあひて見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな
という紫式部が清少納言と密かに趣向を競っていたときの歌を選ぶ。
紫式部は恋愛を前面に出すタイプで、清少納言は淡々と周りを観察して調和を図るタイプだ。
かくゆう清少納言は、警備のものに男性と間違えられるほど色気がなかったという。
努力の甲斐あって、和葉は百人一首のチャンピオンである大岡紅葉と決勝戦に臨む。
その中で、和葉は皆が血眼になって競い合っている中で、
普段通り、平次を思っているという意図を込めて
しのぶれど 色に出でにけり わが恋(こひ)は
ものや思ふと 人の問ふまで
と詠む。
事件や不倫が起こる前から、ずっと慕っていたのですよという、
試合で負けても人生では繋がっている。
それを小学生の顔で理解されてもなんとももどかしいものがあるけれど、
週刊誌で名探偵コナンの連載を読み続けることが最も得るものが大きい。
その一方で、コナンファミリーに現れない、大岡紅葉が
今度会った時はよめにとる
今度会った時はつよめにとる
という風に、勘違いで流されてしまったことは少し残念だった。
ちはやふる 神代(かみよ)も聞(き)かず 竜田川(たつたがわ)
からくれないに 水(みず)くくるとは
からくれないにの、赤は紅葉か、花札の鹿から連想される色だろうか、
それとも何かの神がかった全体の色合いかと想像する。
物好きであることのエネルギーの無駄な発露もあって、
一生懸命でも情緒に流されても事態は思い通りにいかないというのは、
今時の子供でもどことなく用心しているところでもある。
それでも、たとえ勘違いでもカルタに挑戦することは無駄ではないとも思う。
アメリカではトランプを支持する夫と、
ヒラリークリントンを支持する妻が結婚したという、
大人らしい物語もある。
支持するだけでは正しい理解だとしても、それぞれの本家に存在感が及ばない。
瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)の
われても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ
元の本流にいずれ戻るでしょうという清純な解釈もできるかもしれない一方で、
清濁併せ呑んで融和して、新たな流れを作ることも選択肢なのかもしれない。
日本の晩婚化を助長するような過度な競争と、伝統への回帰が結論だったとしても
古典が磨り減らないためのエンターテイメントにかける情熱も、
その時だけの一瞬でもないとも思った。
ちはやふるという語りから始まる落語もある、落ち着くにはまだ早く、
目の前にあるものにただただ純粋に興味を持っていたい。

都会と田舎の境目

都会と田舎の境目はどこだろう
都会にはビルがあって、田舎には自然があるというわけでもない。
浦安の前市長、松崎氏は、任期を終えると千葉の知事に出馬した。
市長の背景には浦安市民に支えられた安心した暮らしが感じられたが、
選ばれたのは、千葉の広い田園の雄大さがある森田氏だった。
松崎氏は、東関東大震災でお雑煮の炊き出しをしていただいたこともあった。
震災を乗り越えて、故郷をおおらかに守るか、または耐震を含めて都市化を推進するかという岐路に立っていた。
浦安市では、新市長舎が完成し、ボランティアももう雨露に困らない。
だたそれからどうするかというところで成長が止まっているのかもしれない。
そのあたりの日にちで、
レイティニャットリンちゃんというベトナム人の小学生の女の子が遺棄された。
千葉県松戸市の通学路から、3月末頃に行方不明になり、
茨城県境あたりで死体が見つかった。
そのニュースが、地方紙でちらほら出始めていた。
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まだ見たことのないコンテンツ

僕は、本、雑誌、新聞を全部読まない。
ゲームの中に出てくるテキストも全部読めていない。
進行上、ボスや重要人物になるとどうしてもテキストを読まないといけないが、
できれば、決められた序列でテキストを読む作業から解放されたい。
それでもLINEを既読スルーされると僕も相手を恨めしく思ったりするかもしれないが、
相手が有言実行できる可能性を大事にしたい。
その中でも、ゲームは本や新聞に比べると幾分か反社会的だが、
親や友人に必ずやることという義務感がなくサクサク進められた。
ちなみにFFを徹夜でやっていた知人は、
ラジオのオールナイトニッポンも同じように必ず録音してハガキ職人になっていたらしい。
そうなると僕はどっちつかずなのかもしれない。
結果を追求できていない。
マークトウェインの小説ハックルベリーフィンの冒険では、
休日のペンキ塗りでも楽しんですると遊びで義務感ですると仕事になるという。
仕事と遊びの区別はなんだろうと、漫研の先輩は学生の頃から好きなことを仕事にしたいと躍起で、
TSUTAYAのビデオも棚から順番に借りてとにかく知見を充実させていた。
僕はある一本のコンテンツを突き詰めて、
映像とテキストが流れることが自分にとって、必要だと思った。
ただ、そのままだと好き嫌いが出るので、自分がやったことがないゲームに発見を見出そうとした。
中には弟切草のように影絵だけのノベルゲームだったりすることもあり、
覚えているのは合宿所の天井のシミだけだったという切ない思い出もある。
ひたすら、知人がFFをレベル上げするだけという不毛な場面もあった。
それでも、他人の鍛錬を見ることがプラスになる。
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ゲームに見る動物の進化の過程

ある亀は、顎が発達し、
またある亀はヒレが長くなる。
顎の大きい亀は、食欲旺盛で、
ヒレの長い亀は、水中では泳ぎが早い。
日照りの強い地方では亀は浅黒く、
あまり日が当たらない地域では気持ち白めかもしれない。
食物が硬ければ、歯が丈夫になり
柔らかければ、平らになりそうだ。
同じ動物でも、環境によって特長や外見が異なる。
それでもスッポンは噛み付く。
狼王ロボは相手を思いやって絶食した。
インドのライオンは、相手のために腿の肉を与えた。
最初は、草むしりばっかりやっていたけれど
あるプレイヤーに草木も悪くないけれどに人柄が出るからって
言われて控えめにした。いずれ負けが込めば拾って凌ぐしか無くなる。
まずは、相手と正面から向き合うようにというアドバイスとして受け止めた。
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水は流れていると腐らない

科学的には振動を与えると腐らないという、エアーポンプでも水は腐らないが
気泡がブクブクするので、ポンプで流れる水の方が音が心地よく、長く聞いていられる。
ウィローモスという南米の苔が水質を安定させている。
水はシジミやタニシの動物ではなく、竹炭で水を浄化している。
流れない瓶の水は6ヶ月替えていないが腐ったような匂いはない。
貝割れ大根は炭に水分を奪われて萎れてしまった。
竹炭に活着するのは水苔だけだった。
鞭毛を揺らして泳ぎ回る貝ミジンコも虫眼鏡で見られた。
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常温の棚のポップ

2013年の某日、東京都内のとあるコンビニでの出来事。
整ったスーツを着た男性が飲み物を探していると、店員に質問をしていた。
「常温の飲み物は売っていませんか?」
「いえウチには良く冷えたビールとミネラルウォーター、
または暖かいお茶くらいしか売っていないんです。」
「そうですか、それは残念ですね。」
という応対を耳にした。ちょっと珍しいと感じた。
チェーン店でない地元のスーパーでは、売れ残ったジュースなどが
ワゴンにそのまま入れられて、たまたま常温になっていることがある。
それを想像すると僕はあまり食欲がわかなかった。
ただ、水は常温の方が美味しいという見方は、
運動量の多いスポーツ選手の喉の渇きを癒したり、
医学的に健康に良いと仮説が立つこともあった。
常温のドリンクは、街角の自販機で冷たいと暖かいしかない中で、
密かな話題になっていたことを、僕は思い出した。
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