どうにもしがたいもの

僕はもしやっかみが可能だとしても、それが手段とは思わない。自分に都合の悪い競争相手が、考えが合わないという言いがかりだけで調子が悪くなったというのは賢しいと思うけれど、それだけ実力があるのなら、その人がグループを運営したりなにかためになることをしようと説明してくれればありがたい。気づくだけで相手の考えを読んだり、そういうときは繰り返し機嫌を取りながらもできることを模索していく。マスコミが仏教にかこつけて、関係者を脅そうとする心理が良く分からない。また中年になれば若い年に生きていても、そうでなくても過去が戻るわけでもない。なんというか実際に小説が書けないので、しかたなく現実に存在する組織やグループにかこつけていると思う。文章が掛けなくても、計算ができれば現実ではビジネスが成り立つところもある。僕はあいてにこうあるべきという強制はしたことはないけれど、もしなにかを強要する心理にはは僕にはうかがい知れない。勝手なことはできないが、どうすればいいかとおどおどしながら聞くと、たいていは当事者の言うことに従っていると嫌われにくいとなる。とはいえ、仏教も大乗でも檀家でもなく、どういうわけか頭を坊主にして自分の利益以外のためになにかに取り組む人という印象が刷り込まれる。

他人がうらやましいと思ったことも、また自分はこれだけ頑張っているが、だれそれは相対的に楽をしていそうなので、懲らしめてやろうと思ったことはなかった。人を呪うことはそれだけ人の心を把握したり、また方針を立てることに長けているのだと敬意は払わざるを得ない、というよりは脅しや空かしで有利な方に誘導されるのだろうとは思う。友情は相手に親切にすることは建て前にすぎず、実際には共通の敵を見繕っていっる性格がある。

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