可能性のかたち

良かれと思ったことが結果として無駄になると途方に暮れる。駅のホームでビールの空き缶を拾って近くのごみ箱に捨てようと思っても、手ごろなゴミ箱がない。飲めないビールの空き缶を持って電車に乗っていく。老練なギャンブラーによると愚痴をこぼさないことが大事だという。そこまで早く歩いていないのに、わっと立ち止まることがある。歩きながら考えているためだろうか、おかげでイヤホンを付けることもなく、退屈しない。しかしながら、ひとりの時間が欲しいこの頃だった。ここでぐっとこらえると落ち着いたひと時がやってくる。それは緊張と弛緩というお笑い芸人の心理からすると、報われるか、そうでないかの分水嶺だという。ここのところテレビを見ていない、僕はテレビを見たくないわけでもない。また相手のことは尊重して、むやみに逆らわないように気を付けた。また相手が話しているときに分かったような相槌をうつと、煙たがられることもある。気に入るかどうかの境目は目に見えない。もし熟練者や識者どうしの世間なら、諍いは起こらないかもしれないと期待することが、通りがかりに思うこともあるが、どこまで現実的かはわからない。

カメラの三脚があると、視点が定まる。どんな三脚がいいかをイメージしたとき、マネキンを自立させるのは難しいという。足に錘を付けるか、針金で支える必要がある。二本足で立っているときにもスタビライザーが作用している。ねんどろいどを自立させるのに専用の透明なジェルがあるという、手品の種というわけでもないが、これは透明なだけで実体がある。

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