オブジェクトと情報端末

mineCraftにはスマートフォン版のBedrock Editionとパソコン版のJAVA Editionがある。パソコンではマウスとキーボードが使えるため、目印を付けた座標にアクセスしやすい特長がある。3DCG作成ソフトのBlenderなどでもX軸、Y軸、Z軸などの座標をキーボードのとくにテンキーで操作していた。仮にスマートフォンがパソコンと同じだけの処理能力のCPUとGPUを備えていたとしても、マウスやキーボードなどがタッチパネルになるために、コピー&ペーストの手段が異なることになる。右クリックしてコンテキストメニューが開いていたものをもしタッチパネルに置き換えるとしたらどのような動作になるかを試して見る必要もあるかもしれない。逆に、ノートパソコンにもしマウスが付いていなかったとしたら、スマートフォンやタブレットに近い操作になるかもしれない。パソコンのキーボードをbluetooth化したときに、F3キーが無かったことで画面を小型化しても見られないウィンドウがあることが分かった、キーボードの上の段に付いているF3キーさえあれば、ワイヤレスにした分USBポートを一つ外付けハードディスクに振り分けることができる。Bluetoothキーボードにはandroid、iOS、windowsという3つのモードがある。Fキーことファンクションキーが必要なのはwindowsパソコンに限ったことで、スマートフォンで文章を作成するときにはあってもなくても用途を果たすことができる。パソコンのmineCraftで粘着ピストンとオブザーバーを組み合わせた、BlockUpdate回路によって、上下左右に往復できる乗り物をマウスで操作することが、グリッドの作図にも似たシュミュレーションに動きを与えていた。そのピストンが駆動するエンジンのような反復した動きは、マウスとキーボードの連携によって為されていた。もしスマートフォン版でピストンが同じように駆動したら、パソコンの代わりになる機能ができることになる。しかしながら、登場するブロックの種類は同じでも、レッドストーン回路の判定が異なる、パソコン版ではレッドストーン信号は通常のブロックを仲介しても1マス分伝わるが、スマートフォン版では、異なるブロックを挟むと回路が繫らなくなる。あるいはパソコン版では斜め1マスにオブザーバーを置いてもピストンが動作するが、スマートフォン版ではオブザーバーにピストンの信号面が接している必要がある。ピストンで1マス分のブロックを押す分にはパソコン版でもスマートフォン版でも同じだけれど、2マス分を押す回路はそれぞれ異なってくる。これはマウスで複数選択できていたフォルダが、スマートフォンではタッチ操作で一つずつの選択になる。とはいえ、オンラインでWiFi無線には繋がっており、離れた相手やサーバーと通信ができる環境が想定されてくる。これはウェアラブル端末やスマートウオッチでもオブジェクトの操作に独特の癖のようなものが生じ得る余地がある。

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個性と文化

パチンコ狂またはアイドル狂時代。資本主義と社会主義のどちらにも属さない吹き溜まりでは、つまるところそんな感じだった。世間一般のことはよくわからないが、ここでは学歴や常識も、ガチャやチケットやパチンコの確率変動とやらを改善するための方便に過ぎないようだ。香港だけでなく、台北や釜山、マカオなどではギャンブルのためのカジノがあり、富裕層と貧困層が2極化している。日本でもカジノ法案が検討されているという。

世の中には過当競争で、長所を埋もれさせてしまうよりも、それぞれにいいところがあり、椅子取りゲームや運試しゲームのようなものが日常にありすぎても、チンピラのようにやさぐれた感じになってしまう。チンピラだって服装はシッカリしているし、ビジネス用語には習熟している。しかしながら、なにかいたわりを感じない。それが、妙な緊張関係になってしまう。あるいはその枠組みやルールの中で、上手く弱いものをイジメながら、立ちまわることこそが世渡りなのかもしれないが。

Vimeoにて、韓国のnextfloorというゲーム会社が、スーパーファミコンのゲームソフトをモチーフにしたマニュフェストという動画があった。
(参考:https://vimeo.com/238021901 )
ファミコンのアクションゲームは、作品としてハードウェアのある家に、子供たちが集まって遊んでいた原風景は、日本でも韓国でも変わらなかった。韓国にはgalaxy PhoneというiPhoneに変わる独自のスマートフォンがある。Wind Runnerという横スクロールアドベンチャーがあった、スマートフォンのスペックは当初はノートパソコンに比べるとそこまで高くなく、ブラウザが見られることでまるで手鏡のようだと称されたこともあった。そんななかで次の景色が見られるのが、アドベンチャーゲームの醍醐味だった。当時iPodを車のハンドルに見立てて、カーレーシングゲームをするというアイデアが盛り込まれたこともあった。乗る人が限られたレーシングの車だけでなく、グランツーリスモのように市販の一般車を、教習所のような形で試運転するシュミュレーションとしてスマートフォンが活用されるという構想もあった。

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スマートフォンとmineCraft

iPhone6sのバッテリー付きケースが届いた。配送日は予想できなかったので、再配達になった。インターホンがかすかに成ると、配送員が小包をもっていた。その間はサンワサプライのマグネット端子の寸法が持っているものと同じなので、それを間に挟もうと試みていた。ケースが想定より早く届き、iPhone6sを充電するのにバッテリー付きのケースを仲介することで、マグネット端子でも給電できるようになった。スマートフォンのサイズとして手ごろで、バッテリーの容量は、リチウムイオン電池が小型化する前の世代の機種で、単体では充電が頻繁になりがちだった。電話番号のSIMカードはOPPO AX7に替えている。OPPO AX7は、持っている中でもっとも汎用的で動作も持続している。OPPO AX7にはスクリーンを分割してアプリケーションの起動させることができるので、ブラウザを開きながら、単語を調べることもできる。これはiPhone6sの充電がiOSの更新の影響で上手くいかなかった時に便利だった機能だった。どちらにしてもバッテリーケースを介してマグネットケーブルでiOSとandroidOSが充電できればと考えている。スマートフォンを使っている間はパソコンの稼働が節約できる。調べ物をしたり動画を見ることはスマートフォンでできればより手軽になる。

mineCraftの1.14版に対応したshaderを付けることで、ブロックの描写が立体的になった。水滴の描写がリアルで、水面が鏡のように透明度がある。解像度は、CPUの温度との兼ね合いでシリーズの中でも中程度にしているが、描写は透き通っていた。視界がブロックの描画が追い付かず、狭くなりがちだったが、mineCraftのバージョンが更新されてアイテムの種類は増えたが、描画負荷は改善されつつあった。ピストンエレベーターも描画をハイクオリティにしても同じように動いた。フィールド内に雨が降っているときは、視野に靄がかかったようにせまかったが、それが晴れて夜には星空が見えたときには広さを感じた。さらに日が昇って、夜明けになるとフィールドの地平線がエレベーターの展望台から見える。建物に街の看板のテクスチャーを付加して、実際の建物のように見せていたこともあった。看板が見える位置にラウンジを付けることにした。ガラスは薄い板ガラスにして、バルコニーは透明なガラス製にしてウッドデッキのブロックをベンチ代わりにする。照明はランタンでガラスブロックに吊るしておくことにした。板ガラスを敷き詰めるのは、かなり手間が掛かったが、雨の天候を防ぐことができ、また灯りも確保される。またエレベーターの展望と看板までのルートを動画にすることで、後で概要を確かめやすくなった。mineCraftにはブロックなどの効果音は入っているが、YoutubeのBGM素材にすることもできる。動画が5分ほどでBGMをループにすることができなかったので、同じ長さのシンセサイザーの素材を使うことにした。できれば効果音を残した状態でループさせたかったが、Youtubeエディタの他に動画を加工できるソフトウェアを模索していきたい。

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付箋と受像

デジタルカメラとスマートフォンの関係は、微妙なところになった。デジタルカメラでは高解像度になるが、小型のアクションカメラGoProHero7でも、視野を固定する装備が必要になる。それに比べると、スマートフォンの2014年から2017年くらいまでのモデルは、リチウムイオンバッテリーも小型で、液晶画面のサイズとポケットに収納しやすさからして、バランスがいい。確かに最新のスマートフォンでは、カメラも高精度になり液晶も小型テレビのように大きくなったけれど、それに伴ってバッテリー消費量も増えてきた。パーツショップに足を運んだ時、ポケットに電子タバコにつかう単三乾電池より一回り大きいリチウムイオンの乾電池を6本片手にもって、それを購入してレジ袋に入れて持ち帰り、半田で保護回路を付けて、およそ合計で50wの電力バッテリーにして、キャタピラクローラーのバッテリーにしていたことも懐かしい。今では最新の動向をチェックしてPSE認証のついたリチウムポリマー電池のモバイルバッテリーに換装している。最近のスマートフォンに替える前に、デジタルカメラの設定を学ぶためにGoProHero7を購入した。ちょうどブラウザやPDFの閲覧は、従来のスマートフォンでも可能だけれど、カメラの部分だけを単体で動して検証しようと試みた。スマートフォンのバッテリーの大容量化は、ここ数年で起きたことだった。

また、ワードで数百ページのドキュメントを読むことは大変だけれど、キーワードや付箋を付けることで検索のようなことができる。かつては分からないことがあったら辞書で引く、辞書は50音順になっているので、しおりを挟んだ位置がほぼ検索結果と同じようになっていた。いまではインターネット上の検索結果は、マスメディアの影響や、それを伝えようとする人物の思惑もあってか、体系的にはなっていない。かなりの部分が断片的で、いつでも、またどこでもアクセスできる代わりに利用者が想像で補っている部分もある。辞書や本に付箋を貼ったり、アンダーラインを付けることはデータベースではないけれど、見慣れないものや知らない単語を理解しようとするために必要な記録ではある。本に折り目を付けると跡が残るので、変更可能な栞にする、栞はページに応じて位置と枚数を変えていく。

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ポケットのお供に

スマートフォンが親や会社に避けられている。フィーチャーフォンのほうがメッセージが伝わるという。相手の立場に立って考える必要がある。しかしながら、密着の度合いが濃いと自分が健康でもそうでなくても、意識が一定でなくなる。対等な相談ができにくくなっている。中小企業でもベンチャー企業でない限り、そこには独自の文化が慣習的に醸成させる。郷に入っては郷に従えということわざがそれをよく表している。

かつて沖縄のIT企業では、メールをあえてタイミングをずらして送ることで、バタバタ働いている様子を伝えようとした。メールで暗号のように分からない部分は、実際にパソコンで業務しているところに一声かけて、顔色と思っていることを聞きに行くということをした。メールだけでは断片的な情報で、相手の気持ちが分からないからだ。メールでメッセージを主語と述語、5W1Hを付けて記録したり、遠くの人に添付ファイルとともに送ることができたとしても、お互いの長所と短所を適材適所にすることができない。そこで、僕は自分あてに仕方なく日記のようにメッセージを貯めておくことにした。

国内では、スマートフォンの生産が止まっている。富士通が新型の小型スマートフォンのモックをマルチ翻訳機に作り替えてしまった。かつては一家に一台だった電話が、フィーチャーフォンの普及によって、家族の構成員がそれぞれ持つようになった。その過程で、NTTからのドコモ、KDDIのau、振興のソフトバンクが通信産業をけん引した。気になった友人や女性に連絡先を聞くことがちょっとしたチャレンジだった。スマートフォンが普及して、すでに携帯電話を持っているユーザーにさらに新規買い替えを進めるという過当競争になってくると、メッセージの送り方にアナログなニーズが再考されてきた。とはいえ、隙間時間にスマートフォンで伝言を確認するには、バッテリー容量と、画面サイズのバランスがいい機種は便利と思う。スマートフォンにはカメラが付いている。画素数は一眼レフにもそん色ないものになった。同窓会で記念撮影するときに、レストランのコックにはスマートフォンの画面がミラーレスのファインダーのようにも見えたらしく、カメラマンにポケットから取り出して、シャッターを押すように頼んでいた。これが自撮りなら自分でもむなしい印象が拭えないが、スマートフォンが相棒のように使えることが分かってくると、僕も気にせずにスマートフォンを活用できるようになる。カメラの仕組みは、人や動物に付いている眼球の仕組みと同じで、覗き穴に光が差し込んで、壁に外の景色が映る原理を箱の中で光学的に再現したものだ。一眼レフが大きくて硬いのはレンズと光学センサーによる。カメラがスマートフォンに比べて大きくなるのは、光学ズームレンズによる。例えば、視力検査で細かいものをじっと見たり、薄暗い環境に長くいたりすると水晶体のピントが定まらなくなって、メガネが必要になる。その眼鏡はレンズの厚みによって矯正の度合いが変わってくる。眼科の眼鏡には複数のレンズを重ねて、必要な度数を推し量る分厚いメガネがある。これが、一眼レフや双眼鏡に似ていると想像する。

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明るさをポケットに

人に気を使って疲れるのは、僕だけではないようだ。そこだけはホッとした。疲れのポイントは日常の至るところに潜んでいる。相手が悪いわけでもない、疲れされることはそれだけ機転が利くということでもある。スマートフォンで文章を打って3日目、スマートフォンを横に立てるリングがあり、画面のレイアウトが安定する。いろいろなことがなるようにしかならない中で、ちょっとしたことで工夫ができる。また、その仕組みを自分だけでなくて相手も知ったり体験出来そうであれば、より汎用性がよくなる。昨日に、新調したリチウムポリマーバッテリーが急に空になってしまって慌てたけれど、焦ったくらいで済んで幸いだった。リチウムポリマーバッテリーには数字が付いており、どれだけ充電できたかが一目でわかるけれど、一般には乾電池や蓄電池のバッテリーの残量は目安でしかない。電圧と放電量がある程度比例するので、乾電池でも一定の電圧を保っていればそれは残量があると予想される。ベランダの太陽電池もまた、ソーラーパネルからの発電量をカウントすることはできても、そこから土壌湿度センサーやリレースイッチに使っている分は、カウントされないので、どれだけ溜まっているかはわからない、一周回ってDROK社の蓄電池のメーターを確認時にONにして対応している。今週末から来週にかけて梅雨入りするので、太陽電池は曇りでもわずかに発電はするけれど、どれだけ維持できるかが試されてくる。

WindowsPCのキーボードの配列がJIS版とUS版で異なっていたので、今までは@をその都度入力していた。デバイスの設定から外部キーボードをいくら動かしても、違和感が拭えなかった。設定から時刻と言語を選んで、そこから日本語の設定で、USキーボードを選択すると、再起動してキーボードのアイコンと入力された記号が同じようになった。演算子や改行の半角スペースが見つからないような実のところなんでもないようなことでも、根気よく、またはコツに慣れれば負担が軽くなるような工夫を見つけていきたい。また、バッチファイルでCPUの温度や稼働率が測れたり判定できれば、汎用性は広がり、またはパソコンに興味がないような人にも可能性が広げられるように思われた。

疲れの正体がまるでゲリラのように見えない、いくらかは自分にも要因があると思うが、それでも閉塞感をべつにヒーローを目指しているわけではないが、誰にも期待されなかったとしても果たす役割があると考えている。

また先日充電できなかった、iPhone5の端子を粘土とクリップで掃除してなんとか手持ちのケーブルで充電して見ることにした。両面あるLightningケーブルの片方しか充電できないが、それでも動作はする。Androidのスマートフォンは、かれこれ6年くらい使っているが、ついに液晶画面が欠けてしまった。こちらではとくに落としたわけでもなく、いずれは形あるものは壊れる時もくる。できればもう少し汎用的な用途を見つけていきたかった。スペック的にはかなり型が古いけれど、使えないことはなく機能もシンプルで使いやすいタイプだった。

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青空文庫 遠野物語から

柳田国男の遠野物語をkindleで読んで、手持ちのiPhoneに感想を書いてみることにする。同人ソフトで購入した東方シリーズにも東北の民俗学が影響しているという。あるいはkindleだけで手書きのメモだけでも良かったが、ちょうどWordとリチウムイオンバッテリーのワイヤレスキーボードがあったので、偶然、青空文庫で本のなかを探検しようという試みになった。

遠野郷のトーはアイヌ語の湖という語より出たるなるべし

遠野郷は、奥州で東北地方にあるところだけれど、語源は日本だけのものではないようだ。北海道にはそういった当て字のような独特の地名があるけれど、一見漢字のように見えても音訓が異なるのは、なにか所縁がありそうだ。しかしながら、のどかばかりでもなく、

黄昏に女や子供の家の外に出ているものはよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。

人ならぬものが、黄昏時には女や子供をさらっていくという言い伝えがあるようだ。人べらしという東北の風習があったけれど、それとなにか関係があるのだろうか。

ザシキワラシ座敷童衆は旧家に住んでいる、人ではなく神の類だという、実際にそれを見たという記述はなく、ある日廊下で出くわして大いに驚いたという。どうしてそれが座敷童衆だと娘が分かったのか、想像の余地がある、それによって御利益があったとしても、運命があざなえる縄のようだったというようにも思われる。

川には河童が多く住んでいて、川の岸の砂の上には河童の足跡というものを見ることは珍しくなかったという、空想上の動物でも伝承ではまことしやかに伝えられている。頭に皿があったかは定かではないけれど、猿のような手で水かきがあるような独特の手の形をしていたという。

遠野の山中の不思議なる家をマヨイガという。

旅の途中で迷ってあるはずのないところに住処があり、なにがしかの人が住んでいる様子だった。それくらい道に迷うほど、人里が離れていたのか、あるいは都会やムラ社会のように住んでいる人が漏れなく把握されているという状態ではなかったのかもしれない。地図にないような場所に住処があるとまるで桃源郷のようにも思われてしまう。あるいは人が旅をして目的を探すイメージがマヨイガというキーワードになったのかもしれない。

ニタカイはアイヌ語のニタトすなわち湿地より出しなるべし。地形よく合えり。西の国々にてはニタともヌタともいう皆これなり。

川のほとりに集落ができることは地勢しばしばある、関東でも平地では湿地帯になり、そのままでは田畑を耕すことができず、交通や飲料水は確保できても、住みやすいとは言い難い地域もある。ニタカイは煮た粥にも例えられるようになったという。

船越の漁夫何某。ある日仲間のものとともに吉利吉里より帰るとて、

吉利吉里と遠野郷がどのように関わるかがわからないが、女の妖怪か幻か、山路にて何とも知れないものに脅かされて、命を取られると思って目覚めたという、どこまでが空想で、どこからか現実かはさだかではないが、吉里と切るという連想からか、そういったおどろおどろしい伝奇に尾ひれが付いていったのかもしれない。

南部という、東北地方の岩手県のあたりには、地理だけでなく言い伝えから独特な空間が形成されている。とはいえ、その地域だけに特徴的ならば、単に荒唐無稽なだけになっていて印象は薄くなっていたと思われる。江戸時代とも明治ともつかずに、時代の変化から自然とその地域にならではの時間の流れがあり、それは現代人にも同じような体験があるかもしれない。実際にはそこに旅をして見たり聞いたりしたわけではないけれど、あたかもそこになにものかが存在するかのように思い込むようになる。

参詣の路は林のなかにあり、登口に鳥居立ち、二三十本の杉の古木あり。その傍にはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。

愛宕山には雑木林のなかにお参りの路があったという、遠野郷には山の神様を祀るモニュメントが自然と人里の境にあり、祟りのような理不尽な出来事をなだめるように建てられたという。参拝にも不幸を鎮めるという意味合いが、残っている。それが人里離れた自然にあると、大人でも子供にも言い表せないなにかがそこにあるように思われる。

神や妖怪とはなにか僕には正直なところわからない、言い伝えにあるとすれば、勘違いや思い込みもないわけではないが、そうさせるだけの不思議な相関がありそうだ。

僕は現実には思い込みをなるべく平明にして、僕自身そこまで賢くはないけれど、言い伝えから今までに見たことがない世界があることが新鮮だった。21世紀になっても寝て半畳起きて一畳という生活形態は改善されていないが、なにか分からないことを明らかにしたり、独自の解釈があることを共有するために文章を書くことを、試してみたくなった。僕の所感だけでなく、人の営みには由来があり、知られざる分野を明らかにすることと、考えを記録したり、記録から当時のようすを演繹することを続けていきたい。

PC とスマートフォンの工夫

intelNUCを使ってみたいと思いながらも、セッティングだけをして実家に帰省する、もちろん人と話をしているときはスマートフォンは見ないようにしたかったけれど、一筋縄ではいかないようで、普通に会話できるようなチャンスが少なく息が詰まってくる。それが反面教師になって、人にはなるべく対等に接していようと思う。合間にiPhoneでmineCrraftをしていてyoutubeをタブで見ながら、ピストンが3つ動くモデルを試してみていた、なかなかタイミングがつかめずに、試行錯誤が続く、接着剤になるスライムブロックを付けられるようにするために、オブザーバーと1マス開けようとして、同じように動作するかをパソコンでなく、スマートフォン上で試していた。あるときにふと、ブロックと遅延のタイミングがあって、縦横3マスのブロックを動かせるようになった。壁のブロックを扉のように活用することができるようになった。また、地面に大きな穴を掘って、そこにピストンの駆動部分を格納して、スイッチで開閉しようとすると、回路が長すぎるのか途中で動きが止まった、原因はよくわからないが、スマートフォンではパソコンに比べってCPUのスペックやメモリは限られている、乗り物もPCでは動くけれどスマートフォンでは正確には動かない。5マスのランプブロックは5段目だけピストンの判定が異なるのか、PCではピストンが1マス出っ張っているが、スマートフォンではコンパクトに収まっている。またパイプの水流を活用したアイテムの循環ではスマートフォンでも画面から見えない地下に動作があるものの、タイミングよく動いていた。回路の端子の代わりにピストンのバケツリレーのようにすると、比較的遠くでも扉が動き出した。これはペースメーカーのようにタイミングに合わせてピストンが動く仕組みを試してみたが、意外なところで役に立った。

ようやくデスクトップパソコンを動かせるようになると、ピストンが3つ動くモデルはスマートフォンのほうが使いやすくなっていた。レバーとボタンにも対応して、パソコン版ではオブザーバーを使って回路を自動化したものはブロックの配置こそ整っていたものの、ボタンにのみ対応していた。ピストンを2つを遅延リピーターの1チックで動かすような仕組みで、中世の城の格子戸のプログラムを簡略化することができたのは、windowsに変える前のmacBookで先日に試したモデルだった。Youtubeの作例を参考に、2マスのブロックにさらにレバーをオフにしたときに一瞬だけ信号が流れるパルサー回路を追加すると3つのブロックはPCでよどみなく動き出した、パーツの組み合わせはシンプルで、同じことがスマートフォン版でもできれば便利になる、そこで気が付いたけれど、パルサー回路の組み合わせはPCとスマートフォンで異なるようだ。また、ピストンのタイミングも少し変わっている、乗り物のモジュールが前に進まないことなどできることとできないことがある、手のひらの画面と、ノートパソコンやデスクトップパソコンの画面は同じようで、そうでない部分もある、ブラウザ確認ではそういった部分を同じように再現するために、機能と表示を結び付けるようになる。どちらかが多少使いにくかったとしてもどうすれば、それが改善されるかを工夫するようになる。

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ホームwifiとスマートフォンのローカルネットワーク

通信環境は千葉に住んでいた時は、wimaxの無線wifiにしたときに、それまで部屋の片隅のディスプレイからしか外の様子が分からないという状況が変わってきた。千葉から東京に引っ越してきたときもwimaxを引き継いでいたものの、都内ではwifiが混線して、上手く繋がらなかった。NTT局舎やケーブルTV局が近くにあり、そこからのモデムまでは有線でインターネットにつながっている。マンションの室内は無線LANにしてなるべく部屋が配線で狭くならないように多少工夫はしているつもりだった。古くなったパソコンにlinuxをインストールしてサーバーにしたこともあった。そこにブログをインストールして、家の中と外で記事が書けるようにしていた。ルーターの向こう側の固定IPは取っておらず、DNSでフリードメインを取ってアクセスしていた。

部屋の中のraspberryPiでもapacheが入っており、DNSに対応しているが、ふと、スパートフォンをルーターの代わりにすることで、その場だけのローカルネットワークを作る。そこからOFFにして部屋に戻ればローカルネットワークも撤収され、スマートフォンのインターネット共有をONにすれば、その場でローカルネットワークが設置される。都内でもwifiだけでなくsimカードの通信が思わしくなく、検索キーワードに何も入力できなかったり、次のページに進まなくなるくらい接続が悪くなるときもあるが、キャタピラ付きのクローラーがアクセスポイントを照らしてゆっくりと走り出すような姿が浮かんでくると、自分でも何かネットワークを準備することができるかもしれないと考えた。そこでまずはESP32のアクセスポイントをホームwifiから持っているiPhoneに変える。これは去年に、スマートフォンと同じポケットにESP32を入れて、設定をWifiからMultiWifiに変えて、移動しながらIoT機器が使えるかどうかを実験したことがあった。ポケットにはボタンが付いており、それを押すとGmailでおみくじがランダムで引かれる。電車がトンネルに入った時は繋がらなかった、ESP32に画面はないので、LEDランプが付いているかどうか、モバイルバッテリーのUSBが繋がっているかどうかで判断することしかできない。それでもESPボードには親指くらいのボタンが一つ付いているので、それを押すとLEDが点滅して何やら通信が始まる様子になる。そのあとでGmailを確認すると数秒後におみくじのメールが届いている。その事例を応用して、ESPにはローカルIPが振られている。もしアクセスポイントをルーターから、iPhoneに変えると、ローカルIPとゲートウェイの番号は192.xx.xx.xxから、172.xx.xx.xxに変わっている。そこで条件分岐を使ってESPがwifiに繋がったタイミングでipを読み取ってそこでwifiアドレスを再設定すると、はじめに192〜か、172〜と空いているアドレスになり、そこから指定したアドレスの住所に変わるように振り分けてみる。ESP32には通常のループと条件分岐に加えてwifi接続があることで、画面がなくても外と通信のようなことができる特長的な基盤になった。この段階で、外でもクローラーが動くようになったが、ホームwifiと同じように、クローラーから見たカメラ映像や音声が取得できたり、LEDランプが点灯できると操作がしやすくなる。

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電子書籍と文庫本の思い出

中国独自の目に優しいdisplayをもつYotaphoneがバージョンアップすると、macBookのUSBで認識しなくなってしまった。それでも充電はできて、E-inkでも節電モードで電子書籍を読むことができる。そこで漫画が表現力と一覧性に富んでいるものの、例えば大元の歴史書として史記がKindleになっている。史記は伝説が歴史に変わる起源を、時には民間の伝承から、またある時には、当時の中国の一族の伝記からその大元の歴史を想像して書かれたものだという。漢文では鴻門の会などの京劇でも敵と味方に分かれてそれぞれがパフォーマンスを行うという形式になっている。漢書は高校の時に興味を持って読んだことがある。Kindleには在庫がなく、図書館で文庫本のサイズで読むことがとても貴重な行為になっていることに驚いた。もともと文書はすだれ状の竹の束に小刀で削って記録されている。日本では和紙、エジプトではパピルスという繊維状のものに記録が残されたという。

Androidのバージョンも最新のwindowsに搭載されるものも5.1版の安定版がインストールされるようだ、パソコンに比べるとOSがあまりアップデートされにくい性格がある。アクションゲームをするにしても、すでに4.xくらいでかなり動きのバリエーションが充実している、例えばUnityでは今までのアニメーションを再構成するようなパッケージが開発されている。それはそれで表現の幅が広がって可能性が広がりそうだけれど、一方であまりメモリや演算能力が無かった頃に世界のことをよく知ろうとして、その片隅で作られたようなものがレアになることもあるかもしれない。

秋葉原の駅前にあるアトレのショッピングモールにも東方シリーズのpixivの人気絵師が書いた絢爛豪華なイラストもその原典のwindowsソフトには、手書き風の童心に喚起するようなCGから想像するしかなかった。もしスマートフォンに東方シリーズの第1作目が移植されば、隙間時間でも飽きることがなさそうだけれど、実際には例大祭などの国際展示場での催しでは、なぜか旧型のwindowsデスクトップパソコンがセットアップされて、そこで実際のゲームが再生されるという儀式のような手順が行われている。

人気に振り回されることなく、物事のあり方を自分なりに確かめたいと思うことは実は、傍に人がいないように振る舞うようで自分勝手なことなのだろうか。というふと気がかりになることもある。それでもそれはあくまで仮説であって、そうあるべきというように正義感が傾くようなことに客観的になれることがある。

史記と漢書は中国の原風景を表しているように思える。お茶碗の形も、卓上にあるしょうゆ差しが試行錯誤を経て作られたように、手の形に馴染むように形が決まっている。もしかしたら3Dプリンターでもお茶碗を作るような時代がくるかもしれない。そうなると河原に陶器のカケラが景色のようのなっている中国の一地方の素朴な魅力が幽玄なものに感じられる。中国でも日本でいう無印良品が普及するという動きもあるけれど、無印良品は西友の家電に白いペンキを塗ってリデザインしたものが元になっている。その起源は、壊れかけていてもまだ使えるCDラジカセやにあった。それが伝統的な家具や、自然と調和するように形を整えることで、ありそうでなかった生活様式が想起される。例えば3Dプリンターでネジとボルトや、ペットボトルのキャップと容器が作られるようになると何か入れ物を持つことが、中身を保存するだけでなく加工することの意味を知ることになるかもしれない。

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