明るさをポケットに

人に気を使って疲れるのは、僕だけではないようだ。そこだけはホッとした。疲れのポイントは日常の至るところに潜んでいる。相手が悪いわけでもない、疲れされることはそれだけ機転が利くということでもある。スマートフォンで文章を打って3日目、スマートフォンを横に立てるリングがあり、画面のレイアウトが安定する。いろいろなことがなるようにしかならない中で、ちょっとしたことで工夫ができる。また、その仕組みを自分だけでなくて相手も知ったり体験出来そうであれば、より汎用性がよくなる。昨日に、新調したリチウムポリマーバッテリーが急に空になってしまって慌てたけれど、焦ったくらいで済んで幸いだった。リチウムポリマーバッテリーには数字が付いており、どれだけ充電できたかが一目でわかるけれど、一般には乾電池や蓄電池のバッテリーの残量は目安でしかない。電圧と放電量がある程度比例するので、乾電池でも一定の電圧を保っていればそれは残量があると予想される。ベランダの太陽電池もまた、ソーラーパネルからの発電量をカウントすることはできても、そこから土壌湿度センサーやリレースイッチに使っている分は、カウントされないので、どれだけ溜まっているかはわからない、一周回ってDROK社の蓄電池のメーターを確認時にONにして対応している。今週末から来週にかけて梅雨入りするので、太陽電池は曇りでもわずかに発電はするけれど、どれだけ維持できるかが試されてくる。

WindowsPCのキーボードの配列がJIS版とUS版で異なっていたので、今までは@をその都度入力していた。デバイスの設定から外部キーボードをいくら動かしても、違和感が拭えなかった。設定から時刻と言語を選んで、そこから日本語の設定で、USキーボードを選択すると、再起動してキーボードのアイコンと入力された記号が同じようになった。演算子や改行の半角スペースが見つからないような実のところなんでもないようなことでも、根気よく、またはコツに慣れれば負担が軽くなるような工夫を見つけていきたい。また、バッチファイルでCPUの温度や稼働率が測れたり判定できれば、汎用性は広がり、またはパソコンに興味がないような人にも可能性が広げられるように思われた。

疲れの正体がまるでゲリラのように見えない、いくらかは自分にも要因があると思うが、それでも閉塞感をべつにヒーローを目指しているわけではないが、誰にも期待されなかったとしても果たす役割があると考えている。

また先日充電できなかった、iPhone5の端子を粘土とクリップで掃除してなんとか手持ちのケーブルで充電して見ることにした。両面あるLightningケーブルの片方しか充電できないが、それでも動作はする。Androidのスマートフォンは、かれこれ6年くらい使っているが、ついに液晶画面が欠けてしまった。こちらではとくに落としたわけでもなく、いずれは形あるものは壊れる時もくる。できればもう少し汎用的な用途を見つけていきたかった。スペック的にはかなり型が古いけれど、使えないことはなく機能もシンプルで使いやすいタイプだった。

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青空文庫 遠野物語から

柳田国男の遠野物語をkindleで読んで、手持ちのiPhoneに感想を書いてみることにする。同人ソフトで購入した東方シリーズにも東北の民俗学が影響しているという。あるいはkindleだけで手書きのメモだけでも良かったが、ちょうどWordとリチウムイオンバッテリーのワイヤレスキーボードがあったので、偶然、青空文庫で本のなかを探検しようという試みになった。

遠野郷のトーはアイヌ語の湖という語より出たるなるべし

遠野郷は、奥州で東北地方にあるところだけれど、語源は日本だけのものではないようだ。北海道にはそういった当て字のような独特の地名があるけれど、一見漢字のように見えても音訓が異なるのは、なにか所縁がありそうだ。しかしながら、のどかばかりでもなく、

黄昏に女や子供の家の外に出ているものはよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。

人ならぬものが、黄昏時には女や子供をさらっていくという言い伝えがあるようだ。人べらしという東北の風習があったけれど、それとなにか関係があるのだろうか。

ザシキワラシ座敷童衆は旧家に住んでいる、人ではなく神の類だという、実際にそれを見たという記述はなく、ある日廊下で出くわして大いに驚いたという。どうしてそれが座敷童衆だと娘が分かったのか、想像の余地がある、それによって御利益があったとしても、運命があざなえる縄のようだったというようにも思われる。

川には河童が多く住んでいて、川の岸の砂の上には河童の足跡というものを見ることは珍しくなかったという、空想上の動物でも伝承ではまことしやかに伝えられている。頭に皿があったかは定かではないけれど、猿のような手で水かきがあるような独特の手の形をしていたという。

遠野の山中の不思議なる家をマヨイガという。

旅の途中で迷ってあるはずのないところに住処があり、なにがしかの人が住んでいる様子だった。それくらい道に迷うほど、人里が離れていたのか、あるいは都会やムラ社会のように住んでいる人が漏れなく把握されているという状態ではなかったのかもしれない。地図にないような場所に住処があるとまるで桃源郷のようにも思われてしまう。あるいは人が旅をして目的を探すイメージがマヨイガというキーワードになったのかもしれない。

ニタカイはアイヌ語のニタトすなわち湿地より出しなるべし。地形よく合えり。西の国々にてはニタともヌタともいう皆これなり。

川のほとりに集落ができることは地勢しばしばある、関東でも平地では湿地帯になり、そのままでは田畑を耕すことができず、交通や飲料水は確保できても、住みやすいとは言い難い地域もある。ニタカイは煮た粥にも例えられるようになったという。

船越の漁夫何某。ある日仲間のものとともに吉利吉里より帰るとて、

吉利吉里と遠野郷がどのように関わるかがわからないが、女の妖怪か幻か、山路にて何とも知れないものに脅かされて、命を取られると思って目覚めたという、どこまでが空想で、どこからか現実かはさだかではないが、吉里と切るという連想からか、そういったおどろおどろしい伝奇に尾ひれが付いていったのかもしれない。

南部という、東北地方の岩手県のあたりには、地理だけでなく言い伝えから独特な空間が形成されている。とはいえ、その地域だけに特徴的ならば、単に荒唐無稽なだけになっていて印象は薄くなっていたと思われる。江戸時代とも明治ともつかずに、時代の変化から自然とその地域にならではの時間の流れがあり、それは現代人にも同じような体験があるかもしれない。実際にはそこに旅をして見たり聞いたりしたわけではないけれど、あたかもそこになにものかが存在するかのように思い込むようになる。

参詣の路は林のなかにあり、登口に鳥居立ち、二三十本の杉の古木あり。その傍にはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。

愛宕山には雑木林のなかにお参りの路があったという、遠野郷には山の神様を祀るモニュメントが自然と人里の境にあり、祟りのような理不尽な出来事をなだめるように建てられたという。参拝にも不幸を鎮めるという意味合いが、残っている。それが人里離れた自然にあると、大人でも子供にも言い表せないなにかがそこにあるように思われる。

神や妖怪とはなにか僕には正直なところわからない、言い伝えにあるとすれば、勘違いや思い込みもないわけではないが、そうさせるだけの不思議な相関がありそうだ。

僕は現実には思い込みをなるべく平明にして、僕自身そこまで賢くはないけれど、言い伝えから今までに見たことがない世界があることが新鮮だった。21世紀になっても寝て半畳起きて一畳という生活形態は改善されていないが、なにか分からないことを明らかにしたり、独自の解釈があることを共有するために文章を書くことを、試してみたくなった。僕の所感だけでなく、人の営みには由来があり、知られざる分野を明らかにすることと、考えを記録したり、記録から当時のようすを演繹することを続けていきたい。

PC とスマートフォンの工夫

intelNUCを使ってみたいと思いながらも、セッティングだけをして実家に帰省する、もちろん人と話をしているときはスマートフォンは見ないようにしたかったけれど、一筋縄ではいかないようで、普通に会話できるようなチャンスが少なく息が詰まってくる。それが反面教師になって、人にはなるべく対等に接していようと思う。合間にiPhoneでmineCrraftをしていてyoutubeをタブで見ながら、ピストンが3つ動くモデルを試してみていた、なかなかタイミングがつかめずに、試行錯誤が続く、接着剤になるスライムブロックを付けられるようにするために、オブザーバーと1マス開けようとして、同じように動作するかをパソコンでなく、スマートフォン上で試していた。あるときにふと、ブロックと遅延のタイミングがあって、縦横3マスのブロックを動かせるようになった。壁のブロックを扉のように活用することができるようになった。また、地面に大きな穴を掘って、そこにピストンの駆動部分を格納して、スイッチで開閉しようとすると、回路が長すぎるのか途中で動きが止まった、原因はよくわからないが、スマートフォンではパソコンに比べってCPUのスペックやメモリは限られている、乗り物もPCでは動くけれどスマートフォンでは正確には動かない。5マスのランプブロックは5段目だけピストンの判定が異なるのか、PCではピストンが1マス出っ張っているが、スマートフォンではコンパクトに収まっている。またパイプの水流を活用したアイテムの循環ではスマートフォンでも画面から見えない地下に動作があるものの、タイミングよく動いていた。回路の端子の代わりにピストンのバケツリレーのようにすると、比較的遠くでも扉が動き出した。これはペースメーカーのようにタイミングに合わせてピストンが動く仕組みを試してみたが、意外なところで役に立った。

ようやくデスクトップパソコンを動かせるようになると、ピストンが3つ動くモデルはスマートフォンのほうが使いやすくなっていた。レバーとボタンにも対応して、パソコン版ではオブザーバーを使って回路を自動化したものはブロックの配置こそ整っていたものの、ボタンにのみ対応していた。ピストンを2つを遅延リピーターの1チックで動かすような仕組みで、中世の城の格子戸のプログラムを簡略化することができたのは、windowsに変える前のmacBookで先日に試したモデルだった。Youtubeの作例を参考に、2マスのブロックにさらにレバーをオフにしたときに一瞬だけ信号が流れるパルサー回路を追加すると3つのブロックはPCでよどみなく動き出した、パーツの組み合わせはシンプルで、同じことがスマートフォン版でもできれば便利になる、そこで気が付いたけれど、パルサー回路の組み合わせはPCとスマートフォンで異なるようだ。また、ピストンのタイミングも少し変わっている、乗り物のモジュールが前に進まないことなどできることとできないことがある、手のひらの画面と、ノートパソコンやデスクトップパソコンの画面は同じようで、そうでない部分もある、ブラウザ確認ではそういった部分を同じように再現するために、機能と表示を結び付けるようになる。どちらかが多少使いにくかったとしてもどうすれば、それが改善されるかを工夫するようになる。

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ホームwifiとスマートフォンのローカルネットワーク

通信環境は千葉に住んでいた時は、wimaxの無線wifiにしたときに、それまで部屋の片隅のディスプレイからしか外の様子が分からないという状況が変わってきた。千葉から東京に引っ越してきたときもwimaxを引き継いでいたものの、都内ではwifiが混線して、上手く繋がらなかった。NTT局舎やケーブルTV局が近くにあり、そこからのモデムまでは有線でインターネットにつながっている。マンションの室内は無線LANにしてなるべく部屋が配線で狭くならないように多少工夫はしているつもりだった。古くなったパソコンにlinuxをインストールしてサーバーにしたこともあった。そこにブログをインストールして、家の中と外で記事が書けるようにしていた。ルーターの向こう側の固定IPは取っておらず、DNSでフリードメインを取ってアクセスしていた。

部屋の中のraspberryPiでもapacheが入っており、DNSに対応しているが、ふと、スパートフォンをルーターの代わりにすることで、その場だけのローカルネットワークを作る。そこからOFFにして部屋に戻ればローカルネットワークも撤収され、スマートフォンのインターネット共有をONにすれば、その場でローカルネットワークが設置される。都内でもwifiだけでなくsimカードの通信が思わしくなく、検索キーワードに何も入力できなかったり、次のページに進まなくなるくらい接続が悪くなるときもあるが、キャタピラ付きのクローラーがアクセスポイントを照らしてゆっくりと走り出すような姿が浮かんでくると、自分でも何かネットワークを準備することができるかもしれないと考えた。そこでまずはESP32のアクセスポイントをホームwifiから持っているiPhoneに変える。これは去年に、スマートフォンと同じポケットにESP32を入れて、設定をWifiからMultiWifiに変えて、移動しながらIoT機器が使えるかどうかを実験したことがあった。ポケットにはボタンが付いており、それを押すとGmailでおみくじがランダムで引かれる。電車がトンネルに入った時は繋がらなかった、ESP32に画面はないので、LEDランプが付いているかどうか、モバイルバッテリーのUSBが繋がっているかどうかで判断することしかできない。それでもESPボードには親指くらいのボタンが一つ付いているので、それを押すとLEDが点滅して何やら通信が始まる様子になる。そのあとでGmailを確認すると数秒後におみくじのメールが届いている。その事例を応用して、ESPにはローカルIPが振られている。もしアクセスポイントをルーターから、iPhoneに変えると、ローカルIPとゲートウェイの番号は192.xx.xx.xxから、172.xx.xx.xxに変わっている。そこで条件分岐を使ってESPがwifiに繋がったタイミングでipを読み取ってそこでwifiアドレスを再設定すると、はじめに192〜か、172〜と空いているアドレスになり、そこから指定したアドレスの住所に変わるように振り分けてみる。ESP32には通常のループと条件分岐に加えてwifi接続があることで、画面がなくても外と通信のようなことができる特長的な基盤になった。この段階で、外でもクローラーが動くようになったが、ホームwifiと同じように、クローラーから見たカメラ映像や音声が取得できたり、LEDランプが点灯できると操作がしやすくなる。

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電子書籍と文庫本の思い出

中国独自の目に優しいdisplayをもつYotaphoneがバージョンアップすると、macBookのUSBで認識しなくなってしまった。それでも充電はできて、E-inkでも節電モードで電子書籍を読むことができる。そこで漫画が表現力と一覧性に富んでいるものの、例えば大元の歴史書として史記がKindleになっている。史記は伝説が歴史に変わる起源を、時には民間の伝承から、またある時には、当時の中国の一族の伝記からその大元の歴史を想像して書かれたものだという。漢文では鴻門の会などの京劇でも敵と味方に分かれてそれぞれがパフォーマンスを行うという形式になっている。漢書は高校の時に興味を持って読んだことがある。Kindleには在庫がなく、図書館で文庫本のサイズで読むことがとても貴重な行為になっていることに驚いた。もともと文書はすだれ状の竹の束に小刀で削って記録されている。日本では和紙、エジプトではパピルスという繊維状のものに記録が残されたという。

Androidのバージョンも最新のwindowsに搭載されるものも5.1版の安定版がインストールされるようだ、パソコンに比べるとOSがあまりアップデートされにくい性格がある。アクションゲームをするにしても、すでに4.xくらいでかなり動きのバリエーションが充実している、例えばUnityでは今までのアニメーションを再構成するようなパッケージが開発されている。それはそれで表現の幅が広がって可能性が広がりそうだけれど、一方であまりメモリや演算能力が無かった頃に世界のことをよく知ろうとして、その片隅で作られたようなものがレアになることもあるかもしれない。

秋葉原の駅前にあるアトレのショッピングモールにも東方シリーズのpixivの人気絵師が書いた絢爛豪華なイラストもその原典のwindowsソフトには、手書き風の童心に喚起するようなCGから想像するしかなかった。もしスマートフォンに東方シリーズの第1作目が移植されば、隙間時間でも飽きることがなさそうだけれど、実際には例大祭などの国際展示場での催しでは、なぜか旧型のwindowsデスクトップパソコンがセットアップされて、そこで実際のゲームが再生されるという儀式のような手順が行われている。

人気に振り回されることなく、物事のあり方を自分なりに確かめたいと思うことは実は、傍に人がいないように振る舞うようで自分勝手なことなのだろうか。というふと気がかりになることもある。それでもそれはあくまで仮説であって、そうあるべきというように正義感が傾くようなことに客観的になれることがある。

史記と漢書は中国の原風景を表しているように思える。お茶碗の形も、卓上にあるしょうゆ差しが試行錯誤を経て作られたように、手の形に馴染むように形が決まっている。もしかしたら3Dプリンターでもお茶碗を作るような時代がくるかもしれない。そうなると河原に陶器のカケラが景色のようのなっている中国の一地方の素朴な魅力が幽玄なものに感じられる。中国でも日本でいう無印良品が普及するという動きもあるけれど、無印良品は西友の家電に白いペンキを塗ってリデザインしたものが元になっている。その起源は、壊れかけていてもまだ使えるCDラジカセやにあった。それが伝統的な家具や、自然と調和するように形を整えることで、ありそうでなかった生活様式が想起される。例えば3Dプリンターでネジとボルトや、ペットボトルのキャップと容器が作られるようになると何か入れ物を持つことが、中身を保存するだけでなく加工することの意味を知ることになるかもしれない。

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携帯電話とスマートフォンの巡り合わせ

スマートフォンで文章を書く機会は実のところ、あまりなかった。
もし歩きながら考えがまとまったり、誰かに返事を書くような場合では、自宅に帰ってパソコンを起動させてからという習慣があった。そこで買い物をすることはあまりなくなったものの携帯電話と過ごした場面も多くあった。
・docomo N501i
・au InfoBar2
・au Talby
高校になると、千葉から東京の飯田橋に通うことになり、連絡を取るために携帯電話を持つことになった。学校では誰も、僕が携帯電話を持っていることに気がつかず、また単語を覚えるために、エクセルで表をプリントして持参することはあったとしても、鉛筆を握って、リュックには辞書を担いでいることが多かった。英語を勉強してもTOEICの成績は上がらなかったけれど、心理的に解放されることがあった。「心の窓を開ける」という400字くらいの英文を和訳して、読み聞かせる機会があった。もともとひどいどもり症で、相手に話しかけようとすると気恥ずかしくなることがあり、メールや電話でようやく詳しい事情が伝わるというところだった。それでも、当時の携帯電話では長く没入することができなかったので、とにかく知人や家族に連絡を入れてくれればコミュニケーションが取れた。大学に通う頃にはdocomoだけでなく、通信技術を形にしたauが参入した。auでは四角いものがあったとすると、手に馴染むように角が丸くなっている。ボタンも押しやすく、当時はインターネットでホームページを作ろうとすることがそこまで普及していなかったものの、画像が携帯電話に表示されるようになった。
学友とチャットをして、時間が過ぎることも多かった。後継機のTalByは金属の頑丈で薄いボディに枝豆色の丸いボタンが付いている。InfoBar2では、ボタン全体が躯体に丸く収まっていたが、Talbyでは、ボタンがフラットで近未来的だった。
パソコンで描いた画像やテキストからフリーペーパーを作っていた頃は、建物の中ではインターネットができなかった。それでもハードディスクを持ち歩くというappleの発想から、iphone3を試してみたくなった。当時は携帯サイトのチャットを長時間使用することで通信料がやや高めになっていたので、やむなく乗り換えたということもある。iphone3でイヤホンをつけて家族に電話すると、家族は当時は携帯電話だったので、通話品質に違和感があるという。僕はかける側で相手にどのように聞こえているかわからなかったので、しばらく疑問が残った。iphone3はiOSを使っているものの、macBookを持っていなかったので、そこからWEBページを見ることが多かった。iphone3は携帯電話に比べると、躯体はシンプルな白で、どのような画面でも調和するようになっていた。パソコンで画面を見るより、スマートフォンで見た方が身近に感じることもあった。そのまま電話をかけてもあまり話し相手がいなかったという事情がある。それからsoftbankがnokiaやHTCという海外のスマートフォンを集めていて、ユーザーが選べるようになった。
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スマートフォンを楽しむための準備

スマートフォンアプリは、GoogleMapや電子書籍だけでなく、かつてのファミコンの代わりにもなっている。
androidのアプリでは、日本だけでなく海外のアプリもインストールすることができる。
iphoneのアプリでは、appストアの日本版に登録されたアプリだけがインストールできる。
スマートフォンアプリは、隙間時間をいつでもどこでも埋めることができる。
ハードウェアを遊ぶ場所に運ぶという手間が省けて、仲間同士でネットワークを作ることもできるようだ。任天堂のMiitomoという公式のアプリでも海外とのコミュニケーションというより、相手が何を求めていて、そこから自分には何ができるかを知りたいと思うようになった。でもファミコンの対戦ゲームや、シュミレーションゲームでは優劣がついてしまうこともあるけれど、そういったゲームの苦手意識をどのように和らげるかというささやかな気持ちも大事なことのように思えた。無理に続けようとするだけでもなく、お互いが緩やかに繋がれるような土台を考えたい。
その一方で、海外のゲームアプリにも日本の文化にインスピレーションを受けたものもあり、それを翻訳することで海外の理解だけでなく、今住んでいる国の知られざる魅力を再発見できる。ファミコンが開発された頃にはパソコンが普及しておらず、図書館の貸し出しシステムや自動販売機など、業務用の仕組みにITが使われていたので、そのゲームを楽しむだけでなく日常から近未来のあり方を見るいい機会だった。
街角では、何も音が流れていないことは珍しく、環境をそっと演出するBGMが流れている。そこには通信カラオケのネットワークが活用されている。中国でも日本語の歌が歌われていることもある。日本語のひらがなは中国の漢字をアレンジしたものだけれど、そこには気持ちを伝えるためのエッセンスが詰まっている。その一方で、日本では音楽で付加価値を生み出すことが難しくなっているようだ。アニメ用の音楽は、特徴的に編曲されたものや、イギリス発祥のロックミュージックに影響を受けたものが多いものの、同じジャンルで新しい曲を作ろうとすると、表現の壁を越えることが難しい。
日本では感情を抑えることで、気持ちを鍛えてきた。
中国では気持ちの抑揚を表現することで、気持ちを形にする。
むしろ中国でも、のびのびとした落ち着きが奥ゆかしさを表すこともあるけれど、ただ我慢するより、そこでの過ごし方を有意義にするための工夫は面白いメディアを知っている人もまたこれから初めて物語を作りたいという人にも潤いになりうる。
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