工夫を見つける

それが不条理であったとして、予め知っている有識者と呼ばれる人に助力を乞うことが難しい。しかしながら脳内での独り言が影響する可能性は僕は科学的でないと思う、大抵はなにか言いくるめられそうな不利な状況であることが多い。仮に自分が被害者で無かったとしても、競争相手が何らかの都合で退場するというのは、実力や交渉の段取りによるものでなく、単純に相手が気に入らない、またはスキンシップを取ろうとして断られたという子供じみた要求がある。とはいえ、大人になったり、その分野の知識を得たとしてもエゴを完全になくすことはできず、行動の起点になるポイントをマークされているのだと思う。とはいえ、優劣でなく好き嫌いで動いていくのは違和感を感じる。自転車を何者かに盗まれて、埼玉県の奥地に捨てられ、 監視カメラで自転車泥棒を捕まえたというでっち上げが、コミュニティであったときはなにを自慢げに話しているのかと訝しかった。もしそれがマウンティングというグループで上下関係から住み心地を決めるためのなにか非合法な取り組みだとすれば、それが勝っているときは相手も恐れるけれど、もしそうでなかったら、いじめにつながる。そうなった理由としては、僕にも原因はあるかもしれないが。

男性が女性について語るときは、たいてい立場の強い弱いが主で、実際の女性はほとんど関係ない。男子校で鬱憤を晴らしているようなものだ。こと芸能人の専門学校や、劇団員の人生論などは、突き詰めると苦労話で、苦労はもちろん悪いものではないが、他人に強要するようなものでもない。例えば釣りをする方法を教えたりなど、たとえ仲のいい相手でなかったとしても、なんらかのお得感がある情報が必要だと考える。

続きを読む 工夫を見つける

慮りの巡り

小学校の頃は将棋をただ眺めるだけだった、クラスで賢そうな留学生が先生と将棋をしていた。ゲームもクリスマスにファミコンを買ってもらって以来、目ぼしいものは持っていなかった。社会人になってからこれからはIT化の時代だから3Dにも慣れておこうと思ったくらいで、3Dって上手い人は体操選手のように動けるようで、僕は逆上がりがかろうじてできるくらい、コツをつかんだら根性でできるというのは僕にとっては現実的ではない。ジュールベルヌの神秘の島というSF小説を読んで、エレベーターが近代的なビルだけでなく、洞穴でも構造的な建物であれば実装できると知ったとき、やたらに階段を使いたくなっていった。世の中は歯車だけでは出来ていない。ニューヨークのマンハッタンは花崗岩の地層があり、比較的高層になりやすかった、それに対して関東はローム層で平屋でも快適に暮らすことができた。浅草にエレベーターができたことは高齢者代の誇りだと言われている。欧米の生活水準に追いついたという自負があった。水洗トイレはイギリス海軍の戦艦三笠の個室から、セーラー服などもそうかもしれない。

自転車の仕組みは知っている、歯車が噛み合って回る、あなたにできることは僕にもできる、それは心強いと僕は思う。自転車のクランクは冶金学によるもので、歯車にも規格がある。噛み合うことで動いているものは自転車だけでなく、社会的な構造を動かしている。郊外では父の世代では自動車が足の代わりだった、僕の世代では電車で間に合うようになっていた。京葉線も子供の頃は梁と埋め立て地で両側は広大な空き地になっていた。

何も持ってはいないが株式会社は思いつくと、何人かのブロガーは発案した、エレベーターや産業機械も、仕組み云々より、どう使うかで導入が後押しされたり、それを維持するかが検討されることもある。僕も何かに乗りかかることは主体性がなくて退屈だと思うけれど、砂鉄からガラスや鉄を作ることが集約的な営みの成果だとすれば、個人がいくら工夫しようが集団にかなうはずがないと諦めがつく。集団は法人格を伴っており、持続的に勝つ必要がある。株式会社は日本だけでなく、近代化の論理的な仕組みの一つだ。昭和の後期から、人々は設備より株式会社に所属して、そこで暮らしを営んでいたという。

経済的には差がないけれど、アイデアがあれば人は何かを生み出せる。何かを比べたり潰し合ったりということがメディアにはしばし話題になる。何か、例えば食べ物や持ち物でも素直に好意を持とうとすると、あなただけじゃない私もそれを独占したいのにずるい、またはうらやましいという陰りもでる。ものだけでなく比べやすい数字になると余計に対抗心が煽られる。

続きを読む 慮りの巡り

情報を運ぶ乗り物

パソコンを使うきっかけになった事は、家庭で家計簿をつけていた時だった。その頃から、簿記や会計の内職のようなものを両親が行なっていた。かつて家にあったもので、自動車とパソコンは、家庭の中にいるようで外の世界と行き来できる、ソフトとハードの乗り物だった。とはいえ、僕は自動車のAT車向けの免許を取ってからあまり乗っていない。父の代ではタクシーの運転手から見様見真似でレバーの使い方を覚えて、それで目的地まで移動する手段としていた様子が想像できる。それでも自動車も年月が経つとベアリングなどがすり減ってやや乗り心地が独特になってくる。自動車のブレーキは、電車のATSが導入されており、ハンドル操作がブレーキを握りながらでも動かせるように力加減が調整されているようだ。自動車でどこかにグループで移動することが、そのまま目的を持つことに繋がっていた。近年では、こういう仕組みの車を動かして見たいとか、または効率的なエネルギーでどこまで進むかというようにやや過程を大切にしたいところがある。

パソコンは、もともとはワードプロセッサーがリビングに置いてあった。かつては自動車教習所の合宿所の一角にも、インターネットコーナーが設置してあり、純粋にそこで検索エンジンでキーワードを工夫するといった事を知らず知らずのうちに試していた。ホームページが任意で登録され始めた頃には、同じ目的や考え方を持ったユーザーを見つけたり、連絡を取ることが楽しみではあった。それとは別にパソコン自体もいわば情報を運ぶ乗り物のような仕組みになっていて、それをあり合わせのロジックで効率化したり、変化させていくことに醍醐味があるかもしれない。

僕はあまり、かつての掲示板やはてなブックマークなどにはあまり、面識がないけれど、何かを情報発信したり、誰かの役に立つデータを作るのに、意外に難しいロジックを考えることが結果として必要だったとしても、そもそもどのようなことがしたいかを知ることが意外に近道になる事もある。パソコンの場合ははじめは限られたスペックで表示するドット絵だったのが、だんだんとPhotoshopが発展して、江戸時代の浮世絵の美人画のようで端正ではあるけれど、それを実写にしようとするような気はあまり起こらない。またエクセルの表は、例えばガルシアマルケスの小説の登場人物をメモするくらいで、それでもどうしてそこでその組合わせや例えになったかと言う事を想像することも、普段碁盤の目のように整備されていた升目を柔軟に活用するきっかけにはなるかも知れない。もし絵が描けないときは小説か、フィクションを読んで空想に習うか、または人体の骨格をなぞるといいと言う、または車のシャフトとギアの噛み合わせを何度か試してみる。はじめは何かの真似かも知れないし、または空気がややも読めておらず、正解を意識していないかも知れないが、意図を伝える事はできる。

続きを読む 情報を運ぶ乗り物

太陽電池のある生活の前途

太陽電池のうち、amazonと秋月電子で手のひら大のパーツを買ったものは、朝起きた時と、夕方帰るときにオンになっていることが多く、それだけで何か便利な気がするけれど、1週間で、かろうじて単三電池が約半分くらい充電されるくらいで、1週間でベランダに設置すれば、スマートフォンの電子書籍が30分くらい読むことができるくらいと予想される。もともと家ではあまり日当たりは良くないので、もう少し日当たりがいい立地であれば、プランターの苗の発育もいいのかもしれない。蛍光灯をLEDに変えたころから、植物を植えたりを思いついたので、自分の部屋が好きになれないという場合があれば、これらの工夫はより効果が現れる余地がある。太陽電池のパネル1枚1枚を単品で買うより、リュックに折りたたんで持ち運べるタイプで防水にも対応している。畳めばA4ノートくらいで、広げると畳1枚くらいの太陽電池を買ってみるものの、朝には電気がつかず、帰って家のスタンドランプを当てるとようやくオンになる。タイミング悪く、故障かと思ったけれど、仮にもしそうだとしても、ネジ穴一つなく、縫製も頑丈でどうにも治しようが無い。あるいはより日当たりのいい環境まで移動するか、または昼間の晴れた公園で広げて充電を試みるという方法がある。しかしながら日常生活ではそこまで日当たりがいい状態になく、スマートフォンを片手に下を向いていることが多かったのかもしれない。それでもそういった生活習慣を改善できるようなチャンスでもあると思う。太陽電池といえば、電卓に小さな太陽電池パネルがついていて、電池を交換する必要がないという文房具があった。そのため、太陽電池が必ずしも晴れでしか使えないとは限らないと思っていた。ところが実際には、タブレットの裏側や、モバイルバッテリーの裏側に同じ面積のモデルを貼り付けると、用途が重複してそのパフォーマンスが十分に発揮できないことがあるとなると、近未来的なイメージがにわかに現実に立ち戻るような気がしている。もし、5000mAhの20cmくらいの缶コーヒーと同じアルミ缶でできたモバイルバッテリーがあり、その背中に太陽電池がついているモデルがあると仮定する。それは、リュックサックに入っているとコンセントやUSBケーブルには繋がっていないので、用途は乾電池と変わらない。また、太陽電池を使って充電するにも満充電までに1週間前後、室内や日当たりの少ない場所に持ち運びにくくなる。しかしながら、もし太陽電池パネルと、金属のケースと各種電子工学のパーツの在庫が潤沢であれば、それを作ることで、多くの用途を併せ持つハブとして機能させることができる。誤解を恐れずにいえばスマートフォンにもそういった機能と用途が一致しないということがある。
続きを読む 太陽電池のある生活の前途

アイデアからその仕組みまでを考える

mineCraftの回路のアイデアを思い浮かべても、なかなかそれを実行できない。そういう時にはそわそわする。複雑なものもあるけれど、目的がわかればシンプルにもなる。アイデアを試してみるものの、例えば1マスだけ前に進むピストン、地上だけでなく、水中や空中でも1マスだけ進む。すると、空中ではハチドリのようにホバリングすることができ、空間を有効にかつようできる。前だけでなく、後ろにも1マス進むことができればよかったものの、二つを組み合わせると動きが競合して前にも後ろにも進まない変な装置ができてしまった。
そういった失敗もある。基本的には産業革命時の炭鉱夫をモチーフにした趣味レーションゲームだけれど、近年では、地下だけでなく様々な空間にも模索がなされている。かつては長崎の海底にも炭鉱があり、明治維新から大正デモクラシーまでを支えたという、スコットランドから輸入したというクレーンは、100年余経った今でも、クレーンとして実用されているという。八幡製鉄所では乾パンが文明開化と共に普及して、非常食の乾パンは今よりずっと硬い。水やスープにつけてかろうじて食べられるくらい。
当初は、mineCraftの地形データを3D描画ソフトのBlenderでレンダリングしてドットのテクスチャを反射や透明の色に置き換えて臨場感を出そうとしていたが、OpifineにShaderを加えて、水の反射や透過が表現されるようになってきた。セゴビアの水道橋をモチーフにした丸石で作った水道橋は、mineCraftではどこにでもあり、加工も容易な丸石で作られている。土ブロックには芝生が生えて見た目にも鮮やかで、丸石にも独特の質感がある。ファンタジー小説のゲド戦記では石ころのことをなんと名付けるだろう。特別強度があるわけでもなく、階段状のアーチが規則的に並んでいるだけでも、なかなか飽きのこない佇まいがある。普段街にもいろいろなシステムがある。その動作は何気無いものでも、そこには一連の計画性と流れがある。さりとて、高度経済成長期の財政で作られて、不景気になっても頑なに計画が遂行されるようなパターンは歴史上には前例がない。
自動販売機にも要件定義から設計があるくらいで、どのようにコインを判別してお釣りが出るか、またドリンクを選んだ時にどの貯蔵庫から缶が出てくるかなど、想像に尽きない。できれば電子マネーで買えるタイプでなく、在庫が透明なケースでわかりやすいものがいいかもしれない。または、自動化されていなくてもオフィスグリコのように、引きだしとコイン入れが付いているだけでも機能はする。郊外には野菜の無人販売があり、慣習的にその村では余った野菜を近所の人におすそ分けする、その代金として台にコインを入れる。お賽銭にも似ているセキュリティ的には無防備なこの慣習は、チェーン店を全国のあちこちに展開しているローソンや、そこにお菓子を陳列しているグリコになんらかのインスピレーションを与えたのかもしれない。モーターが回っていても、水車が回っていてもひとりでに動く仕組みは変わらない。慣習や意識でもそのように繰り返すごとに滑らかになっていくものがあるのかもしれない。今まで当たり前だった常識も少しづつ変わってゆく。日本では和紙で部屋の窓にする障子はあまり見られなくなったけれど、中国や欧米でも障子は日本らしさとして認識されつつある。
続きを読む アイデアからその仕組みまでを考える

Minecraftでの素朴な疑問の内訳

mineCraftでスライムピストンとオブザーバーを組み合わせると、スライムピストンが2通りの動き方をするので切り替えスイッチになったり、乗り物の一部になったりすることを質問しようと思った。もともとはスライムブロックエレベーターを動画通りに作ろうとして、その仕組みを確認してゆくうちに、気が付いた。それは偶然だった。オブザーバーは作物が伸びたりブロックが移動したり変更されたりを0.1秒ごとに検知している。ピストンにはスイッチなどではそれよりやや長い信号が送られるので、通常は接着剤がついたピストンとして動く。それならそれで、wikiにスライムピストンの性質について書かれていたほうが、ピストンやスライムを集める手間が省けるので、他のプレイヤーにも為になると思われた。MacBookにインストールするJAVAEditionでは、ピストンの仕組みがコンシュマー機とやや異なる動き方をすることと、僕自身が立体的にドットグラフィックを組み立てることに慣れていないので、回路と向きの作用によって、グラフィックをアニメーションのように更新する仕組みをトライエンドエラーをしている。
例えばドローンは、パソコンの空調ファンを組み合わせて、それを連動させて作られている。空調ファン自体は、モーターを回して風を送るシンプルな構造。ところがそれが、鳥の視点で物事の新たな側面に気がついたなど、映像分野での応用が近年では盛んになった。Minecraftでもブロックとピストンを更新すると、空中を一定の間隔で移動する乗り物が作られる。実のところ、それを活用してエレベーターを作ってはいたものの、その部品の動き方がわからないまま進めてもなんだかわだかまりが残るような気がして、質問をしてみた、返事が返ってきて、親切な対応ではあったもののmojang運用サポートとテクニカル部門は別にあることを教えられた。そこで、さらに探してみると、類似したもので、2011年頃にピストンと動力の関係について、解説しているスレッドと動画を見つけた。組み合わせ次第では、マニュアルにありそうでないことができるけれど、結果をみるとわずかなタイミングをやりくりするので、いつもそのことばかりを考える訳にもいかない、しかしながら、2018年になっても、フライングマシーンにはプレイヤー一人分くらいの大きさにしかならず手摺りを付けると重量オーバーになってしまう。僕自身がそこまで凝ったことができないこともあるけれど、あり合わせの材料で、フライングマシーンが作れれば、ただ漠然と建物を作るよりリアリティがあり、何かのパズルのピースになる。ブロックが動くと、接着剤がついていないものは剥がれてしまうので、フライングマシーンにも、スイッチや手すりが付いているものはほとんどない。空飛ぶリフトは作れるものの、空飛ぶ家はまだ例がない。元々はMinecraftはその自由度から建築やシステムの自学自習に費やそうと思っていたけれど、そこには再現性や汎用性を考える余地がどこかしかにある。パソコンは確実な再設計ができそうだけれど、そこから新たな可能性や、手順を少なくすることで、他のだれかにもできるというモチベーションの向上に役立つ。
続きを読む Minecraftでの素朴な疑問の内訳

難しいことを分かりやすくする仕組み

任天堂がコロプラと特許でもめている。コロプラは新しい世代がスマートフォンのうえで、e-スポーツや交流をするというゲームになっている。中でもぷにコンという新しいインターフェースが、任天堂がすでに作っていたゲームの構造と似ており、独自性に疑問があるという。特許の詳細情報を見るとゲームの座標の取得から、実際のゲーム機で実行されるまでが図やフローチャートを使って、詳細に書かれている。任天堂は、パソコンが作られる前から、デジタル化・システム化を進めてきているが、ユーザーとの対話をベースに親切な設計がされている。しかしながらあまりにサービスが行き届いてしまうと新しいものが作りにくくなってという側面もあるかもしれない。ファイヤーエムブレムでは、それぞれのキャラクターと担当する絵師と声優の名前がそれぞれ画像の下に明記されており、それをキーワード検索すると昨今の漫画やアニメの絵柄の流行の傾向なども紐解けるようになっている。
フローチャートは自動販売機のお釣りを出す仕組みにも応用されている。普段生活しているところでは、店員がいない商品棚から飲み物を選んで、手持ちのコインを特定の場所にいれて、お釣りを受け取るという流れになる。コインの受け渡しがなかったとしても、例えば住所録や家計簿といったものでもそれが動作するためには、動くものを作るというだけでなく、4コマ漫画や脚本に使うコンテのような概要があると実現性を支えられる。しかしながら現実ではまるでアニメの実行画面のように一瞬で多くの現象が起こって過ぎ去ってゆく。そういったところでは便利さの中で、相互理解のチャンスが失われているかもしれない。それはそうと、任天堂は十字キーとABボタンというシンプルで手足の連続で動かせるインターフェースを開発していた。今でも、ハードウェアのニーズさえあれば元々のゲームボーイでも事足りそうだ。ところがタッチパネルを要したスマートフォンやタブレットになると、そのインターフェースの概念とその背後にあるフローチャートやフラグなど一ユーザーでも理解する必要が出て来た。具体的にはもしテレビの接触が悪くなった時に、かつては何度か触ったり、埃を拭いたりしていたが、精密機器になるとそういったことがあまり有効ではなくなる。非破壊的でなおかつ対話的なアプローチが必要になる。
パソコンだけでなくノートパソコンやタブレットなどが普及する前後では、webとゲームのメディアとしてのバリエーションが広がった。近年は、雑誌からアプリまで部署ごとに生産ラインを作って手広く展開しているというところもあるらしい。しかしながら、その中でどのような作業がやりがいに値するかが、従業員でも見つけにくくなっている。それでいて、現状では多くの技術者や、クライアントに巡り合ったことに感謝しているという。それはそれで悪くはないけれど、では現状をどのように改善するかという問いが生まれにくくなっているようにも思われた。
続きを読む 難しいことを分かりやすくする仕組み

見たことがないことを推し量る

それぞれに目標はあるけれど、ものごとの基本は実際に会って話をすることだという。またそれぞれの年代や、性別、置かれた状況にもよるかもしれない。苦労はあるところを超えると、他者を戒める呪いになる、それもある種のブランドをしょってのことだった。誰しも有名になりたいし、ある種の安心もしたい、そう言ったところを時になだめ、またあるときは脅し、またあるときはと会話には色々な方法があるようだ。それでもいかなる時でも、なるようにしかならない。いずれ、迷惑の掛からないコツがわかってくればと思う。上下関係があると競り合いがうまれず、対等だとトラブルになるという考えが、それを読んで状況に応じようと思っているより早く、環境が組み変わってしまう、影響力がものごとを伝えるベースにはなっている。そう言ったところで、何かできることはないかとまだも諦めずに様子を伺う。
何かの専門技能が身につくことと、それを共有することは一致しない時もあれば、一致する時もある。その道筋を辿っていくことがやがては経験になる。その日、その日でやることが変わってくる。その対応力に助けられている。通常の仕事であれば、自分が関わることで周りがより良く動ければ良いけれど、長い視野に立ってみると、協業するためのアイデアの共有もしていきたい。以前よりSNSは大人しくなったものの、やはり誰しもが何かと戦い、競い合っているような気がする。そう言ったところでどのようにそこに順応できるかが、課題にはなってくる。ウェブとロボット開発にはどのような共通点があるだろう、また、システムに人道的な特長が必要だとするとそのことで、ユーザーと開発者、また関わるグループがやり甲斐を感じられるようになるだろうか。と考えて見たくなる。インターネットが広まる以前から、自動化や大規模化は進められてきていた。図書館の蔵書のバーコードや、レジの検品など色々なところでシステムが動いている。そう言ったなかで、一消費者の立場から始まって、周りが納得できるような仕組みはどんなものかと改めてそのコアの部分をイメージする。
続きを読む 見たことがないことを推し量る

心を繋げる仕組みが入る箱

ナビゲーションを作っているとどちらが影響力を持つかということになる。困ったときはお互いさまということがある。はじめはテクニックや機転を競い合っていてなかなか仲が良くならなかったけれど、進路が同じようになると共感できることもいくつかできるようになる。どのようなグループでも兄と弟のような関係が自然にできるけれど、そこを一歩抜け出すと、どちらでもないようになる。どうしても結果をみて判断する、つまづいたり滞ったものはお勧めできないという、その先入観の中にも、だれかの役に立てるところはあるのかもしれない。未来予測が話題になっているものの、他の人がそれを行おうとすると不安のなすり合いになる。不安はなくそうとしても細切れになって残っていて、どこかで具体的に対応するか、出来るところとそうでないところをじっくりと見分ける必要がある。
誰しも、台詞に力を入れていて、それに従わざるを得ないような状況にはなるものの、それで事態が大きく進展したことはあまり多くない。一般とそうでないものの狭間にも、実はこうした方がよかったということもいくつかはある。なるべくは面接などで出たとこ勝負になったときに、ある程度正常でないこともあるかもしれないが、あとあと振り返って見ると本心では実はこうしたかったということは見つかるかもしれない。とにかくこれからはリズムを整えて行こうと思う、今までが特殊な状況下で日々の考えを綴る機会が定期的に訪れなかった。こう言ったものもいつ書けなくなるかという覚悟は固めておいたほうがいいと思った。そこまで反射神経に優れるわけでもないが、書けるきっかけが一日に何度か訪れる。そのタイミングに乗っかっていると割合考えがまとまりやすい。しかしながら、相手を一言で黙らせる工夫を考えていると、おそらく判断材料が足りないか、またはミスを引きずっているかなどがあり、先々にあまり生産的ではなくなってくる。
続きを読む 心を繋げる仕組みが入る箱

等身大の情報を伝えるために

マスコミは視聴者に行動を起こさせるようい様々な工夫をこらしている。しかしながら、そこに写っている役割は宣伝だったとしても、同じ人間だ。世の中にもし平等や等身大の状況を伝えるものがあったとしても、僕を含めて多くの人を幸せにはしないかもしれない。嘘や誇張は、相手を意図しないところに追いやる。例えば、中国にある崖村には、海外のAFPのニュースでは、そこに住んでいる人も同じ人間、情報収集にはインターネットやwifiが必要で、階段には手すりや事故防止のためのインフラも必要ということになる。同じものを日本のエンタメ業界とある記事では、崖村は日本より文明が遅れていて、生活に必要なものは自給自足、豊かな暮らしに安住する日本人の感覚が鈍っていることを戒める内容になっている。
僕自身、自分の待遇が良くなかったとして、それを他人に不当に扱われれたり根も葉もない噂にされれば、やはり気分が落ち込むことはある。それをそのまま伝えたとしてもそれは愚痴にしかならない。他人に言われなくてもわかっているつもりだった。一方で日本が便利で恵まれているということも少しづつ変わってきている。昔のように食べることに困るということはなくなったけれど、それでも何かに満足することが、同時に他人の心は満たされない事もある。そういったところでは、どうしても他人の噂が気になってしまう。
実際に起こったトラブルより、それを面白おかしく誇張することによって、事実がわからなくなるということにはなるべくは関わりたくない。もし苦労があるとすれば、相手に頼らざるを得ないところと自分でできるところに自覚的になることが考えられる。何かに騙されるということは言葉がある程度通じて、お互いがわかっている時に起こる事がある。例えば、両親からメールがきたとしても上手く返信できないこともある。そこで、素直に返答してもいつまでたっても自立できないというレッテルを貼られる。そこでは自分がいくら客観的になろうとしても後ろやちょっとした盲点は言われないとわからない。そういったところからどのようにまた等身大の見方ができるように立ち直るべきか。
続きを読む 等身大の情報を伝えるために