つれづれの日々の取り組み

なんだか落ち着かない日が続く、そういうときは歩きながらスマートフォンをみる気も起きない。寝ても朝ドラを見る気力が起きない。そう言ったときに、なるべくは相手の意図を汲み取るようにするように心がけている。相手のためにそこまでするという気持ちから、何かアイデアが生まれるといいけれど、頑張っている人の隣にいるとこちらもあまり休んではいられないような気分になるけれど、どのようなことを知りたくて、またその人にあった役割にはどんな選択肢があるかを示すことで、何かに追われているようなストレスを緩和できるようにも思われる。僕の場合は、あまり失うものがないので、とりあえず付き合って、そこから出来ることを拾って行く。
電話やメールでは距離があるけれど、実際にあって見ると課題解決に取り組めるようになる。その辺りが、同にも悩ましかった。不安が僕にあったとしても、相手の方がさらに不安だった場合、どのように歩み寄れるかを考えてみる。どのような場合でも、その場にあった対応が必要になる。それぞれ事情はあれども、返答に詰まったことが比較的なくて、素直に答えられたときにやや見通しが見えた。タリーズのコーヒーを持ち帰ると、次の喫茶店でもまだ暖かさを保っていた。ショートサイズではあるものの、そこで水苔が栽培できたりとか、LEDランプがそこに付けられたらと、そう言ったどうでもいいようなことでもなぜか落ち着いた気分にさせられた。
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場当たり的でないものを作る言葉

なるべくは、できることに取り組んでいたい、その途中で話しかけられるとタイミングが良くない。いろいろ考えてもエンターテイメントは、転んでから起き上がるときが見どころであるように思われた。しかしながら、それだけを続けているとパフォーマンスが続かない。実際のところ何かに集中できる機会は限られている。
相手を気にしないで何かに取り組めることが単純に羨ましいということもある。現実には機会を選ぶことができず、すぐに成果が期待できることもその時点ではわからない。その分からない部分から、この人はここまでやってくれるというところで繋がりができて行くこともある。しかしながら、ある種、誰かに好かれることが、誰かには気にされないという裏返しになることもある、そうなると、ちょっと気を引こうとして色々とちょっかいを出す。すると、すでに何かには取り組みたいけれど、そのタイミングで話を持ちかけられると困るということもすでに体験している。そう言った場合は、都合や空気の読み合いになることもしばしばある。そうなると、気が利く方が有利にはなる。実際に、昭和の時から日本ではすばしっこい方がパフォーマンスが出るようになっている。そこにはある程度適用した方がいい。それでもそこにかかる焦りもまたもう一つの側面ではある。続ければ続けるほど、悩ましい要素がある。
先週末にかけて、タスクを集中力が途切れそうになりながらも、なんとか自分を奮い立たせて時間内に終わらせようとした。相談して見ると、頼まれたことは断れないという禅問答になり、できることも限られてくる。新しいことをその間に覚えようとするとなかなか入ってこない。その時に、2ヶ月前に実装したLED7セグナンバーディスプレイの3分タイマーは、ライブラリと組み合わせることで、iphoneのストップウォッチとの誤差がなくなり、タイマーとして動いていた。接触が良くないのか判断がつかなかったけれど、新しい操作ではナンバーディスプレイが上手く表示されないこともあった。ところが、タイマーを起動してからまた次のコードを動かすと経験的には動くことが多かった。もし不具合があったとして、そこから無理に直そうとしたり、改善点を聞こうとすると、場の雰囲気とかみ合わないと、こちらが勘違いしていたり、何かを見落としているという事が見つかって、そこでつまづく要因の一つにもなる。ともあれ、先行きがあまり不透明な中で、何かに一生懸命になることはある意味では先のことを考えないということでもあるので、集中力が途切れた時に不満が出たりすると後で引っかかることにはなる。
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