改良と交易

もともとモンスタースポナーとトラップは、村人と交易に使うための素材で、それ単体では自給自足には役立たなかったために、モンスタートラップをわざわざ作る必要がないのはないかとも考えた。醸造台を用意するための素材集めの過程でブレイズという火の玉を連射する危険なモンスターで、壁を作って床にホッパーを敷いてアイテムを回収するしか、安全策がなかったことが挙げられる。それによって村人を司祭という役割に転職させることができ、役割が与えられるとプレイヤーと素材を交易することができるようになった。村には用心棒としてアイアンゴーレムが一体いるが、建物意外に壁がなく、夜に訪れると危険だった。ネザーには数百ブロック距離があり、片道でも道のりがそこそこ長いけれど、ルートを特定すれば、安全に通行できるようになっていた。村にも村全体を壁で囲うのではなく、夜でも安全に通行できるくらいの壁がある街道を作れれば、それで事足りると予想された。昆布養殖プラントは自給自足ができるだけの量を量産しようと考えて、まずはクリエイティブモードでも試作品を作ったが、壁などはできるだけ少ないブロックで目的が達成できる方が効率的だと思っている。しかしながら壁や灯りがあると襲撃の心配がなく、なかで自由が利いた状態になることも事実だった。ネザー内にトロッコの路線を作るか、村の安全を確保することは並行して進める必要がありそうだ。またはモンスタースポナーと拠点になっている昆布養殖プラントに地下道を掘って、交易用の素材を運びやすくするという方法が考えられる。一度通った道でも繰り返し往復しようとすると条件が変わっていたり、準備が新たに必要になってくる。

水流を使って、マグマブロックに誘導してモンスタースポナーからアイテムを集める方法を取ったものの、アイテムを回収するホッパーの間に1マスの隙間が空いているため、背丈の低いスパイダーなどはトラップをすり抜けることがあった。そこで1マスのブロックの伸縮するピストンの列でホッパーの列を覆って、スポナーから水流を介してマグマブロックに誘導されたときに生じたアイテムがある程度溜まったら、ピストンを縮めて、ポッパーにアイテムを回収するようにした。スマートフォン版でもハーフブロックの下に水流は通すことがはっきりしなかったこともあり、アイテムを回収するタイミングをピストンで調整する回路を繋げることにした。また、トラップではなく、剣や弓で直接攻撃すると、ドロップできるアイテムが変わることがある、スパイダーではクモの目が、スケルトンでは矢だけでなく弓が稀に手に入る。スケルトンのスポナーでは、骨粉や矢が手に入るため、肥料やボウガンの弾になる。昆布養殖プラントの骨粉は生の昆布をかなりのブロックを費やすために燃料としての昆布を量産することは可能だったが、骨粉はいまのところ乾燥昆布に対して余った昆布からチェストボックスの収納を開けるための手段になっている。骨粉によって作物の成長が促進されるために、畑はコンパクトになりうる。

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水路とメンテナンス

明日のことを予測ができない状態から、緊張が続いて自律神経が少し鈍っていた。他人のせいにはできないが、なんとか自分でもできることがあれば改善していきたい。mineCraftというシュミュレーションのなかでプログラムを用いて自動化を試みたのは、一人では手が足りない状況を少しでも改善したかったからだったが、世間一般では手作業の器用さが支えになっている。僕としてはあまり器用ではない分、気づきや相互関係でなんとか間に合わせていきたい。会話の要点と気持ちが合うところで、協力が得られるように努力しようと思う。言葉を文章にすることは珍しいと思われることもあった、スマートフォンにワイヤレスキーボードを付けてwordに文字入力をしていたら、それだけでパソコンのようだと思われたこともあったが。広告代理店の講演イベントでポケットに入れていたら、となりの椅子にボールペンが転がってしまって、それを拾いにくくなってしまったことがあった。ボールペンとメモがあれば、パソコンやスマートフォンが無くてもいろいろな考えや言葉をしたためることができるが、それがちょっと気を逸らしてしまうと、思うようにいかなくなってしまう。僕はそこまで自己中心的ではないと思うけれど、反射神経が鈍いせいか、ちょっと抜けているところがあって、ヒヤヒヤすることがある。そのポイントはちょっとしたことに現れるが、それをすべて気にすることもできず、できることから改善していこうと考えている。

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工夫の素描から

デジタルの線はもともとアナログのデッサンを抽象化したものだった。AIも自動化というよりはデータの蓄積と参照という意味合いがある。講演を聞いていると日用品の活用方法と伝統の共存がある。例えば蕎麦はカップラーメンでも、または蕎麦屋にもいったことがあった。どちらにも良いところがある。カップラーメンの蕎麦にインスタントの薬味を足して、栄養バランスを取ろうとしたこともあった。納豆のたれには、醤油の他にみりんと砂糖が入っておりバランスが取れている。漫画や同人誌のコミックマーケットにもキャラクターがあるなかで醤油へのこだわりを冊子にした珍しい例もあったが、僕はどちらかというとそこまでこだわりはなかった。図書館の本も公民館という箱ができるまでは、海苔箱に貸本をいれるワゴンが街を巡回していたという。それがバーコードになり、Googleが普及する前に図書カードがデジタル化したことが印象的だった。図書カードに借りた本が重なることもあるが、デジタル化すると貸出中のタグが付くリストが比較的良く読まれている様子が伺える。

スーパーマーケットがイオンモールが多くなってくると町の景色が地方でも都会でも似ているようになる。主観的な地図を描くと、駅と日用品の商店街と住宅があるという縮尺より感覚的なものになる。鰹節の厚削りを袋で買って、だしを取ると意外にも淡泊な味がした。とはいえ鍋には水をためてぐつぐつ煮込んで、布巾とざるで濾して、そのスープを調理の引き立てに用いる。インスタント食品にも伝統的な昆布だしや鰹だしの風味をベースに作られており、自然食品だけでなくインスタントにも合う。醤油を生醤油で使うと塩辛くて角が立っている、蕎麦つゆやおでんやすき焼きなどでは醤油をベースに砂糖とみりんを加えて味を円やかにする。データから逆算すると減塩、健康志向というキーワードから読み解くということもできる。すでに定着した伝統が無条件に正しいということもなく、またデータはそれが合っているかどうかという観点から見比べやすい。醤油は和風の特徴的な調味料になっているが、それは初めから定着したものではないようだ。明治時代に味噌の上澄みだった調味料が一般的になったもので、それ以前には梅干しと鰹節などに料理酒を煮詰めた煎り酒が用いられていた。

鰹節も花かつおのように薄いものでは、そのまま煮詰めるとえぐみがでるので、さっと煮だすことであっさりした味付けを取るけれど、普段だしを取らないので一般家庭では習慣づけが難しい。例えば、おでんを食べたときに昆布の束と大根を煮込むことで味を出しているものがあった。鰹節も厚削りであれば、一度だしを取ってから、その残りからでももう一度だしが取れる。とはいえ、水で煮込んだ厚削りはほぼ味がスープに溶けて、だし柄からは味があまりしなかった。そこで料理酒で厚削りのだしを取ると、すこし味は濃くなって、だし柄にも味が残っている。市販のめんつゆはやや味が濃厚で、味付けでなく具材を充実させればその限りでもないが、献立を立てることがおっくうになる。手早く作れて、アレンジがしやすいようなレシピを想定している。

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身の回りの変遷

部屋を片付けるとして、どこから取り掛かるか。自転車は折り畳み式で玄関に停めている。ハンドルの部分は安全用のミラーしか使っていないが、既存のヘッドライトスタンドがまだ残っていた。ネジを取り外して対応する。洗濯機の詰め替え用洗剤は、容器がなく、詰め替え用洗剤だけになっている。ガムテープで袋の口をこぼれないように留めて置く。キッチンには、ペパーミントとスペアミントの植木がポンプで稼働している。かれこれ2年半近く動いている。当初はプラスチックの茶こしが入ったケトルを植木鉢の代わりにつかい、水やりの手間を省くのが目的だった。LEDの蛍光灯がキッチンを照らし、キッチンと玄関は日が当たらないので暗かったが、入り口が明るくなった。LEDの蛍光灯に比べて長く、常時点灯させていたけれど、そこには窓がないので、外からは見えない。もともと日当たりがよくない部屋で、ベランダも北向きで、晴れた日には西日が差すくらいだった。しかし、内見した日は、夕方ごろで比較的日差しが明るく見えたのかもしれない。

千葉県市川市から引っ越したてのころは2段ベットを運んできて、下の段を物置に使っていた。下の段も整理して寝転がれるようになると、ロフトができて部屋が広くなったように感じた。とはいえバストイレが同じのユニットバスで、収納もなく、それだけにいかに最小限の持ち物で、広くゆったりと使うかを工夫するようになった。やがて二段ベットによって部屋を広く使っていることは、二段ベットが寝ているときの態勢でグラグラ揺れるので、ロフトベットで足が太いベットを探していたが、結局物置の箪笥の上にマットレスを敷いた1段のベットに落ち着いた。思えばそれがベットを買ったのは初めてで、天井を広くとって、狭い部屋を整理するだけでなく、空間的な余白を確保しようとした。ベットはそれだけで部屋の大部分を占めてしまうが、あえて両サイドを通路に確保しているが、片方は物置きのようになっている。またシーツは無印良品でグレーの綿のシーツにして、これは一般的なシーツでは、ペイズリーやチェックの柄がついているが、それがあると部屋が狭く見えるので、自然に近い色合いにした。無印良品では布団カバーもシーツと同じ布地にして、冬には綿布団を詰め、夏には綿布団を抜いて布団カバーだけにすることができるようだ。

瑞江の長崎屋のアピーズ(現在では同じ建物がドン・キホーテになっている)で買った、コの字型のベニヤ板の机は、椅子にも机にもなるような大きさで、壁とクッションを組み合わせてテレビを見るソファーにしていたが、テレビとブルーレイレコーダーは、やがてiPadやスマートフォンにabemaTVに変わり、ソファーでなく、椅子や机として本来の使いかたができるようになればと思う。

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アイデアの試行錯誤

自己暗示は強力で、とくに立場がある人がそれを行うと、あの人は反省しているのに、あなたは素知らぬ顔をして薄情だと思われているのではないかと、心理的に思い込んでしまう。これとちょっとしたクセや選び方で思考の癖を読み取られると、ほぼ初見では何もできないくらい行動を束縛されることさえある。相手に何かをさせることもあれば、逆に何かをさせないというパターンもある。

僕は駆け引きや議論が苦手で、LINEでもペースをよく取られる、逆に相手にしてみればそれが当たり前なのかもしれない、話もどういう話が面白くて、またそうでないかはわからない。相手に嫌な気持ちや苦手意識がなければ、どのような話題でも聞いてみれば興味がわく。何かに慣れることは、とても頼りになるはずが、相手と上手く付き合えなかったり、自身がお互いになくなってきて、経済や政治など当たり障りのないものになりがちになったりする。

高校の時も数学にのめり込んだときは、もともとコンビニのレジでスナック菓子を頼むのが多くなりそれを心配されていたものが、小銭のチョイスが微妙というあまり個性的でなく無機質なものになっていった。僕自身にそういったがめついところがあったのかもしれないが、あまり損得でもそこまで工夫ができるわけでもなかった。

何か手がかりを掴むのに、インターネットでは個人的にはGoogle検索が慣れているけれど、バッテリーや、配線に加えて、半田ごての工夫や材料を探すのがこうじてクローラーが組み立てられ、またWiFiリピーターがDIYされたりとありそうでなかったものが見つかってきた。バッテリーは市販のものでも、3,7vのものが多く、電圧を変えて蓄電池の12vに近づけたものを、ホームセンターやスーパーマーケットにあるタッパ容器に収めようとしたものの、乾電池は直列にすれば、電圧がその合計にはなるものの、容量はそれぞれ異なるので、なるべく同じ条件にする必要があるようだ。ベランダにある蓄電池も、サイズと容量を同じものに揃えているものの、そのサイズはカーバッテリーやリチウムイオンバッテリーの中間くらいもののだった。リチウムイオン電池にタブをつけるもの、四角い組電池をイメージして、半田付けしたけれど、タッパのサイズに合わせて、変則的にエナメル線で付けてみたけれど、出力は11v前後出たものの、それを充電しようとすると、リチウムイオンバッテリーの容量がそれぞれ異なっていたので、保護回路が上手く動いていなかった。バッテリーの容量は電圧に比例して放電量は多くなるので、電圧が高めになっていれば、出力が持続している。

USBケーブルとマグネット端子をつなげたモデルは、イヤホンのようにポケットにいれた時に、デバイスが引っかからない、raspberryPiなどのマイコンでも省スペースになるので、便利に使っていたが、砂浜に持っていくと砂鉄がついて端子が故障した。その前にウェットティッシュで砂鉄の粒を拭いて、iPhoneの容量を50%くらいまで貯めていた、しかしながらそこで電子書籍を読もうとすると、端子の一部が故障して充電できなくなり、雑誌か紙媒体の本で時間を紛らわそうとしたくなった。ふとガムの粘着力なら砂鉄を端子の磁石からはがせたかもしれないと何のけないアイデアを思いつく、マグネット端子は片方の電極は故障したが、もう片方のケーブルは砂鉄も落ちてそのまま充電できるようになった。ケーブルでも硬くてゴワゴワするものもあれば、しなやかにしなるものもある、長さは初めは長めに持っているけれど、持ち運ぶに連れてその長さが体やバックに合わなくなってくる。とはいえ、もし行き先が気になって、旅に出るような時は、しばしば電源の予備がなく、ケーブル一本でもありがたい時もある。

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ありのままの可能性

映画レットオクトーバーを追えは、高校の時に読んだ沈黙の艦隊も潜水艦と自衛に付いて取り扱った作品だけれど、僕は自分なりにはよりリアリティを感じている部分がある。トムクランシーが書いたフィクションの小説だった。高校に入ってから大学に行くにも両親からはどちらかというと人にペコペコできないくせに命令もできない、棒にも引っかからぬ職業訓練校がせいぜい似合いだと言われていた。僕はそれを屈辱に思っていたが、女性相手では尚更だった。とはいえ計算高くもなく、腕力もない、ルックスも良くなく天然痘のようにアトピーがあり、あちこち浅黒く皮膚が腫れている。

そういった身体障害者が幸せに暮らしていけるだけの空間はないものか、自分のような失敗作でなく、次の世代にはよりリスクが低くバリアフリーになっていて欲しいものだと。当時、妹がエヴァンゲリヲンの録画を時系列順に取っており、父はパチンコで景品を勝ち取っていた。それぞれ計画性があったことが伺える。何事も一芸に秀でることは良いことで、それは好きこそものの上手なれという習慣から生み出されるものだと教わった。アニメは滑舌も良くなるし、コミュニケーション力も身につく良いお手本と言えた。僕にはチビで取り柄もなく、何かのめり込めるものがあればなあ、進路が決まれば計画性ができて息抜きがしやすいだろうと。それが利益になるとも思えず、期待をし過ぎることで、それに裏切られるのはと目を伏せていた。

原作の本には訳の分からないマーキングをしていた。当時は、何かしら手に職をつけたかったのか、真空管のように白熱電球を加工した部品を並べた効率の悪いパーツが、アメリカでは何かの半導体に取って代わっている。パソコンを使うならその大本の大型コンピューター、クレイⅡ。それで一体何をするのか、SF漫画を読んでいると気象衛星からのデータを解析して、未来を予知して文化的な暮らしを営むのだという。ロシア人は社会主義の中で、閉鎖的な村社会の文化を作っていた。それは良いところもそうでないところもある。その中である男が呟いた、モンタナ州でスーパーマーケットに行きたいと。そこにもユーラシア大陸にない資源があるとは限らず、食料品の余分なサイドメニューを選べるだけ、空腹に困らず、貧富の差を感じずに済むだけの幻想があるだけだとしても。主体性を持たないよりは実感が持てるだろうと。

社会の制度の枠組みを抗わずに、ありのままの視点で分析した黒人のジョーンズというソナー手が映画で出てくる。彼は、初めは太鼓の遠鳴りのような音をマグマの周期によるものと思ったけれど、それを解析して何かの乗り物のエンジンの駆動音だと今までなかったものに存在感を見出した。回転するものには何らかの音があるが、それが静かにする工夫のために有意義な対話がある。同時に、ジョーンズを取り巻く環境はアジア圏やロシアに比べると雑多であったけれど、何かを学びながらそこに楽しみや遣り甲斐を見つけるための余地がある。飛行機やヘリコプターも実用化されているが、車も空を飛ばない。ドローンも郊外の倉庫やショーウィンドウに飾ってあるだけになっている。そういった中で、僕だけでなく、僕より賢い素質を持った人でもデータを集めることができる能力や何かに気がつくセンスがありながらも、それを形や行動にできないというもどかしさを抱えていることも少なくない。エンジンの駆動には音があるが、循環は静かでさざめきだけがある。水と機械は、相性が良くないが、アルミや銅の熱を伝える性質が有機的に作用している。

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ポケットラジオの工夫とトラブル

街を歩いているとふと、ポケットラジオの電池に配置を思いつく、昨日では4つある電極をたすき掛けのように付けていたが、もし片方で3vだそうとするとうまく出力されない、そこでもう片方にワニ口クリップをダミー電池として付けると片方に電池二本分の電池を付けて動作させるというアイデアを試してみようと思う。ふと北風が吹いて持っているビニール袋を少し後ずさって拾いに行く。

単三電池のダミー電池や、電極を抜き出したものは例があるけれど、一回り小さい単四電池には例がない、手持ちの材料で作ってみようと思った。木の棒を電池に見立てようと思ったが、ネジはメッキの部分が電気を通さない場合がある。ホームセンターの銅線なら、確実に電気を通し、入手も容易になっている。また銅と半田はくっつき易く、それを缶電池の凸部分くらいの大きさに加工して電極の代わりにして、動線はエナメル線にして、両端に半田を付けてそこだけ電気が通るようにする。電気が通っているかどうかはLEDの足にニクロム線を付けて、半田を付けた部分で点灯して、エナメルの部分では消灯する動きになれば、細く丈夫な動線になる。ポケットラジオには乾電池2本分の+と-の電極が4本の足があったので、それを2本のエナメル線にする。動線とエナメル線は収納の仕方が良くなかったのか、外見が同じ銅色で、エナメルは透明で区別がつかなくなってしまった。はんだ付けするとエナメルが褐色のヤニになっている。

電池の胴体は、パーツを小分けにした袋に、ホットボンドのプラスチックの芯が残っていたかどうか、追加で買おうと思ったが、一旦家に帰って在庫を探してみようと思っていると1本だけあった。半分に分けて単四電池と同じ長さにする。太さはそこにダクトテープ を何度か巻いて同じ太さにする。プラスチックの芯に半田ゴテで窪みを付けて、そこに銅線で拵えた電極を付ける。これまでは、擬似的に作った銅に、+と-の電極を付けていたが、直列で片方ずつ電極があり、向きによって+にも-にも分担するので、材質を構成で補っている。ポケットラジオの電池ボックスはプラスチックでもともとできていたので、そこに硬い金属のネジを無理に入れようとするより自然な組み合わせかもしれない。

そのようにして、電池の部分をハリボテにして、エナメル線の銅線を付けて、カバーをつけようとすると、ハードウェアエラーが出て音が出なくなってしまった。次の日にメーカーのサポートに聞いてみよと思う。できる限りの工夫と、目的を持っていたものの、それがうまくいかないこともある。

できる限りラジオを続けて聴いていたかったけれど、音が出なくなったラジオから一時的に再生されることもある。なんとも不思議な体験をしたものだ。僕が落ち込む姿が誰かを喜ばせるのならなんとも思わないけれど、不可解なこともしばしば起こっている。そうなってもできることを見つけて、解決策を探していくことにしようと思う。

メタルクラッド抵抗のように、原因不明のまま故障するケースもある。体が健康で意識もはっきりしていてひとまずは安心だった。とはいえ失うものもなく、できることを見つけていくだけだ。どうにも誰かの機嫌を取ることが苦手ではあるけれど、それを良かれと思って無理をしているとことがある。

ポケットラジオにも録音や、スピーカーの機能があるが、その仕組みはまだわからないこともある。目立った外傷もなく、相談できることはありそうだ。週末に遅れていた海外からの荷物も届き、シリコンラバーヒーターは12vの電源から10wの性能を発揮していた。1枚では、270ccの水を60度くらいに温めるくらいで、セメント抵抗では5vで8w、ジュール熱を図るすべはまだ確かでないけれど、ワット数からシリコンラバーとセメントの両方を比較する比率にはなっている。また座布団のヒーターは2週間くらい継続して動いている。スイッチでONとOFFを付けて、ちょっとした暖房になっている。できれば仮止めの部分を丈夫な銅線に代えたり、またはシンプルな構造に置き換えたりして、役立つものを作ってみたい。また作るだけでなく、それをどのように活用するか、また修理したり改善するかのアイデアを考えてみたい。

ラジオも、僕なりに先の見通しを立てていた。パソコンで先のことを考えるとすれば、HDMIディスプレイで、できれば文字が読めるE-inkのディスプレイでブラウザを見てキーワード検索をしてみたい。調子が良い時ばかりでもないけれど、悪い時がいつまでも続くわけでもない。有形無形の課題があり、それをできれば主体的に、自分や他人を恐れずに、客観的に見つめ直してみたい。僕は周りを知らないけれど、周りは僕をなぜかよく知っているという状況があると、なかなか上手くできないこともあるけれど、転ぶこともしばしばあり、それも変化の一つとして前向きに考えようと思う。何か考えを形にできたり、状況を伝えられる手段があればと試してみようと思う。

時計が付いたゼンマイ

その日のうちに結論を出したり、相手の隙を付くことはフェアではない。僕は相手より劣っていることや気が利かないこともいくつかあることも事実ではあるが、それでも自分だけでなく、相手のためにも役に立てることがあればと思っている。

ここ数日天気が良くない、僕も無理して明るく振舞うことはできても、日中うす暗い状態を塗り替えることは難しい、ソーラーパネルに問題はなかった、曇りでもある程度給電は可能だけれど、どうにももやもやした雲が雨なら仕方がない、作物が育つには雨が必要になる、天気図を見ていると、雨が降らないのに雲がかかるときがある。今日でも朝の予報では雨のち晴れだったけれど、途中から曇りのまま、天気がなかなか晴れない。すると雨が降らない雲は秋にあるいわし雲なのか、またはスモッグや排気ガスなどの影響なのかという疑問も生じてくる。海外では煤煙が問題になっているけれど、一方で20世紀後半には、電気式の設備も存在したという、薪をくべていた人たちが、代わりに温度計と電源の調整でお茶を煎じたりといったことも行われていたという、僕らの子供の頃には電子レンジでチンしただけで、手作りの温もりが奪われるなど迷信のようなしきたりもいくつかあった。電子レンジは消費電力が大きく、ソーラーパネルで賄えないので、予行練習も兼ねて使ってはいないけれど、料理漫画にジャガイモとニンジンをレンジで蒸して食べやすくするという工夫があった。一方で素朴なキャンプやロビンソンクルーソーのような素材を組み立てるというアイデアにも納得がいく、ケーズバイケースで変わることもあると考えられる。

先日はarduinoのサーボモーターをスイッチに変更する試みを行った、arduinoはループの中で動くので、何分などの時間に合わせた挙動にするには複雑なロジックが必要になる。僕はそこまで正直なところ計算のスキルがない。高校のときに、数学が学べないというときは、黙々と計算ドリルを解いていた。クラスで立場の強い人がくると、ビビってしまうけれど、それでも譲れない線があるというか、必至で言い訳した。居場所が欲しいわけでも、成績が優秀になりたいわけでもなかったが、それなりに学問から何かの役に立ちたいと思っていた。用が済んだら教室から出て、体力と精神力を回復させて、自分の集中力と相談しながら、地力を付けようと考えた。

Esp32だけを買ったときは、それで何ができるのかという感じだった。リセットボタンを押しながらソースコードをコンパイルすることがネックで、arduinoに比べてできることを思いつきにくかった。ベランダには半年くらい、錆びた土壌湿度センサーの代わりにトランジスタと針金で代用したセンサーが動いている。そこからtxrx通信で、esp-32に繋がる、そしてサーバーにphpとmysqlが繋がっており、植物の周りの土の乾燥状態がリスト化される。ワニ口クリップとトランジスタの接触が良くないのか、ポンプはしばらく稼働していない、ボタンを押すと、txrx通信と土壌湿度センサー用のトランジスタは稼働している。トランジスタの故障かと思ったが、数値はトランジスタで取っている、トランジスタでラジオの電波が多少はっきり拾えるという原理と通じるところもある。

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雨だったはずの空に

天気予報は、雨だったけれど、雲行きによって晴れ間があった。体感的には昨日の方が日照量は長めだったが、気象庁の数値では、昨日が日照時間は1.9で今日が6.0時間だという。エルニーニョ現象の影響で、雲が無い日がなく、その雲でさえ雨が降るのか降らないのか日だけでなく時間によっても変わっていく、夕方には雲が覆っていたが、その間から夜空が見えると雨は今日も降らないようだった。

mineCraftは手持ちのパソコンのビデオカードが付いて行かず、冷却ファンと銅箔テープをヒートシンクの代わりに使っている。あるいはワールドマップを狭い世界にすれば、メモリの節約になるかと思いつく、そうなれば熱の心配をする必要がなくなる。今年のアップデートで、ワールドマップはデフォルトからさらに広くなった。スライムブロック を使った小型のピストンでどれだけ移動できるかが鍵になるようだ。僕が見たときは、建築やレゴに興味がある人が、クエストでなく庭の整備や、建築の階層化をこなしていると思っていたが、どうにも様子が変わってきた。初めは海にはイカしか泳いていなかったが、今年になって魚が住み、昆布やワカメのブロックが追加された。旧バージョンにするとその多様性が損なわれてしまう、そういった意味ではベストを尽くしている。

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健全な心と体

11月の3連休になる休日は今日だけなので、おそらく現場が休みでも、誰かは暇をもて余してちょっかいを掛けてくるだろうと予想してはいた。というよりは潜在的な不安がそうさせた。

普段買い物に行けないこともあり、ショッピングモールまで歩いていくと保険の勧誘の電話があった、両親と相談の上と丁寧に断る。それだけでもゲンナリする。断熱材にダクトテープが抵抗器の熱がこもって溶けてしまうけれど、皮膚を保湿するのには役立つという、ダクトテープ の原料はポリエチレンフィルムと天然ゴムで、体に害はなさそうだ、というよりは、アトピーだか乾燥だかよくわからないイボが痒く、それを予防するのに軟膏を塗って和らげていたものの、それでもなんともムズムズすることがあり、他に試せる手段がなかったということもある。足にテープを巻くと水虫が歩いても痛くなく、またテープがバネのように疲れを軽減させてくれる。そこに気を良くしたのか、DIYコーナーの銅箔テープのついでにダクトテープ の説明書を読むと、電気の絶縁や皮膚に貼らないでくださいという供給元からの注意書きがある。とはいえ、一晩使ってみた感触では特に被れた様子もなく、電気の絶縁にお勧めできないのは仕方がないにしても、と不安になってきた。とはいえamazonで送料をつけるよりは徒歩で移動した方が幾分か運動にもなる。そこでレジでは、お釣りが99円になっていた。僕が遠慮して24円のところを23円と聞き間違えていたので、どうして自分を気にかけてくれないのかと少々妬いてしまったのかもしれない、サイフが閉まらないくらいの小銭でポケットがパンパンになっていた。

図書館では、硬貨には1円はアルミニウムだけれど、10円玉は銅と錫の合金で、50円や100円、500円にも銅が使われているという資料があった。銅の熱伝導性とも重なり、レジでは緊張してしくじるだろうというような予備知識だった。資格や受験だけでなく、実学はふとしたことから身につくことがある。常に剣呑剣呑と緊張しているとその間をすり抜けていくような、とはいえその気遣いがパーツショップでも10wと20wを数え間違えて慌ててきた道を往復するようなミスをしてしまった。交換に応じてくれたのは有難いけれど、なぜかこちらの間違いを期待しているかのようだった。僕は別にその先にあるものが知りたいだけで、それがなんというか衝動的になっていたのかもしれない。

一眼レフを試してみると、液晶パネルよりカメラの原理からピンホールからのぞいた時の映像が見えた方がしっくりくるかもしれない、ミラーレスにすると見たままの映像にはなるけれど、なんともピントが合ってこない気がした。スマートフォンの解像度でも、看板の文字や建物の形、人となりや風景など、ノートのメモ書きなどを記録するのに便利だけれど、もしカメラを持ったとしたらデジカメのミラーは横に開くか、または裏返してファインダーから見える景色から感覚的に見ることも、撮りたいものが撮れるように思われた。ダクトテープに加えてパーマセルテープを揃えて、紙製で切りはりができるので、電気の被覆や、断熱になるかどうかはわからないが、絆創膏がわりに指に貼っていると、帰りにはダクトテープは張り付いたままだったが、指のテープは剥がれかかっていた。

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