仮想環境とレトロゲームと自炊

仮想環境のVirtualBoxにwindowsXPをインストールすることにした。セキュリティの関係上インターネットには接続できず、オフラインの環境になる。学生のときにプレイしていたレトロゲームで思いついたものとしてCivilization2をインストールする。Windows10の互換性モードでは動かなかったソフトウェアが、仮想環境で動くことができた。動作は少し重かったが、マウスカーソルは、現在のウィンドウと連続して使えるためスムーズではある。ポイントとしては、Civilization2のゲームを起動したときに、会議のビデオが映って、遺産の7不思議のアニメーションが動くこと、また外交のCGが表示されていることで、ゲームの再現性が確保されている。最新版はCivilization6でsteamというオンラインアカウントで動いている。FreeCivというCivilization2をベースにしたフリーソフトもあって、ブラウザ上だけでなくインストールしてデスクトップで実行することができるが、ゲームとしてのまとまりを考慮すると、civilization2がシンプルで繰り返しプレイしても、その都度マップが更新されて、ユニットの行動パターンが変わって新しい発見がある。

Civilization4はVirtualBoxにグラフィック用のDirectXがインストールできないので、steamのオンラインアカウントを使用する形になっている。windowsOSのバージョンが10になり、windowsXPだけでなく、windows7もサポートが終了してインターネットに接続できない環境になることが予想される。以前にはレガシーブラウザの表示確認のために、windows7とデフォルトのInternet Explorer7の仮想環境のイメージがあったが、アカウントの有効期限が90日になっていた。Internet Archiveという過去のログを収納しているライブラリから、windowsXP SP3日本語版のCDイメージがシリアル番号とセットになって保管されているため、その環境でのソフトウェアの再現には持続性があった。windowsXPに対応したOfficeXPのシリアル番号は有効でなかったので、日本語版だけでなく英語版も探してみようと思う。スマートフォンはmiHoyoのゲームの容量がやや大きいが、ファイル容量はまだ10GBほど空きがあり、カメラや動画を取ってGoogle Photoにアップロードすることはできそうだ。ゲーム機は持っていないためにパソコンまたはスマートフォンでできることを見つけられたらと思う。Civilization6でも現状のノートパソコンでも動作したけれど、グラフィックが2Dで一覧しやすいレガシーバージョンにも色あせない魅力がある。パソコンのゲームはスマートフォンよりわかりやすく、続けやすいための取り掛かれる要素が見つけやすい。

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サブカルの系譜

アクション物のシリーズになると、回を重ねるごとに現実離れして、それが逆にマンネリに感じられる事があるという。ゲームでは動きのあるアクションこそが、演出の本質と言われているけれど、そのためにはいろいろな角度から観察する必要がある。少年の頃に初めて見た映画はアーノルドシュワルツェネッガー主演のイレイザーという映画だった。当時のガキ大将が新木場まで連れていってくれた。道中、吉野家で牛丼を食べた事が印象に残っている。その当時は蔦屋が全国展開する前に自営業でレンタルビデオ店が住宅街の一角で営業していた。イレイザーに出てくる銃や兵器は当時のアメリカのコンセプトを理想化したもので、どこまで実用的だったかはわからない。同時期に幽遊白書で戸愚呂兄弟がトーナメント方式のPRIDEやK1のようなイベントを少年ジャンプで行なっていた。スラムダンクでは湘南というサーフィンやデートスポットで有名な神奈川県の地域であぶれた少年がアメリカのNBAに憧れてスポーツに打ち込むというストーリーだった。どちらも、当時のクラスではすごいカリスマ性を発揮していた人気者が、社会に出ると一般人に溶けてしまう、それでも初めて見たときの印象だけでなく、その過程や何かに取り組む姿は今でも鮮明に覚えている。当時はどのようなメディアが人気になるかわからず、ゲームセンターのソニックブラストマンなどは、個人的にはヒーローものの雰囲気があって面白いと思ったけれど、自己満足の範囲ですねと、店員に軽くあしらわれて、そのタイトルをつぶやくことも何だか気後れするようになっていった。

町内会で焼きそばを作るときに大量にキャベツやら豚肉やらを幹事が集めている時、スーパーマーケット木田屋の店員が大学受験の妨げになるくらい熱中するパソコンゲームがあって困るという相談を受けたという、うちではwindows95というOSを買って見たものの、中に入れるゲームが囲碁や将棋、家計簿くらいしかなく、civilization2がインストールされると、マウスクリックだけで地理や分配の仕組みがシームレスでわかるようになった。序盤は一人で暇つぶしに仮想のシュミレーションゲームを進めていたけれど、初めて他人に専門用語を説明する自分が分かりにくいことを分かりやすく説明できればそれだけでまるでレゴブロックのようにアイデアが組み立てられてく、PC-98のA列車でいこう3では、なかなか鉄道会社の収益バランスが改善されないまま、画面の中に何も作れずにだらだらと時間が流れていき、シリーズものの銀河英雄伝説3では帝国軍とほとんど戦えず、拠点の攻略もままならないまま、クラシック音楽のBGMのソナタ形式のパターンだけがリフレインされるという状況になった。そこで、iPodに銀河英雄伝説のシナリオだけを記録して、その台詞やナレーションを覚えるという写経のようなことに楽しみを見出すしかなかった。

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趣味の題材

人は趣味ではアイドルや有名作品が好きなのではなく、それに夢中になる自分が好きだという。誰しもが自分の城を持ちたい、しかしながら城は結局のところ形のないものだ。唐突なものいいや過度に公によっている場合は、対等に話し合うことが難しい空気感になる。そもそも誰も対等ではなく、実のところ安心が欲しい。それは僕も同じだ、一方でそれを得るためにギリギリで人知れず苦心することもある。そういったところでは、相手に進めるときは具体的で、唐突でない、不用意に探りを入れないなどはどう行った相手でも、なぜかそこで心のブレーキが掛かってしまう。

スターウォーズの戦艦のディテールや、ジオラマには普遍的なテーマ性があるものの、一部には模型屋さんで売っていた車両を宇宙船に見えるように塗装したものもある。模型屋さんは千葉県浦安市堀江の倉庫にあった、学生のこと帆船の模型に興味を持ったが、形状がシンプルで組み立てやすいことから潜水艦の模型を組み立てようとしていた。ステルス戦闘機のナイトホークは、アジのフライのようなシンプルな造形で、なおかつ近未来的に見えたので、不器用ながらそこからメカニックの仕組みを学ぼうとした。ナイトホークの鏃のような形は現代の新幹線のように完全な流線型でなく、方眼紙に鉛筆で書いた時のインパクトによって、そのデザインが決まったという。エンジンが尻尾から隠して出る様子も、試行錯誤の末に枠内に収まった。2017年の近年ではオスプレイや、F-35と国防費の兼ね合いもあってとても複雑で、デリケートになっている問題ではあるものの、過去の事例ではよりシンプルだった。

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それぞれの選挙、それぞれの日常

選挙というと、与党が野党に対して過半数を占めると、より大胆な政策ができて国民の生活も大きく改善されるという。移民の制限によって自国民の生活基盤を守るという考え方も、覚悟があって妥当なものだった。保守党と労働党の政権担当の歴史は、固定的なものではなく、1920年代から入れ替わってきた。この辺りが、日本の自民党と民主党との力関係との違いがある。どちらかというと二大政党、国民がYesもNoも言えず、じっと我慢する状況が続く。それぞれのマニュフェストも実現性は、選挙で大きな支持を得ない限り無く、そのために、いかに票を取るかという戦術的なものになっていた。それに比べると、イギリスの方が、双方向性を感じる。イギリスの議会政治は歴史でも近代化のモデルになっており、アメリカ合衆国の共和党と民主党にも受け継がれている。政権のあり方は、家族の会話や構成にも影響する。そう考えると、政治家は家族の代弁者と言える。イギリスが七つの海とインドまでにまたがる、大きな植民地を持っていた時代から、インドの独立や最近の香港の雨傘運動に代表される民主化運動にいたるまで、君臨すれども統治せずという、管理の相対化を見本にしているようにも伺えた。
日本では、自民党が地方の支持者が多く、民主党が都会の民間企業の支持者が多い。そのため、自民党の方が民度が高く、一体感があり政権担当能力という独自の連帯関係がある。一方で民主党は利害関係が優先されて、連帯力が低く、選挙で有力な議員が票を多く獲得しても党全体の方針になりにくかった。逆に、フランスではドイツやイタリアと陸続きで、移民も比較的多いことと、シリア・イラク紛争での移民が多い点から、極右政党かそうでないものの、中道勢力のマクロン議員が空洞化するリーダーシップの舵取りを担った。僕は、学生運動には参加していないが、行動することで状況が大きく変わるという事態を経験していない。あるいは1980年ベトナム戦争を茶の間のテレビに中継したり、街角で街頭演説したりすることが大きなうねりになっていた時代から、日本赤軍の浅間山荘立て籠りを報道することになんの意義があるのかを考えた。ただ、相手を見ているということは、逆に目を合わせなくても相手にも見られているという気がする。例えば、赤軍の共産主義や平等主義を自分の実践したいけれど、社会や自分でも方法が見つからず、田舎に立て籠もってこそいないものの、自分でも何も能動的な参加できない状況。そこで、浅間山荘で、地域での炊き出しなどに励まされた機動隊の突撃があったとしても、テレビではドラマチックなBGMも無く、ただ自分の中で何かが崩れて変わっていく。あるいは、父の世代では朝鮮戦争があった。北朝鮮が地上の楽園と呼ばれていた時期から、中国の義勇軍が参戦するまで、北朝鮮の生活水準がまるで分からず、横田めぐみさんが日本から拉致された辺りから、共産主義が上手くいかない、嘘でもハッタリでも商業主義のルールの中で、お互いを豊かにするための考え方を磨こうという方針に落ち着いた。
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