青空文庫 遠野物語から

柳田国男の遠野物語をkindleで読んで、手持ちのiPhoneに感想を書いてみることにする。同人ソフトで購入した東方シリーズにも東北の民俗学が影響しているという。あるいはkindleだけで手書きのメモだけでも良かったが、ちょうどWordとリチウムイオンバッテリーのワイヤレスキーボードがあったので、偶然、青空文庫で本のなかを探検しようという試みになった。

遠野郷のトーはアイヌ語の湖という語より出たるなるべし

遠野郷は、奥州で東北地方にあるところだけれど、語源は日本だけのものではないようだ。北海道にはそういった当て字のような独特の地名があるけれど、一見漢字のように見えても音訓が異なるのは、なにか所縁がありそうだ。しかしながら、のどかばかりでもなく、

黄昏に女や子供の家の外に出ているものはよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。

人ならぬものが、黄昏時には女や子供をさらっていくという言い伝えがあるようだ。人べらしという東北の風習があったけれど、それとなにか関係があるのだろうか。

ザシキワラシ座敷童衆は旧家に住んでいる、人ではなく神の類だという、実際にそれを見たという記述はなく、ある日廊下で出くわして大いに驚いたという。どうしてそれが座敷童衆だと娘が分かったのか、想像の余地がある、それによって御利益があったとしても、運命があざなえる縄のようだったというようにも思われる。

川には河童が多く住んでいて、川の岸の砂の上には河童の足跡というものを見ることは珍しくなかったという、空想上の動物でも伝承ではまことしやかに伝えられている。頭に皿があったかは定かではないけれど、猿のような手で水かきがあるような独特の手の形をしていたという。

遠野の山中の不思議なる家をマヨイガという。

旅の途中で迷ってあるはずのないところに住処があり、なにがしかの人が住んでいる様子だった。それくらい道に迷うほど、人里が離れていたのか、あるいは都会やムラ社会のように住んでいる人が漏れなく把握されているという状態ではなかったのかもしれない。地図にないような場所に住処があるとまるで桃源郷のようにも思われてしまう。あるいは人が旅をして目的を探すイメージがマヨイガというキーワードになったのかもしれない。

ニタカイはアイヌ語のニタトすなわち湿地より出しなるべし。地形よく合えり。西の国々にてはニタともヌタともいう皆これなり。

川のほとりに集落ができることは地勢しばしばある、関東でも平地では湿地帯になり、そのままでは田畑を耕すことができず、交通や飲料水は確保できても、住みやすいとは言い難い地域もある。ニタカイは煮た粥にも例えられるようになったという。

船越の漁夫何某。ある日仲間のものとともに吉利吉里より帰るとて、

吉利吉里と遠野郷がどのように関わるかがわからないが、女の妖怪か幻か、山路にて何とも知れないものに脅かされて、命を取られると思って目覚めたという、どこまでが空想で、どこからか現実かはさだかではないが、吉里と切るという連想からか、そういったおどろおどろしい伝奇に尾ひれが付いていったのかもしれない。

南部という、東北地方の岩手県のあたりには、地理だけでなく言い伝えから独特な空間が形成されている。とはいえ、その地域だけに特徴的ならば、単に荒唐無稽なだけになっていて印象は薄くなっていたと思われる。江戸時代とも明治ともつかずに、時代の変化から自然とその地域にならではの時間の流れがあり、それは現代人にも同じような体験があるかもしれない。実際にはそこに旅をして見たり聞いたりしたわけではないけれど、あたかもそこになにものかが存在するかのように思い込むようになる。

参詣の路は林のなかにあり、登口に鳥居立ち、二三十本の杉の古木あり。その傍にはまた一つのがらんとしたる堂あり。堂の前には山神の字を刻みたる石塔を立つ。

愛宕山には雑木林のなかにお参りの路があったという、遠野郷には山の神様を祀るモニュメントが自然と人里の境にあり、祟りのような理不尽な出来事をなだめるように建てられたという。参拝にも不幸を鎮めるという意味合いが、残っている。それが人里離れた自然にあると、大人でも子供にも言い表せないなにかがそこにあるように思われる。

神や妖怪とはなにか僕には正直なところわからない、言い伝えにあるとすれば、勘違いや思い込みもないわけではないが、そうさせるだけの不思議な相関がありそうだ。

僕は現実には思い込みをなるべく平明にして、僕自身そこまで賢くはないけれど、言い伝えから今までに見たことがない世界があることが新鮮だった。21世紀になっても寝て半畳起きて一畳という生活形態は改善されていないが、なにか分からないことを明らかにしたり、独自の解釈があることを共有するために文章を書くことを、試してみたくなった。僕の所感だけでなく、人の営みには由来があり、知られざる分野を明らかにすることと、考えを記録したり、記録から当時のようすを演繹することを続けていきたい。