分散後の対応と気づき

コロナウィルスの影響もあって、それに対応した正しい行動や言動が自分でも取れているかは分からないところもある。朝の電車でも、JRと地下鉄が直通の路線をプラットフォームにたったときにYahoo路線で検索して、慌てて乗り直したところがある。事前に調べていればとも思ったが、そこまで電車の事情に詳しくない、また電車を乗り間違えたり、乗り過ごしたりすることもあった。推奨されるのは混んだ路線を避けて、なるべく空いている電車に乗ることだけれど、一般に通勤ラッシュの時間に近くなると、早朝に比べると混んでいるため、事前に調べても分からないところもある。分散出勤をするまえの作業場には都営線から乗り換えて1時間30分くらいだった。

出張する先まえに、駅前で待ち合わせをすることになった。30分ほど前に付いてコンビニエンスストアに入ると依然としてトイレットペーパーやマスクの棚が空いている。先輩も時間より早くついていたため、待ち合わせするときに心強かった。出張先のオフィスでは、分散出勤の準備のためか、パソコンは3人の作業者にたいして1台だけだったので、交互に使うことになった。無線LANは繋がっており、リモート端末に担当者がログインすると作業場の共有ファイルにアクセスされた。指示書の書類の一覧は、スキャナーで作業場にいる担当者がスキャンして、離れた場所に転送してくれる形式を取っている。解像度の関係で、赤と緑の背景の欄は文字が読めなかったが、分かる範囲で、業務遂行表を作ることになった。入館カードは3人のうち、2枚だけだったため、僕はどちらかに付き添って入退出をすることにした。昼食は最寄りの外食店で行ったが、今までは弁当を買って、控室で食べる習慣が付いていたので、少々とまどうこともあったのかもしれない。1Fのエレベータ-ホールに1時かと聞いていたが、入退出のオフィスの前のことだったようだ。エレベーターホールの周りをすこし探してから、ドアをノックして中の人に入れて頂いた。

また業務遂行予定表は、パソコンだけでなく、関連する指示書のリストと一覧表をアナログで突き合わせても、予定を立てることができるため、ノウハウの共有に役立つといっていた。指示書のタイトルがA3のプリント用紙に所狭しと並んでいる様子は、まるで新聞のようだった。指示書のタイトル名は英数字の記号が付いている同じ名前のものは別の指示書になるということもあり、よく似た名前が並んでいると、区別が難しいこともある。経験者が見るとそれを業務用の漢字プリンターで出力している体験から、識別に根拠があった。ハガキなどの文字を読み取り機で書いてある内容を読み取る作業の件数を確認する一覧表にはひらがなで識別する標識がついている。それぞれの読み取った件数と、読み取り機の号機が合っているかを二重チェックする必要があるようだ。実際には開始時間と終了時間を一覧表に記入する作業だったけれど、漢字プリンターでの帳票の出力には、デジタルだけでなくアナログの要素もある。できれば効率的な方法を教わりたいけれども、それがどのようなものかが知識だけでなく、実体験として持っているとより具体的になる。担当者名を記入するところでも、顔と名前が一致しているだけでなく、どのような役割をこなしているかが把握できると、予定だけでなく協力体制が取りやすくなると思われた。

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気づきと協力

2020年になってからはとかくいろいろなことがあった。なにしろ日々の予定が立てられない。毎日新しいことを覚える必要があり、目が回りそうだ。また過度に緊張してうっかり物忘れをすることもある。土日に郵便局にいって手続きができなかった自転車保険に、貯金窓口が平日の18時まで空いている新宿駅前の郵便局に、申し込みに足を運んだ。新宿区でも江東区の保険に申し込むことができることはよかったが、ともあれこれで4月からも継続して所用で自転車に乗ることができそうだ。

朝起きてみると、比較的2月でも寒さが和らいできた。季節的にはまだ冬であることもあり、たまたま寒くなくなっただけで、これから春になるまでに気温がまた寒くなったり、暑くなったりするかもしれない。毛布からでられないほどの寒さでない日が訪れたことは良かった。とはいえ、依然として出勤が朝早く、日がまだ昇らない時間帯に家を出る必要があり、また電車を乗り継いで付いた先でなにをするべきかまだ分からないこともある。守衛のいる作業場の前で忘れ物をとりに往復することもしばしばある。その日できることを、手早く漏れがないように確かめたいけれど、一つのことが気になると別にそのことばかりを考えているわけでもないのに、他のことがうっかり抜け落ちてしまうことがある。ペンケースを作業場の机に文房具置き場に置いておいたけれど、控室にもどるときには、作業場に置いたままその所在をすっかり失念していた。机にただ置きっぱなしではなかったために、気づいてもらえるのも早かったので、助かった。

こちらでもスペルの違いに気が付くこともあったのでボーっとしているだけでもなくなった、習慣にできることを少しずつでも増やしてスキルアップに繋げていきたい。またコマンドラインでプログラムの開始と終了のタイミングが数度つかめた。しかしながら、スペルミスでコマンドが入力できない状態にいち早く気が付いてアドバイスを頂けた。コマンドの実行準備だけでなく、異常終了のチェックもセットで行うことを習慣にしていこうと思う。また、件数確認では、出力結果のページをめくる作業が、数ページあり、件数だけでなく、VOL名や、コマンドのラベルなどもセットで確認する。かつてはシステムフローと実行一覧表を突き合わせて、一件ずつ照合していたが、手順を簡略化するために、手動で起動するコマンドだけになったという経緯がある。とはいえ、簡略化された手順でなおも確認漏れがあると、楽をしているかのように思われて、いい印象でなくなるために、的確なチェックをしていきたい。指示書は順番に実行していったけれど、なかには朝の8時前にすでに実行準備ができているのに、手動起動を自動起動と読み違えていたので、午前10時ごろまで、実行せずにそのままだったものもあった。順次実行していこうと試みていたが、うまく要領が得られなかった。

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学びと相互理解

何を言われても嫌な顔をせず、黙っていればそれが相互理解や協業に繋がると思いたかった。もしその相手の言うことをじっと見つめて、その間わき目も振らず、相手の立場に立って説明の内容を理解して、それで適切な対応ができたならどんなにか負担が軽くなると思うことはある。その内訳を見るとそのためには経験者と同等の実力が必要になってくる。対話でありながらもさながら腕相撲のような小競り合いがある。僕はそういったアクティブうなコミュニケーションが苦手だった。相手のことを悪く思っている訳ではない。世代によっても、指導がより一方的で抑圧的なことでさえ実行力があるとして、頼られていたこともあるという。相互理解に基づく友情というよりは反対者にしたくない人という印象。僕の場合はその日の業務のノウハウが立てづらいことで、不安と恐怖に精神的に圧迫されていた。仕事が修行であったほうが、精神と肉体が健全でいられるのだという。他の世間のことは分からないので、比較検討はできない。あくまでも一つの選択から成り行きでそうなった過程と考えられる。作業の場を修行の場にするための囁きのようなアドバイスに耳を傾けられれば、その日が比較的難が少ない。ところが、集中力が持続せず、うわの空でかすかな囁きやフラグの変化に気が付かないと、たとえ悪気がなかったとしても状況判断を誤って、ミスやインシデントに繋がって不利な立場に立たされる。相手を思いやることは、わずかな機微に気が付くことでも、また礼儀をもって伺いを立てることも必要になる。ケースバイケースの部分がある。厳しい、シビアだと感じる人でも、参ったという意味合いを込めて分かったと返答する場合と、内容を覚えたり理解しきれていないのに分かったという場合では、許容と理解の程度が異なる。反復することで、理解はできるようになる部分もあるけれど、そのときのタイミングで気が付くべきこともある。

作業には時間をかけて丁寧に取り組むべきことと、効率よく手早く行うべきことがある。そのバランスが難しい。いちどミスしたことを、指摘されるとうんざりする分には気持ちの切り替えで何とかなるけれど、ミスしないために対策と準備をする必要がある。習慣や無意識に忘れたり抜け落ちているところは、言われないと気が付かない部分もある。指導に熱が入って一方的に言われっぱなしになることもある。相手が経験者でこの先の段階に必要な情報を持っている場合は、そういった不均衡がでることもある。一方で、経験者と未経験者をとりまく人間関係が円滑になることを、学ぶ側だけでなく、教える側も気にかけているところがある。そういった面では紳士的な性格も持っている。または現場の指導には具体性や専門性があるが、その人を指導する側には精神的な影響があるように思えた。まるで親と子のような感じだった。とはいえ、社会人になると相手に頼ってばかりもいられず、いつかは自立する必要がある。指導と扶養は似ている概念や構造もあるのかもしれない。教わることは新しいことが学べるので苦ではなかったが、上下関係や業務の中で行うと独特の緊張感になる。

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その日暮らしの経緯

どうにも、心理的なバランスのとり方が上手くないようで、ドジを踏んでしまう。スマートフォンのメッセージはチェックしきれないし、電車はついつい乗り過ごしてしまう。ここのところ日雇いのようだと思い込んでしまって、明日の予定が分からない日が続いたこともあり、感覚はマヒしていた。独り言を言わないとして口を固く塞いで、一人で行動しないように最大限に合わせたつもりだったが、ベストを尽くしても至らないこともあるようだ。悪気はなかった、考える暇もそれほどなかった、それでも状況判断に合わないときもあるようだ。以前はスーツの襟が経っていることでレジに呼び止められたことが合って、それから運が悪くなったとしても、正直なところ、余計なお世話だと思って苛立ったこともあった。初対面の人にわざわざそこで言わなくても、としてもついつい言いたくなってしまったようだった。それだけ気にかけられているとも考えられる。細かいことは、なにに気を利かせたらいいか分からないこともあって僕は苦手だった。とくに隠し事もないけれど、ボーっとしていることが多いのいかもしれない。想像力を働かせて状況が分かりやすくなる時と、そうでなくなにか行動を取る必要があるときがあった。かといって気を利かせようにもどこをどうしたらいいか分からない。とくに何も考えていなことが、かえって裏目に出てしまった。明日の処遇も分からず不安がよぎったけれど、とりあえず両親に伝えられればと考えていた。脅しに必要以上に影響されてしまっていた。気を確かに持ちたいところだが、どうにも浮船のような不安定な状況で、見通しも悪く予測が立てにくかった。

ここ二年間くらいはずっと明日が昨日よりはいい日だろうとして、一人でも歩んでいくほかなかった。それは仕方のないことだと思っていた。人に気を遣えるのは、僕の良いところだと思いたい、または社会のために良かれと思って一生懸命になれるところも、長所と考えることもできる。ともかくも、いったん不当な扱いが潜む不安定な状態を話して見ても、仕方がないところもある。引っ越し前に家賃が引き上げられて、図らずも隣町に引っ越さざるを得なかったのも、どうにも事情を説明しにくかった。住吉に住んでいることは有り難いけれど、そこに安心して帰ることが困難な状況になることは避けたかった。べつに自分が自由になりたいからというわけではなかったが、どうにもなにかバリアのようなものがあるように感じた。先日はそんな不当な条件に義理を立てる必要はないということで、安心もしたが、翌々日になって深夜残業や単純作業による減給がないことでホッとした。かといって昇給でもないために、どうすれば現状を維持できるかと縮こまってしまった。ここ数日本当に右も左も分からず、どうしたらいいか分からなかったのは事実だった。

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思いやりの側面

良く察することができる人がいるとしても、今回はすこししんどそうだった。僕は相手には元気でいてほしいと思う。つられて緊張したり畏まったりしてしまう。ポケットに入れるという行為も、普通ではなんてことはないけれど、それはシェアされないということを示唆してしまう。そのようなつもりはないと愛想よく接する必要がある。そういうときに素っ気ない態度をとってしまうと相手にいらぬ誤解を与えてしまう。僕は遠慮するときも、これが僕にっは十分なので結構ですということをもし親に言ったとしても、善意なのか押し切られてしまう。あるいはある列にもう一人いて、その人に気が付いてほしいということを暗に黙っておいて、あえて聞こえやすいように声をかけて、周りを見ないで愛想良くすると、偽善のように思われるという応対もあった。だれでも少なからず一生懸命で、毎日が緊張と義務感の中で暮らしている。僕のまわりにはみなだれも賢くよく気が回るが、新しいことがなく、だれもがそれを続けようと思わない。学校の部活動はポジティブに続けたいということを話してくれる人はほとんどおらず、大切なことは我慢の中にあった。別にプログラムを書くこともモノづくりをすることも、たまには想定外の状態になることも、ケアレスミスをすることも含めて、僕には得難い経験だと思う。

社会人になると、ギャンブルや作法が妙な存在感がある、だれもが完璧にはできないけれど、それをやりきらずにはいられない、それをすることで精神的な修行や自分と向き合えるようにも思える。そこには誰が優れているとか劣っているというムラががなく、ちょっとした癖や姿勢がその場の空気と連動して、気持ちがまとまっていく、そこではいくら言葉にしても意識のほうが素早く確実になっている。これが済めば比較的落ち着くと思うと変に期待して、上手くいくものもそうでなくなってしまう、そのためにある程度そういった膠着状態も有意義に過ごそうと考えるようになった。

自分はどちらかというといじめられっ子で、リーダー格には強く出られないが、ちょっとぐらい悪口を言われても傷つかない、あるていどそうった率直な意見があってもいいとも思う。とはいえ、こちらの要望は通らないが、相手の要望は一方的という状態になると、勝ちにはこだわれないが、それを受け流さないと話が進まない。誰しも目的や行動方針があるわけではないが、思っていることと逆のことをほのめかしたりなど無意識に働く掛けられると、ガードしきれずにマインドコントロールされて考えることだけでなく、息苦しくなることもある。僕が過ごしている限られた世間に明確なルールや、価値観があるわけではなかったが、ちょっとしたことが妙に気になってしまうことがある。とはいえ僕は客観的に意識ではなっているが、歩いているときはおそらく肩は利き腕のほうに微妙に傾いているし、姿勢もあまりいい方ではない、それでも平明であろうと心掛けてはいる。それを声高に主張してもあいての事情にそぐわなければ伝わらない。とあるメディアでは自慢は相手の気分を害するのであまり建設的でないが、編集者の間で自己犠牲を美化する新興宗教が存在感をもっている。日本は村社会ではあるけれど、多神教で一様ではないし、周りの人にもある程度の現実感覚は持ち合わせているようにも思われた。僕がそれが理不尽だといってもそれはわがままにも見える。

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ことばと気づきの狭間で

化粧品の宣伝では、語彙より、直感的にかわいいという方が流行るという。でも人気が欲しいというのは裏を返せば、もともと人気がないことを暗示している。ギャンブルの世界では、言葉より癖や隙から人の本性がわかるという、逆にいえば本性さえ、手強い相手によって作られてしまう。僕などは、その時たまたま正しさや強さで優位に立ったとしても、より強いものや、より権威があるものが現れてキリがないので、論理立てて考えざるを得なかった。
言葉は無力かもしれない。何かをなぞるように述べることさえ、いやらしさを伴ってしまうこともある。セクハラを書くときも、それを受けた側とそれを与えた側を入れ替えて書くこともありうる。もともと書くことが全面に出ることはないけれど、ちょっとした言葉のアヤだったり、ほのめかしがあるとどうしても戸惑ってしまう。目に見えるものより、当事者にとっては目に見えなくても約束を守っている、または手間を厭わないというところが安心につながることもある。
ジャンケンでグー・チョキ・パーのどれかを出すタイミングをパターンにする課題では、話しかけなくてもすれ違うことで位置関係を変化させるということで迷ったことがあった。そうなると話しかける前からその間や印象によって、ある程度それから交わされる話の内容もある程度決まっているのかもしれない。それでも、話では結果が見えていても、またその内容がすぐには理解されなくても、根気よく伝えていくもののように思われる。今あるブランドも元はそういったところに起源をもっているものもある。現在では、空気を読むことと相手の裏を描くことが、実質的には知恵を試せるタイミングということにはなる。
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散歩の寄り道から

朝起きると、少し外を散歩したくなった。
まだ工事が始まる前で、エレベーターも使えて、そのまま散歩に出かけた。
メールマガジンは吉報ではなかったけれど、少しでも状態をよくしようと思ったのと、道路に缶が落ちていると車が通りにくいと思って、2つ拾った。
それでも待ち時間まで少しあるので、NHKの朝ドラ「ひよっこ」を見て、
保護されていながら、どこか悲しげな悩みを抱える慶應大学の青年と若手で手の早いコック、そんなものは贅沢な悩みだ、まるで理解できねえというベテランのチーフ。どっちの立場にもつけない自分にやきもきする。それでもどっちも存在感のある生き方だと思った。
NHKの朝ドラでは毎回15分の間に小さな、勝負事があってドキドキするけれど、
まずは見ることを習慣にしたいと思っている。マストドンにも朝ドラの感想を呟こうとも思ったけれどどこかで遠慮していた。以前に家族で見た暮らしの手帖の創業者をモチーフにした「とと姉ちゃん」では、トースターのテストのドラマで、若手社員が怒られるシーンがあって、それがトラウマで、駐輪場の鍵をかけ忘れてしまうこともあった。ドラマとしてはセリフが立っていたけれど、フィクションにしきれない部分があると落ち着かない。同じドラマで歯ブラシのテストの日に歯医者に行くと、スタッフがものすごく張り切っていて、このタイミングで行くと疲労が増大する。ドキュメンタリーとして見るか、それともメッセージの伝え方として見るかという問いが残った。
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