疲れと向き合う場面

最近は疲れる、同じ空気を吸うことをなぜか強要される。嫌われないだけマシだと見方もあるが、一方的な関係は長続きしない。それだけ、ある意味では不安なのかもしれない。社会のシステムが人を使えば、それだけ生活が安定するようにできている。でも、用もないのに人を使っても疲弊してゆく。あるいは、やりたいことができないことの腹いせに、人を使い潰そうとしているのだろうか。なるべく人に使われず、僕も相手を利用しないようにしようと思った。エレベーターが疲れる。箱の中は密室になる。ボタンを押すと、入り口を開けたり閉めたりすることに使える。階数を選択すると、上下に移動する。このタイミングやわずか2畳ほどの空間で、息が詰まりそうになる。エレベーター自体は、産業革命の時期からあり、また、縄はしごの代わりにトロッコの原始的なエレベーターもあったかもしれない。最近では、エレベーターのボタン画面やその機能の使い方で、互いに比べることが増えて辟易している。
・エレベーターに入る時と出る時で性格が変わる人
入る時は、誰が乗っているかわからないので、縮こまっているが、
中で移動中に何もすることがない時間があるため、出る頃には人の癖を観察しようとする、
うまくいけば、先手を取って提案できるし、また愚痴のひとつくらい入れられるかもしれない。
「雨で足場が泥濘んだ工事でも、やっちゃえばいいんです。」
・エレベーターでそっと囁く人
2人以上の場合に多く、なぜか居合わせた僕が聞き役になるのか、なぜかこちらの話題に変わる。
明らかに聞こえているという状況になるので、話題を振って来る。それでも受け答えができない。
面白い会話なら、そっとうなづく、会釈するくらいしたいものだけれど、こちらが反省する内容なら納得がいくけれど、
なぜか詮索するような会話になる。
「あの人はスマートフォンを持っているけれど、最近はITで身代金の詐欺があるから気をつけてね」
建物の外に行けば、電車や自動車などの移動手段があるが、
5F以上の建物ではエレベーターが共通の移動手段になっている。
こちらが相手を打ち負かしても何もならない、
ただ相手から舐められると、こちらが社会に参加できなくなる。
椅子取りゲームに付き合わされている。
もしかすると身近なものでも、例えば襟だったり、シワだったり、靴の汚れ具合などから、人となりが判断されているかもしれない。ただ、誰かのために、何かを取りにいけば状態は変わってくる。他の人から見れば、薄汚れた人がそこにぼーっとして立っているだけに見える。
宅配ボックスを置くことに気がひける。宅配ボックスを置くと家の外の敷地からはみ出してしまうので、そこで軋轢が生まれると面倒だ。アマゾンでは宅配ボックスや、DIYで作る方法もインターネットで多く紹介されている。しかし荷物を待っている間、家から動けない、また誰が来るかもわからない。荷物は比較的朝早く配送センターについているようだったが、いつ届くかはわからなかった。自宅で待っていると2時間くらいして眠気を催した。すれ違いで、配達員はその20分くらい後だった。ただ、そうなると遅れたのが自分のミスになるので、急いで連絡すると。
「住所と名前を教えてください」
と聞き返された。どこに住んでいても仕方がない正直に答えようと思った。
「他の荷物で手一杯なので、もう少し待ってください」
うなだれたまま、再配達の手続きを取った。自分のミスなのだからどうにも強く出られない。
都内ではお店の商品棚に品物がたくさんあるのに、そのたくさんの中から一つだけ六角形の家具用のネジ一本でも探すとすると、途端にとても億劫で難しくなることもある。逆にちゃんとネジや食パンであれば、自然とどこかしっくりと来る存在感がある。エレベーターに乗った先では売店がないので、外に降っていくと、宅配便の配送センターがあった、休日で店舗がしまっているが、制服を着た従業員が通っていた。最近はコンビニのお弁当ばかりで、ちゃんとした食事を取っていなかったかもしれない。そこで小麦から作るドイツ風のパン屋に行ってみると、食パンを買ってカサが増えて、帰り道はそこそこ紙のバックで荷物を運んでいる風になった。すると、宅配ドライバーから電話がかかって着て、荷物を取り置きの分があるとのことだった。店舗はしまっているが、バックドアは開いていた。そのまま荷物を持って帰宅した、預けたものが自分の手で持てるので、効率は良くないが安心感があった。逆に、ただ配達するだけではお互いに何も生まれなかったかもしれない。
「そのまま持って行ってください。次の便までしばらくかかるので」
ただ業務システムと、実際の仕事内容の擦り合わせ。人は誰でも、仕事をすることで旅をするのだろうか、エレベーターでも、荷物の持ち運びでも、その中で忘れ物をすると途端に後悔にも苛まれるけれど。最近は社会の課外授業が充実している。願わくは、社会の中での実生活もそこまで贅沢ではなくても、
過不足がないように頑張りたい。