動画とキャタピラ

僕が動画を取る理由は、人気があればそれに越したことはないけれど、ほとんど現状なくて誰も関心を持っていない状態で、ボーカロイドをナビゲーションに使うにしても歌や踊りがメインではないので、YouTubeではほとんどいなかった閲覧者が、blibli動画では4人いたということくらいで、その人たちに向けた動画の見せ方を考えたかった。またフリー素材を組み合わせてできることでもメッセージ性や見ごたえがあるものができることを示したい思っている。中国人のユーザーに読めるように地下鉄の駅に英語と中国語のルビがあったので、それを参考にテロップを作ってみると、自動翻訳の稚拙さはあるかもしれないが、説明をシンプルにして分かりやすくしたいと考えた。国内ではまったくなかったコメントが、BliBli動画では2件あった。実際にアクセス数を軌道に乗せるのは難しいとは思うけれど、ひとつの客観的な見方として参考にして見たい。

キャタピラクローラーでは、十字キーをブラウザ上で自作して、そのコントローラーで部屋を探索したことがあった。これがなにかのゲームの十キーのような連想ができればと考えた。またLEDフィラメントによって夜間の暗い部屋をカメラで探索することもできる。LEDフィラメントは自転車のヘッドライトにも使っているが、強い光を求めているわけではなく、夜道を照らすくらい十分なリソースが確保できることを目的にしていた。当初はraspberryPiのmpeg-streamerと家電量販店で購入したwebカメラを組み合わせていたが、raspberryPiは電源スイッチが付いていないため、再起動をコマンドで行う必要があった。そこで小型の監視カメラを代わりに組み込むことで、画角を広く取ることにした。小型カメラには暗くなると赤外線カメラになるが、LEDフィラメントの灯りがあると、暗くても通常のカメラとして映る。小人の視点から風景を見ると見え方が変わってくる。

流れとしては、タイトルから入ってブラウザカメラで部屋を探索する画面と、キャタピラクローラーが暗い部屋に灯りを付けて探索するシーン、つぎに公園のなかを小型の監視カメラの視点から外の景色や公園を歩く人や景色を映したもの、最後にキャタピラクローラーにて荷物を運ぶ様子を映して見たい。通行人からは応援してもらったが、YouTube上ではほとんど関心を持たれていなかった。撮影技術はあまり優れてはいないが、室内の探索や外を散策するラジコンの乗り物は、なんらかの形で映像に残しておきたかった。今度はキャラクターを落ち着いていて可愛げのある猫のようなキャラクターにしようと考えている。

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バージョン管理と定点観測

mineCraftのバージョンでは、1.15の環境でそれ以前のワールドマップを読もうとすると、警告は出るもののブロックの性質や回路には影響していなかった。レゴブロックのように基本的なオブジェクトの組み合わせは変わらないものと考えて差し支えなかった。Optifineというシェーダーパックのプラグインは、年末のtwitterでは1.15への対応が100%のうちの何割かが進捗しているとあり開発の最中だったようだ。1.15のバージョンではミツバチのMOBや、巣箱などのブロックが新たに追加されており、そのファイルを以前の1.14のバージョンで読み込もうとすると、事前に警告がでてそれでも構わずに読み込もうとすると、画面が暗くなってなにもアイテムボックスの他に映らなくなっていた。1.15でもシェーダーパックが実装されれば、風景の移り変わりなどを合わせて見てみたいと思うが、いまのところOptifineとどのシェーダーパックが有効な組み合わせかは未知数だった。少なくとも1.15になってフレームレートが安定して、動作が重くなったりCPUに負荷がかかって熱くなることは見られなかった。macBookだったころは広大なワールドマップを映そうして動作が重くなったので、画面をraspberryPi用の小型ディスプレイにして、なまし銅管を使って水冷ユニットを作ったりして負荷を軽減しようと試みるきっかけになった。

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メッセージを組み立てる

初めて、専門学校の教室に通ったとき、何かホームページを作ることになった。
そうなると、メニューが英語になることもしばしばだった。英語のメニューの方がフォントが引き締まっていて、収まりが良くなる。普段何気なく覚えている風景に、枠組みが加わることで情報らしくなる。それでもお店のメニューを作るのに、言葉や表情や身振りで伝えることもある。指で外の景色を四角く囲んで見ると、見えている視野も一つの絵になる可能性がある。
パソコンに興味を持ち始めたときは、中学校で、フロッピーディスクで簡単なプログラムを作ったことからだった。できる範囲で ◯◯で線を引いた。当時、家族が家計簿をパソコンで入力する作業から、PC-98を買ってきたときに、ついでにテトリスのゲームがあった、電子音に紛れてロシアの民謡が流れたとき、行ったことのない国の生活がふと思い浮かんだことが印象深い。ゲームそのものはブロックをレゴのように組み合わせて、同じ列になった部分を整えることだけでも、それを補うように想像力が浮かんできた。
それから、日本のPRGでも、ドラゴンクエスト3があって、ドットグラフィックのマップが、世界地図のようになっていた。アリアハンがオーストラリアのどこかにあり、スー族の村が新大陸の果てにある。その後の後継作は、同じマップにするわけにはゆかず、どこか幻の大陸になる。しかしながら、フィクションでも、どこか身の回りにあるものとの接点があると、だんだんとシンパシーができてくる。
ゲームにはそれ以外のことでプレイヤーを夢中にさせる何かがある。広告やデザインに魅力を感じるのはその中の人を感じるからか、それともその見せ方に積み重ねを感じるからだろうか。1980年には、映画ではパソコンが普及して、車が空を飛んだり、タイムマシンで未来や過去に行ったりというデジタルの普及を暗示していた。小学校の頃には、市立図書館の貸し出しカードがバーコードになっていた。パソコンはファミコンで遊ぶくらいで、アナログな感覚が残っていた。スーパーマーケットの面にあるガシャポンでも物語の断片を集める行動を触発する。
同時に海外のファッションや文化に、影響を受けることも多かった。新聞やCMには和製英語が伝わった。そういった中で、パソコンゲームは、和製英語を身近な範囲で翻訳している分だけ、手の感覚で、ページをめくるよりのめり込めるものがあった。ボタンを押した先に何があるか、気になった。大学でホームページを作っていると、ロールオーバーという、マウスの矢印が写真の上に乗ると、画像が別の画像に変わったり、ボタンが押されて凹んだりする。セル画に鉛筆で描いた画像を少しずつ定規で測って動かしてゆくアニメーションでは金髪のヒーローやヒロインが活躍していたものの、ボタンを押したり、写真に照明を照らすように透明度を変える作業にも何か意味があるような気がした。
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