コミュニケーションの共通要素

手続きが間接的だったときにその概要が掴めなかったのはやはり世間知らずだったかもしれないが、ともかく自分と相手の都合を合わせてなるべく早く手続きをする必要がある。就労支援施設に通っていることはこっちの都合かもしれないが、ストレスが溜まりそうで予定が立たないときは事前に相談することができる。不安ではある。離職票の手続きはそこまで詳しい記入が必要なく、電話で要件を話した方がいいというアドバイスも頂く。とはいえ、ともかく体を空けておく必要がある。また自分から進んで通所した日々は無駄にはしたくないとも思っている。一般職の人に会うと待遇面でギャップを感じることがあり、なにかあるけれどそれを事前に教えてくれないことが不安ではある。こういうことは手続きではよくあることと聞かれると安心する。なるべくは目立たないその他大勢になりたい気分だった。実のところ、先週の火曜日に手続きをすることもできたが、就労支援施設を体験するために木曜日にした。対人関係に慣れる機会ができたためにそれも選択肢だと思ったが、前職を引きずっているようで気が重いのも事実だった。

午前のプログラムでは断り方の講義だった。相手を立てながら自分にできないことは、安易に受けずに断ることも必要になる。グループワークではよくあるシチュエーションをもとに意見交換をする。グループワークに参加したメンバーからお礼を言ってもらったので、自分もそれに対して返事をしてみることにした。弁当は鶏肉のオイスターソースがけと中華料理だった。匂いはそんなにしなかったので、濃厚な味のメニューだったことが新鮮だった。あんかけがあるので容器が熱くなっているようで今までにないメニューだった。鶏肉は自炊でもなかなか手に入らないので味わって食べることにした。

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学びの成り立ちと自助

本が読み手を伝ってあるく。という表現は興味深い。僕は古本で価値のある本を探すことが正直あまり得意ではなかった。どちらかというと有名な本やアニメ原作の脚本に影響されて、それをなかなか否定したり自分なりの考えを持つことができたとしてもそれが、相手にとってもためになるかと思うと、悩ましいこともある。それでも僕は自主的に本を読んだりする中で、周りの人は僕より頭もよく、周りに優秀な学歴を持った人がいて、その間で難しく考えすぎるようなところもある。僕はそれほど能力があるなら、もう少し何かの役に立てばみんなが喜ぶのにと思うこともしばしばあった。しかしながら彼らには彼らなりの勤勉さがあり、より難しく周りと競合しない事が希少価値に繋がると考えている。

国語は小学校の頃に、教室の隅にあったような本棚を読んでいた。僕の学力では無理だとよく言われたものだった。当時は両親も息子を進学校に行かせる余裕もなく、おそらく内気で議論下手な自分は手に職をつける進路が妥当であろうと思われた。家には父の本棚があり文庫本だけでなく洋書やミステリー小説もあったけれど、そのことに興味関心を持てることは珍しかった。父との話はあまりかみ合わず、もともとは父が家計簿の作成でパソコンを買ったりしたものの、図書館で歴史やプログラミングの本を借りてくると、僕は相手からいろいろなことを教えて欲しいと思うし、また自分でも何かためになることを話したいと思ってもそれが具体性に乏しかったので、まずは父の話をうなずいて聞いている事が多かった。そのころの偏差値も50あればいいくらいで、人間関係もあまりパッとせず、どこにでもいそうでややドジの子供だった。それでも高校から大学にも専門学校に行くにしても、勉強くらいしたほうがいいだろうとして、寺子屋のようなところで教科書のおさらいをすると、相手の講師は東大生だったが、あいづちのタイミングを合わせているうちに自分でも何か付け加える事ができるのではないかと思えてきた。教科書は10円コピーで要所を印刷してもらえて、そこに手書きでメモを書き加えながら、ちょっとした合間に英単語を覚えたり、数式をより扱いやすく分解して、その時々で公式を繋げていくということをだんだんと身につけて行った。そんな時、高校の数学の先生が、イギリスの剰余定理のレポートを取ることがあり、それを寺子屋に持ち帰って一つずつ解いて行った。やがて、一人でも放物線やそれをわかりやすく微分という単位に分けることを公民館や実家でも自主的にできるようになると、数学だけは高校の先生の予想を超えていた。なるべくは相手の言うことを尊重してコツコツと取り組んでいきたいと言う風に受け答えして、僕は2駅分くらいを歩いて帰った。

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ブルーオーシャンの名付け方

人をたくさん集めた方がいい、なるべくは孤独になるよりどこか人のいる広場やイベントに参加した方がいいと言われている。
コミケや、WEB関係のカンファレンス、ショールームや美容師などのイベントだったり、インスタレーションとしての枠組みの中で人が集まる。こういったイベントではなかなかいい出会いがない。むしろ、安易に人と人とは分かり合えないということを教訓として学ぶべきだろうか。それでも、もの珍しいことに人が集まる会場は嫌いではない。イベントが始まるまでの列で、知人がいたことはあまりないが、そこで落ち着いて読書やスマホのゲームができる。スマホのゲームも挿絵がついた読書のようなものかもしれない。その切っ掛けが、PDFの元ファイルを開く時か、それともゲームのキャラクターが話しかけたりする対話形式の方が身近な話題とリンクできて、読書が進むようになる。元の本では、
・人と人とをつなぐ本
・新たな自分に会う本
・自分が話をする形を得る本
・考えの蓄えを肥やす本
最近は、ドラマを見ていても構成がとても複雑で、それだけに起伏に富んでいるかもしれない。カメラはとても解像度が高いものになって、照明もLEDが応用されてディテールを伝えることが容易になった。そういった中で、ただ叫ぶ。世界の中心で愛を叫んだ何か。そうすると、何かとても有り難くて、それでいて勿体無いという感じがする。単純にストーリーが合っているかどうかだけでなく、何度も繰り返し見てしまうような。僕としては、少女の目に前髪が少し掛かっているところをカメラで正面から撮ると、アニメのようにも、実写のようにも見える。これを自分で再現しようとすると、天然パーマが掛かっていてあまり上手く行かない。想像の中にそっとしまっておこうと思う。エキストラの人のセットも何度も見返すとその度に違った発見がありそうだ。古代の水車や、ゼンマイを見ると、そのものが機能していることが視覚と直感で一致してとてもスッキリする。現代では、勧善懲悪というストーリーではなくて、そこからはみ出してしまった何かを潜在的に引き出すという類のストーリーが多い。起承転結があるのと、あまりないものもある。
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散歩の寄り道から

朝起きると、少し外を散歩したくなった。
まだ工事が始まる前で、エレベーターも使えて、そのまま散歩に出かけた。
メールマガジンは吉報ではなかったけれど、少しでも状態をよくしようと思ったのと、道路に缶が落ちていると車が通りにくいと思って、2つ拾った。
それでも待ち時間まで少しあるので、NHKの朝ドラ「ひよっこ」を見て、
保護されていながら、どこか悲しげな悩みを抱える慶應大学の青年と若手で手の早いコック、そんなものは贅沢な悩みだ、まるで理解できねえというベテランのチーフ。どっちの立場にもつけない自分にやきもきする。それでもどっちも存在感のある生き方だと思った。
NHKの朝ドラでは毎回15分の間に小さな、勝負事があってドキドキするけれど、
まずは見ることを習慣にしたいと思っている。マストドンにも朝ドラの感想を呟こうとも思ったけれどどこかで遠慮していた。以前に家族で見た暮らしの手帖の創業者をモチーフにした「とと姉ちゃん」では、トースターのテストのドラマで、若手社員が怒られるシーンがあって、それがトラウマで、駐輪場の鍵をかけ忘れてしまうこともあった。ドラマとしてはセリフが立っていたけれど、フィクションにしきれない部分があると落ち着かない。同じドラマで歯ブラシのテストの日に歯医者に行くと、スタッフがものすごく張り切っていて、このタイミングで行くと疲労が増大する。ドキュメンタリーとして見るか、それともメッセージの伝え方として見るかという問いが残った。
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