どうにもしがたいもの

僕はもしやっかみが可能だとしても、それが手段とは思わない。自分に都合の悪い競争相手が、考えが合わないという言いがかりだけで調子が悪くなったというのは賢しいと思うけれど、それだけ実力があるのなら、その人がグループを運営したりなにかためになることをしようと説明してくれればありがたい。気づくだけで相手の考えを読んだり、そういうときは繰り返し機嫌を取りながらもできることを模索していく。マスコミが仏教にかこつけて、関係者を脅そうとする心理が良く分からない。また中年になれば若い年に生きていても、そうでなくても過去が戻るわけでもない。なんというか実際に小説が書けないので、しかたなく現実に存在する組織やグループにかこつけていると思う。文章が掛けなくても、計算ができれば現実ではビジネスが成り立つところもある。僕はあいてにこうあるべきという強制はしたことはないけれど、もしなにかを強要する心理にはは僕にはうかがい知れない。勝手なことはできないが、どうすればいいかとおどおどしながら聞くと、たいていは当事者の言うことに従っていると嫌われにくいとなる。とはいえ、仏教も大乗でも檀家でもなく、どういうわけか頭を坊主にして自分の利益以外のためになにかに取り組む人という印象が刷り込まれる。

他人がうらやましいと思ったことも、また自分はこれだけ頑張っているが、だれそれは相対的に楽をしていそうなので、懲らしめてやろうと思ったことはなかった。人を呪うことはそれだけ人の心を把握したり、また方針を立てることに長けているのだと敬意は払わざるを得ない、というよりは脅しや空かしで有利な方に誘導されるのだろうとは思う。友情は相手に親切にすることは建て前にすぎず、実際には共通の敵を見繕っていっる性格がある。

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悩みの負担をやわらげる仕組み

何かを書き直したいという場合は、やりたいことが見つからないことがある。結局は自分がどれだけ納得できるかとすると、他人と比べる必要はあまりない。それでも、なんとか要望に応えないとあとあと面倒という場面が多く、そういった時は、あまり目立たないようにやり過ごすに限る。社会に出てある程度の年月がたつと、だんだんと世知辛くなっていく、高校から社会に出ると、勤勉になる一方で、業界の外に出られなくなる。そういった中で、風当たりの強い媒体とそうでない媒体があり、今のところ、持続できるためには文庫本でもいいかもしれない。なんにしても考える余地があればと思う。また校正で文章の意味合いや性格が関わってくるので、自分の読みたいものと異なるけれど読み手に負担をかけずに、新しい分野を開拓できるようなものがあればとも思う。パソコンでは映像ではMacBookが普及したものの、依然としてwindowsがネットワークやインフラの元を作っている。普段は見かけないような仕組みだけれど、その業界では生活を支えるための基盤になっている。しかしながら、言語が英語であるために、端々で翻訳が必要になる。
趣味の中に人の本能を鎮めるといったことがあれば、なんとも不毛ではある。何事を基礎が大切というけれど、感情をコントロールすることもそこには含まれる。仕事では、人の役割を奪うようなものがいいという檄文が飛び、どのグループでもそこで優秀と言われる人が率先して参加していただいた。小説やビジネス書籍は組織の仕組みの中でこそ読めるものなのかもしれない。個人で読んでいると難解な箇所が、集団ではすんなり読めることもある。また、必ずしもそうでもない時もある。一方で組織で必要なものは覚悟だともいう、そうなるとマニュアルよりもアドリブの要素が強くなる。一般的には小説の登場人物はその台本にはあまり詳しくないこともあり、そのことがある意味では読み手を客観的にさせてくれる。仕事は社会にとって必要なことをする分、ある意味では一般的である必要があるけれど、趣味は必ずしもそうでなくより競争に歯止めがかからないところがある。また、趣味で有効な作戦は何かのシゴトに准えることであることもしばしばある。そうなると依然として世知辛い状態が続く。ある意味では、それは理想的で、現実的でないかもしれない。誰かを焚きつけて、諦めがつかない心理状態に追いやったとして、それを愛情だと思うケースはかなり珍しい。
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会話の元になる問い

僕には色々な側面がある。
その中でも、変化が適度に起こる方が、気が楽になる。
グループワークだけでなく、ちょっとした会話も萎縮した雰囲気になってきていた。そういった中で、普段から元気が出せることも大切だけれど、
僕はそのことで相手の評価を気にしてしまっていた。どこか落ち着きがない真面目さになっていて、それが相手にはあまり誠実でなく冷ややかな印象を与えることもある。とにかく明るい印象だけを持とうと思うとどこかで画一的になってしまう。
・現実をの変えられる理想を持っている
・イメージに共感してパフォーマンスを発揮する
・できることとそうでないことを分ける
・現実的に共通する課題を掘り下げる
それでもあるウェブサイトとそのパッケージからカスタマイズした事例を見ているうちに、グループでもそれぞれの得意分野やできることを示し合わせられるような傾向もあった。システムなどでは長期的なキャリアプランや、安定のブランド力などに寄り添いたいけれど、日常ではなかなかそういった案件ばかりでもない。ある種、くじ引きの要素もあるという。そういった時、どのような分野が客観的にできるかを考える。
グループの中では、気持ちの波もあって、その場の雰囲気と合わない時もある。ちょうど納豆と牛乳が合わないことと似ているかもしれない。
それぞれを個々に見れば、栄養にもメニューの素材にもなる。組み合わせをイメージしながら、今までにないものにも視野を向ける。そういったことも、元々は思い込みが激しく、相手の要望い対応できないやるせなさが落ち着いた頃に思いついた。中には、相手に目線が下や明後日の方向を向いていることに付け込まれ、意のままに操られることもある。グループでパフォーマンスを発揮するには意味での肩の力の抜き方を身につける必要がある。僕の中でも、先のことや技術の体型が全て分かる訳でもない。
緊張の度合いと、コミュニケーションの相性がある。
何事も明るいに越したことはないけれど、いつでも明るさをごり押しされると、こちらでは本音をうまく伝えられないこともある。
それも、海外の空気がうまく伝わったことで、村の中で村長が村人をまとめるだけでなく、それぞれが、思い思いに目標を目指してくれたことがある。
ある二人がいた。
それぞれ一人ずつと、会話してもうまく会話が噛み合わないこともあるけれど。その二人が組むと、片方が疑問を投げて、もう片方が答えを返すというキャッチボールになっていた。そういった事例は、コミュニケーションが苦手ながらもいくつか目の当たりにしたことがあった。仲のいい二人だからといっても、昔からの付き合いばかりとも限らない。共通の課題や、苦手意識、進路などで、関係性を深めるきっかけになる。
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しなやかな心

もともと、引越しを繰り返してどこにいっても根無し草のようだった。
目標を分かち合う知人もいない。組織の競争意識が働き、目標が理想化することがある。なるべく一人でできた方がいいけれど、そうでもない部分もある。
僕を分けてみると、社会的な役割は固定化されていない。誰かに頼る一面もあれば、自分で歩くこともある。意固地になると、上手くいくものも上手くいかなくなる。
僕の場合は、笑顔を作る頰がのっぺりとしてしまうようだ。自然に笑えたことはあまりないのかもしれない。世の中と折り合いをつけながら、一人でも多くの人が幸せになればと思う。我慢やしんどさに囚われると、何もできなくなる。それでも僕は、そこそこには動いていた方だ。誰かを動かすより、誰かのために動きたい。それだけでは、計画性がなく、持続性がない。そっと自分を労わりながら、政治にも経済にも目もくれず、雨が降れば、雨宿りして、できることを少しずつ増やしてゆく。
受容ということが誰にとっても辛いことのようだ。相手を受容することで、その上に立とうとすると上手くいかない。かといって、そのまま受け入れても負担が増えるだけだ。制度として、過労や奴隷は無くなったものの、精神的な苦痛は癒されることなく残っている。失っても形はない、それでも前を向いて歩いていく。
それでも何だか、やりきれない気分にさせられる。他人の苦労を受け入れることはとてもしんどい。でも、そこから少しずつ悩みを解いていく必要がある。
相手をどうにかして出し抜こうとするようになる。競争は終わりがない。今の世の中では、おそらく優位に立とうとすると揺り戻しがくる。定点観測して、変化に対応して残ったものに継続的に向かえているかを振り返る必要が出てくる。
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