科学と物理を橋渡しする仕組み

銅は熱伝導性が金属の中で高いけれど、一般的には鍋にはステンレスなどの鉄やアルミニウムが使われている。銅では熱が伝わりやすいので、均一に熱が伝わりやすいが、熱しやすく冷めやすいという性質がある。アルミニウムではアルミ箔で包んだジャガイモなどは熱が銅のように通りやすいという性質をつかっている。自宅のベランダでも蓄電池からIHクッカーにアルミニウムの鍋を付けて、炊飯をしたりしていた。なかにはコメから白い煙がでる富山県産の無洗米でない米があり、味だけでない炊事の体験ができた。とはいえ、飯盒があればアルミニウム拍だけでも太陽光を集めて熱を作り、ソーラークッカーという電気を使わない設備でも調理は可能だという。直流の電圧が、パソコンの専門メーカーでも出力が家電ほど上げる必要が無い中で、キッチンで無い場所で乾燥ヌードルや水パスタなどに端を発し、手軽に机や空いた場所で調理できるのは、安心感がもたらされる。確かに設定を工夫して炊飯できるくらいの出力を確保することも労力を要するけれど、マクスウェルの電磁法則もフィールドワークで得られたという逸話があるし、可能性を探求することで、それが見つかった時に自分だけでなく誰かにも使えるようになる。ガスコンロの代わりに電気を使うことでも熱を生むことで温かみを確保できた。または銅やアルミは空気や水の流れと合わせると簡易的なクーラーにもなる。

銅やステンレス二重タンブラーを使った熱を集めるものは、科学というよりは物理学に属するのかもしれない、それだけ銅はコインなどでは比較的潤沢だけれど、パソコンなどを冷却するヒートシンクでは数が少なく珍しい。ペルチェ素子ではアルミニウムの水冷ブロックを使うことで、ペルチェ素子のブロックを小型化することができた、そこでさらに熱伝導率が高い銅の水冷ブロックでまた試して見ようと思う、また銅はアルミニウムに比べて参加しやすいけれど、酸化銅には毒性が無いので、水や空気を冷やすこともできる。もしその性質で銅の鍋があればと思ったがおでんの鍋や卵焼きパンのように、温度を均等に伝える用途で使っている。もしそれらですき焼きを作るように米を焚いたら、炊飯器より素早く調理できるかもしれないが、シチュエーションが思い浮かばない。また鉄は熱伝導性は高くないが、比熱という熱を保つ要素は高い。もっとも比熱が高いのは水で、お湯を沸かして、入れ物にいれるという行為も熱を形にして運んでいることになる。電気が無かった江戸時代にも、熱湯で魚を湯霜という加熱する調理法があるがこれも比熱を利用したものだ。または床暖房のようにパイプにお湯を通して床を温めるのも水が温度を保ちやすいという性質による。とはいえ。お湯が湯気をだして気体に変わると温度が冷めていく、冷蔵庫ではお湯のほうが水より湯気がある分氷になりやすい。ホッカイロを衣服の中にいれると中から少ない熱で温める。その性質から、USBの5Vから二重タンブラーなどの密閉した容器に熱を貯めたり、またはペルチェ素子を水冷ブロックと合わせて、二重タンブラーに入れると空気中の水分が霜になり、やがて氷になる。ペルチェ素子の冷蔵庫もあるようだけれど、ペルチェ素子自体は異なる二種類の金属に電気を流すと熱が低い方から高い方に移動する性質によるので、比較的静かだけれど、消費電力は比較的高い。規模自体を小さくすれば消費円力を節約することができるけれど。

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植木鉢に添えて

ベランダのesp8266からのwifiからのログがここ一か月くらい取れていなかった。ローズマリーも冬にくすんだ色合いになってからそのままになっていた、アンプルを追加して処置を施したものの、変化はない、葉っぱにはかすかにローズマリーの香りがする。根っこはしっかりしているが、なにしろ緑色がくすんでいる。そういったなかで、土壌湿度センサーのログが形がい化していた。土の水分だけでなく、根っこをあまり張らないけれど葉っぱをつける多肉植物やアロエなどで緑を補う必要がある。また土壌湿度センサー自体は、金属の端子が土の水分で錆びるので、トランジスタと電極で代用しているが、いつの間にか電極も数値が取れなくなっていた。朝起きたときは、esp8266だけを起動しようとして上手くいかなかったので、一年ほどでwifiモジュールが錆びてしまったのかと思われたが、プラスチックケースを2重にしており、雨ざらしになってもなかには水が入らないようになっている。また土地を持っていないので、植物を育てるとしたら、根だけでなく、葉と根のバランスになる。道端の苔をカップラーメンの容器に寄せ植えしたものは、苔は冬に縮れてしまったが、そこからスズメのカタビラというイネ科の葉が笹の葉のような雑草と、コウゾリナというタンポポに似たキク科の花がさいて、しばらくして綿毛のような種が風に運ばれていた。それから、ギザギザの葉っぱから想像するにキク科の雑草で、アレチノギクかと思われる雑草が生えた。その間にも苔が枯れたところにツルマンネングサを寄せ植えしていたが、枯れてしまったので、グラフトペダルム属のブロンズ姫という赤みがかった多肉植物を容器に寄せ植えした。数か月すると赤みが取れて緑かかってきた。

ある日風が吹いて、カップラーメンの発泡スチロールの軽い鉢に比べて、雑草と寄せ植えした植物の比重が大きくなったのか、横に転倒してしまった。それでも土がこぼれず、雑草がその状態からでも日が当たる方向にのたうつので不気味に思われた。そこで容器と下に敷いた皿をダクトテープで補強して倒れにくくした。どのような養分配分になっているかわからないが、土より葉や茎が多くなっていた。

また土壌湿度センサーは既製品でも金属箔が参加するので、長く持たない、また回路図から自作して一年ほど持続したが値が図れなくなっていた。そこでESP系の小型のwifiモジュールと、温度と湿度を土壌湿度センサーの代わりにデータを取ろうと思う。プラスチックの四角い容器では間から水分が漏れるかもしれず、調理用の透明なZIP容器なら、場所を取らず、センサーも付けやすく、状態の異常にも気づきやすくなる。

気温が上がって、天候はいまいち晴れずに梅雨入りして曇りが多くなったことで、食欲が減退してきた。そこでそうめんに山椒をかけると、負担なく食事ができる。そうめんはラーメンやうどんやそばに比べると印象は薄いけれども、僕は芯が強い食べ物だと思っている。またインターネットでレシピを調べると、滋賀県の郷土料理にソーメンと鯖の煮汁を絡めた鯖ソーメンというものがあるようだ、そうめんは鯖と醤油で褐色になり、どちらかというと主食でなく、ごはんと一緒に食べるおかずだという。イタリアのパスタもアンティパストという分類があるように、肉や魚料理の付け合わせてとしての役割もある。

そこでコンビニエンスストアで揖保乃糸を使ったそうめんと、鯖の缶詰めをフライパンで敢えて見ると、ネギの彩りと鯖の存ボリュームがあって、郷土料理のようになった。これはどちらかというと料理というよりコピー&ペーストのような簡単な作業だけれど、食べるとどこからか元気が出る。中国や台湾の屋台の面にシンプルな薬味をつけたものは、カップラーメンにもないような素朴な味わいがある。それに比べると日本では麺類が進化しすぎたのかもしれない、面の断面は正方形になっていて歯ごたえがある、それは悪くないけれど、もし地域ならではのソウルフードがあれば、別腹で食べたくなるかもしれない。

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バージョンアップと変わらないもの

OSバージョンがひとつ前のパソコンでも、動くプログラムもある。
キーボードで文章を書いたり、インターネットを開いたりと難しいことをしなければリサイクルになる。最新の機種に比べるとどのような一長一短があるだろうか。漫画は紙の書籍をPDF化すれば、電子書籍として見ることができる。
ゲームはwindowsのOSのバージョンによって、ハードウェアの環境が決まってくる。windows10はメモリが8Gにあれば尚よく、2GBでも十分動作する。
windows95の時代では、大きなブラウン管がついたデスクトップで容量も256MBと現在の1/10くらいしかなかった。
それでも、基本的なプログラムの様式が現代でも通用するようになっている。
ネットワークは元の電話線から光ケーブルが普及するようになって、
通信で、音声だけでなく画像やテキストを送ることができるようになった。
それでも、多くの人が使えばそれだけ混み合って、うまく繋がらないこともある。繋がらなくなってくると、確かなものは何だったのだろうと自分を見つめ直す機会が増える。wifiは1980年代に、デジタル機器を相互接続する無線として実用化されたものの、普及したのは20年〜30年経った現代になる。今でもwifiではセキュリティが有線に比べると変化している。
wifiが東京では混線することがある、そうした時にせめて「あ」とだけでも入力して疎通を確認したい時もある。
wifiは壁をすり抜けると電波が弱くなる性質がある。逆に、街の通りのwifiスポットでは遮るものがないので、移動中に拾ってしまうことがある。そうなってくると電波に頼らず、自分の記憶で覚えていることが頼りになることもある。マスメディアによると、いっそ電話ボックスを復刻させてはという構想もあるようだ。電話があるときは、ネットワークに申請して箱の中でメッセージを送るという。セキュリティにかかるコストも一定になる。
大型コンピューターはデスクトップパソコンに小型化した。そしてノートパソコンとして持ち運べるようになった。ノートパソコンは演算能力が、初期のコンピューターより多くのことができるけれど、どのような用途で使えばいいかが定まっていない。僕はカフェでノートパソコンを開いてもすることが思いつかない。もし少し腰を落ち着ければどこでも文章がかけるなら、それに越したことはないかもしれない。
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