ゲームの楽しみ方

ボタンを押して、その中で世界が移り変わっていく。
ゲームは電卓のように正解と間違いがあって、というよりは、
パラパラ漫画のコマ送りのある部分をルールに沿って繰り返す遊びだった。
初めてのゲームはポパイ。
ポパイのセーラー服がシールになっていて、錨の刺青の腕がパーツで動く、
ほうれん草の缶詰はポパイの口に近づくと、開封されて中身が飛び出す。
ヒゲもじゃもじゃの乱暴なおじさんが、どんどん缶詰を投げてくる。
上手くとると、たまにオリーブさんが出でクリアーになる。
ただボタンを押すだけだが、
どうにも自分の好調不調がモロに出てしまう。
自分がだらしなくしていると、ヒゲのおじさんばかり見てポパイの腕がぎこちない。
根気が続かないと、オリーブさんが出てきても全く上の空で、右上の時計ばかり気にしている。
何年か同じゲームばかりやっていた。
ポパイに力こぶのアニメーションが追加されたのは、
16ビットで動きがカラフルになったスーパーファミコンになってからだった。
ドラゴンクエストVでもメラで赤の火、ヒャドで青の氷が出るようになっていた。
それまでは兎に角たくさんほうれん草を食べれば丈夫になるだろうという想像に任せていた。

幼稚園では、2年目で浦安に引っ越してきた。
幼稚園で元気なガキ大将は、そのあとも中学3年くらいまでその関係が続いた。
彼らの顔立ちも、不思議なことにそのままスケールアップしたような感が私の中にあった。
東京ディズニーランドができた浦安は、アメリカのフロリダ州マイアミ市にちなんで、舞浜と名付けられた。
街の広場は、人だかりができてリブレ京成ができた。
もっとも好きだったのはレンタルビデオ店だ。
選んだ好みが映像に反映されながらも、相手と同じ想い出をいつでも共有できる。
おもちゃ屋のこぐまでは、アーケードゲームが盛んで、
同級生で腕に自信のある人が買い物で浮いた100円で何度も長く楽しんでいた。
僕は、カードダスをやったりしていたが、
基本的にはすぐに負けるので、
ただただ相手が楽しんでいることをじっと見ていることが多かった。
何年か経過して、大きな変化があったとすれば、
中学受験で、ゲームセンターの常連が半分くらい卒業して、
千葉県美浜区にある渋谷幕張学園に通ってからだ。
そこでは、街の電柱が地下に埋め立てられ、代わりにパティオというスペイン風の中庭やカフェがあるそうだ。
残った私たちは、彼らの面影からゲームをなんとか上達しようと考えた。
できる人たちは面白い流行や、やり込める裏技を知っていて、
まるで習い事の公文式のように反復練習も楽しそうだった。
私は、学校の小テストならそこそこ平均点だったが、全国の模試になるとからきしダメだった。
ただ、点数が30点くらいになると、嫌が応にも模範解答の良さを思い知る。
そこで、むしろ全国の模試と学校の小テストの優先順位を切り替えて見た。
すると、視界が拓けてきて、彼らが面白がっていたものが文化遺産のように見えてきた。
ただ懐古厨と言われるとあまり外面が良くないので、
一応自分と名作を常に相対的に考えて、
毎日を大切に過ごそうと考えた。
優等生ばかりの右側と少し落ちこぼれの左側、
真ん中のところをまっすぐ一歩先を漸進的に歩んでいこう。
最近も童心を忘れず、コツコツとゲームのノルマをこなしている。
自分にできることは少ししかないけれど、
きっと貴方の方が面白くインタラクティブなゲームを知っていると思う。
夢中になって時間を忘れた後でも全然構わないので、
とにかく元気で貴方らしくいてくださいね。

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