社会不安とソーシャルネットワークを繋ぐなにか

今朝方、イギリスのマンチェスターで、テロが起こった。
コンサート会場で爆発があり、22人が死亡、50人余りが負傷した。
最近、ウェストミンスターでテロがあったばかりで、Brexitが影響しているのだろうか、イスラム教への理解とシリアでの紛争との兼ね合いがある。
日本でも安倍首相も名首相に向けて、哀悼のメールを送っていた。
僕は海外に旅行にいったことはあまりなく、海外とのやりとりはSNSやTwitterでのやりとりが主なものになっている。その中で、潜在的な危険性がインターネット上に蔓延っていて、テロ事件もその氷山の一角かもしれないという見方があってやきもきしていた。日本でも新宿で5月21日に1800人規模での共謀罪の施行についてのデモ行進があった。そこでFacebook側ではどのような読み取り方をしているかが気になった。タイムラインに埋もれにくいものの、記事には写真と500文字以上のテキストを入れることができる。
コメントでも写真とテキストが入る。そのため、お互い示し合わせて人気を演出したり、政治活動や学習塾に勧誘することもできる。こういった活動が、識字率の高い国で恣意的に行われている。そういった他人を操作する情報を見るだけで、毒に犯される、という見方が強い。
ではそういったインターネットの毒というものはどのような種類があるかを、
ハフィントンポストのこの記事から読み解いていこう。
参考:
http://www.huffingtonpost.com/dr-travis-bradberry/6-toxic-relationships-you_b_9548628.html
In a new study from Georgetown University, 98% of people reported experiencing toxic behavior at work.
ジョージタウン大学の調査では、98%の人々が、仕事中の嫌がらせを経験した。
そのうち、
・80%はそれについて心配する
・78%は組織への忠誠心がなくなった
・63%が嫌がらせ行為を避けて勤務時間を無駄にした。
・38%が故意に仕事の質を落とした。
・25%が顧客に不満を抱くことを認めた。
・12%がそれを理由に仕事を辞めたと答えた。
しかし、それでも証拠がなく、空気のように形や痛みが伴わないものが多いので防ぎようがなく、真綿のように締め付けられ、一部では発作や暴動が起こる。という病気のような不安が慢性化している。

現政権のように国際テロやいじめや嫌がらせを根拠に、共謀罪として一般人を疑ってしまうと、言論の自由や不当な監視にあたり、治安が混乱するという現実がある。また、製造業からサービス業に変化する中で、何を持って仕事とするかという定義が曖昧であるという背景もあるかもしれない。
また精神科専門医の熊代亨さんの記事では
参考:http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tinect.jp/?p=39564
「内容のないコミュニケーション」は重要だが、時に凶悪な武器になる。
コミュニケーションの内容でなく、有意義なコミュニケーションをすることが大事だが、そのための手段が公開されていなったり、言葉にならない行動によって、競争相手を故意に締め出したり、またグループ内で恣意的に序列を作れてしまう。その意図が社会的な不安を作っているという、実際いじめや嫌がらせは陰湿化している。そこで犯人探しをしてもきりがないので、まず認識として、言葉を伝えることで社会をよりよくしたいけれど、現代では言葉が伝わらないような不安がある。言葉は賃金アップにならないし、議論を有利に進める決め手にならず、仲間を都合よく操れない。その中で、言葉を使わずに相手の可能性を台無しにする有形・無形の手段としていじめがあるのかもしれない。
というより、社会が多様化して個々人が、貢献できるという自信が持てなくなっている。治安が近代に比べてよくなり、昔のプリミティブな乱暴さが発揮できず慢性的なストレスになっている。それは自分もそうかもしれない、落ち着いてて相手の話を聞いてください、keep respectfulと言われても、候補を選ぶだけで不満を集めて、頭を上げることができにくい立場で、異なった事情を理解できない場面も多くある。情報が不足している状況から、足りない情報を補いながら、少しずつ会話を深めていくと自然と会話が和やかになってくる。本やドラマでも題材になるものが多少趣味と異なっていても、自分と異なった相手を知ることはとても興味深い。
僕などは日本でも、自ら起業したりできず仕事を受ける一方だ。
僕のような怠け者が多い国は仕事が少ないので、移民もあまり旨味を感じず、ドイツのようにシリア・トルコと陸続きでなかったとしても、あまり相手にはしないかもれないというのがあるかもしれない。いじめも朝鮮人と同国人にしか向かないので、それだからこそ、国際的な話題から自分探しをせざるを得なくなったという動機がある。それでも、大リーグのノーボール・ノーバンドというシンプルで真っ直ぐな競技方針は、燻ってしていた自分を勇気付けてくれた。それでいて、テロに駆り立ててしまう立場をどうすれば理解できるかを考えたい。政治は3人いれば、その中でリーダーが決まり、そこに反対すると反体制側になることが成り立つ、政治運動もそういったちょっとしたすれ違いに向き合わなかったツケが積み重なったものとも考えられる。明らかになったことは、手順をごまかさず、今までの経験ばかりに頼らず、相手を労わる優しさを忘れず、社会の賑わいを守り立てていこうと思った。

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