エンジンのメンテナンス

「乗り物のエンジンのメンテナンスは水冷か空冷か」
かつてホンダの創業者、本田宗一郎がエンジンをどのように作るかのコンセプトにしたと言われる。
自動車のエンジンを冷却するのに、空気をスリットから取り入れて冷やすか、水の循環でエンジンを冷やすかのどちらかの選択になるという。
「水冷といっても、最後には外気で温まった水を冷やすのだから、初めから空冷がいい。」
どのメーカーの自動車も正面から見ると何かの顔のように見える。ドライバーが乗るフロントガラスがおでこ、くりくりしたヘッドライトを目にすると、口のような、魚のエラのような空気の取り入れ口がついている。ここを空冷にした方が、コンパクトで生物的なデザインになることが多い。ところがある節目から、ホンダの技術者たちは創業者のポリシーだった空冷から、静音性の高い水冷に移行したと言われている。パソコンの部品は、一般的には空冷だ。同様にwindowsでもappleでも、小さなファンで稼働して熱を帯びたCPUを冷やしている。血管のようなチューブに冷却液を流すタイプのパソコンはカスタマイズが効く、windowのカスタムパソコンならでは。多くのタイプは、金属の薄い流線型のヒレのような構造で熱を逃がし、コンパクトで軽量に工夫している。どちらにしても場所にあまり余裕がなく、できれば冷却をしたくないけれど、平常熱からどんどん温度が上がるとオーバーヒートしたり、CPUの効率が落ちるので、仕方がなく冷やしている。明治大学の中小企業論の講義でなぜ今では大企業になったホンダの事例が挙がったのか、社会人になっても戸惑いを隠せなかった。エントリーシートにはぼんやりとエコシステムについて描こうと想定したものの工学部でなく、文系で、具体的にどのようなパーツをカスタマイズすると意思を表現できるかが掴めないまま余白が広がった。

ただ書けないなりに想像するに、開発のスタンスの温度差が、空冷と水冷にはあると予想する。空冷は、戦後の復興の中で、創業者が開発した自転車にモーターをつけたバタバタというモーターサイクル。車輪の軸にはベアリングも使われている。何もないところから会社を作り、一つの家族を作った熱い情熱に支えられていた。それを引き継いで、会社が自動車メーカーとして軌道に乗り始めた頃に、巡行用の乗用車の性能を追求して、交通規則や環境にも配慮して沈着冷静に成果を維持しなければならない立場。創業者と継承者、それぞれのホットとクールな性格が、空冷と水冷の特長を象徴していたのかもしれない。乗用車が普及して、自動車の形が標準化して、エンジンを使ってどのような循環を作るかというビジネスモデルになった。もしかしたらハンドルを握ったことはなくとも、PDCAサイクルを回すという理論的なものでも、その考え方の形には相通じるものがありそうだ。個人的には、ホンダの社史や伝記で見るばかりで、自動車には子供の頃に轢かれそうになって景色がぐるぐる回って、図らずも1mほど宙を浮かんだこともあり、優れた組織やモータリゼーションを実現したことは素晴らしいけれど、できれば機械に頼らずとも、目的の場所まで旅ができれば人々は、自分の望みを形にしたり、交換したりできるという考え方を持っている。環境に配慮するという方針が、国民が乗用車をすでに持った時代に、これ以上に車を作らないという方針になると、景気が減退する。パソコンでは2010年頃に水冷のとても静かなモデルも出回り、自作する人もしばしばだった。しかしながら、最新のパソコンは、空冷が多い。スマートフォンは小型のファンレスモデルだ。水冷のチューブは、なりを潜めている。amazonや楽天、日本の中小企業のECショップでは、バイクの電子部品やヘッドライトを調整する部品だったり、ラジエーターを巡らせるチューブがそれだけで売っている。そういった部品の方が僕は手にとってどのようなパーツと合うか、自分なりに実感を持ちたいところだけれど、専門知識がないと扱えないならまだしも、店頭に部品だけで売っていない実情があった。それでもスマートフォンの着信の振動には小型モーターが使われているし、身の回りのものからでもそういったものづくりのパーツが出てくることもある。ただ書面で5年間の保証になっていると約束があることも長期的には大切だけれど、セルフでメンテナンスをしながら、仕組みを理解することで、性格の違う相手とも折り合いをつけることもできる。ただの口約束だけでなく、仕組みを介した具体的なコミュニケーションによって協力できる強みがある。
2017年にさしかかって、アメリカのトランプ大統領がアメリカの自動車産業を保護するために、パリ協定を脱して、環境に配慮しない政策を打ち出した。これはホットな性格になるけれど、これを受ける僕たちはクールでも出力が足りない懸念もある。アメリカの車もフォードのテンプレート化や、仕組みが明快で分かり易いことに加えて、意外と小回りが効くコンパクトさも兼ね備えるようになった。それでもなお環境には配慮できないという矛盾を抱えている。電気や燃料に依存しないけれど、過剰な情熱や過剰な冷徹さをうまく交換できる場がそれぞれにメリットをもたらすように思われる。近代化の歴史の中で、馬車は汽車に、汽車は鉄道い、自動車にイノベーションが変化していった。ただ、馬車の時代から車輪はあまり変わっておらず、道幅もだいたい大人の肩幅くらいを単位にしている。これからは車が空を飛ぶという進化が起こりにくい。ハードウェアからソフトウェアに移行する中で、環境に配慮しながら、共同体で鉄の塊のように確かな基礎を陶冶することが信用構築のためにも必要になる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です