モニターの向こう側の猫

ルンバをなけなしの予算で買ったことがある、掃除をする時の話し相手になってくれればと思ったからだ。床掃除初めからやろうとすると大変だ。四角い部屋を丸いブラシで隙間なく掃除する必要がある。
ところが、ルンバのランダムなパターンによって、落ち着いて待っていれば自ずと床がきれいになる。床や玄関との段差で転ぶこともある。ルンバ用のスロープが自作できれば、お年寄りのためのバリアフリーにもなることもありそうだ。パターン化されない新しい作業を思いつくきっかけになる。それでも、部屋を片付けることを日常で行なっていると、自主的な範囲であれば、床を手で掃除するのもなんだか楽しくなってきた。髪の毛や微細は埃は取れども取れどもキリがない。それでも、相手にそれを強要したくはなかった。
そこでルンバを誰かに譲ろうと思ったけれど、なかなか折り合いがつかない。欲しくないのかというと、そうでもなさそうで、ではいつがいいかというと有耶無耶にされてしまう。そこで、ネットショップで引き取ってくれる業者があるというので、コンタクトを取ってみると、ところがルンバを譲ろうとして、本体の写真を送ると安く買い叩かれてしまいそうになった。冷蔵庫などもまだ使えるのに、引越しになると輸送費と人件費だけで本体価格がほどんど残らなくなってしまうという。まだ使えるのにもったいない。実のところ、このように物持ちが良くても、そうでなくても上手くいかないことは多い。基本的には挨拶が苦手で、その上で規則を都合よく解釈する人は、きっと僕より頭が良い。それでも、頭が良くても何もできない人でいるよりは、何かを行動にしたい。
他人が転ぶのを喜ぶ人は大抵その人自身もあまり上手くいっていない。その中で、どのようにグループの状態を良くしていくかを考える。それは、言葉にはならず理想的には姿勢に現れる。読書の時は寝転がっていた時には、多少行儀が悪くても柔軟な意見が出る。

VRやIoTの技術を題材に話をするととてもリズミカルで面白い。今まで言語化されなかったものが、映像になる。アニメーションで、最後のワンシーンになると、たとえ悪役が描いてあってもメッセージを伝えるための苦労が偲ばれる。ところが、液晶画面で絵がテンポよく動いていく様子を側で見た人には、あまり評判が良くなかった。最近のアニメーションでは、手書きでもソリッドな物体が出ることがある。特にメカニックはCGより鉛筆で描いた方が、メカらしい幾何学的な造形になっている。巡り合わせ悪く、公園の空き地で空きカンやペットボトルが苦々しげに踏み潰されていた。
僕は字があまり上手くなくて、大学の時に手書きからパソコンに変えた。そうすると、文章が伝わるようになったのか、レポートが通るようになった。手は消しゴムのカスで汚れにくくなった。プリンターは白黒だけでも良かったけれど、だんだんバージョンアップしていった。その時は、ワープロかタイプライターのような感覚でありたい。それでもインターネットが普及したおかげで船やコンテナをほとんど見たことがなくなった。これでは時代に取り残されると、エレベーターだけが無線や赤外線感知器を備えやたらに近代化した。僕のことが書いていない文章を、どこかの地方公共団体の条例やパソコンに備わっているAIと誤魔化されると落ち込む。それでも、僕もただ書いているだけだったら同じように落ち込むんだろうなあと。そこからどのように這い上がれるか、与えられたものはそういった試練なのかもしれない。言いたいような言いたくないような曖昧な部分に実は普段やりたくてもできないような願望が原石のように宿っているかもしれない。
真夜中にふらりと出歩いた時に猫が段ボールの枠の中で、もう一匹の猫にゴロゴロ鳴いていた。
猫は枠の中をテレビに見立てていて、もう一匹の猫がそれを黙って見ている。箱は手足を伸ばせば、干渉できる距離だけれど何故か二匹とも勿体ぶっている。街角にテレビや広告を野良猫が見て、それを真似るモドキになったのかもしれない。それをふと見て僕は猫は飼わなくても良いかなと思った。無理にそのフリをさせると可哀想だ。ペットの寿命は人よりも短い。懐かれる保証もないけれど、その雰囲気はホッとした。発情期の猫にこっそり寄っていくと、猫に冷めた目で見られて感情を抑えられてしまった。それでも、猫が楽しければきっと僕も猫の魅力を感じられて、公園で子供の頃のように登れない木や赤の他人の生垣にもどこか趣が出てくる。
従順なだけの犬より、猫の方が奔放で僕にはない可能性を教えてくれそうな気がした。
逆の見方もある、猫より犬の方が盲導犬になったり、災害救助犬になったりできる。人も我慢すれば、そのようにして誰にも精神的な苦痛を与えずに社会に貢献できるという。それでも、誰かに与えられたり柵で囲いこんで思想をインストールしなくても、特に望んでもいなくてもふと風のように巡り合う。命を運ぶ小さな気づきの一つなのかもしれない。
ただその気づきを秘密にして背中で語ろうとするとなんだか肩肘が固まってしまって、それから、くたくたな言葉になっていった。
 

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