趣味が癒した物語

はじめに挨拶を行わないと実は協力できそうな関係でも、こじれてしまうことがあるかもしれない。何かを急いでいるときは、思わず相手のことを忘れたり勘違いしていることさえある。それだけ夢中になれているということもあるけれど、多くの場合は錯覚で現実に戻る時につらい。ある人が、ホームページを作りながら挿絵を書いていた。一般の雑誌に比べるとそこまで魅力を感じなかったかもしれない。またとりたてて巷にあるような萌えキャラを書いていたわけでもなかった。中にはバットマンのダークナイトの2代目の役者がお気に入りらしく、何度もバリエーションを書いていた。バットマンのダークナイトは後に、名画として進められて見ることになったけれど、少しスピードが急で見ていてあたふたしてしまった。その間でも、ダークナイトのジョッカーが出るシーンはバイオレンスながらもどこかコミカルで安心してお芝居を見ることができるという。また、それがルックスが優れているとか、主人公のバットマンより強かったり、賢かったりするというよりキャラクターの魅力を感じたという、僕はその語りには混じれなかったけれど、どの道物語には欠損を抱えたキャラクターが、それを取り戻すことなく読者と結びつくものでもあるかもしれない。妖怪ウォッチのジバニャンという猫は、交通事故で耳が欠けている。それを感じさせずにいつもあっけらかんとしている
僕らの世代でははじめは少年漫画しかなかった、それでも少年漫画の暴力シーンは正直苦手で、どうして青筋立てて殴り合うのかがいまいちピンとこなかった。高校生の時に、初めて喧嘩を見たけれど、後味はあまり良くなかった。まるで頭から赤いリンスをしたように血のりが付いていた。ところが、それからその喧嘩をさも自分が戦っているように話してしまったので、そこでまた怪我をすることになった。僕は、クラスでは生徒手帳に緑の羽根募金をつけていたことがなにやら勲章めいていて鼻に付くらしく、それで呼びつけられてしまった。それでもいざそこで巻き込まれると、なんだかどうでも良くなってしまって、とりあえずなんとも面白くないやつとして逆に同情されるような形で、一人で帰っていった。話し相手はいたものの、とりたててスポーツができるわけでも勉強ができるわけでもなかったので、単に一人でいることになれた人のいいチビという感じだった。そのチビがどうして、漫画やアニメで主役になれるだろうか、またブレーンのように周りをサポートするずるい役にもなれない。

コミュニケーションが苦手というより、いつもなんとなく説得力がなかった。そもそも相手を説得するような場面が訪れなかった。しいて言えば、アルバイトで本部の人に掃除の報告をするときになぜか応対に癖のない少年がいるというくらいだった。千葉県はおおらかな故郷だった。東京の近郊に住んでいる人は誰でも、そういった郷愁を持っているかもしれない。そういった中で通勤や通学で、ラッシュの中をくぐり抜けて、東京に来てもその先に何があるわけでもなく、その時はすれ違ってしまっても後々で思い出す事もある。大勢でいる時もいいけれど、二人くらいになって電車や帰り道で交わすことがひどく自然に思えることが多い。三人になるとどういうわけか、僕も相手も浮ついてしまって、誇張する事もしばしばある。それでひとしきり相手に手持ちのカードを全部見せたとしても、なかなかサマになっていかない。こんなはずではと思っても、やり過ごしてもらしくない。
知人はとあるウェブ制作やバナー作成の合間に、キャラクターをメモに書いていたようだ。はじめはその人の好きな任天堂の王道を行くような男性や半獣人たちと、時より秋葉原の萌えキャラの髪型を少し真似て見たりしていた。それでも、僕とは性別が違って、女性だったようで、エッチな作風は少なかった。なんでも最近はイラストレータの交流サイトPIXIVでも作品が明らかに耽美や青年向けに見えても、チラリズムのギリギリのところで抑えているようが消費されにくいのだという。そうなると、僕の好きなものと、漫画やイラストとして受け入れられるのものには隔たりがある。その中でも、最近は男性でも女性でも、週刊少年ジャンプの黄金時代の追体験をもとに、それぞれ自分や、その読者のための物語に置き換えてリサンプリングするということが必要になるようだ。実のところ僕が学生の頃は、一週間分の週刊誌を買ったとしても次が気になってなんだか読めた感じがしなかった。ところが世間がそう認知すると、あまのじゃく的に実は自分も見ていたという風に後から言って踏ん切りがつかなくなる事もしばしばだった。そういったところはどこか滑稽だったかもしれない。
 
世代が変わって漫画をあまり読まない子供達がハンターハンターの0巻を映画館のおまけを入手していたイベントに参加してみるとなんだか足取りが軽くなっていた。いつかフィクションとしての暴力が、その人なりの情熱を通して理性に変えられたならそれが、僕が見ても良いか悪いかはすぐにはわからなかったけれど、誰かを癒す物語になると思ってその絵を眺めていたい。

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