スマートフォンの種類

スマートフォンが悪いとは思わない、それでも、できる範囲で試してみると、まんざらでもないような選択ができることもある。iPhoneではiTunesストアで海外のアプリケーションがインストールできないことがある。レビューを見ると、海外と日本で共通した興味関心があったり、そのシナリオをできる範囲で邦訳したいというコメントが集まったりと、既存の人気コンテンツができる前のフロンティアのような様相になっている。また、iPhoneでは海外の企業の日本オフィスが東京にあって、そこから更新されるケースもある。アプリケーションの通知や、イベントの案内などで随時更新されている。Androidの場合は、海外のアプリケーションがそのままインストールできる、するとiPhoneの場合は、操作性はいいけれどシナリオは限定されている。グラフィックが解像度も高く、音もいいので演出には凝っている。一方のandroidでは、操作性は前者に比べてあまり良くないが、シナリオの続きを見ることができる。解像度は少し良くないし、たまにピクセルが欠けるので再起動が必要になる。それでも、androidバージョンの方が、具体性を感じる。アイテムが外国語になっていてどのような効果があるのかがわからず、結局アイコンで直感的に選んでしまう。しかしながら、iTunes版ではアイテムの番号が501・・・503,504となっているが、androidでは、501,502,503・・・となかった番号が揃っている。別にアイテムを全てコレクションすることもできないが、もともと意図ではどのようなイメージだったのかが気になってくる。もともと海外のゲームは新世紀ヱヴァンゲリヲンに影響を受けたものがいくつかある。色合いやヒューマニスティックかメカの仕組みが共通している。しかしながら、aqousケータイをカスタマイズしたandroid Phoneをコンビニなどで予約しようと思ったことには、iPhoneで満足していて、他に機能やUIも思いつかなかった。知人に相談してもスマートフォンにはカメラとメールと電話があれば、特に不便は感じないという。それでも、フィーチャーフォンからiPhone3に変えた時は通話があまり良くないとかで、こちらが新しい機種にしても、受信側と設定が揃わないので、画面だけが大きいインターネット通信機のように使わざるを得なかった。

ノーゲームノーライフというライトノベルでは、少年の空と少女の白が、ゲームの仮想世界で駆け引きを繰り広げるアドベンチャーゲームだけれど、中国の漢字では空白一心という単語になっていて、なるほどと思った。ちなみに空白一心はiPhoneとandroidでは両方揃っている。それと最近のアニメと何が違ってどこが面白いのか、それを見るとどのような楽しさがあるのかなどと疑問が浮かんでくる。コミックマーケットなどに参加するけれど、そこでは同じ趣味が重なるとやや競争になってしまってお互いの長所が上手く活かせない状況もある。それに比べるとある程度筋道が立っていた方が分かりやすいようにも思われたが、それでも相手に制約を課したくはない。そもそもゲームなどの遊びは制約によってルールが決まり、その中でいかに自由度を表現することにあるとも言える。アニメをストリーミングのように見ることができるようになったのはabemaTVやニコニコ動画の恩恵が大きい、そこまでアニメにのめり込むことはできないが、それがどのように成り立って、どう行った可能性があるのかが気になる。スマートフォンを雑誌の付録で3Dビューのようにして、アプリケーションの水族館を眺めると立体的に写る。それは、かつてのバーチャルボーイでもあり、そこまで新しくもなかったけれど。その時はwifiが繋がらず、電子書籍も新しいシリーズをダウンロードしていなかったので、それだけをただ眺めていた。もちろん、有意義な通信環境を整えることは基礎としては大切で、アプリケーションに熱中していて用事をうっかり忘れたり、コミュニケーションがうまく取れなくなるのがオチだろうというリスクもあるかもしれない。いっそスマートフォンでなくアナログなメモをとった方がという考えも間違ってはいない、けれどデジタル化は僕が生まれる前にすでに図書館などでも導入されていて、最近ではライトノベルも借りることができる、学生の読書感想文にも元気付けられる。

損得で動いているわけではないけれど、できればある程度興味関心が繋がる分野を活性化させるように料金プランを見直していきたい。それが高いや安いかは個人的には判断できない。個人の不安や心配がだんだんと状況を停滞させることがある。それは僕でも同じことがあてはまる。FacebookなどのSNSを開くと、画面の向こう側や、コメントには自分と同じ職業や家族構成の不特定多数の人が呟いていることもが、そこに疑問を抱けないとすれば、自由な意見がみつからず、なかなかしんどいものがある。しかしながらテレビや画面に向かって独り言を呟いてもあまり生産的でない。誰ともぶつからずに自分探しができないものかと少し考えこんでしまう。

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