家電やゲーム機の構造

今では、CG技術によってビームやレーザーが出ていると思われているが、鉛筆で書いた下書きをセル画に転写すると、線が光って見える。鉛筆でもグラファイトという分子構造を活用したもので、何かにこすると少しずつ線が引ける。運動会で校庭のライン引きに使う石灰は、生石灰でないので科学的な反応はしないけれど、遠くから見てもそこに白い線があるとわかる。

今でこそスマートフォンの回路は、プリント基盤になって指よりはるかに細かくなってしまったけれど、初めてパソコンゲームができた頃は、手基盤というケイ素の板にカッターで線を引いたガジェットがあった。当時はワードやエクセルもなく、テキストエディタでシナリオを作っては、イラストと組み合わせていた。Fate Stay Nightのトレースオンというキーワードは、それを象徴している。ニクロム線は熱を出す目的では主にストーブに使われているし、ガジェットの回路は細かい設定はどうあれ、何か離れた相手と通信や意思疎通をするときに用いられる。

僕はファミコンをなかなか買ってもらえなかったので、田舎暮らしではテレビのブラウン管の向こうを覗くと、そのさきに未来の東京があるとついつい妄想していた。そのときの青白い光が真っ直ぐに見えるように節くれだったラインを見ると、それが何かイメージを形にするヒントがあるように思われた。その一方で、物語と現実は似ているようで異なっている。ある種作り話だからこそ、人はそこに夢を観られるという矛盾もないわけではない。

ファミコンソフトをこれから買っても何か資格の学習になったりすることはないけれど、ミニファミコンはHDMIケーブルと、プロセッサーを繋げるためのシンプルなモデルになっている。見るところ、ミニのスーパーファミコンではより解像度は高く立体的ではあるけれど、コントローラーがセットになっているのは初代のファミコンの方、もしフラットなiPadとミニファミコンがつながれば、全く新しいテレビになる。バッテリーもパソコンほど電力を使わないので、USBからの給電で持ち運びができる。とはいえ、iPadにはブラウン管がついていない。液晶テレビと液晶ディスプレイの境目は地上波デジタルや多チャンネル化が進んで、曖昧になってはいるけれど、iPadより凸凹はあり、操作するボタンや設定も多い。そんなことをスマートフォンのアプリをタップしながらイメージしていた。

ヨドバシカメラで新しいパソコンを試しに動かしてみる、それはあまり遊びにも仕事にもならない曖昧な領域ではあったけれど、minecraftの空と水の描画が妙に透き通っていて、どうしてそのようになっているかを確かめたくなってきた。そればかりでなく、キーボードにある十字キーを押すと、海藻が揺らめき、イカの他にもサケや小魚が泳いでいる。アイコンとしてはドットパターンのシンプルな芝生ブロックで、それはかつてのRPGゲームを彷彿とさせる。とはいえ、そのブロックが大気と水に抱かれていると、そこに没入感がある。今から5年くらい前にグラフィック性能とメモリ容量で選んだmacBookがそろそろ最新の性能を発揮しきれなくなったけれど、それでもワープロの代わりにはなるし、節約しながらなら画面遷移もまだできる。OSのアップデートでは、色取り取りだったナビゲーションが、控えめで落ち着いたトーンになった。その先に何を見るだろう。

そのころに、ツタヤ家電で、掃除機を買っていた。劇場版の攻殻機動隊にインスピレーションを受けて、取り外しできるバッテリーにUSBポートが付いたサイクロン掃除機を奮発した。容量は99W、掃除機はコンセントなしで30分くらい動く、電源ボタンが1つ付いている。やや大型というだけで、モバイルバテリーと仕組みは似ている。大凡だけれど10wあればスマートフォンが、30wあればiPadが、50-100wあればパソコンが動く、とはいえパソコンにはUSBではなく、少し大きなアダプターでしか動かない。USBのtype-Cがあれば、よりカジュアルになる余地があるけれど、既存のデバイスでもメモリやビデオ機能がある。AbemaTVでも比率が4:3のビデオテープからのダビングで、フレームが黒縁メガネのようになっても、今でも強いメッセージ性が残っている名作もある。

社会では、モノをどうこうするより人をどうにか動かすことで、自己実現を目指す方が有力視されている。そこに異存はないけれど、抽象的なことで齷齪して悩むこともある。食事は気持ちは満たされたけれど、そこまでコストはかからなかった、ひもじかったり、貪欲にならなければ平均的には健全になるという見込みを立てていた。ガジェットは、それが思い通りにならなかったとしても、次の世代に向けて投資しているところもある。秋葉原まで歩いて行くと、その先に最新のパソコンがまだなかったとしても、またあってもまだ買い時でないとわかっていても、運動を兼ねて何回か往復して、実際に足を運んでみることにちょっとした発見を覚える。高校の受験勉強や資格だけでなくても、そこに行けば何か忘れたものが見つかるそんな場所だったらいいなと思う。

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