アナログとデジタルの回想

僕が子供の頃には、パソコンは家計簿の作成に登場するくらいで、そこでゲームとまではいかないけれど、簡単なマインスイーパーやテトリスができるだけで、日常に無い考えを反復して形にするようなチャンスができた。パソコンはカタカタと青色でない緑や赤のLEDを点灯させながら、まさにマシーンという感じだった。テトリスのBGMはMIDI音源の民謡のトロイカだった。カメラは当時は、フィルムを写真やに現像してもらうようなスタイルで、デジタルカメラになって自分で現像できるようになるということが珍しかった。ホームページにデジカメの写真で旅行記を作ったとしたら、もし他の人が見たら、雑誌や書籍とは異なった生の体験ができたり、実際にそこにあることが写真から想定されテキストやコメントでも体験の雰囲気が伝わってくる。現地の人に聞こうとすると、ある程度読み聞きしたところで情報の断片になっていて、それが正しいとすると、それは現実になる。何か先入観や勘違いがあると、それは現実にはならないという体験から、正誤に厳密になりがちなところがある。今でもサムネイルの画像と、プロダクトを見比べる事が密かな関心にはなる。本当にそのような印象を持ったものがあるのか、ないのかと気になる。とはいえ、実際の店舗では、印象は生の場から醸成されるところもあり、ライブなどは、譜面通りになるとは限らない。それを人工的に再現したカラオケでは、アニメソングはお経のような複雑な言い回しになっているが、歌謡曲では、誰でも歌えるようにリズムを心拍数より気持ちゆっくりにしたり、音域を低めにしたりと、ストレートな癒しがそこに流れているように思われた。

カセットテープを携帯して持ち歩くウォークマンでは、リモコンに液晶で曲名とバッテリーの残量がデジタル表示で出るのがとても新鮮で、▶︎playと■pauseは再生と停止、一時停止もあるという、曲でサビがくればそこで停止して、少し間を開けてまた続きを再生すると余韻が少し耳に残る。displayという項目があり、それは再生playを止めるのかと思ったら、英単語メモを丸暗記しようとしていたのか、液晶画面が青く光って、音は何も変わらなかった。

図書館では、学生時代の浦安図書館ではバーコードで貸し借りを管理するシステムを見る。その裏では、書籍を登録したり、借り貸しを記録するパソコンらしいものがあるのかもしれない、アニメのルパン3世ではカセットテープが長く太くなったような記録メディアだったけれど、詳しくは分からない。学校では、バーコードでなく、図書カードを手書きで記入していて、そこで同じ本を読んだ人が感想とまではいかないにしても、ちょっとした話題交換の場になっていた。そういったところでは、僕は塾に通っていなかった頃に、優等生の人が歴史とキリスト教の本を読んでいて、僕はそれを見たところで家は仏教かお寺か分からないし、その人なりの深い考えがあるのだろうくらいに思っていた。

最近では、図書館でもライトノベルが貸し借りできるようになり、そのレビューなども読むことができる、アニメージュなどのアニメのダイジェストも鮮やかだけれど、ちょっとした感想などが自分もそのアニメなりライトノベルを読んだり見たりしてみたいという気にさせられることがある。とは言え、一般的には何かを出版したり、配布することには在庫とフォーマットが伴うけれど、古びない様式がどのようなものかを知りたくもなる。図書館が公民館のようになる前は、ワゴンに海苔箱で貸本を詰めて巡回していたという。そのときはまだ京葉線も走っておらず、建設中の高架下にはバッタやコオロギがとれる、子供たちの秘密基地になっていた。

蔦屋ができる前には、住宅地から高架下、堤防がある路地にレンタルビデオ屋とNEOGEOのアーケード機があった。レンタルビデオ屋のタグの貼り方は独特だった。日本だけでなく、世の中には色々なメディアがあると思った。学校には徒歩で通っていたが、休日に自転車に乗ると同じ道と通りなのにまるで景色が違って見えた。湾岸道路沿いを地図で調べて最短距離になるのと、木陰で缶ジュースを片手に一息つけると思っていると、意外にも連れ立って歩くと時間が経つのが気にならない。そこにもしスマートフォンやインターネットがあれば、より話題は増えるかと思って、とは言え自転車やBGMなど色々とバリエーションを試したこともあった。

一方でインターネットがアメリカの言語と産業の仕組みを使っているので、そこに故郷や存在感を見出せないという人も少なからずいる。それでも日本の端々にもフロンティアがあり、コミュニティが維持されてきた。社会人のなりたての頃のパソコンにlinuxをインストールしてみて、それで賃貸の部屋の外に窓ができたことがネットワークの始まりだった。僕自身は道に迷ったり、その先にあるものが事実か、またはそれが自分とどのような関係かを当面知りたくなるけれど、自分で何かに関心を持って知ることが、誰かの道しるべになればと思う。

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