MMDと3D造形

MikuMikuDanceの動きを、Blenderでも同じように読み込もうとした、mmd_toolsというプラグインを、ユーザードキュメントのフォルダにコピーして、Blenderの環境設定prefernceの設定ウィンドウを開く、こちらでいう基本的な初期動作にあたる腕立て伏せの動きファイルを、Blenderにmmd_toolsを通じて読み込む、すると腕立て伏せを2回して途中で止まってしまった。読み込みが上手くいっていないのかと予想して、MikuMikuDanceからvmdファイルを書き出すときに、フレームを全選択する必要があったので、上手く書き込めていなかった。そこで書き出しのときに全フレームを選択して、書き出しを再度行うと、pmxフォルダの骨組みが、腕立て伏せに連動している。重心は腕立てに対応して上がったり下がったりしている。これを見ると実際の腕立て伏せで腕を曲げすぎなくても、体重移動はできて、負荷を掛けすぎなくても、ほどよいペースで継続することがトレーニングになるということが物理的に証明された。また、Unityでも、MikuMikuDanceのインポートがありBlenderに似ている3DのUIに、モデルファイルをインポートする。

モデルファイルをUnity用のフォーマットに替える同意画面が出る、そのとき、モデルファイルで持っている3Dファイルでは同意画面のチェックボックスのレイアウトが上手く表示されないが、マウスをクリックすると先に進むことができる。しかしながら動きファイルを読み込む過程が調べても分からず、またレンダリングで色が付かなかった。とはいえUnity用に作られた動きファイルは、腕立て伏せのフレームの10倍くらいの容量があり、それだけ動きも緻密だったが、それをコピー&ペーストすることは難しそうだ、その点ではこちらではシンプルな動きを作れていた。またBlenderでは、人物の他に任意でオブジェクトを配置することができる。そのとき、立方体のオブジェクトを鏡のようにすると、腕立て伏せのときに顔が写るかと考えたが、レンダリングモードをcyclesにして鏡を有効にすると、初音ミクが顔に泥パックを付けたように不自然に影が映った。それ以外は立方体に姿が写っているし、光学的には問題なさそうだった。しらべても解決策が見当たらないので、いろいろ悩んでから、モデルをUnityに対応したapendモデルに替えて、Blenderで読み込むと、今度は自然に顔が写り、ガラスのパーツも透き通っていた。また腕立て伏せの動きも骨格が共通していて同じようにできるようだ。ところが、MikuMikuDanceにあったまばたきや表情が、Blenderでは再現することができなかった。Blenderでは、静止画にすると、光と影とテクスチャーのバランスで、まるで写真を絵に書いたような精度の高いグラフィックができるが、動かすことでは不自然なところがあった。しかしながらアニメーションのように限られた範囲でも、特長的な部分にフォーカスして動きを付ければ、記号的なものでもなぜか活き活きして見える。

ベランダで植物を育てる時に、植木鉢では水をあげても乾燥して蒸発して、いくら水をあげても植物が枯れてしまうことがあった。そこでウォードの箱という透明な容器に、水と植物を入れて密閉すると、半年や一年経っても、コップ一杯の水が容器の中を循環して、結果的に水を節約できる。テラリウムとも言われ、フィギュアのジオラマにも使われることがある、しかしながら水が循環するときに無数の水滴が付いて透明な容器が曇るので、僕はジオラマには向かないと思っていた。中国版のアプリの設定画面の端に、瓶に詰められたロボットのようなアバターがあった。それがテラリウムにも似ていた。中華と言えば、チャーハンのように強力な火力で炙って、スタンダードを力強く形成する手法もあれば、中華ちまきや肉まんのようにじっくり少しずつ仕上げる手法もある。そういったなかで養生が興味深そうに見えたのかもしれない。アンドロイドのように見える少女は、目鼻立ちは整っていたけれど、腕や足は機械の義足で、ダクトテープのようなものであり合わせの接着がされている。IoT機器には、raspberryPiや、espシリーズのように、基盤がむき出しになったタイプもあるが、そこでも3Dプリンターでプラスチックのパーツを作ることができなかったので、テープで接着されている。もし3Dプリンターで銀歯を作ることができれば、虫歯そのものを解消することができる。そういった意味では、金属でないパーツで人体の部品を作ることは禁忌なのかもしれない。モータ型のロボットがモビルスーツのザクの量産型になったのは2019年になってからで、ドラえもんのようにぬいぐるみのようなもので無かったとしてっも、フィギュアにしたら独特な存在感がある。しかしながら義手や義足の感覚は、まだそうなっていないので分からない。2Dと3Dは、平面宇宙のように関連付けられている。距離や時空を超えてリンクされている。逆に、2Dの世界での見識と、3Dの世界での見識はもしどちらか一方の世界にだけ属していたとすると、その基準や尺度、単位や法則性がそれぞれ独自のものになっている。いずれ双方向性や互換性が確立されればと思う。

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