旧バージョンの模索

大相撲春場所を見ると、観客がいない開場になっていた。新型コロナウイルスの影響としては象徴的だと思った。毎日の検温する習慣がここでも欠かせない。先週の休日には雨が降っており、家でテレビやインターネットを介して情報を収集する必要があった。大相撲では行司以外は実況も間接的になっており、普段の盛況が打って変わって静寂になっており力士の息遣いがテレビごしに聞こえてくる。3月10日になると、政府から臨時休校について見解が述べられるようだ、東京ディズニーランドは3月15日から臨時休場の時期が終わると言われている。コロナウイルスの影響で人の動きが制限されたことで経済が回らなくなっている。スポーツジムやライブイベントなど民間のイベントが軒並み自粛されている。電車のアナウンスも様子が変わってきた。中国では、防護服を着た看護師が重慶の鮮やかな街頭に称えられている。

コロナウイルスの影響はいつまで続くのか、トイレットペーパーの品薄はSNSによるデマによって品薄になっていた要因もあったが、マスクは今持っているのは7枚くらいで、コンビニエンスストアでは品薄で手に入らない。トイレットペーパーに比べると需要は確かにあるが、マスクを洗って使うという方法も考えられる。あるいはamazonでマスクを探してみるかなど模索してみようと思う。

Windows10でCivilization6をプレイして、なんとか難易度を優しくしてマップも小さめにして科学的勝利を達成した。グラフィックでなく将棋の駒のように記号化すると、スペックが少なくても、シュミュレーションは可能だと考えて、Civilizaton2でも試して見ることにした。CD-ROMは依然持っていたが、ゲームのデータしかもっていない。Windows7のOSはInternetExplorerの旧バージョンの検証をするためのVirtualBoxで動作させることができるが、旧バージョンの検証は去年はMicrosoftの公式サイトにダウンロードできるページがあったが、今年になると無くなっていた。ともかく、VirtualBoxの仮想OSと、ゲームのデータは持っている。僕が高校生の時にはCD-ROMをCDプレイヤーにいれてBGMを聞いたりしていたが、今回はOSのサポートが終了するかもしれず、旧バージョンでもシュミュレートは今年で最後になるかもしれない。Civilizaton2は。Windows95の翌年の1996年に販売され、それから20数年余りが経っている。

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スマートフォンの角丸

iPhoneXやandroid Essential Phone、sharpのaquos phoneではベゼルレスではあるものの、画面の一部がフロントカメラになっており、角丸の四角形の一部が変形したようになっていた。2018年には、フロントカメラが画面の中に収まるモデルがVivo APEXからコンセプトモデルが出るという、初めはそこに不足が補えるものと思ったものの、カメラを起動すると、角丸からコンパクトカメラのようにフラッシュランプが出るところを見ると、元々のiPhoneXの画像がある意味では一つのアイデアのようにも見えてきた。FaceIDも、自分の写真はあまり見れたものでもないけれど、自身に対して客観的になれるのかもしれない。物持ちが良ければ、その当時の値段が高いか安いかはあまり関係がなくなる。実のところ、フィーチャーフォンからスマートフォンまで目新しいものばかり追いかけてきたけれど、別にネガティブでないにしても時代を経て古びないモデルをどこかで探していた。カメラを地図やウェブサイトのアイコンにすると、角丸とフラッシュやレンズの凹凸を加えて、それをシンプルな記号にすることが多い。例えば、ミニコンでは超音波センサーの2つの◯が、人の目の形に似ているので、それをフロント部分につけるという場合もいくつかある。現代ではものが多く供給されているが、自らこのようなシチュエーションを想定して、用途や機能、形にしようと思ったというケースは近代より少なくなっている。そこでなんとなくよりよくしたいという要望が潜在的にありながらも、それを実現する手段がないというケースが多い。

もし小さなことでも実現ができたり、その取り掛かりがつかめれば、新しい自分に会えるかもしれない。とはいえ、あまり気が進まないこともあるけれど。知っていることが増えると、関わる人に伝えることが増える。何かを知ろうとしていた頃は色々な試行錯誤をしていた。自然を嗜好して部屋に緑の要素を増やそうと思ったのは、社会人になりたての頃で、アトピー性皮膚炎に悩まされていた時期だった。その頃に比べると今でも多少、アレルギーはあるものの、考えを何かの置き換えたりして、後で振り返っても手がかりが掴めるようにしたいと思う。自分にもあまり良くない状況判断もあるけれど、過去のデータをいまから思いだしたり、ログを辿るより、あたかも今でも過去の自分の状況や立場になって臨場感を持って望めば、それはある種の未来像にもなるのかもしれない。それは、ただの楽観的な未来でもないところもある。

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シンプルなメッセージが膨らませる情報

情報は目に見えない。それでも情報で相手を囲い込むこともできる。
「ギガ減る」という言葉がある、スマホ依存の若者を揶揄した造語だが、ウィットに富んでいる社会性もある。
「動画を見すぎてギガが減る」
「Wi-Fiがなくてギガが減る」
という形で使われる。1000メガにもなる1ギガバイトにもなれば、webブラウザは見放題かと思うと、そうでもないこともある。体験的にはうっかりミスの形で現れる。その時の損した感じがを放言しているようにも見える。Wi-Fiが混線することもしばしばある。未だに大きなイベント会場などでは3キャリアから設営のスタッフが、無線LANの環境を整える。体育館などでは、床に有線LANを配置して、会場内で専用のWiFiを提供する方式が安定している。個人はどうだろうか、町を歩いていると店舗ごとにポケモンGOの補給センターと、WiFiが供給されているが、たまたまそのお店といい関係になれない場合や、こちらの手持ちのチップがない場合もある。インターネット上で憩いの場が作れることは何かのコミュニケーションが生まれるが、逆に居候されられる立場が弱くなる。
双方向的な対話が成立しにくくなる。すると街の道路沿いには電信柱が立ってはいるものの、WiFiはあまり繋がらず、スマートフォンの電波は2-3本くらいが4G回線で繋がっている。歴史的にエジソンが、文学的にはモンゴメリーが小躍りして喜んだことを思い起こされる。
「・・・もしもし」
「糸電話が繋がったよ。」「モールス信号が通ったよ。」
という種類の新鮮で、原始的な通信の形だ。ヨーロッパとアメリカの間にはモニター号という蒸気船が、海底ケーブルを通して、その上で電話が繋がった。これも距離を時差が8時間くらい出るように引き伸ばしただけで、糸電話のあり方がインフラ整備に反映されている。
それとギガが減るというのは、雲泥の差があるかもしれないけれど、国内でも大手の通信事業者が策定した5-7Gというパケット通信の単位をうっかり使い切ってしまうと、低速モードで繋がるようになる。その時の入り口の一つではある。128kbpsの速度になると、ISDNが繋がる以前の速度になってしまう。それでも携帯電話やスマートフォンが普及して購買者が思い思いに通話しようとして混雑する状況と、通信インフラや、総務省との兼ね合いで、できるだけ新しい通信手段を通って事業者を潤してほしいという思惑のなかで、苦労して本当に伝えたいことが吐露しやすい枯渇とも言える。
言葉には音としての響きの他に、意味がある。音は言葉を再現するための唯一のインフラである。その時の心理状態や、状況の良し悪しを推し量る綾さえも音には含まれる。トントン拍子に話が進むこともある。それでもその時に選んだ言葉の意味は後になって思い返されることの方が多い、伝言ゲームをするとそれぞれの思惑があって、どうしても歪めて伝えられてしまうことがしばしばだ。その中で、言い伝えられたことはその人となりを表現する世界観になっていることもある。通信サービスを展開する人たちは、形には見えなくても土日も働き成果を積み上げながら、コミュニケーションが円滑になるように日々努力している。そこで打てば響くような言葉を選んでいる。それでも後になって用事を思い出すと、必要なことが過剰で、社会的にはとるに足らないような悩みも個人的には浮かんでくる。改めてギガが減るというのは程度は低いが、時代の苦労を内包したキーワードとも言える。声は、振動になっていろんな線や、パイプの中を通って伝わる。光ケーブルになれば、そのようなアナログさは伝わらない、それも電波が持つ性質によって響きが距離を隔てるにつれて雑音を含んでうまく伝わらないからだ。それでもザーザーとくぐもった波の音が、山の向こうから無線となって伝わった時、それほどの困難を乗り越えてここまで届けてきた。という感慨も滲んてくる。それでも正確さを優先する電話交換技師にしてみれば、まやかしの自堕落な理想に過ぎない。数をこなしてそのなかで、いいものを選ぶべきだという経験則も働く。ギガも何千や何万ものという単位を示していたり、検索エンジンサービスのgoogleがグーゴルという夥しいを表す言葉であるように。最近ではここぞという時に繋がらず、ボタンやフォームの向こうで、または、信号のような中継地点で調整が生じることもあり、僕が今年最もたくさん入力したキーワードは「あ」だけだった。これだけならポケットベル単体でも意思疎通だけなら可能になる。「あ」という音、象形文字、それだけで数千回ぐらいになる。それだけ考える事と行動する事には無数の段階がある。せめてここから、あ・え・い・う・え・おと続き、少し固まった子音だったり、キーボードを丸っと入れ替えて数字を入れて物差しになるようにも組み立てたい。響きが良いだけでは、相手に同意していることは伝わるが、より良い考えを提案することが難しい。それでも相手の目標を損ねたりしたくない。どうすればお互いの日常をよくする梯子を想像する。その梯は次の世代の誰かや、いつか月まで届くように。
amazonで今まで買ったこともない目新しいものを知らないお店で買い求めることは、綱渡りするようで失敗することもあるかもしれない。
アメリカ中西部だけでなく地方自治体でドローン配達の実験が行われていたり、
物語性があることなのかもしれない。
住んだところが家になるのか、家があるから住むのか。
情報があるから会話するのか、会話するから情報になるのか。
棚やコップをmm単位で検索しながら、実物を確認できず、特徴的な500px四方のフィルムから想像して、
輸送する業者や、国内では主に宅配便と宅急便の違いに気を使いながら、
それでも無事に届けばいいかと思ったり。
商品棚に棚があるから買いたくなるのか、買いたい棚を数値やユーザーの体験談から測るから商品棚が充実するのか。
インターネットがなければ、都市のドーナツ化や社会体制の閉鎖を解消できなかった。また過去から現在に至るまでの記録がなければ、なんとなくにしても中立を推し量れなかった。でもアマゾンにある商品の中で、備長炭やネジなどは実際はどこかのおそらく日本の東京駅から電車を乗り継いでも1時間程度でいける見たことのない町工場で作っているものも沢山ある。それを買う側の用途で測りながら、わざわざ海外のAWSサーバーを迂回して、その上で日本で買っていると予想すると、そこには信頼の細い糸しか支えが存在しない。それこそが、興味関心というふわふわしたアメーバーの筋になっているかもしれない。例えば任天堂Switchも国内で手に入らないし、人の良さは競争の前口上に過ぎず、社会の役に立つためには情報を何かの行動や形に変える工夫が求められる。それでも、何気なくても嘘のない体験談はそれだけでも励みになる。
アメリカの中西部で静音性ポンプの実験をしていた様子が参考になった。youtube用に上手く録画しただけかもしれないが、マニュアルより動画の方がわかりやすい。それでもアメリカではシェールガス革命の影響もあり、中東と仲が悪く、パリ協定や京都議定書とも合わない、それでもアメリカの技術は癌を緩和したり、自然を豊かにできる基礎研究が多い。
それに比べると日本では道徳心や集団思考は発達しているが、実際に形にならず、記録も海外の媒体に頼っている。伝えたことと、事実はどのように違うのか真の読者は存在するのだろうか。

バランスがあって印象に残るメニュー

給食のおかずでは、揚げパンが原点になっているところがある。その人は男性で調理人を目指して、その技術を磨いてきたという。何もなくてもみんなでそれを食べた思い出が空腹を満たしてくれる。ところが、一人っ子の場合はそうでなく、野菜と肉のバランスが取れるメニューがないと生活に困ってしまう。肉でも、肉が100gある焼肉より、豚肉と鶏肉が60g、40gずつあると満腹感が違ってくる。バランスは空腹と満腹の塩梅を調節することに助力している。サプリメントなどもコンビニエンスストアでも調達できるものの、手作り感のある食事が当たり前のようでありながら、実は貴重なものだと見直される時期が来る。
和食では、肉と野菜のバランスが取れているものの、どこから単調なところがある。お弁当の具で、色合いとカロリーのバランスを考えて、そこにどのようなバランスとバリエーションが想定できるかをイメージすることは、昨今のキャラクター弁当の鮮やかさの根底にある概念にも見える。中華料理は、野菜炒めだけでも、鳥の軟骨が入っていればコリコリと舌触りになっていて変化があり、牛肉も下拵えがしてありただ焼いただけとは違った味わいがあった。一般に知られているラーメンやマーボー豆腐は日本でアレンジされたメニューだけれど、和食になると要素が絞り込まれる傾向がある。お弁当でも要素が盛り沢山になった幕内弁当になると、印象に残りにくく、峠の釜飯などシンプルに洗練されていた方が、印象に残りやすいという考え方がある。それでも、メニューで豚の生姜焼きとシーチキンサラダを選ぶと、生姜と野菜とタンパク質などがバランスよく取れる。そういった中ではラーメンやカレーなどの海外の食事を独自にアレンジしたメニューは生まれにくいかもしれないが、それぞれの国境ではなく、家庭や故郷の味に近い味わいにローカライズされていくようなメニューが次の世代に求められているように思われる。そういったときには、必要な食事をただ取るより、なるべく多くの品目をバランス良く取れることが基礎になると思われる。
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