偶然を思い出して必然を紡ぐ

巡り合わせはたまたま起こったことと、そこから立て直して再現可能な必然になるものがある。昨日地下鉄でうまく動いたゲームを、朝動かすと、画像が表示されないながらも動作しようとしていた。それでも画像が表示されない原因が明らかなのでどこかでホッとした。地下鉄では想像以上に通信環境が不安定になることがある。それでもインターネットではなく、電話であったり伝言は通じる。もし百聞は一見に如かずという諺があったとすると、百聞に値する画像はバックアップをとるニーズが高まりそうだ、一方でどのような仕組みで見えているかということさえ分かれば、画面を見なくても動作で気持ちが伝わるということもある。
スマートフォンアプリのmiitomoを開くと、面白い問いがあった。
「100階建の建物に住めるとしたら何階に住みたいか。」
という、例えば12階建でもとても高層に感じる。ただ丘に登ったりすると海抜30mくらいなら緩やかに到達できる。雑誌ニュートンであったものでは、自然と共存するために、地上エレベーターを使って中空に住むという発想があった。例えば1/3の30階代にはエレベーターの中継階やコンビニや広場があるかもしれない。20階くらいの建物では、緩やかな丘ではあるものの、5階10階でも足が竦む高さだ。もしボルダリングができれば3階でもきつそうだ。その問いはなぜか結論を出せず、歩きながら考えることにした。
歩きながら振り返ると考えがまとまることがある。
ずっと座っていると、姿勢は良くなるけれど、考えがうまく進まない。
家計簿を見ていると、そこからどうにかしたいという気持ちが高まってくる。
しかしながら、長期的な視野がなければそこから期待に応えることは誰でも難しい。
・見方によっては、現状を図るものさしを持っている。
・また、計算をして、物事を抽象的に捉えることができる。
・無機質なマス目に想像力を働かせるクリエイティビティがある。
家計簿や成績表といった生々しいものでなく、
図書館の貸し借りカードでは、もう少し具体的で、眠っている感情を静かに呼び起こす会話のキャッチボールができるかもしれない。近年ではバーコードの裏に隠れてしまい、店の棚を眺めてもなかなか元の流れが浮かびにくい。
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パスタと雨宿り

今年は雨が多いようだ。少し散歩に出るくらいなら少々ぬれるくらいだけれど、出かけるでも顔を出さない太陽にだんだん違和感を覚えてくる。気温は30度を超える時が少なく汗をかかずに済んだ。家に閉じこもっていると気分転換ができなくなる、家にいながらにして思索を巡らせるものを考えてみたい。
パスタはフライパンでリゾットを茹でるような感じで水を足していく。
パスタを使った焼きそばかと思ったら、リゾッタータという調理法がイタリアにあるようだ。スープを足しながらだんだん柔らかく茹でる加減を調整ができる。以前まではパスタを2Lくらいのお湯と大さじ2杯くらいの食塩で茹でていた。パスタは半分に折ると、フライパンに収まる長さになる。そこで、フライパン片手にグツグツとパスタと15分くらい煮えて柔らかくなるのを眺めていた。キッチンにipadを持って来れば、ちょっとした30分番組が観れる。ニンニクを油で炒めて、パスタを柔らかくして茹でる。そこに玉ねぎをみじん切りにして、パスタソースに絡めて出来上がり。というシンプルな調理法にしたかった。ところが玉ねぎを先に入れると、飴色になるまで炒めた方が甘みが出たり、玉ねぎを切ると涙が出たりと、フライパンとまな板だけで調理できるのに、いろいろと試行錯誤があった。パスタ一つとっても芯が残るアルデンテがいいのか、それともフライパンで焼きそばのように焦げ目をつけた方がいいのかとバリエーションが広がる。
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