動く絵の文脈

ニコニコ動画の画質が良くないという、その時僕は的外れにも、ピカソのジェマイユと手書き風のクオリティでも満足ということを誰とも競争しないようなアイデアとして、ギャンブラーか胡散臭い経営者がよく口実にする逆張りか青田買いだと思っていた。識者に聞くとさらにキレのある論評になり、一般的に画質が悪ければスピードは早いがそれは大規模なバックアップによるもので、ニコニコ動画はそこまで規模が大きくないので、画質が良くないし遅くてどうにもならないという。それを聞いてまるで巷のガキ大将か、同じ教室にいないけれど学校が同じ先輩のいうことには逆らえないという因習めいたものを感じた。
ニコニコ動画で、もともと手書きのトレースはあったけれど、画質が悪くても見られるコンテンツもある、その時、有名なコンテンツのディテールが似ていても本質的には、その存在感を描こうとしているように思われた。コミックマーケットに参加した時、待機列でシンフォギアが繰り返し上映されていたが、正直それはその時点では有名な作品ではないし、そこから構成やメッセージ性などのコンテクストを読み解けなかったので、どうせなら買ってよかったと思えるカタログの見方を教えてほしいものだとも思った。しかしながらカタログは電話帳のように重くて分厚い、企業ブースは並ぶだけ並んでも、リーズナブルとは程遠い、聞くところによると重課金ユーザーは年収の多寡や客層に関わらず一定数存在するという。
アニメは嫌いではないが、どうして流行に応じてトーンを変える必要があるかということになかなか順応できなかった。有名なジブリでもシャア猫さんのことという同人誌や、その時々で変化の兆しになるようなものを抑えているという。それでもどのような伝統もそれが始まった時は新しく、もの珍しかったという歴史があった。そういったところでは、サービスを突き詰めてというより、ニーズに応じてコンテンツを作って行くということの方が建設的なように思われた。また、アニメでは多くの作品はそれを応援するファンの自画像にも似ているところがあるとしても、僕自身がうまい自画像をかけるわけでもなく、その影響力を競っても不毛なだけだと思っている。アニメやアイドルのファンはそれを応援している自分のことを大事にして欲しいと誰もが考える。僕もその一人かもしれない。握手会で自分のことを覚えてるというシグナルを無意識に出してしまうという。それでも僕はそれを出したとしても、諦めて自分なりに見つけて有意義なことを探そうとする。それは詰まる所エゴサーチというものなのだろうか。労働でも遊びでもない、何もならないものはという意見もある。立川談志の落語では勉強はつまることろ物好きの暇潰しだという。
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お隣の国の事情

インターネットの普及によってユーザーが、自由にコメントができるようになった。すると、時代の変化に対応した一連の流れを知りたくなる。ところが、既存のコミュニティも初めからそこにあったわけでなく、誰も知らないような些細な出来事から芽吹いた話題もある。興味深い記事に付いたコメントは海に浮かんだメッセージボトルのようでもある。
現代で紛争が最も頻度が高いのは中東の複雑な情勢だ。それは、第二次世界大戦後の領土問題に端を発している。世界地図を見て、エジプトのようにまっすぐな国境は後から人工的に作られたもので紛争を暗示している。
多くの国境は地形を元に不規則な境界になっているという。
近い海外の国は中国とロシアの間にある朝鮮半島。北朝鮮と韓国の境界線は北緯36度線を境目に二つに割れている。ひと世代前の映画「キューポラのある街」では、埼玉県川口市がモデルとなった。
吉永小百合がヒロインになっている。キューポラは溶鉱炉のことで、朝鮮戦争の軍需物資を作って栄えていたが、それが紛争が収束すると、
鉄鋼業の需要が伸び悩み、ストライキが起こる。製鉄所で働けなくなった父親が、子供と口論になる場面がある。
「古い時代の考え方だ。」
という、戦後の高度経済成長の間の何もない時期に、働き方が変わり、言いたいことが言えなくなってしまった。
学費を稼ぐためにパチンコ屋でアルバイトをしたり、食べ物に困って牛乳や卵を盗もうとさえするかもしれない。
韓国と北朝鮮の問題は、日本の外の問題で、内面的にもそれに相似した、差別もあったかもしれない。
キューポラのある街では北朝鮮は地上の楽園という認識で、新天地を求めて旅立つことは、拉致を暗示している。
2014年9月、ニコニコ動画で、アントニオ猪木が北朝鮮にプロレス巡業に同行して北朝鮮の街をジョンさんという教員の人に案内する動画が公開された。それまで見たことのない街では気候は緯度経度から日本と同じような環境でやや湿度が控えめ、広告がなく、コンビニなどの小売店がない、それでも近代的なビルが整然と立ち並んでいる。地下鉄はシェルターも兼ねて地下深くを走っている。ドワンゴだけでなくマスコミの取材もある。
国際社会から経済制裁を受けてもなお、アメリカと日本と国交がないくらいで、多くの国と国交があるという。それでも地下鉄でつり革を握って、通勤するスタイルは変わらなさそうだ。北朝鮮では、夜になると消灯して真っ暗になる。韓国や日本や中国では夜でも道なりに明るい。そのため、残業による過労のリスクがある。街で会社に行くと社会に参加している実感が持てる、ところがそこから出て家に帰ろうとすると大衆に溶け込んでしまう。そういった中で、その人なりになんでもないことを屈託無く話せるパーソナリティーとしてひろゆきが挙げられる。
「北朝鮮に初めて現れた日本人がひろゆきとは。」
韓国では、財閥による企業社会になっている。スマートフォンではサムスン電子がアメリカのアップルと並んで世界的なシェアを誇る。日本のシャープや東芝の凋落の影響を受けずに生活家電も充実している。そこから落ちこぼれた人はどのように生活を維持していけばいいのだろうか。そうなることに備えて現状の偏りやルールを知り、どこでも生きていける覚悟を育んでいきたい。
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音楽とイヤホンについて考えた

ニコニコ動画や生放送を電車に乗っている時間帯に聞くことも多かった、
バッテリーを充電し、イヤホンを忘れずに持っていることを確かめる。
電車の車輪がレールと擦れるギイギイという連続的な雑音が、ニコニコ動画の視聴を困難にしていたこともあった。しかし、電車の音は特にそれによって運ばれているのだからどうにもならないと思っていた。ある時、ニコニコ動画ではなく、ニコニコBoxという音楽の再生に特化したサービスがあった。そこで、イヤホン推奨というキーワードが追加曲の中に、「イヤホンと蝉時雨」というボーカロイドの曲があった。この頃、音質にはそこまで不足していなかったが、ハイレゾというより良い音質で音楽を楽しむ流行があり、そこにあやかろうとしていたこともあったけれど、聞いてみるとザラザラした電子音が、イヤホンで聞いていると周りの雑音を含めた音の中でもはっきり聞こえる。これは、逆に擦り切れそうなカセットテープを再生すると、その途切れ目で曲を想像で補うように、イヤホンと蝉時雨という曲もボーカロイドの電子音と、ピアノのドレミファの階調があっていて、とても引き込まれるのだった。もし高価な音響装置を持っていなくても、曲の魅力を十分に感じることができれば、その気持ちが純粋な音源になるかもしれない。
ただ、最近は公衆無線LANが地下鉄の駅ごとにバラバラなので、次の駅になったり、改札を通り抜けたり、コンビニなどの店舗に入った時、一旦スマートのインターネットがオフになり、その都度、リロードボタンを押し直す必要がある。そのようにして、時々回線が途切れることがむしろ通常のような日々だったので、そこから時雨のようにメロディーが復元されることを予想だにしていなかった。しばらくするとニコニコ生放送が電車の中で始まったが、せめて挨拶だけは・・・と思って、「こんばんは」と送ってみる・・・その後で画面はトンネルを抜けて次の駅になり真っ暗になったが、どこかホッとした感じがあった。
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せせらぎのように

今年の春頃になってYoutubeでもせせらぎの音が動画でも
体験できるようになった。どこの小川のせせらぎかはわからないけれど、動画を見るだけで旅をする気分にされられる。それも、誰かが見ていれば、一人ではない安心感がある。

作業用というよりは、何かのBGM的な使われ方をすると面白いのかもしれない。
インターネットには色々な人が集まってくる。誰かの個人的な悩みでも、ちょっと立ち止まって集まれる場所があると、話しやすいかもしれない。休憩時間にtwitterを見るのが息抜きになっている。作業と言っても、具体的にはどのような夢があるのかを少しずつでも理解できるとなんだが嬉しくなる。空いた時間でも思い返すとせせらぎのようだ。頭ではそれほどきれいな音を再現できないけれど。

ニコニコ動画のせせらぎの音は動画ににコメントが入って楽しい。ただ水洗トイレに似ているかもしれないというのも確かに、僕が生まれた飛騨ではまだ汲み取り式の流れないトイレがある。それでも、川は水がきれいで朝市が残っている。「氷菓」や「君の名は」で故郷が話題になったことは、飛騨に住んでいても分からなかったに違いない。ニコニコ動画は、もともとyoutubeにコメントを入れることで生まれたサービスだという。その時のMAD動画は映像加工技術がないので、あまり詳しくはないが、作業という点では、youtubeと共通しているが、今時のインターネットユーザーは皆何かを動かしているのだろうかちょと想像したりもする。
ある人は、緩衝材のプチプチを延々と指で潰す作業に、
またある人は、東北の雪国での雪かきに、
またある人は、砂に書いた落書きに例えた。
そこにいる人によっては、一緒にいるだけで楽しかったり、
逆に自主的に何か話題を作らないと楽しくならなかったりと様々だ。
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