心の扉とネットワークの関係

インターネット社会が憎しみを増すような怖さがあるという、かつては2ちゃんねるにも大学の時は怖くて書き込めなかった。相手から非難される事もそうだが、自分も気性が荒くなってもう一人の自分を演じようとしてしまうところがある。そこから耳寄りな情報を集めようとした事もあったけれど、いまでは2chビューアを見ることはあまりなくなっている。当時というより、1980年代のメディアや小説はかなり言葉が、不特定多数に向けるとトゲのようになることがあるかもしれない。日本の犯罪者数は世界に比べると驚くほど少ないというけれど、それでも潜在的なストレスがないわけではない。普段は温厚な人でも、大切な家族や友人のような人を損なわれたりするような場面では怒る事もある。先代から、無茶な喧嘩は良くないというけれど、かといってなんでも受け入れて、誰にでも気さくに接するというタイプでも理想的にはそういった形がいいけれど、あまり快く思われないというところもある。
僕は少し隙間時間があるとtwitterやSNSを見ていることがある。それでも執拗に監視するような人とは少し距離を置きたい、僕自身が全て正しいわけでもないけれど、何かあると同じことをする場合は、他のことが手につかなくなるような気がした。書籍やメディアでなく、ネット上の声にはその人となりが分かったとしても、不特定多数にプライベートを公表することになるので、なかなか難しい。社会人になってから自分を見失うことなく、誰かの役に立てるような場づくりができればとは思うけれど、集団の中で別に言いたい事があるわけでもない。
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変わりゆく学校と学問

2007年から全国学力テストが行われているようだ。対象は小学校6年生と中学校3年生、僕が学生だった頃は、一つの学校や教室で良し悪しが印象付けられることが多く、クラスでも性格や役割である程度長所が決まっていた。僕が高校の時は1999年だけれど、他の学校の模試を受けて見たら、成績はすぐには伸びなくとも自分にとって学ぶところはあるのではと思ったことがあった。それでも多くのテストは、あまりそれを楽しむようなところはなくて、できれば手早く正確にやり過ごしたいというところもある。しかしながら小学校の6年生の理科では電池と扇風機の風向きから、光電池を昼の午後3時に水槽に当てて、温度が30度を越えないような仕掛けを作るところに応用すると、同じ仕組みだけれど運用を考えると出来ることはより具体的になってくる。給食のお惣菜でスルメと中華ドレッシングの和え物は、よく噛んで消化をよくしながら、栄養バランスを取るという食育にもなっている。実際の給食では揚げパンがシンプルで印象に残りやすく、満腹感もあったので、あまり献立について考えられることは少ないけれど。そういった中でも、クラスで特技や人間関係から、ある程度長所は決まってはくるけれど、それでも出来るところから自主的にという土台として、近代から現代までの歴史を踏まえながら、一つの教室に拘らずに可能性を伸ばしていけることは、自分が学生だった頃より恵まれているようにも思われる。かつては学校の玄関に遅刻しないようになぜか世間体を気にしながらそそくさと登校すると、ほかのことはほどんと気にならなかった。自転車も通学では使うことができず、休日の部活だけ例外的に自転車に乗ることができた。何年かしてから校舎を見てみると、かつてのように教室があるだけでなく、吹き抜けがあったり、廊下や内装も解放的になっていた。
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ネットワークと、その中での工夫

ネットワークといえば、例えば2階建ての戸建ての場合、一階に電話ケーブルがあり、2階にパソコンを置くとするとルーターから無線LANで送る。2階のパソコンには、電話ケーブルも何も繋がっていないのに、家の外や、出かける先の必要な情報を見ることができる。無線LANは壁などの遮蔽物があると、電波が弱まるので、窓がある室内では比較的繋がりやすいが、地下に潜ると繋がりにくくなる。また、千葉にいるときはWiMAXでサーバーも建てられたが、都内ではWifiとWiMAXが混線して繋がりにくくなって、インターネットの閲覧すらままならない場所がある。
ポケモンGOでは遮蔽物が少ない条件が整った公園や広場、公衆wifiスポットに比較的多くの期待値でポケモンジムが開設され、ちょっとした空き時間に各自が必要な情報にアクセスできる共通の話題が生まれた。家では、ネットワークを作ることは難しく、画面の中でできることを見つけることが多い。画面の中で、ナビゲーションバーを作ったり、表示を整える。同じ姿勢を続けていると、だんだんと肩が凝ってくる。そうしたときには外を散歩する。
よくゲームやインターネットの講習で長い間画面を見ていると、適度な気分転換と運動をした方がいいことになっている。ゲームやインターネットには、映像を見るだけでなく、その時それを見ることの意味を考えることが大切になってくる。携帯電話は充電がシンプルなテキストながら、通信が安定しバッテリーが比較的長持ちしていた。国内に光ケーブルが普及してインターネットで、映像や音声を流せるようになった。スマートフォンのバッテリーはおよそ一日もつ。あるところではバッテリーはコンセントに繋ぐので、3時間くらいもてば問題ないが、持ち運びやすく、動作が軽快なものがいいという。
多少動作が重くても、コンパクトになっていれば、コーヒーを飲んでメールの文面を考えて待っているというライフスタイルを想定して、EeePCを選んでいたユーザーがいた。それまでは、画面が大きく、CPUの馬力がよければいいという発想から、必要な項目が絞られていた。僕の場合はメモリが2GBあれば、Abobeソフトなどの処理が重いものでも動く、初めてDreamweaverを買ったのは、K’sデンキで専門学校で習ったことを形にするホームページを作りたくなったからだ。
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通信と実用性

ソフトバンク光が繋がりにくいという、NTTフレッツから移転していた。実のところネットワークがどちらが早く、遅いかは僕にもわからない。契約の時点で、安い・契約金が節約できるという条件が理解できず、断りにくくても強くいい切れず、先延ばしにしてきた。今のところ契約はしていない。ところがそれから2-3年経って、ニコニコ動画でもNTTフレッツでもYoutubeなどの動画視聴サービスが普及した影響で、定額制から従量課金制に移行する議論が進んでいるという。そう考えると安易に契約に同意もできないが、かといって無下に断っても先が見えないし、相手への印象も良くない。僕は報復の手段を持たないので、相手からは嫌われないに越したことはない、かといって言いなりにもなれない。

HTML5カンファレンスでは、ネットワーク機器を会場の床に手作業で埋めていた。そのイベントだけのために、わざわざスタッフが用意してくれていた。おかげて、イベントカレンダーがその会場内では繋がりやすくなり、合間にtwitterを見たりニコニコ動画のコメントをみて、励まされたり、またちょっとしたモヤモヤにヒントが得られた。会場に一度に多くの人が集まると、そこにもwifiや大手通信キャリアの電波が全くないわけではなかったものの、接続は不安定になることがあるとのこと。

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何かに頼りながらも、なお自立する意思

ゲームの音楽でも、街の音楽は、同じ風景を違った見え方にする、それを見なくてもそこに空間が残っている。ところが、土日から続く40年振りの長雨になって、歩きながら両手が使えなくなり、イヤホンが絡まりそうで、人知れず苦心した。ゲームの音質はそこまで良くはない、それでも奥行きを感じさせる音は、場の空気を変えてくれるどのようにその可能性を支えるアルゴリズムを考えるか。同じ文章を相手にどのように伝わるかを能動的に考える機会には、BGMがいつでも新鮮な驚きが詰まっている。誰でも精神的にないものを渇望するようにできている。確かなことと不確かなことの間で、だんだんとコミュニケーションがしどろもどろになってゆく、もしそこで上手く答えられたとしても、他に持ち合わせがない何か元になる気持ちが必要だと感じる。
またその場の当事者でなくて、そこに参加したいがために、必要以上にアグレッシブになることもある。それも本人がそれと気が付いたり、気が済んだりすれば、まるで一過性のブームのように揺り戻しがくる。そういったものも、言われたことをただこなしていれば、その波を乗り切れるわけでもなく、不安からは自由になれない。ゲームが普及した頃は、街には大工さんや、鉄工場など、二次産業もまた盛んだった。パソコン同士のネットワークが通信で大きなシェアを広げると、物作りはその依り代のようになっていった。初めからストレスがどうにもならないことだけが分かっていて、自主的な改善に向かわない。それでも、学生の頃は街を誰かと歩いている人が皆、羨ましかったが、それぞれに事情があり、親しい仲でも、現実に能動的に関わってゆけないというジレンマがあった。
現実には体力は20代前後をピークに瞬発力はだんだんと衰えてくる。限られた時間の中で、体系的な知を学ぶ必要がある。その一方で、判断力が鈍いと、その隙をついて思わぬ損を被ることがある。それに対して、こちらが対抗できない場合は、ただやり過ごすしかない。
かつてギリシャのスパルタという国では厳しい規則と相まって盗みが奨励されていたという、隣のアテネという国では、その逆で、自主的な創意工夫によって、組織が有機的に成長していった。
話はそれるけれど、極端な場合、業界のギャングになる場合や、ホストになる場合は、そのどちらの過程が必要になるだろうか。
良識と現実の間で、まずは自分がしっかりしている必要がある。ゲームだけでなくギャンブルにも、生き方や判断力が現れ、昔のようにそれを生業にしなくても、その美学に影響されて、そこに修行を見出すこともできるかも知れない。どのように知略や体力を使っても、個体差が広がるとすればグループには不公平感が出る。ここの不公平感ならまだしも、集団や、疲れた人、上の空の人など無意識やちょっとした隙をついて、それは影響を及ぼす。基本的には知恵比べはそこで上手く対応しても、うっかり見当違いのことを話しても、事態が進展しない。逆に誠意や、真面目さといった相手に付け入る隙のないものでも内容が固定化されて、相手には伝わらないこともある。
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共同幻想の予想と課題

 
iphoneで先駆けでアラームを作ったのは、おぼろげながら関数が動かせるようになると、そこからまずは自分の不眠症をなんとかしたかったという願望があった。今のところiphoneの仕様があり、バックグラウンドでは音楽や動画は再生できても、タイマーにすると、iOSでは3分以上はメモリーの制限があるようだ。元々は目覚まし時計で起きようとも思ったがあ、アプリケーションでタイマーを設定すると、感覚的に起きやすくなったことがあった。iphoneのデフォルト機能にも目覚ましやヘルスケアの機能がある。何度か波のように柔らかな音階があり、自然に起きられるようになる。これと同じ機能が、アンドロイドやラズベリーパイでもできたらiphoneだけに依存しない。ただ市販の目覚まし時計では、常識的に考えればそれで十分とも思った。毎日の朝のメルマガが、教養や巷の生き方に通じるところがあり、それは目覚ましにも例えられることがあった。また、その気があれば、いつでも生活を変えられる。そういったシステムに頼るようにして、慣習的にルールを決めるのは、本人のアイデアでもないのかもしれない。しかしながら、意地を通しても、やがては独りよがりになってしまう。僕はそういう時は、探せば見つかるし、その方法もあると伝える。自分から現れる珍しさは希少価値にはならない、そのあたりは汎用的にも謙虚になる必要もありそうだ。
そういった必需品や、身の回りから狭い視野で考える方法と、または、わからないけれど、平明に相手の意見を聞いてみようとする機会もある。一般に物静かで融通の効く人は、その道では見識や経験の深い人ということになる。それを数値化したり、ネットワーク化するサービスをイメージしたり、それについて考えると、ある特定の人のペースだけによらずに、相手とギクシャクせずにすむのかもしれない。
会話を聞く相手によっては、対応を変える必要があるが、その度に自分にはない発見がある。ゲームや株式の面白さは、数値で現実を疑似体験できることだという。株式はどうかはわからないが、現在ではビットコインが新しい共同幻想としてはいかがわしい部類に入るという。いずれの常識もそれができる頃は全て新しかった、1980年代にはAIもあり、データベースの原型もある。そこから2000年を予想すると、車が空を飛んでいたり、世界中の国境がなくなっているという。その一方で人が密集しているところでは意識が強くなり、規制と相まって急に改善されることもある。何も作れてはいないと言われれば、確かにその通りなのかもしれない。数学にしても、不確定な要素を手の届くところまで考える形に変えることが、色々な公式や講義を聞いている中で、残った、あるいは残った気になっているのか。どちらにしても、それによって妙に穏やかな気分になる。
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