協力の手順

朝起きて、前日と同じように朝6時の電車に乗る。電車を乗り換えて駅に着くと、通り雨が降っていた。リュックの中にレインコートは持っていたが、出すのがおっくうだったのかそのまま歩いてきた。電車に乗る前はまだ日が昇っておらず、電車で乗り換える頃に朝日を迎えだんだん空が明るくなる。チームの名簿を見て、名前を憶えて話しかけると、その場でなにをするかはまだ分からなかった、挨拶をして、すこしホッとする。とはいえ日が浅くまったりしてもいられないようで、業務用の機材の説明と、後片付けについて説明を受ける。後片付けは普段からだらしないこともあり、できるはずのことができていなかったということがあって気恥ずかしくなった。そこで混乱すると姿勢がおぼつかなくなる。そういったときは素直に間違いを認めて、その場で踏みとどまって、また数えなおすことにした。慣れていない作業を慣れようとしている動作は、自分からすれば落ち着いているが、慣れた人から見ると危なっかしい、リスクがあるとのことだった。それで自分が損するということは、より丁寧にという意味合いで改善していきたい。業務用プリンターに用紙をセットすることが初めてで、裏返しになってしまった。横についている丸い穴は、歯車とかみ合うようにできているようだ。倉庫から用紙が入った段ボールを台車に載せる。作業場には静脈認証の二重ロックが掛かっているが、台車の搬入口にもおなじようにロックが掛かっている。台車を搬入して、その後でロックを解除する、当初は焦っていたためか、前に人がロックを解除しようとしているときに、それを見ずにいそいで書類を届けようとしていて、ゲートを詰まらせてしまったことがあったが、こんどは静脈認証でやや手間取ってしまった。議事録を書くときにシフトが異なって居合わせなかったメンバーを欠席の名簿に書いていたので、それを直すために、ゲートをくぐり直すことにした。すこし確認すれば気が付くことなので、やり直すことが無駄かもしれないが、ともかくは落ち着いてやり直そうと思う。なるべくミスを言われないようにすることが当面の目的にはなるが、そういったなかでも、アドバイスを貰ったり、教わることもある。帰りがけに置き忘れたものが、ボードと椅子だよとアドバイスしてくれたおかげで、いくらか気分が楽になった。ノートと筆記用具を持っているが、荷物を運ぶ作業になって両手が塞がっていると、ノートや筆記用具を一時的にどこかに置いておく必要がある。そのときになるべく作業の導線に滞りないところに置けたらと思う。メモを取ることは、それが覚えられるかどうかは理解度や慣れも関係してくるが、ひとまずは相手の話を聞いてそれを見に付けようとしている姿勢にはなる。担当者の一人がとくに連絡事項はないと伝えて、それを受けてもう一人の担当者が連絡事項を話しはじめると、やっぱりメッセージはあったということになる。そういうときに名前が憶えられれば、ひとまず挨拶はできる。呼び止められて、作業場に戻るのは気が進まないが、手持ち無沙汰になっていて帰ろうとしているところに気まずく話しかけられるよりはマシになっている。客観的にみて姿勢が悪く、不安定なところは自分でも気が付いていないけれど上手くいっていない部分で、意識して直していきたい。

続きを読む 協力の手順

ローカライズされたメッセージ

中国のメディアアプリとして、まずニコニコ動画とよく似たBliBli動画がある、とりとめのないことだけれど、海外の様子で日本と似ているところに共感したり、また中国の進んだ文化が見られることが楽しみだった。メッセンジャーでは中国では主に3つあって、weChat(微信)、QQ、weibo(新浪微博)がある。国内でも電話番号と連携できたものは、weChatとweiboで、そのうちwechatは国内でもメッセージのやり取りをしたことがあった、とはいえ、ほとんどLINEなどもテキストとアイコンが使えることがあったとしてもそれを活用するのが家族ぐらいしかいなかった。ぬいぐるみのようなアイコンで近況を伝えたりと、テキストだけでなくホッとするようなメッセージが印象的だった。Weiboは去年2018年にyotaphone3を輸入したときに登録していたものがそのまま残っていた。中国では、Facebookやtwitterでなく独自のSNSが発達している。そのなかでも同人向けの文章を投稿する白熊阅读というSNSでは、文章の草稿をしたためることができて短文のメッセージを繋げることができると考えて、試しにアカウントを登録しようとしてみるものの、81から始まる国際電話が登録できなかった。念のため運営に問い合わせても返信がなく、ついにはアカウントにアクセスできなくなっていた。こちらで失礼なことがあれば申し訳ないと思うけれど、なんだか残念ではある。中国語は読み書きができないけれど、テキストをgoogleなどの翻訳アプリケーションを通じて翻訳することはできる。Wechatやweiboも中国と日本では、アプリケーションのバージョンが異なるようで、ニュースなどのコンテンツにどのような違いがあるかはまだ分からない。Youtubeなどでは中国と日本で共通の話題の様子を動画で見ることができた。スマートフォンでは、OPPO のラインナップの中にはSFアニメのガンダムを象ったスマートフォンのカスタムスキンを開発したりと、国内の文化とも親和性が高いようだ。colorOSというandroidOSをOPPOがカスタマイズしたUIがあり、バージョンアップのときにもショートメッセージが送られてきたりと、サービスが充実していた。そこまで親切なサービスを求めているわけではなかったが、こちらとしては明らかに向こうが気を悪くしなければと良いと考えている。また、OPPOでは日本語がサポートされており、キーワードでGoogle検索ができたり、地図を参照できることが実用的で便利ではある。あるいは地図やGPSなどもgoogleだけではなくローカライズされたサービスがあったほうが本来は自然なのかもしれない。Yotaphoneのときはbaidu(百度)から地図をインストールして地名が漢字になっている状態で道を探したこともあった。Amazonのkindleでは、中に入っている書籍のラインナップは同じ日本語の漫画や小説だけれど、中国語版と日本語版のkindleのアイコンがandroidのホーム画面に2つ並んでいたこともあった。ところでkindleは、北米版のアカウントの電子書籍をサンプルでも読むことができない。BlenderのUIが新しくなった2.8以降では、国内では今年なって2冊のガイドブックがでたくらいだった。もしamazon.comのドメインでkindleを入手すると、読むことができるのだろうか、しかしながら見た目には同じデバイスで国内向けにローカライズされたものがあることになる。

続きを読む ローカライズされたメッセージ

分かりやすさを選ぶ

不寛容社会の壁をすり抜ける必要がある、それは本当にそれを禁止しているわけではなく、向こうはそれなりに何ができるか、またそれがどのような影響になるかを推測したうえでの駆け引きだったと思われる。例えばテレビ越しに手品を見ていたとして、実は舞台袖に細ピアノ線や磁石が隠されているとか、またはカーテンの裏にハト小屋があるけれど、シルクハットのなかから唐突にハトが出たように見せるために黒く塗っていあるとか、壁の裏にマジックミラーが仕込んであり、こちらから向こうの様子は分からないが、向こうからはこちらの様子が分かるといったものがあるのかもしれない。それは実際のところ推測にすぎないけれど、自分が実際にすることと、方向性が異なる場合に、我慢の度合いを測るものがある。やりたいことができないことは仕方がないにしても、それを我慢する程度が、仕草によって読み取られることがある。

ニコニコ生放送のカメラ機材を使ったアニメのように仮想でない放送で、コメント投稿機能があっても、自由が発言ができず、何気ない雑談なのに、なぜかこちらが黙って落ち着いて聞いているとスタッフが喜ぶという状態がしばらく続いた。スタッフやキャスターは、時事問題や政治、経済の話をざっくばらんにするけれど、それに対して相槌を打つことも難しく、かといって価値判断が随所にちりばめられているので、まるでYESかNOかの選択肢をタイミングよく選ぶことが、うまく沈黙と平静を保てる方法ということになる。しかしながらそれはサブリミナルという、放送をしたり、文章を作成する人が喜怒哀楽の合間にこめた無意識に訴えるようなメッセージや、または、パワハラに見られるような、相手を矮小化して、課題を極大化するという着眼点のすり替えなども実際には存在する。

続きを読む 分かりやすさを選ぶ

形のない意図

エレベーターに不気味な張り紙がある。僕は本棚を持っていないが、本棚に相当するような雑学は持っている、それを伝えるのでは、相手の立場がない。そこで相手にとって必要な鼎談にすることで、本音に近いところを聞き出そうということになる。空間が限定されたあエレベーターでは、ボタンや監視カメラが付いている。一位時期は、わざとぎりぎりに開閉ボタンを押して、ボーっとした人をびっくりさせるということにあったこともある。よく電車のホームドアには、道端で注意が散漫になっている人をおちょくるようにも見える。Twitterなどの呟きにもどちらが回り道をするかという駆け引きを持ち掛ける人もいる。電話は自分が手が離せないとき、または指示語がなかったり、主語が無い場合は、素直に聞き返してもいい。マウンティングにはこちらのことは筒抜けで、なるようになると諦めて置くことで平静が保たれる。ニュースサイトでも殺人事件を代替的に報道するが、それは他に題材が無いからで、それだけ相手を驚かしたい、または、関心を持ってほしいという事情がある。

僕は別に相手が自分の理想通りにならなくても構わないと思っている。なにか没頭てできることがあると、それだけでしんどくはなくなる。または主従関係を親子関係になぞらえたり、またはギリシャの逸話のように、同性愛のように、ボケとツッコミのようにどちらかにフリとオチを加えて極端に見せるという話術もある。僕はあまり知り合いがいないので、誰とでも仲良くならざるを得ないが、なかには、ネット上のある人の意見を聞くと、その他の意見は見たり聞いたりしてはいけないというように愛情には光と影がある。しかしながら、そういった損得勘定ばかりでなく、またギルドのような主従関係だけでもとは限らない。僕を転ばそうとするなら軽く押すだけで目的は達成される。僕をだまそうとするなら、演技をすれば事足りる。ただただ黙って頷いて欲しい人に、女性では美人がいるが、男性ではおしゃべりな人がいる。極端な例では、ちょっとでもボーっとしていると窘めるというケースもある。とはいえ相手の方が人脈も技術もあるので、僕は迷惑にならないように、可能な限りオドオドしながら、できることをするだけだ。僕には特別な才能はないし、まして人の心や癖はギャンブラーでないので読むことはできない、一般的にといっても、僕と世間は近くできる範囲では数人くらいで、標本調査でもしない限り、それが社会一般と言うことはできない。または源流をたどることで地理の成り立ちを学ぶという見方もある。

新聞で、総務省からスマートフォンの手数料が消費者の実情に合ったものになった。電話はなにか登録や相談事があると、知り合いや友人がそれほど多くないのに通話料がついつい上がってしまう。ポケットベルのころから反射神経が無く、あぜんとすることがしばしばあった。わざとかどうかはしらないが、ヤクルトのストローを交差点にバラまいていた、昨今ニュースでストローのプラスチック分別が話題にはなっていた。それがエコかどうか分からないが、エコバックをレジに持って行ったらいいのかそれともビニール袋を使ったらいいか迷う。レジでつり銭を受け取るときに、間違える時もあるけれど、あるとき100円を受け取ろうとしたときにレジ台で手のスナップでコインのように回転していた。それだけお金には人をその気にさせる力がある。レジのようにposシステムがあるところは、チェーン店で、自営業のお店に比べるとすごい数のお客さんが来る。自信があるに越したことはないけれど、そこで間を合わせないと、こちらがまたドジを踏んでしまう。それでも相手をどうこうしようとしない分だけ、安らぎにはなる。

続きを読む 形のない意図

人となりの難易度

僕より10歳くらい若いけれど社会人としての自覚にあふれた人がいた。それでも彼の日記をみると、彼にとって人生はゲームに例えると、ハードモードの理不尽さがあり、報われないと言う気持ちを抱えていた。そういったなかで、もし彼にできないことができる人がいればそれは容認しがたいものになると想像される。僕から見た彼は細かいことによく気がつき、理性と直感のバランスが取れたできる人に見えた。山っ気があったのか会うたびにお金の話を持ちかけられ、それに抗えないような日々が続いた。つべこべ言わずに言うことを聞いていればいいんだといって、それだけの人望があるなら、僕はどちらかというとあまり良くない意味で孤独だったので、コミュニケーション力があると言えるのかもしれない。

もともとは彼はアニメ好きだったけれど、ある時から自身のバンド経験を生かして洋楽やネットスラングに精通し、身近な物事や気持ちを斬新な見方で解釈するということで、人にはないものを掴もうとしていた。斜め上からの話題が来るたびに僕は何かを省みる必要があるのかと、物珍しくも少しゾッとした。IT業界には社会的なステータスが必要だと感じるくらい何かに没頭しながらも、そこから自己実現ができず、それでも労働に生きがいを見出すような境遇の人もいる。ウェブサーバーのApacheの設定ファイルをほんのすこし改変してサーバーをメンテナンス中にさせたり、インクリメント記号を凝視するところに並々ならぬ集中力があった。彼が情熱を傾けられる場所がネット上の何かだった。ほんのすこしの小石にも人はつまづくことがある、僕も気をつけた方がいいという教訓のように思われた。女性社員も、姿勢が良く色々なことに気がづく彼の目が光っているときは、僕のような内向的で得意な話しかしなさそうな傾向がある人はせいぜい窘められるといいというようにアドバイスしてくれた。

派遣という業態のなかで、社内営業という役割では何でも屋さんになれるくらい器用で、交渉も上手かった。僕はどちらかというと日々に区切りが付けれられないことで疲れを感じていたが、彼はその日をメリハリ良く過ごす術を知っていた。どういうわけか管理する立場になると性格の違いはあれども、皆残業が込んできて、また土日もおちおち休めないというライフサイクルになるようだ。僕もなんとかそれに倣って手伝って参加意識を持とうと心がけるものの、ある所から仲間で居られる分野とそうでない分野があることが分かり、住み分けるようになった。2人で話しているときは穏やかだったが、そこに誰か一人加わると責任感のある発言になっていくようだ。

会社が家のようになっていた。郊外のアパートとは別で、他の何かになれる場所。とはいえ、ツイッターなどのSNSで、家に帰れないとか、又はそこに帰ると呪われたり堕落するという悪意をみるとそれだけで身の毛がよだつ。編集学校でも、アレルギーを揶揄するようなメッセージがあると見るだけで気分が忙しくなってくる。そこに行けば何がしかの用事があるということが、グループのあり方だったようだ。

続きを読む 人となりの難易度

ネガティブになりきれない事情

挨拶で声を張り上げるのは、内気な僕にしてみれば、少しはその元気さを見習ったほうがいいというところもあると思う。優男は隙も大く以外に利己的なところもあるので、信用ならぬと生まれてからそういった調子だった。それでも厳しさを後々、実はいい奴だったと黙って解釈するのが人情だという。
中学校の時の公民の授業の時に、日本国憲法の条文をワープロに書き写していたことがあった。そんなことをやっても意味はないし、成績も中位でなにか人に誇れることを目指したほうがいいのではという意見もあった。親子喧嘩で、フェアでありたいとか、機会の均等などを言葉にしてもまるで通じない、できれば実践的な民法や家庭の医学などを参考にしたほうがせめていいのではという。ことあるごとに自分の甘さを棚上げして、人としてフェアであることが相手だけでなく自分を見直すきっかけになるように思われた。ある時、どうしてそこまで頭が悪そうで、人が良さそうなスコケマシに見えるのに、ヘラヘラしているのかというように突っ掛かられたこともあった。自分でも優しいだけではダメで、なんとかナメられないようにとは思っているけれど。
大学では、憲法はあまり人の役に立たない、民間やそれぞれ郷に入らば郷に従えという諺があるように慣習からルールの成り立ちを辿るようにすることが、多少理不尽に思えても、仲間を作るための近道だと教わった。教わったというより、その時は自分では仲がいいと思っていたのに、なかなか折り合いがつかないこともあって、少し心の隙間を埋めたかったということもあったのかもしれない。そういった自分は空虚だと、思っていてもそれが返って中立でいられるようで、世間の見方が和やかになったので、あまり他人には共感されないけれど、それほど良いものでもないけれど、悪くもない。
山本周五郎の青べか物語にあった千葉や東京の湾岸地域の気っ風というか、そういった浪曲めいたことも習うよりは慣れろというところもあるのかもしれない。昭和年代の歌謡曲では、ただ大人しいだけではない社会のリズムや流れに乗るというところがあった。しかしながら、とある広告のメーカーでは演歌のコブシやビブラートといったリズムを、本人歌唱をもとにデジタルデータ化して、そこに合わせると得点が高いというカラオケの採点システムを作ったという。それがいいかどうかは僕には分からない、声がしゃがれて意図したものにならなかったとしても、仕方がないというところもある、あえてカラオケのテロップを読んで音読することで、詩を自分なりに再現しようと多少ボケたこともあった。最近では頭の後ろからストレスのような変な声が聞こえるものの、どうしてか過激な歌詞を選びたくなくて、通信カラオケではなくGoogleやニコニコ動画のキーワード検索を使って、こういったメジャーでもマイナーでもないけれど、元々は同じような環境でもあったかもしれないというようなメッセージをささやかに添えておこうと思ったこともある。
続きを読む ネガティブになりきれない事情

シンプルなメッセージが膨らませる情報

情報は目に見えない。それでも情報で相手を囲い込むこともできる。
「ギガ減る」という言葉がある、スマホ依存の若者を揶揄した造語だが、ウィットに富んでいる社会性もある。
「動画を見すぎてギガが減る」
「Wi-Fiがなくてギガが減る」
という形で使われる。1000メガにもなる1ギガバイトにもなれば、webブラウザは見放題かと思うと、そうでもないこともある。体験的にはうっかりミスの形で現れる。その時の損した感じがを放言しているようにも見える。Wi-Fiが混線することもしばしばある。未だに大きなイベント会場などでは3キャリアから設営のスタッフが、無線LANの環境を整える。体育館などでは、床に有線LANを配置して、会場内で専用のWiFiを提供する方式が安定している。個人はどうだろうか、町を歩いていると店舗ごとにポケモンGOの補給センターと、WiFiが供給されているが、たまたまそのお店といい関係になれない場合や、こちらの手持ちのチップがない場合もある。インターネット上で憩いの場が作れることは何かのコミュニケーションが生まれるが、逆に居候されられる立場が弱くなる。
双方向的な対話が成立しにくくなる。すると街の道路沿いには電信柱が立ってはいるものの、WiFiはあまり繋がらず、スマートフォンの電波は2-3本くらいが4G回線で繋がっている。歴史的にエジソンが、文学的にはモンゴメリーが小躍りして喜んだことを思い起こされる。
「・・・もしもし」
「糸電話が繋がったよ。」「モールス信号が通ったよ。」
という種類の新鮮で、原始的な通信の形だ。ヨーロッパとアメリカの間にはモニター号という蒸気船が、海底ケーブルを通して、その上で電話が繋がった。これも距離を時差が8時間くらい出るように引き伸ばしただけで、糸電話のあり方がインフラ整備に反映されている。
それとギガが減るというのは、雲泥の差があるかもしれないけれど、国内でも大手の通信事業者が策定した5-7Gというパケット通信の単位をうっかり使い切ってしまうと、低速モードで繋がるようになる。その時の入り口の一つではある。128kbpsの速度になると、ISDNが繋がる以前の速度になってしまう。それでも携帯電話やスマートフォンが普及して購買者が思い思いに通話しようとして混雑する状況と、通信インフラや、総務省との兼ね合いで、できるだけ新しい通信手段を通って事業者を潤してほしいという思惑のなかで、苦労して本当に伝えたいことが吐露しやすい枯渇とも言える。
言葉には音としての響きの他に、意味がある。音は言葉を再現するための唯一のインフラである。その時の心理状態や、状況の良し悪しを推し量る綾さえも音には含まれる。トントン拍子に話が進むこともある。それでもその時に選んだ言葉の意味は後になって思い返されることの方が多い、伝言ゲームをするとそれぞれの思惑があって、どうしても歪めて伝えられてしまうことがしばしばだ。その中で、言い伝えられたことはその人となりを表現する世界観になっていることもある。通信サービスを展開する人たちは、形には見えなくても土日も働き成果を積み上げながら、コミュニケーションが円滑になるように日々努力している。そこで打てば響くような言葉を選んでいる。それでも後になって用事を思い出すと、必要なことが過剰で、社会的にはとるに足らないような悩みも個人的には浮かんでくる。改めてギガが減るというのは程度は低いが、時代の苦労を内包したキーワードとも言える。声は、振動になっていろんな線や、パイプの中を通って伝わる。光ケーブルになれば、そのようなアナログさは伝わらない、それも電波が持つ性質によって響きが距離を隔てるにつれて雑音を含んでうまく伝わらないからだ。それでもザーザーとくぐもった波の音が、山の向こうから無線となって伝わった時、それほどの困難を乗り越えてここまで届けてきた。という感慨も滲んてくる。それでも正確さを優先する電話交換技師にしてみれば、まやかしの自堕落な理想に過ぎない。数をこなしてそのなかで、いいものを選ぶべきだという経験則も働く。ギガも何千や何万ものという単位を示していたり、検索エンジンサービスのgoogleがグーゴルという夥しいを表す言葉であるように。最近ではここぞという時に繋がらず、ボタンやフォームの向こうで、または、信号のような中継地点で調整が生じることもあり、僕が今年最もたくさん入力したキーワードは「あ」だけだった。これだけならポケットベル単体でも意思疎通だけなら可能になる。「あ」という音、象形文字、それだけで数千回ぐらいになる。それだけ考える事と行動する事には無数の段階がある。せめてここから、あ・え・い・う・え・おと続き、少し固まった子音だったり、キーボードを丸っと入れ替えて数字を入れて物差しになるようにも組み立てたい。響きが良いだけでは、相手に同意していることは伝わるが、より良い考えを提案することが難しい。それでも相手の目標を損ねたりしたくない。どうすればお互いの日常をよくする梯子を想像する。その梯は次の世代の誰かや、いつか月まで届くように。
amazonで今まで買ったこともない目新しいものを知らないお店で買い求めることは、綱渡りするようで失敗することもあるかもしれない。
アメリカ中西部だけでなく地方自治体でドローン配達の実験が行われていたり、
物語性があることなのかもしれない。
住んだところが家になるのか、家があるから住むのか。
情報があるから会話するのか、会話するから情報になるのか。
棚やコップをmm単位で検索しながら、実物を確認できず、特徴的な500px四方のフィルムから想像して、
輸送する業者や、国内では主に宅配便と宅急便の違いに気を使いながら、
それでも無事に届けばいいかと思ったり。
商品棚に棚があるから買いたくなるのか、買いたい棚を数値やユーザーの体験談から測るから商品棚が充実するのか。
インターネットがなければ、都市のドーナツ化や社会体制の閉鎖を解消できなかった。また過去から現在に至るまでの記録がなければ、なんとなくにしても中立を推し量れなかった。でもアマゾンにある商品の中で、備長炭やネジなどは実際はどこかのおそらく日本の東京駅から電車を乗り継いでも1時間程度でいける見たことのない町工場で作っているものも沢山ある。それを買う側の用途で測りながら、わざわざ海外のAWSサーバーを迂回して、その上で日本で買っていると予想すると、そこには信頼の細い糸しか支えが存在しない。それこそが、興味関心というふわふわしたアメーバーの筋になっているかもしれない。例えば任天堂Switchも国内で手に入らないし、人の良さは競争の前口上に過ぎず、社会の役に立つためには情報を何かの行動や形に変える工夫が求められる。それでも、何気なくても嘘のない体験談はそれだけでも励みになる。
アメリカの中西部で静音性ポンプの実験をしていた様子が参考になった。youtube用に上手く録画しただけかもしれないが、マニュアルより動画の方がわかりやすい。それでもアメリカではシェールガス革命の影響もあり、中東と仲が悪く、パリ協定や京都議定書とも合わない、それでもアメリカの技術は癌を緩和したり、自然を豊かにできる基礎研究が多い。
それに比べると日本では道徳心や集団思考は発達しているが、実際に形にならず、記録も海外の媒体に頼っている。伝えたことと、事実はどのように違うのか真の読者は存在するのだろうか。