教育とミス

前段で不安に陥れるという手法はそれだけ話をじっくり聞いて欲しいというテクニックだと思うけれど、僕はそこまで賢くない。気持ちは分かるけれど、それがすべて正しいとは思わない。正しいと主張する人の話をなにより優先する必要がでてくる。解熱剤を使っても熱が下がらない場合は、新型コロナウイルスの疑いがあるとして然るべく医療機関に診断を受けるという勧告が作業場でもあった。

マネジメントの後続の実践論はまた出ておらず、不安と試行錯誤のなかにある。そこに依存するわけではない。また経験がなかったり、正しい答えを理解していなかったとしても、取り組めることはあると考えている。なにより、結果だけを追い求めると椅子取りゲームになって、そこで誰かのミスでも、または自分のミスでも上手く協力関係が保てず、コミュニケーションが円滑に進まない。心理的に、大幅に遅れるといってそこから急いで挽回すれば、比較的頑張ったように見えるが、少しでも遅れまいとして少なめに申告して、そこで予定より遅れるとさらにウソを付いたことになり信頼が保てなくなる。

また同僚は、ミスがあった自分を認められず、サービス残業をして挽回しようとしていた。経験者に比べて、仕事の勘所や容量が掴めないため、比較的多めのタスクを割り振られて、それを自分一人ではこなせず、手助けが必要だと安易に頼んでしまうと、自ら一人前でないことを認めることにもなってしまう。ノートには僕よりびっしりとそれなりに理路整然とノウハウを書き綴っていたものの、それが実践できずミスになったことで、なぜノートを見返さないのかという詰問に、返す言葉を失っていた。経験が少なく、ミスもある状況で、いかにしてサービス残業をせずに、経験者の助力を頼むことができるかを僕は考えたいと思った。それは安直すぎると、考えがない安易に人に頼っているということにもなり無責任にもなりかねない。僕としては、専門用語を理解しているという旨の同意でしかコミュニケーションが取れないという状態も圧力が掛かっており、緊張感に順応すべき、またはミスをしてしまったときに、他の作業に影響しないように心理的にも物理的にも立ち直る必要がある。

注意にも怒ると、叱るがあり、今回はミスに対してそこまで執拗には叱られなかったが、それが逆に同僚が気にし続けてしまうことにもなっていたように思われた。帳票の中には一般の消費者にも配られるものもあり、そこで数をこなせばそれだけ社会貢献につながることが本人にも理解していたためにノートも一生懸命取っていたし、それについて教わることも多かった。朝には優しい語り口でアドバイスをするように、先輩の担当者が教えていたが、それがノートではなく、傾聴しようとしてメモ帳に書いたことを覚えていられなくなり、手順を読み飛ばしてしまったので、優しくアドバイスした先輩は気分を害することになった。帳票の作成や確認は責任を伴うものだからこそ、指導にも熱が入り、反省もより自省的になるが、それが自分はこれだけ我慢しているのに、ほかの誰かが施しを受けるのが耐えられないという不満が表れてしまったのかもしれない。

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主体性を自覚する

思うようにいかないことがある。それでもそれに対して反感を持つとそれが態度になって現れてしまう、それでも幸運に思うべきは、相手にペナルティを与えるような立場から自由でいられることかもしれない。日本だけでなく、海外でもコモンセンスがある。それでも相手のことを考えて、できることを対応していく。突然のことに驚いて、理由がわからず動揺した。なぜ僕は相手のことを全く知らないのに、相手は僕のことが何もかも知られているのか。

もともと隠し事をしていないということもあるけれど、セキュリティが十分でなかったり、不注意だったりすることもある。なかなかそれでもそこまで気が回らない。頭がクラクラする。ここのところ休日でもあまり休めていない、気が気でならないこともある。そう考えると、その日どう過ごすかは自分のことだけでなく周りのことを気にすると、多少は予定が立てやすくなる。それでもここのところ一日一日の予測が立てられないという状況が続いていた。

選択によって意思が作られることがある、ボタンを押すことに無自覚になっていることが思わぬところで裏目にでる。アヤは形になり、だんだんと不安になる。ある老人が蝶々より芋虫が愛らしいというと、その流れではまるで重力がかかったかのようにそれに抗えない。天の恵より地道さということが必要ではあるけれど、それを理想化され、ステレオタイプのように捉えられると、一方的に負担がかかる。もともと社会は理屈で説明できることはあまり多くない。最近はあまり思考が行動と結びつかないことがある。願わくば、ただ頷ずくだけの修行のような日々から、なんとか次の可能性につなげて行きたい。

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場当たり的でないものを作る言葉

なるべくは、できることに取り組んでいたい、その途中で話しかけられるとタイミングが良くない。いろいろ考えてもエンターテイメントは、転んでから起き上がるときが見どころであるように思われた。しかしながら、それだけを続けているとパフォーマンスが続かない。実際のところ何かに集中できる機会は限られている。
相手を気にしないで何かに取り組めることが単純に羨ましいということもある。現実には機会を選ぶことができず、すぐに成果が期待できることもその時点ではわからない。その分からない部分から、この人はここまでやってくれるというところで繋がりができて行くこともある。しかしながら、ある種、誰かに好かれることが、誰かには気にされないという裏返しになることもある、そうなると、ちょっと気を引こうとして色々とちょっかいを出す。すると、すでに何かには取り組みたいけれど、そのタイミングで話を持ちかけられると困るということもすでに体験している。そう言った場合は、都合や空気の読み合いになることもしばしばある。そうなると、気が利く方が有利にはなる。実際に、昭和の時から日本ではすばしっこい方がパフォーマンスが出るようになっている。そこにはある程度適用した方がいい。それでもそこにかかる焦りもまたもう一つの側面ではある。続ければ続けるほど、悩ましい要素がある。
先週末にかけて、タスクを集中力が途切れそうになりながらも、なんとか自分を奮い立たせて時間内に終わらせようとした。相談して見ると、頼まれたことは断れないという禅問答になり、できることも限られてくる。新しいことをその間に覚えようとするとなかなか入ってこない。その時に、2ヶ月前に実装したLED7セグナンバーディスプレイの3分タイマーは、ライブラリと組み合わせることで、iphoneのストップウォッチとの誤差がなくなり、タイマーとして動いていた。接触が良くないのか判断がつかなかったけれど、新しい操作ではナンバーディスプレイが上手く表示されないこともあった。ところが、タイマーを起動してからまた次のコードを動かすと経験的には動くことが多かった。もし不具合があったとして、そこから無理に直そうとしたり、改善点を聞こうとすると、場の雰囲気とかみ合わないと、こちらが勘違いしていたり、何かを見落としているという事が見つかって、そこでつまづく要因の一つにもなる。ともあれ、先行きがあまり不透明な中で、何かに一生懸命になることはある意味では先のことを考えないということでもあるので、集中力が途切れた時に不満が出たりすると後で引っかかることにはなる。
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気持ちを揺さぶる本音を探す

エンジニアだからFAXも直せるでしょ。と言うキャッチコピーが、通信インフラの取り組みを象徴していたことがある。数年前の市場経済をキャッチーに示している。しかしながらかつてのテレビのバラエティ番組のように、いじる側といじられる側がそれぞれキャラクターを立たせる演技をしていて、クラスの目立ちたがり屋さんが、それを真似するという構図が、いたるところで見られた。そうなってくると、あえてこちらがちょっとした嫌がらせも兼ねて、平易な言葉で質問すると、やや斜めに構えてやや存在感が現れる。しかしながらそれでも、当時はぐるぐるナインティナインの学校へ行こう!シリーズの青少年の主張の迫力がすごく、側ではビクビクオドオドするしかなかった。そこでよせばいいものを、周りでクスクス笑っている傍観者にも少し苛立ちが募ってきた。それでもそのまま何か尋ねると、グループにいい感情を持っていないかのように思われるので、ある程度タイミングを見計らってと言うことにした。とはいえ運動神経もなく、ただあるグループでピエロのような変わり者の扱いになっている近い将来がなんだか切なくて、そういった状態がたいして変化はしないだろうけれど、せめてちょっとした勇気を出してみようと思った。
そういった物には、根拠はないけれど愛があるかどうかで、相手に与える印象は違ってくる。テレビの脚本ではフリとオチが決まっていて、番組のスケジュールに合わせて出演者がキャラ立ちも兼ねて逆ギレという、相手というよりそれを見ている視聴者を驚かせるためにそういったリアクションをする。それがウケと言われる現象に出くわすると、相手につぶやきを聞かせると言うテクニックを内輪で披露し合うこともある。僕はそういったことは苦手だけれど、グループを盛り上げるためにはある程度仕方がないところもあると思って、気持ちを落ち着かせることだけで精一杯だった。
僕自身は演劇にはあまり詳しくはないけれど、IT系職種の前には学生時代に演劇をしているといった経歴の人にも何人か交流があった。そういったところでは僕も少し相手のことをケアしようとする気持ちが足りなかったのかもしれない。それでも相手からペットのように思われるのが怖くなって、ついついマイナーな隘路に逃げ込もうとしていた。スティーブン・キングの書くことという著書を図書館で借りたことがある。表紙にある男性のシルエットと机におかれたタイプライターに感傷を覚えて、本を元の場所に戻そうとするもそこからそのまま貸出カウンターに向かっていた。そこで、メッセージを伝えるときはややオドオドしていた方が、リアルな状況が読者に伝わるという。とは言え、僕の場合、多少の言い合いになれば、無意識か、それかある程度引っ込み思案な自分を鼓舞するかのようにシャッキリした態度を取りがちだ。そういった場合はどこか滑稽に見えているのかもしれない。どこかで自分のちっぽけな自尊心がとりあえず、平易で分かりやすい言葉にするように囁きかけてくる。
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