入り口から出口までの過程

嫌がらせがものを知るための最善の方法なら、そうすればいいだろう。僕は本性さえ怪しいと思っている。勘も当たる事もあれば外れる事もある。お金が絡んでくると嫌がらせになりやすい、ではお金にこだわらなければいいかというと、博打の要素をタイミングよく受け流す必要がある。世の中の底辺でなかったとしても、現状に不満を持って、他人に寄りかかる人がいる。
社会人になるまでは、そう言った寄りかかりはなかったので、物珍しい部分はある。アイドルの人気投票も当たる事もあれば外れる事もあるが、それを誰かにモテている、ちやほやされているとするのは、あまり想像ができない。噂もされるより、する方にもリスクがある。人の口に戸は建てられないけれど、構ってちゃんというタイプがある。それは言葉や仕草が普段、話し合われたりすることがなかった事もある。それよりも遠因としては、作業とは関係のないところで誰かに操られているようなところがある。その影響力によっては、どっちに付けばいいかをそれぞれが知らないことが多いなりに気を使いあっている。不思議なことに大体においては、それほど的外れでもない、その精度も一宿一飯の恩義のようなもので絆が付いた方が、グループに対する定着率は高い、気がついたらそこにいるくらいの存在感がある。僕はあまりそういった依存をしないようにしているけれど、特に人間関係で困らない。
パソコンやゲームで関数を使うと、作業をまとめて自動化することができる。これはヴァーチャルな、液晶画面で、記号を用いて作業されるので、そこで同じように動作させれば、相手をコントロールできると思う人も中にいる。とにかく手癖を真似にしょうとする。業界ではセクハラと度胸試しと、我慢比べが信頼を図るためのものさしになっている。それらは、昭和年代の高度経済成長期に養われたものが多い。平成になって歴史の教科書にもコンピューターが出てくるけれど、まだエクセルと家計簿の違いは文系の資料からでは読み解けない。目的もないまま、下を向いてただやるべきことをやり切るとだけ教えられてきた。その過程で相手より優れていると思われる感覚は、隣の人よりも我慢したり正解数が多かったときに反応するようだ。しかしながら人生の目的はそれだけでは分からない。高校より暇を恐れて、売り場のレジに立って接客を覚えながら夜間学校に通う。戦前よりもハードワークとも言える環境で、そこでしか得られない価値観があるかもしれない。確かに短期的にはそれでやる気がつくけれど、それが持続する人は少ない。気持ちを持続されるためには、何かに依存していることが足枷になる。
また、自分のいうことを都合よく聞いてくれる相棒がいたとしても、それは友だとも家族とも違ったタイプでもある。民主主義は利益をグループにもたらさない、それでもそれ以外の制度では、ある種の独占になる。今までの経験では嫌がらせが一種のコミュニケーションツールになっている。丁寧で流暢な言葉ではそれがハッキリして正確なメッセージだとしてもなかなか素直に受け入れられない、パソコンでは手書きの文章と異なり、ボタンを押すだけで意図したことが出力されるので、なかなか有り難みがないとされている。アメリカのマーク・トゥウェインは各地を講演しながらも、ワープロのアイデアを考えていたり、イタリアのオリベッティ社は、タイプライターで文章を書くだけでなく、アスキーアートのような遊び心があるものにした。
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