水ブロックと縞猫

水ブロックの描画とそれに付随したアニメーションは、もともと持っていた参考書の波のモディファイアと連携して、cyclesレンダーを使わずに透明感と質感を出すことができた。またそれにmineCraftでハーフブロックにバケツの水を貯められるようになった時の目新しさをエッセンスとして組み合わせて見ようと思った。モックを作った時は何とか形にしたが、後で見てみると水にアイテムを入れたとき、水面に波は経つけれど、ガラスブロックにアイテムが透過しているのに映っていないことに気が付いた。床の砂岩ブロックは透過しているので、マジックミラーの間にアイテムが隠れているような奇妙な形になった。これを直すのに、設定を見直すことにした。IORの数値は透明さを重視していた0.8から1.333に戻して、向こうはすけて見えるが、光が屈折している様子によってガラスと水を識別する。また、水のダイナミックペイントはボールのデータが残っていたのか、アイテムのシルエットと異なっていた。アイテムのシルエットを適用しなおすと、水の跳ねは小さくなるが、ひし形に波が経っていた。水にぽちゃんと小石が入るような音でなく、平たいものがばしゃりと収まるような感じだった。とはいえ、アイテムがパスのカーブに沿って水面の波を立てることももっともではあったが、ボールをダミーにして代わりに波を立てるようにした方がブロックの波模様が分かりやすく演出できる。また波の経ち方はダイナミックペイントの設定というより、水ブロックをキャンバスにしたとき、ブラシになるブロックの形状や質量が関係しているようだ。また水ブロックにはアイテムが厳密にはボールが接触して波がたってから、しばらくするともとの水面のさざ波に戻る必要がある、そのときの速度はダイナミックペイントで設定できる。またガラスブロックに水のテクスチャ―が触れないように水ブロックのサイズを1m四方の立方体のハーフブロックから、0.999mなどわずかに小さくするとテクスチャーに水色が映りこまなくなった。また水の色は初めは青だったが、直して見ると青緑色になっていた。予想以上に再設定に手間取ってしまったが、mineCraftでベータ版のレイトレーシングや中国のwisdom-shaderなどのシェーダーパックを使ったときに水の質感が印象的だったことを、blenderでも再現できればと思った。

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印象と雰囲気の味

歴史や道徳が示すあるべき姿には現実味が薄く、その都度読み手が思い悩む事が多かった。とはいえ、その理想を押し付ける圧力に抗えず、いつしか相手の言うままになっている。ということもしばしばある。かつては食べることが、生き残るための手段だった。日常会話では、常に誰かを差別している。それが無くなると返って会話の糸口がなくなる。とはいえ、相手が落ち込むと、それが自分の糧になると思うのはある意味では錯覚だと思う。歴史を議論していると、身近な人物に仮託してそれを具体化するという置き換えを行うことがあるが、それはそこでの居場所を確保するための手段にすぎず、落ち着いて自分なりにフラットな視点を取り戻したくなることもある。どのみち過去の時間は変えられない。もし比較的思い通りに行かないことがあれば、その願望が裏目にでることもある。

個人的に疲れるのは、頭の中で罵声が飛ぶことくらいで、それも何事もなかったことにできれば、別段影響もない。噛ませ犬は、身近なものを噛むことで生き残る自信と気休めを取り戻すと言う。その過程でやられたとしても、別にどうと言う事もない。もともとやりたいことはなんだったのかと一言アドバイスしたいくらいだ。

居場所を得ることについて、組織的なものや、序列的なものがあるけれど、それは居合わせる順番や感情にもよる。たいていは相手がその主導権を握っていて、それがうまくいけば、場が変わる。自分がそれをどうこうしようと思ったことはあまりない。一族は会話を始める時、極端から極端に話題を傾けて流れを作る。それは、世の中が好景気になっても、そうでなくても淡々と続けられてきていた。それでも、会話をするための手段が断片的であることが多かった。ほとんど、これ、それ、あれといった具合で、察しながら行動する。正直あまり察しはよくなく、そのことで落ち込んでいると、例えばその風景を描いてみるとどこになにがあるか大体整理されるといったこともある。バリアフリーという設計があり、それを知ったときは身の回りのものを整理することで、そこから平等や未来感が見えると思ったこともあった。小学校に通っていた学校はプレハブだったが、公民館ができた頃にはクラスの垣根が取り払われたり、トイレがピカピカに掃除されていたりと、次の世代が羨ましくなることもあった。とはいえ、実際には、どこかしこに縄張りや、段差があり、そこで転ばないような知恵をつけることが適応力を養うという。

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何かを学ぶ機会について

方眼紙を見ているとおそらく誰でも潜在的に自由に絵を描いて、思ったことを形にしてみたいと思うところがある。でもその一方で誰かにユーザーをの特長を絞って形作ってみることも一案としてある。とにかく間違わなければ、他人から嫌われず安全でいられるというメッセージが強い中、とにかく相手に振り向かせる、目をよくみるという事をよく言われる。翻って自分が相手に対して、とにかく僕のいうことを聞けば目の前のことが上手くいくというアナウンスはした事がないので、どのような立場と状況でそのように窮屈な提案になるのかが想像がつかないところがある。
上手くいくかどうかはまだ未知数だけれど、E-inkの表示を試してみたい。勇気液晶画面はLEDのバックライトを塗り替えることで、滑らかな表示を実現している。色・画素数も最新鋭のデジタルカメラの動画や写真を反映する事ができるので、とても高精細な表示ができる。ところがそれをある画像から別の画像に変えるには、LEDを全部消して、次の瞬間に思い通りの場所に付けるということをする必要がある。銀幕のスクリーンがある映画館ならその表示で臨場感が保てるものの、文字と画像を正確に認識するには、ある程度要素と目的が決まっていると作業者に負担がかからないように思える。かつて林業でチェーンソーを使っている木こりが、モーターの振動で手を痛める事があったという。パソコンやテレビゲームの情報も大部分が視覚に依存している。もし外の風景を見る機会がなかったら、僕もかなり心が薄暗くなっていたかもしれない。
AbemaTVもいつでもアニメが見られるものの、再放送でスラムダンクが8回、幽遊白書が7回、干物妹うまるちゃんが5回同じ放送があった。いずれもいつもでも飽きがこないけれど、アニメーションと言っても起承転結がある中で、限られた作品ばかりがピックアップされているようにも思えた。いつも新しい放送がやっていて番組表が騒がしくなると、僕の目もかなり疲れることになったかもしれない。金田一少年の事件簿のように、対話形式でゆったりと進んでいくものも悪くない。
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バランスがあって印象に残るメニュー

給食のおかずでは、揚げパンが原点になっているところがある。その人は男性で調理人を目指して、その技術を磨いてきたという。何もなくてもみんなでそれを食べた思い出が空腹を満たしてくれる。ところが、一人っ子の場合はそうでなく、野菜と肉のバランスが取れるメニューがないと生活に困ってしまう。肉でも、肉が100gある焼肉より、豚肉と鶏肉が60g、40gずつあると満腹感が違ってくる。バランスは空腹と満腹の塩梅を調節することに助力している。サプリメントなどもコンビニエンスストアでも調達できるものの、手作り感のある食事が当たり前のようでありながら、実は貴重なものだと見直される時期が来る。
和食では、肉と野菜のバランスが取れているものの、どこから単調なところがある。お弁当の具で、色合いとカロリーのバランスを考えて、そこにどのようなバランスとバリエーションが想定できるかをイメージすることは、昨今のキャラクター弁当の鮮やかさの根底にある概念にも見える。中華料理は、野菜炒めだけでも、鳥の軟骨が入っていればコリコリと舌触りになっていて変化があり、牛肉も下拵えがしてありただ焼いただけとは違った味わいがあった。一般に知られているラーメンやマーボー豆腐は日本でアレンジされたメニューだけれど、和食になると要素が絞り込まれる傾向がある。お弁当でも要素が盛り沢山になった幕内弁当になると、印象に残りにくく、峠の釜飯などシンプルに洗練されていた方が、印象に残りやすいという考え方がある。それでも、メニューで豚の生姜焼きとシーチキンサラダを選ぶと、生姜と野菜とタンパク質などがバランスよく取れる。そういった中ではラーメンやカレーなどの海外の食事を独自にアレンジしたメニューは生まれにくいかもしれないが、それぞれの国境ではなく、家庭や故郷の味に近い味わいにローカライズされていくようなメニューが次の世代に求められているように思われる。そういったときには、必要な食事をただ取るより、なるべく多くの品目をバランス良く取れることが基礎になると思われる。
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気持ちを変える風に乗る

不測の事態が起こる、それだけで僕は誰かのために生きている献身的な性格になれる。なんだか先のことが予測できない。それだけにいつでもどこかしら不安だ。でもそれが返って他人を蔑ろにすることに疲れてくれる。
休み時間も不測のことが起こらないように気をつけてはいたものの、
練習用のファイルを消してしまった。1時間くらい前のバックアップがあったものの、英語のWEB制作のHowtoサイト、プロジェクトファイルの一つがエラーになって復元できない。視野が狭くなると、思わぬところからもつまづく、周りからすれば、自ら転んでいる変わった人というように見えているのかもしれない。それで書類をなくしたことと重ねられてもたまらない。そういったことは、周りと調子を合わせられないことからくるという。なるべくリズムを合わせようとするけれど、仕事では体力と知恵比べをせざるを得ないこともある。たまたまそういった嫌がらせを中和しても、僕なりの目標を持たなければ、その日のタスクに追われてしまう。
気絶するくらい疲れているので、効率は悪くても頑張れているのかもしれない。先人は、不測の事態は全て自分でなんとかしなければ、先に進めないという。僕も、できるだけ落ち着いて事態を整えて、一つずつ手順を整えていく。相手の顔を思い浮かべて、その人が納得するように進めていく。僕を陥れようとするならとても簡単だ。2人以上で噂話をするだけでいい。ちょっとしたストレス解消のタネにもなるだろう。
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心の立て直し方

文章を目的別に分けることで疑似体験を構造的にできるそれだけストーリーをかけるようになる。それでも、書いている内容があるプロジェクトをベースにした企画書では、伝わりにくいこともあるかも知れない。僕の場合は、そういった困難をスルーする能力というより、まず相手に迷惑をかけたくないだけだった。初対面でも、ある条件になると、息苦しくなってしまう。
そういったコツをつかんでいる相手とは分が悪い。自分がそういった側に回ったことはなかった、人生楽あれば苦ありという。twitterでのつぶやきが思わむ呼び水になってからその印象に誰も少なからず影響を受けて行動が変則的になってゆく。SNSでの噂話に戸は立てられない、それでも相手に文句一つ言わずにコツコツと生きていきたい。そんな些細な願いさえ叶わない事情があるなら、知ってみたいということもあったけれど、変に相手を意識するとそれだけで気に病んでしまうこともある。それもこれも、政治と経済の影響力になるのだろうか。
家の家系では、そういったリーダーシップとは無関係だった、勉強もそこまでできないし有力な知人もいない。
面接になったとしても、人の良さが出るだけで、特別長所があるわけでもない。
そういった時に、減点されると生きづらくなってしまう。なかなか居場所がない。ちょっとしたことで追い詰められてしまう。人は、僕をいじめて面白いのだろうか。ただ、例えばなんの代償もなく、楽しんでいる選手をニュースで見ると、人は不快感を抱くという。共感できないという。いじめは相手を理解するためのコミュニケーションの手段という認識を持てなかった。なんだか悪い気がする。そのちっぽけな気の使い方が生きる源だった。どのような社会でもいじめはなくならないという、できる限り依存関係にならず、相手に絡まないようにしなければと思う。やる気が起きないという、隣の人がミスをして気まずそうにしていると自分はどこかホッとする。
メールでも電話でも相手の話が見えず、直接会って話を聞くことがしばしばあった。相手の迷惑になるかもしれない、それでも自分が至らない。
ただ視点を変えてみると誰も彼もそれぞれの判断で普段通り動いているのに、自分だけ迷子になったかのようだ。テレパシーがそうさせているのかもしれない。
今までの人生で相手をバカにしたことがあるかと言われれば、何度かある。その度にしっぺ返しを喰らってきた。それだからこそ、逆に追い詰められた側の気持ちがわかり、優しさに意味が出てくる。文章は書けないけれど、噂話はできるというのはちょっと情けない。噂話は電話やインターネットができる以前から、最大のコミュニケーションツールだった。雑誌だけでなく歴史書にも幾つか噂が出てくる。噂でも熟達すれば人の動かし方もつかめるのかもしれない。僕はそういう意味では甘さと優しさを持っているので、人を動かすことには関心が持てなかった。仕事とは相手に命令することと言われるより、人に任せるより、相手の負担を軽くすることを考えて協力したい考えだった。それでもちょっとしたことで、信頼が揺らぐこともある。
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