相手の弱みにつけこまない道

最近の脅しは巧妙になってきている。直接でなく、間接的にというパターンが増えてきた。曰くセクハラやモラハラの技術を競っているという。その一方でなかなか一般的な価値観が得られない。かつてニュースのリツイートは、編集者を志望する人が、自らをキャスターに見立てて配信していたけれど、なかなか影響力が得られなかった。ニュースを配信する側の都合と、受け取る側の倫理観が合わない事が多いからだ。誰もが重要な役割を得たがっているけれど、それはそこで置かれた立場に満足していないという根拠もある。僕などは相手に要求をする余裕はあまりなく、自分のできることはいつでも手伝って欲しいというスタンスで、指導者が高圧的な態度をとっている場合は返って、時代の変化に乗り切れず、言いたい事がうまく伝わっていない状態だとも思ってやり過ごしている。
関係のない人を揶揄しているのであれば、特に気にすることもない。手書きでたどたどしく宛名も書かずに、エントランスホールやエレベーターに書かれた張り紙には哀愁を感じる。あれは僕のことじゃない、僕のスキをつこうとしてきた嫌がらせでもない。と言い聞かせる。団塊世代を動かすための理屈として、レシート一枚はタダだけれど、タダほど高いものはないというように、金銭感覚をくすぐるのが効果的ではある。それもエンタメ業界の一部で使われている放送作家の方言のようではある。仮に圧力を受けたとしても、そこで相手に謝ってもいい事がない、善意からお互いに負担が少ないように気を使うくらい。それでもそこまで体力が続かない、自分のことにもあまり関心がない。僕自身に特別なコストはかかっていない、それでも特段ないがしろにされているようにも思えない。日本では特定の個人に負荷がかかるような村社会になっていることもある。しかしながら、村と村同士の交流はあまりない。
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セクハラと自主性の絡まり

セクハラ問題は、一つ上の世代にしばしば見られる。グループと個人のやる気を餌でも釣るように操る。アニメでも白人で金髪が多いと、実際には不可能な事をやや理想的に描いているという事がしばしばある。負担を他人に擦りつけようとするあたりが社会に対してあまり生産性を感じない。産業が農業からサービス業に移行している。歴史的にはイスラム王朝の後半あたりから、農本主義が矛盾をきたしているとされた。イギリスではクローバーを使った三圃制によって休耕地を入れ替えながら耕す自営農民ができた。歴史はオセロや囲碁の勝ち方だけでも治りきらず、産業史や企業史と異なるところがある。高校卒業してから大学より、専門学校か、あるいは実業に入ると、おそらく法律や自然科学のノウハウが必要になる場面もしばしばある。もしお子さんに勉強をさせたいのなら、強制するべきかという問題になる。
ワンピースの映画では生き生きとした人物の作画や建築も見た目では素晴らしかったが、金融の知識を必要とする場面があった。モナコのようにカジノが運営される町に貸金庫があって、それを貸した人が分配するための仕組みとして、貸し借りの慣習が形成されていく。広告代理店のお涙頂戴的な雰囲気は、ややもするとヤラセに近いところがあり、少なくともそれは作られた感情だ。それが無かったとして本当の感動があるかというとそうとも言い切れないが、騙されるよりはマシだと思う。嘘や作り話は時として暴力になる。世の中が弱肉強食とは決め付けられないが、社会的に立場が弱い人が搾取される様子がしばしばある。とはいえ、それらは初見では難しい、経験は記憶によって造られるという説と、立場や目線を低くしてなるべく被害を受けないようにするという備えが必要になってくる。しかしながら日本ではそれが村社会のような因習になっている。ふと海外に目をやると必ずしもそうでもない。また、日本独自のものを説明するのに大部分が英語の勉強が要求されるものが多い。そこで難しい事を難しく説明することよりも、少しでも理解者が増えるように、簡単な例え話にできるかによって行動の自由度が異なってくる。
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