分かりやすさを選ぶ

不寛容社会の壁をすり抜ける必要がある、それは本当にそれを禁止しているわけではなく、向こうはそれなりに何ができるか、またそれがどのような影響になるかを推測したうえでの駆け引きだったと思われる。例えばテレビ越しに手品を見ていたとして、実は舞台袖に細ピアノ線や磁石が隠されているとか、またはカーテンの裏にハト小屋があるけれど、シルクハットのなかから唐突にハトが出たように見せるために黒く塗っていあるとか、壁の裏にマジックミラーが仕込んであり、こちらから向こうの様子は分からないが、向こうからはこちらの様子が分かるといったものがあるのかもしれない。それは実際のところ推測にすぎないけれど、自分が実際にすることと、方向性が異なる場合に、我慢の度合いを測るものがある。やりたいことができないことは仕方がないにしても、それを我慢する程度が、仕草によって読み取られることがある。

ニコニコ生放送のカメラ機材を使ったアニメのように仮想でない放送で、コメント投稿機能があっても、自由が発言ができず、何気ない雑談なのに、なぜかこちらが黙って落ち着いて聞いているとスタッフが喜ぶという状態がしばらく続いた。スタッフやキャスターは、時事問題や政治、経済の話をざっくばらんにするけれど、それに対して相槌を打つことも難しく、かといって価値判断が随所にちりばめられているので、まるでYESかNOかの選択肢をタイミングよく選ぶことが、うまく沈黙と平静を保てる方法ということになる。しかしながらそれはサブリミナルという、放送をしたり、文章を作成する人が喜怒哀楽の合間にこめた無意識に訴えるようなメッセージや、または、パワハラに見られるような、相手を矮小化して、課題を極大化するという着眼点のすり替えなども実際には存在する。

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