予定表のリストとタイトル

地下鉄から乗り継いでいくために、公園を抜けて歩いていく。時間帯は早朝からすこし遅くなり、薄暗い明け方に比べると朝の陽ざしが明るかった。朝起きて検温すると、体温は低めになっていたのは、昨晩夕食を食べていないせいかもしれない。電車はラッシュで混んでいるが、大手町を過ぎると比較的空いてきた。中野からの直通は電車のダイヤ乱れにより無くなっていたため、中野駅から乗り継いで目的地に向かう必要があった。

作業場の分散拠点には、入館カードがまだ割り当てられていなかったこともあり、駅前のキヨスクで担当者と事前に待ち合わせすることになった。20分前くらいに付いたけれど、すでに先輩の担当者が付いていたので頼もしかった。分散拠点にはすこし早めに付くと、まだ中に誰もいなかった。予定表には、コロナウイルスの影響で来週末までだったものが、今月末まで予定が入っていた。分散拠点には3人の作業員に対してパソコンが1台だけだったため、アナログの作業とデジタルの入力作業を交代でする必要があった。先日にはなかったプリンターがオンラインで繋がっており、入力したものを紙媒体で出力してパソコンが無くても直接指示書のタイトルにマーカーを引いたりして確かめることができる。

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ありそうでなかった物の見方

ここのところ状況が安定しない、ただランダムでそうなれば仕方がないところがあるが、誰もがいつも読むもの見るものがなく、様子や力関係を観察している。それでもどうにも良心だけの状態にならないことがあるという。それは一種の緊張疲れかもしれない、ミスやそれ以外の得るものについて常に何かをドキドキハラハラしていなければならないという状況はお互いにとってあまり生産的でないように思う。
かつて、恋愛がしたいと言っていたけれど、今までの延長線上には得るものがなく、勝負に出たいと考えたためだろう。それが既婚者でもそう言ったハラスメントの傾向がある。それとは別に、クリエイティビティを形にすることを、恋愛と出産に例えるというマスメディアに特有な現象がある。それでも、作品が売れないという、なぜ売れないかをクリエイター塾で議論するということも案として上がったという、それでも編集者同士の自費出版になるとそれ以上に共感性が薄くなってくる。
近所でもネズミ講があり、少々気分がブルーになった。それでもかつて、たこ焼き屋で話したことや、講義をメモしたことなどはいまだに覚えている。僕はその時は人前で話すことが慣れておらず、そのまま謙っておけば無難にことが治ると思っていた。隣の人もそれを支援してくれていた。ところが、ベイマックスの映画を見たときに、テンポが早くて全体のクオリティが高かったので、後でゆっくり見れば別の見方もできるかもしれないと思っていたが、彼は、ラストシーンで仮面をかぶった悪役と、人質に取られる出資者の構図がはまったようで、世の中はまずお金と立場だと譲らなかった。かといって、それでそれを真っ向から違うとも言えず、じゃあ僕なら損得を抜きにして、相手を説得できるようなというと脇が甘いのかいいところで捲られる。そうでなく、そもそも教授が人の悪口を言うシーンがアニメでも嫌悪感があった、容姿が多少よければなおさらその影が怖いと言う。それでも風船が駆動部分を優しく包むと言うコンセプトはありそうでなかったもので、マンホールの蓋にもそのデザインの一端がある。それにしても色々と既視感があるグラフィックが高速で流れるので、どうしても苦手な部分やトラウマになっている部分が傷口に塩を塗ったように印象に残る。それでももしその傷がなかった、または塞がっていたならばそれは別段無害で中立的だという見方もできる。
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何かのせいにしないで考えたこと

言葉を覚えることが近道だという。それとは別にタブレットの筆圧感知センサーは最近になって開発された技術だ。それまでは、手で書いたイラストをコピー機に掛けたりする必要があった。また、ペン型のセンサーの半径が小さくなると、鉛筆やボールペンの書き味でデジタル媒体をなぞることができる。それによって雑誌やポスターのイラストに近いものを書くこともできそうだ。そういったことより他者を非難するより自分が何をしたいかがより大切であるように思われる。また誰かにミスを追及されそうになれば、いつも目を俯きがちにして、申し訳なさそうに振る舞うことが習慣になっている。そこで逆らってもより損をするだけだ、しかしながら別段失うものもないし、相手を恐れる余力さえない。もし、相手に好意的にしてもらいたければ、安易に優しくすることを考えたいところだけれど、現実では誰もそのようい甘えてはくれない。誰しも優しいだけではうまくいかなかった経験があり、そこに別のやり方を探しているように思われる。でも、僕は誰かといがみ合いたくないがために、あるところでは内気なエンジニアで、またあるところでは人のいい大人を目指してはいたい。
最近では小説だけでなく、ライトノベルでもアウトプット量が増えて、ただのアニメのシナリオではないようなストーリー性がある。ライトノベルの重厚な長編を選ぶことはいいけれど、その他の候補作品を受け入れる容量がなくなってしまう。突き詰めれば、何かに感動することはそういうことなのかもしれないが、それでは中毒性がある。ライトノベルに限らず、現実にないことを仕事にできることはとても羨ましいことで、少しでも何かから外れたことをすると躾や非難の対象になる。ある寓話では、金融関係の業者が、融資の時に何をチェックするかというたとえ話で、それを聞いた人があたかも金融業界に生まれてきたかのように振る舞うようになる。債権者と債務者というと、読み方だけでは区別はつかないものの、その場の力関係でその意味をより把握する。生きることは気力だという、そういった気力を発揮するためにはいくら目を皿のようにしても、またその分野の専門知識を磨いてもそこに生の人が想定されていなければ、それだけの瞬発力を発揮することはできないのかもしれない。もし一人ではできないことがあったとしても、代わりに役割で考えることは共通している、それでもそれが直ちに誰かの行動を制限するようにはしたくない。同じ年だったり、同じスキルを持っていても結果がもし異なっていたら、居ても立っても居られないという気持ちは誰でも持っているのかもしれない。そうった状況を伝える手段を理性だけでなく、感情なしには持ち合わせて居ないというのが普通でもある。
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