思わぬ不調と向き合う

ハーブの根が5リットルくらいの容量のプランターに根付かない、ガラスの容器やペットボトルに水を入れて挿し木が2-3日で根を貼っている状態になった、それで、大丈夫だと思ってプランターに入れてみるとその日は、葉が少し痛んできたけれど、根には土が付いていて無事かと思っていると、一日くらいで蕾まで萎れてきていた。なんともよくわからない、土と苗の相性がまだ分かっていない。それに比べれば、ポンプを使ったり、ポットを使えば、成長が安定している。それでも紆余曲折はあったけれど、向き不向きがあるのかもしれない。家には農薬がない分、肥料は同じ鉢で2年目になると、必要になる。できれば堆肥を作ることを視野に入れてもいいかもしれない。リン酸と窒素が結合するとややアンモニア臭がする、その程度によって肥料の上げすぎかそう出ないかを測る物差しになる。今年の1月には雪が降っていて、ベランダのハーブにも雪がかかっていた、その時はハーブにもそこまでプランター全体に渡っておらず、気まぐれに作っていたサツマイモが蔓を伸ばしていた。また、中には栽培が上手くいかなかったものもある。それでも継続してハーブは形を変えながら伸びていた、手で積む方式からハサミに変えたけれど、切り口が萎れずにすんで、保存が効くというメリットがあるものの、それだけが挿し木の成功率向上に役立つわけでもなかった。すると他にどのような可能性があるのかと、色々と質問を準備しようと思った。サボテン科のグラパラリーフをインターネットだけでなく、ホームセンターでも買ってみた、僕の育てかたがあまり良くないのもあるかもしれないが、苗は実際に見たり手に取ったりして、自分に適したものを探すほうがいいのかもしれない。するとインターネットでは、何を得るかだけでなく、どうすればそこで誰かと相談できるかということを具体的に考えたほうがいいかもしれない。
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意固地の感性

初めは予想だにできなかった、30代は作家の岩崎夏海もまた、恵まれない時期でそれが糧になって居るという、そこに本能的に同調してしまうこともある。それはそれで、意見や文章を聞く以前に何かを信じる信じないの段階で、後者の方が文面より真意を直感的に把握して居ることが多い。勘のいいやつは丁稚奉公するという言葉より、タイミング、初見かそうでないかの違いが、高齢者の生きがいになっているところもある。向いている仕事ばかりをこなしてきたわけでもないけれど、悩みながらも対応してももともとどこかで転ぶことを想定した上で、そのようになっている。3日あれば何らかのミスがあるという、何もかもうまく行くというより想定外のことがあると割り切るしか仕様が無い。
その実、社会に対して何かを求めている訳でもないし、上の地位に行こうとも思わない、できる範囲でできることを進めるというスタンスで、わからないことは無理には理解しようとしないで自分で学べるところを学んできた。他人にあまり迷惑をかけないように過ごしているものの、結局はだれかの世話をしたいし、その考えを素直に聞いて欲しいんですという。はじめから無理だとすれば、嫌われないようにコツコツと対応することくらいしかない。リスクを避けようとすればするほど、他人に付け込まれるということもあるかもしれない。
レゴで中世の門構えから、ピストンの活用方法が分かるかと思っていると、直感的にそれが権威を象徴するものだということが先回りして伝わっていた。性能を試すには相手を舐めることで、それに対して毅然と実直に振る舞うか、途中で疲れが出るかで、忍耐が試されるようでもあった。もの珍しいものには悪目立ちするというところがある。もともと行くあてがなく、カラーコーディネーターの資格を学びながら、アニメーターの同輩もいた中で、そこまで詳しくはないけれど、周りに楽しみとバリエーションができるくらいだったけれど、自主的にできたことは倉庫番と八百屋と塾くらいで、あとはあまり主体的には動けなかった。そうなるとたとえ自分が志半ばになっても、何とか何かが残るようにはしていきたい。どうせやりやすいことは無理だろうし、何かを調べたりしている中でも、相手のことを見てくれないとして、ままならないこともある。
理解ができていないと頭でっかちになるという、アイデアを形にするより、まずは下積みが必要ということは、想像がつく。相手に言いくるめられるようにあまり積極的ではない。かつては心理トリックが利いているかそうでないかということが話題になったものの、今では逆ギレするかどうかという直感的なものに変わっていた。傍観者が勝手に怒り出しているので、当事者がなだめているこれもケアのうちという会話パターンもある。その因果関係が理不尽ではある。社会が苦しさやしんどさ、差別意識をエネルギー源にしているという考えが、まだ本を読もうかどうか迷っている潜在的な読者の気持ちを代弁しているところがある。親分と子分の関係は年月では変化しないという、グループでもそういったところがある。
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しなやかな心

もともと、引越しを繰り返してどこにいっても根無し草のようだった。
目標を分かち合う知人もいない。組織の競争意識が働き、目標が理想化することがある。なるべく一人でできた方がいいけれど、そうでもない部分もある。
僕を分けてみると、社会的な役割は固定化されていない。誰かに頼る一面もあれば、自分で歩くこともある。意固地になると、上手くいくものも上手くいかなくなる。
僕の場合は、笑顔を作る頰がのっぺりとしてしまうようだ。自然に笑えたことはあまりないのかもしれない。世の中と折り合いをつけながら、一人でも多くの人が幸せになればと思う。我慢やしんどさに囚われると、何もできなくなる。それでも僕は、そこそこには動いていた方だ。誰かを動かすより、誰かのために動きたい。それだけでは、計画性がなく、持続性がない。そっと自分を労わりながら、政治にも経済にも目もくれず、雨が降れば、雨宿りして、できることを少しずつ増やしてゆく。
受容ということが誰にとっても辛いことのようだ。相手を受容することで、その上に立とうとすると上手くいかない。かといって、そのまま受け入れても負担が増えるだけだ。制度として、過労や奴隷は無くなったものの、精神的な苦痛は癒されることなく残っている。失っても形はない、それでも前を向いて歩いていく。
それでも何だか、やりきれない気分にさせられる。他人の苦労を受け入れることはとてもしんどい。でも、そこから少しずつ悩みを解いていく必要がある。
相手をどうにかして出し抜こうとするようになる。競争は終わりがない。今の世の中では、おそらく優位に立とうとすると揺り戻しがくる。定点観測して、変化に対応して残ったものに継続的に向かえているかを振り返る必要が出てくる。
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